寒波襲来の早春――つれづれなるままに――(三)

 今月他の都市でした講演のテーマは皇室問題であった。1日に大阪倶楽部で、13日に時事通信社内外情勢調査会の鳥取支部で、14日に同会米子支部で同じテーマについて話した。

 13日に鳥取は雪が降っていた。着陸できない可能性があると知らされたまゝに11:50に羽田から搭乗した。案の定鳥取上空まで行って30分も旋回して、伊丹空港へ戻った。ANAのリムジンバスで新大阪へ案内され、「超特急はくと9号」に乗って鳥取へ向った。さて、「はくと」って何だろう、と不審になりだすと、車掌さんが来るまで落着かなかった。

 「白い兎と書くんですよ」と車掌さんにいわれ、「あゝ、そうか因幡の白兎ですね。」「そうです。」と笑顔で答えられ、やっと納得した。大阪も兵庫もずっと青空が見えた。2時間半の汽車の旅の終り約40分ごろに長いトンネルに入り、トンネルを抜けると外は一面に白い雪国だった。

 駆けこむようにして間に合った駅前のホテルニューオータニ鳥取の会場で、用意されていた夕食会の私の食事は摂らないで早速に話を開始した。今まで雑誌などに書いてきたような内容を思いつくまゝに自由に語ったが、終って不動産会社の社長さんという70歳くらいの方が、米国の占領政策の完成がついに天皇制の破壊という形で到来した、と独り静かに語り出した。聴衆はみんな帰ったのに、彼はしばし席を立たなかった。郵便局のアメリカへの身売り、農地の解体、病院の株式会社化、そしてついに天皇制度のなしくずし的消滅に手をかけるに至って、アメリカの占領は満足すべき終結を見た、と怒りとも悲しみとも言い表せぬことばで語りつづけた。私の言いたいようなことはみんな心ある日本人には分っているのだなと思うと、胸を打たれもし、心強くもあった。

 「あなたの周りの人はあなたの怒りを共有しますか」と私は聞いた。「いえ、ダメです。少数です。この間講演会で竹中平蔵さんの話を聴いて、アメリカにここまで奪われてよいのかと私は質問して食らいつきましたが、司会者に打ち切られました。わしらは無力ですよ。」

 ニューオータニの最上階のラウンジから眺める鳥取の夜景は雪もやんでしっとりと静まりかえっていた。私の年下の友人、鳥取大学の武田修志教授が訪れて来て、夜景を見ながらウィスキーを飲んだ。武田さんは学生に本を読ませる教養の本道につらなる実践教育をすることでよく知られ、そういう体験の教育書も書いて、大学の教養部解体の波に抵抗している理想主義者である。いま小林秀雄に関する本を書いている。

 「先生、驚かないで下さい。」と彼は突然思い出したように言った。「私はいま講義室の掃除を始めているんです。清掃予算が減ってペットボトルや紙屑で教室がよごれる。私が率先して始めてみたんです。手伝う学生もボツボツ出て来ています。教官で手伝う人はいません。こんなことから始めなくてはどうにもなりません。きたない講義室で教育はできないとだんだん気づく人が出てくるでしょう。」

 武田さんは気負っているのでも、気取っているのでもない。質朴なお人柄である。彼は『諸君!』4月号の拙文「『かのようにの哲学』が示す知恵」にしきりに関心を示した。宗教心と皇室問題についてわれわれはしばらく話合った。香奠袋の買い置きをしない日本人の慣習に関する私の書き出しの部分が印象的だったようだ。

 私は武田さんこそが日本人らしい宗教心の持ち主なのだと思った。率先して黙々と講義室の掃除を始めた大学教授。日本の現実のひどさを反映している逸話である。同時に日本人の本来の信仰心のようなものを強く感じさせる方だと思ったが、口には出さなかった。

 西洋の旅をして、教会の内陣でひたすらお祈りをする西洋人を見て、日本人には宗教心がないと口癖に反省を語った一昔前の知識人のエッセーの底の浅さを思い出した。宗教心なんてそんなにご大層な、ことごとしいものだと考えるべきではないと私は思う。

 70歳くらいの不動産会社の社長さんといい、武田教授といい、良い人々に出会って静かに更けていく鳥取の雪の夜の出来事であった。

「寒波襲来の早春――つれづれなるままに――(三)」への5件のフィードバック

  1. かつて鳥取大学の学生であった私は、400名収容の大講義室で西尾先生の講演を拝聴いたしました。たしかあれは平成5年か6年か。「異なる悲劇日本とドイツ」が出たころだったでしょう。当時鳥取という地方大学で先生の講演が聴けるという望外の喜びを、驚きと共に噛み締めていたことを思い出します。ただ・・医学生であった私には先生の「医学部の学生は、車の助手席にどんな女の子を乗せようか、こんなことばかりしか考えていない!」とのお説教に、反論をしようかとも思いましたが・・
    当時助教授(?)でいらした武田修志先生と、同じドイツ語助教授の渡邉政憲先生が中心となって、先生の講演を招聘したのだと伺っております。
    武田先生の授業は訥々としたもので、そのお人柄がよく出てらっしゃるものでした。また渡邉先生の講義は、たいそう刺激に富み、緊張感があるものでした。個人的にも様々な本を紹介していただき、今でも尊敬する師の筆頭に位置されます。
    先生の講演の後、大学図書館の開架で「ニーチェ」第一部第二部を読み、後日呉駅頭でまさに汽車に乗られんとする先生に購入した本に筆をしたためていただいのが、よい記念となっております。
    ついつい個人的なことをお書きしましたが、書物のみならず講演という手段でも、あらたな知への欲求を駆り立て、そして人々とのつながりを通じてそれがさらに深まることが出来ることが、素晴らしいことだと考えております。

    (蛇足)今年広島で開かれる日本臨床外科学会の特別講演演者候補に西尾先生を推薦したのですが、他の方になってしまいました。もし実現できたなら、どんなにか刺激的な幕開けの学会になっていたことでしょうに!

  2. ピンバック: なめ猫♪
  3. 不動産会社の社長さんの慨嘆は慨嘆に留めておけない大問題と思います。平蔵大臣への質問を遮った話はもっと広めたいものです。「『かのようにの哲学』が示す知恵」は悲しく憤慨して読みました。「我らは無力ですよ」のお言葉も納得しながら、それではいけないと思い直し、なにが出来るかと巡らす知恵のなさにまたまた慨嘆するというやりきれなさが残ります。西尾先生には講演主筆活動などで超多忙な事は存じておりますが、健康に一層の留意をいただき貴重な発言を続けていただきたいと思っています。

青春の城下町 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です