怪メール事件(一)

 3月初旬から20日ごろにかけて、「警察公安情報」と題した一枚の簡単なメールがファクスで「つくる会」のあちこちに送られた。私の家には8日に届いた。扶桑社にも送られたと聴いている。多分、産経新聞社にも送られたろう。種子島会長の処には来ていないと仰言っていた。

 八木秀次氏が会長を解任された失権の理事会、種子島氏が代りに会長になった理事会は2月27日である。そして3月28日は八木氏が復権を果たし得るか否かの、彼にとって大切な理事会であった。これから述べるすべての出来事はこの日付の前後に起こっている。

 拙宅に届いた最初の怪メールは次の通りである。

警察公安情報
藤岡教授の日共遍歴

日共東京都委員会所属不明
S39 4月16日開催の道学連在札幌編集者会議出席、
    道学新支部再建準備会出席
S41 北海道大学大学院教育学部所属
S56 東大教育学部助教授
H10 東大大学院教育学部研究科教授
H13 日共離党

                          (怪文書1)
 
 そしてこの一枚には06年3月8日(水)10:05という日付と共に、「発信04481」という信号とP.01の文字がある。

 私の問い合わせに対し藤岡氏は、平成3年か4年にアメリカに旅行した際に、日共の規則で離党し、帰国後も離党のままにする旨口頭で東大の主任教授に伝えた、と電話で回答した。東大教育学部が共産党と人事面で一体となっていた恐るべき実体を今にして知ることが出来た情報で、これはこれで驚異とすべき事柄ではあるが、当面の問題ではない。

 次の理事会の近づく3月25日に種子島会長と福地氏が党籍離党の時期について本人に面談して事情聴取をした。上記とほゞ同じ答えであったが、離党者に対して伝え聞く厳しい査問や迫害はなかったのかという福地氏の質問に対し、藤岡氏はソ連が消滅した90年代より後には日共も方針を替えて、鉄の規律ではもはやなくなったと答えたそうだ。

 入党や離党が「口頭」でできるものなのか、入離党の規律は90年代には査問もなく、そんなにあっけらかんとしたものになってしまったのか、いまだに私にはよく分らないし、謎である。平成13年離党がもし事実なら、私の「つくる会」会長時代に藤岡氏は日共党員であったということになる。これは私には小さくない衝撃だった。3月初旬から私だけでなく、少からぬ理事諸氏がこの問題に悩んだ。藤岡氏を「つくる会」副会長にもう戻さないという種子島会長の決定に、この怪メールがある心理的役割を果したことは否めない。

 共産党との離党のいきさつは藤岡氏が今後正直に文章で告白して、日本の思想界の承認を得なければいけない論点である。他人の心をつかめずに他人の自由を操ろうとして、それが謀略めいて見えて、信用を失うことを彼は10年間、そして今も繰り返している。自分の権能の及ぶ範囲と及ばぬ範囲との区別が彼はつかない。このため小さな策を弄して、他人を言葉で操って動かそうとし、現実が大きく変わるとたちまち昨日言ったことを替えて、結果的に彼を支持しようとしてきた人の梯子を外す。裏切りである。言うことがクルクル変わる。昨日顔を真赤にして怒りを表明していた相手に、今日はお世辞を言って接近する。今日たのみごとがあると下手に出て礼をつくすことばで接触するかと思うと、用が終ると、同じ人に数日後に会っても鼻もひっかけない。

 彼と付き合えばみんな分っているこういう彼の性向挙動は、多分共産党歴の長い生活と不可分で、党生活が人間性、普通の良識ある社会性を破壊してしまったものと思われる。彼は平成に入ってもなぜかビクビクして生きてきたように思える。

 しかしそれは彼の教科書問題における業績とは別である。産経新聞社は彼の党歴は承知の上で「正論大賞」を授与したはずである。「つくる会」の会長もまた同様に、過去の経歴を当面の問題にはしない、と決定して、理事会に臨んだ。それはそれで良いと思う。

 藤岡氏へのこの信用の問題は「つくる会」とは別個で、藤岡氏自身がこれから書くべき告白文章と日々のビヘイビアで人々の納得のいくように解消してみせなければいけない。従って、これとは切り離して、3月の「つくる会」を揺さぶって、28日の理事会とその後に大きな影響を与えた怪メールの存在は、あくまで藤岡氏の党歴とは別個の問題として取り組まなければならないことは言うまでもない。

 怪メールはこのあとも続々と送られたからである。

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 藤岡氏から次のような明確な自己説明と状況説明をいただき、曖昧な靄がはれる思いがした。できるだけ多くの人に読んでいただけるよう、掲示のうえでも工夫したい。  

私の党籍問題について(投稿・藤岡信勝)

 西尾幹二氏の4月8日付けブログ「怪メール事件(一)」で、私の日本共産党の党籍問題が取り上げられている。私自身とつくる会の名誉のために、ここに正確な事実を明らかにしたい。この投稿の掲載を認めていただいた西尾氏に感謝する。

 湾岸戦争(1990-1991年)で目覚めるまで左翼だったという前歴を私は今まで一度も隠したことはない。党歴について語らなかったのは、あえてその必要もなかったからである。1990年8月の湾岸危機の勃発は、憲法9条を理想化していた私の思考枠を根底から破壊するものだった。この時期、産経新聞を読むようになり、1991年の前半に急激に思想的転換を遂げた。

 平成3年(1991年)年8月から翌年の8月までの丸一年間、私は文部省の在外研究員としてアメリカ合衆国に派遣された。家族ぐるみで渡米する前に、私は所属していた日本共産党を離党した。それは私の意思と合致していたと同時に、共産党の規則に従ったものでもあった。それには次のような事情があった。

 1970年代のことと記憶するが、韓国で太刀川という人が国際的なトラブルを起こすちょっとした事件があった。この人がたまたま日本共産党の党籍があったために、日本共産党はかなり不利な立場に立たされた。そこで、これ以後、長期にわたって海外で活動したり生活したりする党員は離党させる規則がつくられた。

 1年間の在米体験は、みずから獲得した新たな立脚点の正しさを確信させるものとなった。日本に帰国してから、私は自分が属していた支部の責任者に、「考えが変わったので党をやめる」という意思表示を行った。その人は特に引き留めもせず、私の意思を了解した。それ以後、ただの一度も党の関係者と接触したことはなく、また党の側からも私を呼び出したりしたことは一切ない。ついでにいうと、私の妻も地域支部所属の党員だったが、上記と全く同じ時期に、同じ手続きで離党した。

 私が歴史教育の改革に取り組む前に明確に離党の意思表示をしたのは、その後の言論活動が日本共産党の方針と鋭く対立するのは明らかであったから、「反党分子」などのレッテルを貼られ除名されるのを予め避けるためであった。実際、従軍慰安婦問題などについてのその後の私の言論活動に対する共産党の攻撃は熾烈を極めたが、私は党を除名されていない。私が先に離党していたからである。

 西尾ブログには、上記の私の離党の経過について間違っている箇所があるので指摘しておきたい。西尾ブログは、私の発言として《帰国後も離党のままにする旨口頭で東大の主任教授に伝えた》と紹介し、《東大教育学部が共産党と人事面で一体となっていた恐るべき実体を今にして知ることが出来た》と書いている。私は「私が属していた組織の責任者に」離党の意思を伝えたとお答えしたのだが、「私が属していた組織」という言葉を西尾氏は、大学の学部の学科やコースなどの「組織」と混同したらしく、「責任者」が「主任教授」に西尾氏の頭の中で変換されてしまったようだ。東大教育学部が共産党と人事面で一体となっているなどとは全くの事実無根である。

 また、西尾ブログには、次のような記述もある。《入党や離党が「口頭」でできるものなのか、入離党の規律は90年代には査問もなく、そんなにあっけらかんとしたものになってしまったのか、いまだに私にはよく分らないし、謎である》。私の学生時代には党員証というものがあった。ところが、党員証の紛失事故が頻発し、ある時期から党員証などの証明書を発行することはしなくなった。少なくとも私が所属してきた組織に関する限り、共産党は文書主義をほぼ完全に払拭していた。だから、私は文書で離党届を提出したのではない。口頭で伝えたあとは、責任者が上部機関に対して報告し、そこで何らかの処理が行われたものと思われる。しかし、それ以後のことは私は関知しない。

 「査問」についていえば、党員の身分のままで「反党行為」と称される行為をしたと推定される人物についてはなされるかもしれないが、自分の意思で離党する者には「査問」などあり得ない。昔は離党者に対して執拗な説得が行われた時期があるようだが、そんなことをすると「共産党はいったん入ると離党の自由がない」という噂が立って、新規に入党する人がいなくなるということで、離党者への執拗な説得はしてはならないことになっていた。西尾氏の記述は、戦前や戦争直後の共産党に対するイメージや知識で現在の共産党を見ているもので、実体とはかけ離れている。

さて、そこで、今回の発端となった差出人不明のファックス文書であるが、3月8日に西尾氏宅に届いたという文面を読むと、これがガセネタであることは簡単に見破ることのできるシロモノである。例えば、《H10 東大大学院教育学研究科教授》とあるから、この年、教授に昇進したという意味なのだろうが、これは全くのデタラメである。私が教授に昇進したのは、平成3年6月で、私の人事記録で簡単に証明できる。私の教授昇進が平成10年だとすると、平成8年に刊行した『教科書が教えない歴史』に著者である私の身分を「東大教授」としているのは経歴詐称ということになる。

 この一行だけで、「警察・公安情報」と称するこの文書がいかにひどいガセネタであるかがわかる。その他の行もほとんどすべて間違いだらけである。この文書の最大の眼目は、《H13 日共離党》の一項であろう。そうすると、この年まで私は日本共産党の党員で、いわば私は共産党のスパイであるかのようなイメージになるが、スパイは既存の組織を弱体化したり破壊したりするために活動するものである。ところが私は、自由主義史観研究会や「新しい歴史教科書をつくる会」などをゼロから立ち上げてきたのである。

 こんなガセネタを流してまで私を貶めることに利益を感じている人物がいることになる。しかし、このような卑劣な方法は断じて許されるものではない。私自身とつくる会の名誉のために、この問題を徹底的に明らかにする。(4月10日午後)

4/10 藤岡論文追加

「怪メール事件(一)」への7件のフィードバック

  1. ピンバック: 移ろうままに
  2. 西尾先生。謀略文書をインターネットで公開するのはおやめく下さい!
    2ちゃんねる等で「藤岡は平成13年まで共産党員だった」という事実が定着してしまいます。一度インプットされた情報を否定するのは百倍、千倍の修正情報が必要になってしまいます。
    藤岡先生が教科書改善運動を始めたのは共産党離党後かなりたってからというのは、彼の国を思う行動を見れば誰でもわかります。あえて偽情報だと糾弾する必要はありません。
    西尾先生。冷静になって下さい。挑発に乗らないで下さい。公開すれば情報を流した人間の思う壺です。謀略情報など無視して下さい!

    それから、藤岡先生への人格攻撃もやめてください!

    この日録は削除すべきです。藤岡先生の名誉にかかわります。緊急を要します!

  3. うーん困りました。
    西尾先生によく考えて頂きたいことがあります。
    先生は、誰と会ったとか、誰から電話が来たとか、日録にお書きになりますよね。
    それをされると誰も連絡したくなくなると思いますよ。
    人間関係を狭めている原因はそこだと気付いてください。
    逆に「放送局」として利用したい奴がどんどん怪文書を送り付ける。そういう構図ではありませんか?
    先生は「怪文書募集中」と宣伝しているようなものです。
    来たものを垂れ流すのは一番いけないことです。

  4. > 他人の心をつかめずに他人の自由を操ろうとして、それが謀略めいて見えて、信用を失うことを彼は10年間、そして今も繰り返している。自分の権能の及ぶ範囲と及ばぬ範囲との区別が彼はつかない。このため小さな策を弄して、他人を言葉で操って動かそうとし、現実が大きく変わるとたちまち昨日言ったことを替えて、結果的に彼を支持しようとしてきた人の梯子を外す。裏切りである。言うことがクルクル変わる。昨日顔を真赤にして怒りを表明していた相手に、今日はお世辞を言って接近する。今日たのみごとがあると下手に出て礼をつくすことばで接触するかと思うと、用が終ると、同じ人に数日後に会っても鼻もひっかけない。

    よくぞ、ここまで書かれたことに敬意を表します。

    > 彼と付き合えばみんな分っているこういう彼の性向挙動は、多分共産党歴の長い生活と不可分で、党生活が人間性、普通の良識ある社会性を破壊してしまったものと思われる。彼は平成に入ってもなぜかビクビクして生きてきたように思える。

    元共産党の人で転向した方は地元にもおられますが、藤岡さんはそういうお方ともかなり違うような気がしていました。藤岡さんを転向させたものが何なのか、それが無いと藤岡さんを本当に理解することができないと思っています。

    > しかしそれは彼の教科書問題における業績とは別である。産経新聞社は彼の党歴は承知の上で「正論大賞」を授与したはずである。

    確かに、それはそうかも知れません。最近、松山での正論懇話会での講演を聞いていて、心無しか、多少、忸怩たるものを感じました。でも、自分を取り巻く毀誉褒貶について、全く無関係に講演できる精神に違和感を抱いたのも事実です。

  5. 藤岡さんへの人格攻撃とも受け取ることができる今回の先生の日録は感心できるものではありません。また、藤岡さんの党歴がなぜ問題なのかも全く理解できません。意図的に問題化させようとされているのではないですか? どうもこの昨今の先生の日録を拝見していると、先生ご自身が何らかの意図をもって謀略を企ているような、そうした印象をもちます。

  6. 日本共産党にいながら、あの教科書が書けるとは!思いもしませんでした。すごく二面性のある人なのだな、と驚きました。

    また、東大という当然公平公正な位置にいなければいけない組織が、共産主義に蝕まれていたというのは意外でした。確かにマルクス主義者は多くいましたが、そこまで侵食しているとは思いもしませんでした。

    話が変わりますが、現在、多くの論客が、米国がイランと戦争をするだろうと予想しています。また、現在のイラクは非情なくらい悲惨な状態です。そこで、現在の中東はなぜこんなに悲劇的な状況にあるのか、また、米国の行動についてはどうだったのか、というものを、ぜひ西尾先生にその深い知識と絡ませながら、語っていただきたいのです。

    どうぞよろしくお願いいたします。

  7. 便所の落書きをそのまま掲載するのは問題です。
    最低限、登場人物の名前は匿名にし、内容は要旨のみにとどめるのが常識です。
    これは削除するか修正し、第二弾は控えたほうがいいでしょう。
    藤岡先生はきっとお怒りです。

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