帰国してみると梅雨(一)

 6月5日からイギリスを旅行していた。「続・つくる会顛末記」が毎日少しづつ掲示されていた間、スコットランドをゆっくり見て南にくだり、(七)の2で全部終った日に私はロンドンにいた。

 イギリスの旅の印象についてはまた機会を別にしたいが、季節外れの猛暑で、16日午前9時に成田に着いてみると、予想していた通り雨が降っていた。

 午後3時家に帰り、30時間眠らないで時間差をやりすごした。それから9時間寝て、17日から20日の午前6時まで寝たり起きたりしながら、『諸君!』8月号に反論論文を書いた。題は編集部がつけた。「八木君には『戦う保守』の気概がない」(32枚)

 もうこれで勝敗はついたと思う。すべてを終りにしたい。こんな仕事にいつまでもかまけている時間はもうない、と不図気がついた。

 論争文はこれまで数多く書き慣れて来たが、旅から帰った直後であるから気力と体力への不安が少しあった。

 留守中のネット情報を読むのに一日かかったし、〆切り時間制限が絶対だからどうなるかと心配だったが、まだ今回は大丈夫だったことが保証された。私は私の体力に(知力にではない)、お前よくやるなァ、とそっと呼びかけている。

 旅に出る前に「続・つくる会顛末記」の原稿をたくさん書いて長谷川さんに託して行ったわけだが、じつは同じ時期にちょっと新しい仕事に手を付けている。22枚の論文「GHQが隠蔽した『戦前の日本人の世界認識、戦争への覚悟』」を、みなさんはびっくりすると思うが、小林よしのり編集『わしズム』夏号(7月19日発売)に書いて、旅行中にゲラが組み上がっていた。小林さんにはまだ会っていないが、彼からの依頼原稿に応じたのである。ここにも私が「つくる会」から離れた行動の自由が現れている。

 GHQによる焚書図書は約7100冊あると推定され、うち約5000冊は澤龍氏のコレクションに所蔵されている。

 これとほゞ等量の、焚書からは漏れたが、大略同内容の、昭和8年頃から19年頃までの、今は誰も省みない図書が同氏のコレクションに蒐められている。帰国すると同氏から葉書を頂き、後者をどう考え、どう扱ったらよいか相談にのってもらいたいというので、早速電話し、25日(日)鎌倉のお宅のコレクションの現場に伺うことになっている。

 氏のコレクションとは別にGHQ焚書図書を今までに約600冊蒐集しておられる方がいる。私が『わしズム』原稿に利用させてもらったのはこのうちの約30冊である。他に私自身が国会図書館からのコピーで約20冊分を持っている。

 焚書と非焚書の両方で合計10000点以上になるこれらの本を私ひとりで探求できるわけがない。私が可能な限り検証し、この未知の、日本人が置き去りにした歴史の秘宝の山への登山口を切り拓くくらいのことしか出来ないだろう。これにはある出版社がすでに本にしたいという声をあげてくださっている。

 私を取り巻く環境は最良の条件で整っているのだが、今度『わしズム』に書くために少し勉強して、私はにわかに不安になっている。なにしろジャングルに無防備で単身わけ入るような暴挙に思えてならないからだ。この夏600冊のコレクションをまず徹底的に読みこんで、それからゆっくり案をねろう、と今考えている。はたして理想的なことができるかどうかが不安である。チーム編成で組織的に取り組まないと解明は難しいと思う。個人でどれくらいのことが出来るかなァ、と予想もつかない規模に戸惑っている。

 日本人はなぜこんな大事な文献を放棄してきたのだろう。とりあえずは『わしズム』夏号をお読み頂きたい。

つづく

 6/26 一部改変

「帰国してみると梅雨(一)」への5件のフィードバック

  1. 「イギリスといえば」

     ビートルズを生み出した国ですね。。。

     私も、4日ほど滞在したことがありますが、ビートルズの故郷リバプールを訪ねて、マジカルミステリーツアーを体験してきました。。。(ジョージ・ハリスンの生家や、ストロベリーフィールドも見てきたw)

     最近では、ビートルズでさえ、すでに音楽の「古典」となっています。。。

     若者にビートルズを説明するのが難しくなっているように、日本の歴史を伝えるのもまた難しい。。。

     というように、音楽と結びつけて歴史を語るなんて方法も、若者の興味を引く1つの方法かもしれません。。。

     すぐ「軽薄だ」とかいう人がいますが、要は、分かり易く日本の歴史を伝えられるのなら、その「手段」は何でもかまわないのではないでしょうか?(まずは、興味を持ってもらわないといけないしね。。。)

    (最近の若者なら、音楽抜きに物事を語れないのではないかと思います。。。(--))←ラップで歴史を騙るなんてのもアリだな。。。

  2. 西尾先生がわしズムに原稿を書かれたと知り、非常に嬉しく思っています。西尾先生と小林よしのり氏に仲直りをして頂きたいと、前から思っておりました。バイタリティー溢れるお二人がタッグを組めば、大きな力になるのじゃないかと思います。

    西尾先生には、やはり、「コンピューター問題」よりも「歴史」や「思想」を語ってもらいたいと思います。

  3. ピンバック: Speak Easy 社会
  4. まさか、行き場がなくなり、小林よしのり氏と共闘ではないでしょうね。
    日本のマンガを描くゲッペルスと、旧交を温めないよう願っています。

    正す会のHPで、西尾先生たちはマルクス主義者と同じく、進歩主義の演繹法を使っていると、わけのわからないことが書いてあったので、反論しました。

    「西尾氏は、マルクス主義者のような進歩主義ではなく、西洋哲学、ドイツ哲学の合理主義者であり、細かく分けて分析すれば、全体がわかるという西洋科学的手法を捨て去ることはできなかった。

    宗教者は、絶対者の意思が絶対であるため、ミクロを分析して、それを足し合わせても、絶対者の一撃で壊されてしまう。最初からマクロ包括的にとらえるしかない。

    しかし、演繹的といえば、宗教者のほうが、絶対者から演繹して答えを出すのであり、西洋科学理論では、ミクロの分析から帰納しているのである。マルクス主義者が演繹的なのは、マルクス主義自体が宗教化しているからである。

    したがって、西尾氏を批難するのであれば、絶対者を信じない、その帰納法的科学的態度が問題なのだとすべきである。

    宗教者と無宗教者は、結局、永遠に一致する事はないのである。」

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