帰国してみると梅雨(三)

 昭和8年―19年当時の本は私の父の書棚にもあったし、戦後もしばらく古書店ではいくらも目撃されていたはずだが、占領軍によって流通を止められ禁書扱いされたので、私が読書年齢に入ったときにはすでに私の視野の中には入っていなかった。

 今度わずか50冊ほど見ただけでいくつもの発見があった。アメリカとの戦争を主題にした本が7冊あった。うち5冊は歴史を扱っている。面白いことに気がついた。

 戦争に至るまでのアメリカとの交渉を歴史に求めている著者たちは、大抵幕末にまで遡っている。ペリーの浦賀来航に「侵略」の起点を見ている。

 なかには昭和15年10月刊の『日米百年戦争』(アメリカ問題研究所編)という本があって、歴史を見る尺度をもっと大きく取っている。ポルトガル、スペインの地球制覇の野望に欧米文明の危険の萌芽を見ている。アメリカとの百年戦争をヨーロッパとの五百年史の内部に位置づけようとしている。

 今でこそこういう広角度の見方は再び少しずつ広がり、定着しつつあるけれども、戦後和辻哲郎の『鎖国』が評価されていた一方的空気を思い起こしてほしい。歴史の見方は全然逆だった。日本は鎖国していたから科学精神に遅れた。ポルトガル、スペインに門戸を鎖した日本の内向きの姿勢にむしろ歴史の失敗がある。封建主義と軍国主義との悪しき根がここにある、と。

 戦争をほんの少し知っている私の年代でさえ、こういう歴史観を植え付けられていて、長期にわたる欧米の侵略を見ないで、戦争の原因を短い時間尺度に、しかも自国の歴史の内部に求める習慣にならされていた。

 28-29年の頃、林房雄『大東亜戦争肯定論』が幕末からの百年戦争を説いているのを『中央公論』連載時に知って、非常に新鮮で、かつ危ういものに思った。100年という時間の取り方が当時の私には初めて見る大胆な見方だったからである。

 だが、今度GHQ焚書図書の約50冊を見て、「百年戦争」のモチーフは私より歳上の世代には新鮮でも何でもなかったという、ごくありふれた尺度だったことに気がついた。なぜなら日米戦争を幕末から説き起こし、ペリーの来航にアメリカの「侵略」の第一歩を見るのは、以上に挙げた通り、戦前・戦中の本ではごく普通の慣行だったことを今度初めて知ったからである。

 GHQによる焚書はやはり小さくない出来事だったのだ。私の若い頃の歴史を見る目の誤差をすでに引き起こしていたのである。

つづく

「帰国してみると梅雨(三)」への8件のフィードバック

  1. 久しぶりにお邪魔します。

    西尾先生が本来の仕事に戻られたことに安堵しました。

    妙なことに関わられるのは、高度知性という資源の無駄遣いでしかありません。

    西尾先生におかれては、ご自身の管理としてリスクマネジメントの視点を持たれる
    ことを老婆心ながらお奨め致します。
    (要するに変な人、組織に関わらない、関与した場合、速やかに離脱するといった
     こと)

    助手なり秘書にやらせてば良いことでした。

    さて、和辻哲郎氏の「鎖国」が評価されていたとのことですが、眞に不思議な感じがします。
    西洋の中世キリスト教暗黒時代、植民地時代、そしてキリスト教という宗教について
    少しでも調べれば、どこの誰が何を言おうと日本が悪いなどという判断は生まれようもありません。

    その意味で、誰彼が権威になってしまう我が国の体質にも問題があるようですね。
    まあ、上記関連の本まで焚書の憂き目に遭っていればどうしようもありませんが。

    それでは。

  2. 西尾先生には大変ご無沙汰しておりますが、「教科書情報資料センター」というのをご存知でしょうか。

    総評会館の中に事務局をおく団体で、これまでも俵義文氏などの分析を交えて、つくる会教科書の攻撃をやってきた団体です。

    旧護憲連合の「フォーラム平和・環境・人権」と表裏の組織で、日教組、全教とも横断的なネットワークを作っています。

    さて、6月19日付けの記事で、「日本の戦争責任資料センター」事務局長の上杉聡氏が、つくる会の内紛について、西尾日録、新田ブログなどを基礎資料とし、言いたい放題やっております。

    私からすれば、くだんの早瀬氏の寄稿が部分転載されているところが気がかりですが、西尾先生はご覧になりましたでしょうか。

    つくる会内紛の背景と今後
    http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/

  3. 誤認官さん

    上杉聡氏の意見に賛成するわけではありませんが、それなりに
    重要なことを述べています。
    「 anti 」運動すべてに共通することですが、例えば、
    革命で○○政権を倒したとき、革命側で主導権争いが起きます。

    自虐史観に反対する、という一点で結集した勢力も中身は
    ばらばらでした。
    それぞれの勢力が言いたい放題・・・かっての(いわゆる)
    極左と(中身が違うだけで)形態はまったく同じです。

    日本の保守論壇は成熟していません。
    福地さんの論文(エッセイ)のように、素人の私が馬鹿馬鹿
    しいと思うほどの「偏向」ぶりです。

    例えばコミンテルンに踊らされた、などという「史観」は
    自分(日本)の馬鹿さ加減を自慢しているみたいで、誰かが
    指摘するように、これもまた「自虐史観」です。

    良識ある論者なら「議論している相手」を見るだけでなく、
    「話している自分自身」を客観的に眺めるべきです。
    「汝自身を知れ」・・そういう能力が欠けています。

  4. 頭の悪い私にはよくわからないな。
    誰か教えてくれないかしら?

    >今でこそこういう広角度の見方は再び少しずつ広がり、定着しつつあるけれども、戦後和辻哲郎の『鎖国』が評価されていた一方的空気を思い起こしてほしい。歴史の見方は全然逆だった。日本は鎖国していたから科学精神に遅れた。ポルトガル、スペインに門戸を鎖した日本の内向きの姿勢にむしろ歴史の失敗がある。封建主義と軍国主義との悪しき根がここにある、と。

    まあ西尾先生は近代化論者だからこういう書き方をするのだろうな。保守系の知識人でも江戸より戦国時代を日本の基準にしなさい(会田 雄次)と言っている人もいるけど、西尾先生は保守主義者じゃないと明言していたからそんなことを言うわけがないし。

    日本人が縄文文化からの累積を持っているという誇りも近代化の前には霧散するのかな。西尾先生がおっしゃる近代化は西洋化なんでしょ。そりゃ日本人が過去の歴史を捨てて西洋人になれたらグローバリズムを心配することもないし楽でいいよね。でも西洋の思想が個人主義から日本的な人間の関係性を重視するようになったらどうするのだろう。

    「封建主義と軍国主義との悪しき根が江戸時代にある」という論調ならそれでいいけれどどんな状況でもどんな場でも首尾一貫を誇る西尾先生は作る会の「新しい歴史教科書」にはそんな論調で江戸時代を書いてなかったような気がするが、私の読み間違いかな。

    西尾先生は以前に「日本人はそんな変わるわけがない」とおっしゃたような気がするけど、すると江戸時代が悪しき時代でそれを引き継いだ封建主義と軍国主義を引き継いだ時代は悪しき時代じゃないのかしら。江戸の非合理性が明治以降の軍国主義を生んだとでも言うのかしら。ぜひそのメカニズムを知りたいものです。変わるわけがない日本人という前提でどういうメカニズムが江戸時代にあって明治以降も敗戦後もそれが動いているというモデルを教えて欲しいな。

    国民の行動様式が西洋と違うという前提はまったくないのかな。違った原理で日本人が動いていると私は教わってきたけど、だから日本は別文明なんだと。その違った原理では違った近代化があってもおかしくないと私なんか思うけど。

  5. 機械計算課長さま、お久ぶりです。と、申し上てもお忘れかもしれませんが、私の方は、いつも機械計算課長さんの博識と一貫した誠実な論考を拝読して、大いに参考になり勉強させて頂いております。

    今回の機械課長さんの憮然?とした論調に惹かれて、私の勝手な解釈を申し述べたくなりました。でも、チョツト自信はないのですが、間違っていたら御免なさい。

    和辻哲郎、「鎖国」の解説をネットで調べたら以下のものが出てきました。

    「太平洋戦争の敗北によって「実に情けない姿をさらけ出した」日本民族の欠点――「科学的精神の欠如」――への反省の試みとして企てられた壮大な歴史的考察.新航路・新大陸発見による「世界的視圏の成立」という大きな歴史的展望の中で,西洋近代文明との出会いを自ら鎖した日本の知的悲劇が活写された名著. (解説 生松敬三)」

    ご指摘の部分は、西尾先生は、先生の思考ではなく、和辻哲郎の「鎖国」の内容を説明しているのであると思います。
    そういった和辻の説が評価されていた戦後の風潮が可笑しいのであると論じておられるのではと、私は理解してのですが。

    従って、機械課長さんの日本の連続した歴史観と西尾先生の歴史観は相違していないと思えるのですけれど。
    従って「―――江戸時代の非合理性が明治以降の軍国主義を生んだ」といった解釈ではなく、戦後のGHQの思想統制の影響で日本の継続した歴史観が否定されて、西洋的歴史解釈に日本史が取り込まれてしまつて、西欧からみた日本史になっているというのが問題で、日本史からみた世界史の歴史認識をしなければいけないとい記述をどこかで読んだ記憶がありますので、この部分は違和感なく西尾先生の一貫した思想であると私は解釈していました。

    間違っていたら御免なさい。

  6. 松井様
     あなたのおっしゃっていることは私にはぜんぜん分かりません。何か根本的なことを取り違えてているようです。和辻の鎖国論を誤解しているというなら、3行の要約ですから、あるいはことば足りず、かもしれません。しかしどうも、そうではない。そういうことをおしゃているのではないようです。もうしわけありません。てんで分からないのです。
                      西尾幹二

  7. レベッカさん>
    ありがとう。意味は判りました。
    私の誤読ですね。

    西尾先生>
    申し訳ないでした。

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