帰国してみると梅雨(五)

 鎌倉駅に向かう帰路、雨は上っていた。

 澤氏の『総目録GHQに没収された本』によると、GHQが初回に没収した10冊のうち9冊は毎日新聞社刊、1冊が朝日新聞社刊である。また出版社別で一番多いのが朝日新聞社刊140冊、次いで多いのが毎日新聞社刊81冊である。

 あの時代に戦争の旗を振っていたのはどの勢力であったかがよく分る話である。けれどもGHQに真先に、最も敵視されていたのは名誉なことでもある。当時の日本の国家意思を代表した言論機関だった証拠でもある。

 日本は明治の開国以来、近代国家として国際社会を独立独行して歩んだことは間違いない。日英同盟はあったが、英国に外交主権を委ねていたわけではない。たとえ敗戦の憂き目を見たとしても、敗戦の決断もまた自己判断であった。

 しかし8月15日を境いにパラダイムは一変した。日本は目を覚ましたのではなく、目を鎖したのである。自分で判断し、行動することを止めた。主権を外国に委ねてしまったからである。

 8月15日より以前の日本人の心の現実を見直す時代が今来ているのである。遅きに失する嫌いさえある。

 日本人の歴史はいまだ書かれていない。歴史は過去の事実がどうであったかを今の地点から確かめる作業ではなく、過去の人間がどう考え、どう感じていたかを再体験する作業である――少くともそこから始まる。

 私がGHQ焚書本に注目しこれを知りたいと思ったのは、「現代史」を書きたいと秘かに念じたからである。冷戦崩壊後ソ連から一時かなりの資料が解禁され、アメリカの公文書館からも少しづつ(対ドイツ戦に比べれば遅れているが)、戦時資料が公開され、われわれも次第に複眼を得るようになった。

 ここで昭和初年から20年までの日本人の世界認識、日本人の戦争への覚悟がどう表現されたかを知り、三番目に今までの戦後の日本人の思想をこれらに加え、三本柱で歴史は書き直さるべきだと思っている。

 一番目については、2年くらい前から若い友人柏原竜一氏にインテリジェンスの世界を中心に、アングロサクソンの考え方をめぐって、書籍の紹介や知見のご披露をもって私の蒙を拓いてもらっている。私がなかなか呑みこみが悪く、彼を苛立たせているのが現実だが、これは見通しが立っている。

 しかしどうしても接近がむづかしいのが2番目の文献である。GHQ焚書図書がそれである。自分に残された人生の時間と生命力とをも考慮して、どのように解明に当るべきかを思案中である。

 私は歴史家ではない。大きな規模の叙事詩を書きたい。正確をめぐる諸論争にまきこまれたくない。人間として生きた日本人の心の歴史を書きたい。

 例えば焚書図書の中で私が拾い出し、これは本物だと思って今熱心に読んでいるのは谷口勝歩兵上等兵『征野千里――一兵士の手記――』(昭13)という、完全に忘れられた一冊である。私の目指している方向をお察しいただけたら有難い。

つづく

「帰国してみると梅雨(五)」への52件のフィードバック

  1. また日録が見られない日々が続いた。フーフーいいながら歴史物についてゆく私なのに・・・。それでまた本を二冊選んで旅に出かけた。西尾先生の「国民の歴史」と「シナ大陸の真相1931~1938」。福地先生の「昭和の戦争」にカール・カワカミ氏著の「シナ大陸の真相」が出てきた。私は2000年頃から読む読まないは関係なく本を買うのが趣味になっていたようだ。「シナ大陸の真相」の前半だけをきっとやっとやっと読んだのだろう。そして後半は斉藤博駐米大使講演録だけ読んだあとがあった。鉛筆で石井菊次郎枢密顧問官子爵(当時外交官)の序文のところに、≪この序文はとてもとても重要!≫と私は書いて、つぎの部分に鉛筆で線をひいていた。

    【 日本が開国して間もない頃に外国の侵入勢力とぶつかった経緯は、現在の中国のそれと全く同じであることを私は認めざるを得ない。わが日本の無防備な海岸は外国の戦艦に砲撃された。不平等条約が日本に押し付けられた。治外法権の恥辱の烙印が我々に押された。我々は関税自主権を失った。我々が管轄している国土の中に、外国の租界が作られた。一般的に、外国人たちは我々に対して殿様賀顔に振る舞っていたのである。
     このような状況を打開する為に、我々は如何なる方法をとったか。応えはただ一言、つまり自己検証である。我々は自分自身の欠点を認めた。我々は決して排外運動を煽り立てたりしなかった。中国の義和団事変に相当するようなものは、日本では何一つ起きなかった。外国人を大量虐殺するような試みはただの一度も企てられなかった。・・・我々は新しい学校制度を発足させた。若者の心に排外的な敵意を植えつけるのではなく・・・我々は誘惑的な外国のアヘン商人の侵入を撃退した。国の隅々まで平和と秩序が行き渡り、外国人の生命と権利は完全に守られた。我々が対等な関係で文明の諸国の仲間入りするのを認めよ、と。そして彼らはそれを認めたのである。】

    私は歴史の専門家でもないし、学生時代はノンポリでよく勉強もしなかった。しかし単純に感じる感覚だけは持っていた。いつも疑問に思っていたのは、日英同盟・日露協商・○○条約(江華・天津・下関・ポーツマス・)日ソ中立条約・日米通商条約・サンフランシスコ講和条約・日韓基本条約・日韓併合条約・日韓協約・日中平和友好条約・・・。

    要するに条約なるものは「何であるか」という疑問がいつもあった。

    前出の石井菊次郎氏によれば、「・・中国は近代国家ではなくていまだに中世的な国家であることが明らかになった。西洋教育を受けた中国の外交官たちは、9カ国条約を日本が侵犯している、と言って声高に非難する。だが彼ら自身の政府は、条約義務の尊厳を守ったためしがほとんど無いのだ。・・・」

    条約を結ばされた国を侵略されたという解釈をするとすれば、日本だって侵略されたことになろう。力の強い国にやられれば、やられたのだという解釈が普通であった時代。

    日本は幕末の不平等条約の改正に生真面目なまでにいじらしい位に懸命に取り組んだのであった。

    日中平和友好条約(田中総理大臣の時)があっても、あんたん家のじい様が悪いことをしたと、お金が欲しくなったら声高に、その家の玄関先で叫ぶ。

    日本と韓国も条約を結び決着がついたはずなのに、自分の立場がやばくなったら、お金が欲しくなったら、ゴロツキノ如く「お前のうちが悪い!」と叫ぶ。こともあろうか日本の新聞までが書き出す。

    歴史を知らない、誇りを埃とされて去勢され、熱烈歓迎や美女(橋本総理関係),パチンコのにぎにぎを貰った政治家が、戦争の謝罪までしてお金を差し出す。

    今も私はない頭でずっと考えている。

    日本のことを悪く言う日本人よ、中国のチベット占領をなんと答えるのか。聞いてみたい。日本は戦後60年頑なに平和を守ってきた。翻って、中国は?
    植民地化という言葉、これはまさに侵略でしょう。欧米は植民地化(侵略)についてなんと自国の歴史で語っているのか?

    どの国がずるく立ち回り条約を守らなかったか。外国は自国の国益の為には、見て見ぬ振りをしたし、今もする。ロシア、ソ連、中国、朝鮮。はっきり言えばゴロツキという言葉がふさわしい国ではないですか。

    ゴロツキに、一度でも「恐れ・怯み」を見せれば死ぬまで搾り取られるのは世に常。

    「シナ大陸の真相」より抜粋:
     エルギン卿(自身を中国の真の友人と信じていたイギリス人)
    「中国人は武力に対しては屈するが理屈には決して従わない国民だ」

    「1900年に多国籍軍が北京を再び襲ったとき(義和団事件)外国の軍隊は略奪することに寄って、外国人に対する敬意を心底中国人に叩きこんだ。この略奪に参加しなかった唯一の軍隊は日本軍。この寛大さのおかげで日本は中国から軽蔑されただけだった。相変わらず中国に対して恐れの念を抱いている小国と考えた。中国は3000年の歴史を通じて、略奪しないような戦勝軍など見たことも聞いたこともないから。」

    そしてもうこの頃すでに、学校の生徒たちに日本を憎ませるよう意図されて作られた教科書があった。中国人のこういう癖は直らないのだろう。

    「〈モスクワから中国への軍事援助〉〈コミュンテルンと国民党の同盟〉など、同士ボロディンというソ連工作員、北京のソ連センターの任務は中国の様々の政治・軍事団体への資金と武器の配分を監督することであった。」

    この本「シナ大陸の真相1931∼1938」は2800円と少々高いが、価値のある本だと思う。どうぞ皆さんも買って読んでみてください。このような貴重な本を翻訳してくださった人に感謝の意味をこめて・・・。

    今から10年前の日本の空気、私たちは今と大してあまり変わらないと思うだろうが、歴史教科書に手をつけることを誰が考えたでしょうか。マスコミ、言論界、文部省、を敵に回す勇気を誰が持てたでしょうか。西尾先生と藤岡先生は所謂夏目漱石の「自己本位」をこの日本で見せてくださった戦士です。日本国の内側から起こった出来事です。戦後60年、内側から起こった愛国の出来事はこれ一つでしょう。
    やがて歴史の中に栄光の一行【1996年、新しい歴史教科書をつくる会発足】が書かれるでしょう。私が総理大臣なら西尾幹二先生と横田早紀江さんに国民栄誉賞を差し上げます。(余談:小泉さんはご自分の心がブレルからとあの時拉致家族に合わなかったし、今までもあっていない。夢にうなされると・・・きっと怖いのでしょう。)
    「つくる会」から出でいった人々にはこの「自己本位」のかけらは微塵もありません。あるのは「名誉・私欲のための企み」です。
    いま「つくる会」を潰してなるものかと会に残られた会員は「自己本位」を貫いている人たちです。祖先を愛する人たちです。そして祖先がその人たちを見守ってくれているのです。祖先の行為の「良いことも悪いことも」全てひっくるめて受け止めてこそ、子供に誇れる大人といえるのです。

    教科書には国の意志が現れます。だからとても大切なのです。
    西尾先生の「国民の歴史」ページ724 <欧米に学ぶということの本来の意味> 
    「欧米が自国の歴史の悪をも受どこ吹く風と受け流す飄々とした語り口を身に付けることである。アメリカ人の、自己を主張するべきときは何のためらいも、けれんみもなく胸を張って自己中心の世界を描き出す物怖じしない態度を学ぶことである。」

    山本夏彦翁の言葉は人間の真実をとらえている。
    【自国の悪を隠して言わないのが教科書である】と。なんと健康的な思考でしょう。

    言論界の方々にお願い。横文字に騙されやすい私たちです。
    だからこんなことをもっと教えてください。
    ニューヨークタイムスと朝日新聞は友だち。ワシントンポストはどちらかというと日本の友か?
    F Dルーズベルト大統領の言葉「私の祖先は中国貿易に従事した。だからいつも中国人には親しみがある。そんな私が日本をやっつけようということに同意しないわけがないではないか」彼の祖父・叔父が香港を中心にアヘン貿易で巨万の富を築いた。ルーズベルト大統領は民主党。何党の大統領のとき日本にとって都合がよかったのか。仏のルモンド紙の社屋に朝日新聞が入っている。朝日人がルモンドと同じように一流であると胸を張り、産経新聞を極右翼と触れ回り、ことごとく取材の邪魔をしていると聞いた。仏的に捉えれば産経新聞は中道くらいか。ルモンドに日本の悪口を吹き込む朝日。
    昔、仏国のテレビに、肩書き「日本の哲学者」として加藤周一が出ていた。日本の若者の風俗模様のコメントを話していたが、話す内容を持っておらず支離滅裂なことを言っていた。恥ずかしかった。
    私はニューヨークタイムスとワシントンポストの違いを知った時、目からうろこだった。

    西尾先生はこの度、焚書という私たちが忘れていた世界、日本国にとって大切なことを、私たちに知らしめてくださるお仕事にかかられました。
    私は次から次沸いて出てくる先生の思考回路に若さを感じないわけには行きません。
    「わしズム」楽しみにしております。

    「新しい歴史教科書をつくる会」を応援します。

  2. アメリカ占領軍指導による日本の戦後の日本国憲法体制を一度白紙に戻し、戦前の大日本帝国憲法の体制を日本人自身の手によって内在的かつ主体的に変革した新日本国憲法の制定が必要だと思います。そのときにはじめて日本人の植民地根性が清算され、あらためて民主主義の水準がためされることになる。

  3. ピンバック: 作雨作晴
  4. その女 ソルベさん、
    日本の中国への侵略(進出・・言い方はともかく)には2つの面があります。

    当時の感覚では「植民地化」は悪いことではありません。
    日本のほかにも、いくつかの国が中国を事実上植民地化しています。

    問題は、日本が中国での利権を独占しようとした、もっと正確に言うと、独占しようとしていると
    「受け取られた」ことではないでしょうか。

    要するに列強がそれ相応に利権を分け合うという姿勢が(日本に)
    欠けていたことが最大の問題です。

  5. >問題は、日本が中国での利権を独占しようとした、もっと正確に言うと、独占しようとしていると
    「受け取られた」ことではないでしょうか。

    >要するに列強がそれ相応に利権を分け合うという姿勢が(日本に)
    欠けていたことが最大の問題です。

    欧米列強の視点から見たときにはね

    ソルベさんへ
    アメリカの鏡・日本という本はご存知ですか?
    一応、紹介エントリを書いてたりします

  6. ソルベ様 

    いつも国を憂い、その胸の痛みを晴らさんと懸命に正しい歴史を求め行く姿に異性としても敬意と共に共感を感じています。

    小生は40代に入った頃から、この国の有様に言い様のない疑念を持つようになりました。切っ掛けは26才の頃、パリへ行ったことでしょう。ちょうど30年くらい前のことです。
    初めての外国、憧れのパリ。

    観るもの触るものすべてに感激し夢見心地で帰国したのですが、現実の日本の生活に戻ると、また狭い薄暗い生活風景に疑問を持つようになりました。

    しかし通勤途中で見る富士山や八ヶ岳を目にした時、広大な西欧大陸の地図を思い浮かべながら極東の小さな国に生まれ生きているけど、世界に冠たる富士山の麓で生きていることに何ともいえない誇りを感じました。

    そして周囲の自然を見渡すとフランスの自然の中で感じたものが、同じように、この国の中にもあることを知り、何だパリまで行かなくても素晴らしい自然があるじゃないかと、納得したのです。

    しかしヨーロッパのたたずまいに比べ貧相な住環境と会社に行けばタイムカードを誤魔化す同僚、言い繋ぎ程度の仕事で高給を得る管理職。パリで観た堂々と、はためく三色旗、この国では国旗を飾ると右翼ですか?といぶしがられる。経済大国などと言われるのが不思議に思いました。

    極東のさしたる資源も無い小さな国で一億何千万人の国民がもっと豊かに、もっとお金をと、ひしめき合っていると感じた時、冬空に白銀を光らせ雄大に横たわる八ヶ岳を観て、無性に泣けて涙が溢れました。何と小さな生き方、
    何と貧しい心根、自分を含めその情けなさに泣けたのです。

    やがて自分もこの素晴らしい自然の中で命絶えていく・・・だったら、もっと素敵な町に素敵な国にしよう・・・
    思わず、そう願うのでした。

    しかし、時代は流通革命、バブルに浮かれ。天下に誇った八百半、ダイエーも消え地域の誇りの老舗もつぶれ、今や地方経済は壊滅状態。挙国一致とまとまらない政治と乱れ続ける社会。
    覇気と公僕を失った公務員。
    いったい何が足らぬのか?何が無いのか?
    そうです、国家意識が無い、正義と勇気が無いのです。
    残り少ない命をかけて訴える大正生れの戦中派の声。
    ただただ拝金と自己の保身だけに生きる国民と成り下がってしまったのです。

    ひとしきり雑誌正論で西尾先生が現状の国情を『アノミー(フランス anomie)個人または集団相互の関係を規制していた社会的規範が弛緩または崩壊したときに生ずる…」と評していたのを覚えています。
    テレビで観る西尾先生は他の諸氏とは違う凛としたモノ言いで、何がそう感じさせるのか探し始めました。
    てっく殿が薦める「アメリカの鏡・日本」ヘレン・ミアーズ著も数年前に家内がどこかから見つけて来ました。
    さすが我が女房と女性の感性に信頼を寄せました。
    フェミニズムを標榜し唯我独尊の女性もいれば、子供の自主性、権利を訴えるが子供は造らないという大学の助教授。正しくアノミーの元凶です。
    悲劇なのは、それを気付かないのか?築いた地位を守りたいのか?
    勇気のない姿です。
    この国に生かされていてですよ。まるで、昨日の金英男さんじゃないですか。

    しかし私には希望があります。
    こうした事の矛盾に気付き検証し始めた若い人達がいることをネットで知りました。
    ネットも功罪がありますが、必ずや日本人としての誇りを取り戻し国民同士が支えあって勇気ある凛とした日本に成ることを信じています。

    『【焚書】ふんしょ/書物を焼きすてること。思想弾圧の手段として、異端の書とされたものについて行われた。』
    この言葉も最初読めなくて意味も分らず自分の無学を恥じましたがもっともっと勉強せねばならぬと思います。
    西尾先生には高齢の身にあって大変恐縮ですが我々にその道を指し示して欲しいと思います。

    ただ日本人として胸を張って生きたいのです。

  7. 「征野千里」
     西尾先生が興味を引かれた本がインターネットの「日本の古本屋」にないかと思い探したらありました。さらに谷口勝上等兵で探すと「征野千里」「戦場夜曲」というポリドールレコードの原作者としての名前が出ていました。レコードまで出たからには当時は結構有名だったのではないでしょうか。

    私の死んだ父は明治生まれで昭和の始めに兵役検査を行い、その後二度ほど中国大陸に出征して伍長で敗戦を迎えた町人です。戦時中や戦後のことはほとんど私には言いませんでしたが、母親が父の通夜のときに次のようなことをいっていました。

    父が帳面をつけながらNHKの「これが真実だ」というラジオ放送を聴き「ああ俺は騙された」と嘆いていたので、「今も騙されているのじゃなければいいけれど」と言ったらそれ以上何も言わなくなったと。

    保守の先生方の中には何でもかんでも戦後生まれの人間は思想に歪みがあると思っている様子がありますが、庶民の愛読書や映画や演劇の好みを見ればそれが戦前と戦後でそんな大きな違いがないことに気付かれると思います。戦前でも戦後でも「三丁目の夕日」というセンチメンタルな映画はやはり庶民には人気があったでしょう。

    そういう点では上等兵という庶民出身のメンバーが書いたものを見るというのは戦前と戦後で大きく変貌した人間が多い知識人より信頼が置けると私も思います。

    実際に歴史認識に大きな歪みが生じたのはマスメディアも含めた知識人がおかしくなってかつそのおかしな教育を素直に受けた庶民が増えた時代からでしょ。考えてみればGHQに雇われた私書の検閲を行った日本人の多くは中学校か高等学校程度を出た英語が出来るエリートでしょうから、それらのエリートが社会の指導層になっただけのことじゃないでしょうか。一方で日本が独立を獲得する前後は庶民はまだ健全だったのではないでしょうか。そうじゃなければABC級戦犯の免罪が国民の大多数の賛成を得るわけがないもの(A級戦犯は昭和31年1956年3月末までに、B・C級戦犯は昭和33年1958年5月末までに全員赦免、釈放を勝ち取った。更にこの釈放により、刑死した方の遺族にも恩給が支給されることになった)。

    まだ私らの時代(昭和22年うまれ)では記憶にあるのは小学校6年のときに定年まじかの図画の教師が君たちは君が代を何だと思って歌っている。「きみがわよわは、ちわははにさわわに」と妙な節をつけて歌ってことが印象に残っているだけです。

    『闘う保守』とテレビドラマ『医龍』
    「なんとなく、日本人」(副題 世界に通用する強さの秘密)小笠原泰 PHP新書という学者でない実務家が書いた日本人論(というかそのメカニズム論)がありますが、そこでも『自分は他と異なる何であるかを主張しづける、相互独立的な西欧型性向とは異なり、日本人という意識が溶けてしまって無意識に「なんとなく日本人」でいられる相互協調的な性向が日本にはある』とのべ人間の関係性によってその場の空気が変わり、論理の首尾一貫性が保たれない場合があると述べています。

    闘う保守という言葉を聴くと最近では「驕れる白人と闘うための近代史」松原久子がありますが、『闘う保守』というのは実に辛い立場に立つと思います。文化的には相互強調的な性向に反してスジや目的のために闘うから自己矛盾に陥る可能性があるわけです。『闘う保守』の守るべきものはおそらく国家の主権なんでしょう。そういう意味では目的が明確ですからまあその点は最大の利点でしょう。

    自分の会社における経験よりテレビドラマのほうがわかりやすいから『医龍』を例にとって『闘う保守』について考えて見ました。

    私は『医龍』を実に興味深く見ました。その医療プロジェクトの構成がある意味で西欧型なのです。西欧型というのは相互協調型の日本に対する対比です。相互協調型でプロジェクトを作る場合もあり、それで大成功を収める場合もありますから私は一概に相互協調型を否定しません。『医龍』でいうとどちらかというと加藤という女性助教授は相互協調型のメンバーです。

    西欧型という意味は
    ①優秀な技術者を集めている。優秀というのはそれぞれの分野で一流の技術を持っているだけでなく患者全体を捉えて判断を下せるという意味です。そしてこういう人間は角がありますから相互協調型組織では評価されにくいのです。
    ②目的を明確してメンバーの意識を変えてゆく。おそらくその目的は「患者にとって最適な治療」であって、そのためには主人公の朝田医師は難しい外科手術も行うこともします。

    目的が「患者にとって最適な治療」ですから「大学としての研究機能」という機能とバッティングする場合があります。研究のために効果のない新薬を投与することに反対する朝田は強い抵抗にあうわけです。
    医学会でもおそらく権力闘争がありうるように、実際に営利企業のプロジェクトは下手をすると経営層の権力争いの道具になる場合もありますし、人間関係を破壊する場合もあります。プロジェクトで検討した結果全体から見てどうしてもこの部門のこの仕事のやり方は問題があるという場合は最悪は人間関係まで破壊する覚悟がいる場合もあるのでしょう。そういう意味で『闘う保守』は国外だけでなく国内の人間とも戦わなければいけなくなります。これに参加する方は少なくとも強い同胞愛がないとつらいでしょう。

    余談ながら私は「守るべき国家はありや」という点で最近の日本国家を信じていません。国民が拉致されてそれを取り戻せない国家には国民から税金を取る資格はないと思っています。地震という天然災害にまともに対応できずに多くの関西人を見殺しにした自民党議員が愛国心教育なんかいいますが、自国の国民の擁護が出来ない政党政治家に愛国心を言ってほしくないです。社民党の党首は確かに批判を受けるべきですが、それよりそれを選んでまで政権を欲しがった自民党の議員に大いに反省をしてもらいたいものです。

  8. vagabond 様

     私の投稿に返答を頂き有難うございます。
     実は、貴方の返答を読んで、歴史観の隔たりの大きさ、というか、貴方の依って立つ位置が不思議・不可解なので、再返答すべきかどうか迷っていたのですが、ソルベさんに対する貴方のご意見を読みましたので、ここに投稿いたします。

     貴方の立場は、
    《満州事変、支那事変、真珠案攻撃、太平洋戦争と続く一連の戦争は日本にとって誤りだった、どこかもっと早い時期にストップしておくべきだった、しかし出来なかった(する能力に欠けていた)・・という「史観」です。》
     それに対して、私は、これらの戦争は基本的に避けられなかったと考えています。(ただし、全体としての大東亜戦争と真珠湾攻撃のような軍事作戦が同様ということではありません。念のため。)
     ここで少し皮肉なことを申し上げれば、「(ストップ…)出来なかった(する能力に欠けていた)」というのならば、結局これらの戦争は避けられなかった、というのと同じことになりませんか? 実際の「能力」を越えて「避けるべき」であったと主張するならば、前にも述べたとおり、過去に願望を押しつけ、歴史に「IF」をもちこむことに他ならない、ということです。それは考え方の根本的な相違ですから、これ以上論ずるつもりはありません。

     貴方の主張。
    《問題は、日本が中国での利権を独占しようとした、もっと正確に言うと、独占しようとしていると「受け取られた」ことではないでしょうか。
     要するに列強がそれ相応に利権を分け合うという姿勢が(日本に)欠けていたことが最大の問題です。》
    《列強とのバランスを崩すような「権益の拡大」こそ中国政策の最大の問題点でした。要するに「植民地(中国における権益)」と「列強の力の均衡」という二つのベクトルで日本が後者を崩してしまったこと、これが諸問題の根源です。
     列強とのバランスの中で日本の生きる道を探るべきだったのに、 「独占」しようとしたことが命取りになったのです。要するに「欲の出しすぎ」です。 》

     要するに、日本が大陸の利権を欲張らず、列強(ここでは米国)と協調すれば、対立と戦争は回避できた、ということでしょう。
     これに対して、明確に述べるならば、そのような協調(日本側からの妥協)は不可能だった、ということです。(なお、日本は満州の「共有」は拒否したが、大陸の「利権」を「独占」したとは言えまい。)

    《(露戦争後)講和条約締結に斡旋の労を取った見返りとして、米国は満洲市場への参入を要求してきた。我が国はそれをヤンワリと拒否した。満洲問題はロシアと清国との関係も複雑で、米国の参入が満洲問題を更に困難にするのを懼れたためである。米国はこれに気分を害した。》(「『昭和の戦争』について」(三)第一章・第五節 複雑な国際情勢の出現 一九一〇から三〇年まで)

     この福地先生の記述は、簡にして要を得た適切な表現であると思います。
     先ず第一に述べておきたいことは、日米の大陸における確執は、必ずしも個別的利権を巡るゼロサム的な対立ではなく、政治的・イデオロギー的なものであったことです。
     ハリマンとの満鉄共同経営問題は、いったん約定書まで交わしたものを覆したわけすから、相当険悪なことになったと想像されますが、それとて、個別資本の利害について米国が挙げて国益を主張したわけではない。1970年代末以降、個別業界や企業の要求を臆面もなく国益として主張してきた時代とは、違っていた。(ハリマン以後、個別的利権で日米間が大きく対立した例を私は知らない。)
     第二に、日米間では、大陸に対する「利権」の意味が全く違う。
     日本にとって「満鉄」というのは、単に鉄道利権ではなく、安全保障と結びついた問題だった。そもそも日露戦争は三国干渉によって遼東半島の利権をロシアに強奪されたことに原因の一つがあることを思い起こせば十分であろう。(日露戦後の両国関係の安定は、南満に日本の然るべき軍事的プレゼンスがあったからある。)
     それに対して米国にとって支那大陸は太平洋の彼方のことであって、大陸を対岸に臨む日本の立場をよく理解せず、門戸開放・機会均等・主権尊重という理想主義的理念を掲げてきた。日本がアメリカの尤もな主張に苦慮し、うまく対応できなかった面があることは事実だが、石井ランシング協定から九カ国条約に至る過程で、日本はアメリカの原則の受け容れに同意し、アメリカも日本の権益の特殊性をそれなりに理解を示し、対立しながらも妥協と協調もしていたのである。
     日本の外交的稚拙さ(幣原外交の軟弱※、国際連盟脱退、三国同盟…)を論うのは容易だが、アメリカの支那に対する無理解や誤ったシンパシー、対日政策に潜むレイシズム(人種差別)、支那側の策謀(ソ連・コミンテルンのそれを含む)等を勘案するなら、日本の(アメリカに)譲れるところは、現実の進行以上にはほとんどなかったといって良い。ハルノートを受け容れるべし、というならば話は別であるが。
     結局アメリカが、戦前の日本の立場を根本的に理解し得たのは、米ソ冷戦が始まり、朝鮮戦争に直面してからであったのだ。
     ※貴方の考えでは、幣原外交が最も望ましかったことになるのだろうか?
     石橋湛山の満蒙放棄論を採用すれば、アメリカの要望に応じられたであろうが、私には当時の状況でこの「開明的」な案が現実的であったとは思えない。「満蒙」を失った戦後日本の経済繁栄は、冷戦で安全保障面で米国の庇護下にあったからであり、単独で支那の混乱とソ連に向き合っていた戦前には、とても考えられないことである。

     貴方はこう言っています。
    《【大東亜戦争を進める以外に道はなかった】というのは日本国内の論理ではありませんか。つまり日本国内の「戦うべし」という流れを止めることが出来なかった、止める力のある人がいなかった・・という意味ではその通りで、外国から見れば「お前の国で解決してくれ」ということにはなりませんか。
    アメリカは和平ではなく戦争を望んでいたのです。】というのはその通りだと思います。なぜなら、日本の「戦うべし」という勢力(軍国主義者)が肥大化し、これをつぶすには戦争しかない、とアメリカが判断したことは確かでしょう。》

     この論理は、戦争の原因を一方的に日本の内部問題に帰着させる「自虐派」のいうところと共通していないだろうか。特に、最後の2~3行は、東京裁判史観に繋がるのではないか?

    《【時の国際状況を踏まえながら検証していくと、戦争につきすすむより他に道がなかった】のでしょうか。
    【戦争はないに越したことはないが、火の粉は払わなければ亡国です。】じっさいは逆でしたね。
    戦ったために、亡国にはならなかったにせよ、亡国の淵に立たされたのです。》

     亡国の縁に立たされているのは、戦って負けたからではなく、負けた後の思想戦に敗北し、自らの歴史と正義を見失ったからであろう。

    《「大東亜戦争肯定論」が国民的合意を得ているとは到底思えないし、政府も考え方は違います。》

     「大東亜戦争肯定論」を政府が支持しているとか、国民的合意を得ているとは言えないだろう。しかし、貴方の言っていることを要約すると、(支那大陸で列強と協調して)帝国主義的支配や植民地主義をもっとうまくやるべきだった、という主張になるのではないか。そのような主張の方が、「大東亜戦争肯定論」よりももっと国民的支持を得にくいのではないか?

    《私は「(大東亜戦争)肯定論は正しいが、今は遠慮せよ」というのではありません。》
    《大東亜戦争を肯定しなければ日本人の「誇り」が保てないなどということはありえません。》
    《要するに「自虐史観との対決のためには、余計なことを言わないで欲しい」ということです。
    もちろん福地さんが個人の立場で発言され、教科書に反映させない、といわれることはご自由です。》

     私には上記数行で貴方の述べていることが、(「大東亜戦争肯定論」に反対していることだけは分かるが、)全体的に面妖で、よく理解できないのです。

  9. 戦前には、永い歴史を通じて脈々と受け継がれてきた日本の心というものがあったように近頃思います。
    それをもっとも恐れたのが戦勝国アメリカだったのではないでしょうか。
    僕のおじいちゃんは、東大出身にもかかわらず ある高い位での戦争へ来てくださいという誘いを蹴って1兵卒で戦争に出向いたと聞いています。
    そのおじいちゃんは晩年は 酒を飲んでは廻りの人間に説教する毎日だったそうです。

    日本の心を実感として知っていた世代の僕のおじいちゃんはその烈しさを表現する場所をなくして苦しんでいたのじゃないかと近頃思います。

    焚書 これは恐ろしい罪だと思います。
    その以前にあたため続けていたその国の心を忘れさせようとする企み 決して許されることではないと思います。

    僕らは僕らの世代で何が出来るかといえば正直わかりません。ただその日本の心を自分の職業を通して体現していくべく、毎日を精一杯生きていこうと考えています。

    応援しています。がんばってください。
     

  10. 東埼玉人様 vagabond氏への反証、大変御苦労さまでした。
    この手のお方は、正論談話室にもおりますが(笑^^)一読もっともらしい書き方ですが
    実に不可解な言い回しをします。要はこうした先の大戦を正しく検証しようとする
    掲示板への撹乱、工作、つまり真の日本人ではないと思われます。しかし、こうした方のお蔭で
    益々、正しい歴史を学び認識し真っ当な日本人が増えてゆくことでしょう。
    いわゆる、反面教師であり撹乱するほど私達は賢くなってゆくのです。
    私の10年前には考えられない勢いで歴史を学ばせて頂いております。
    福地先生、そして東埼玉人様有難うございました。

    vagabond氏も大変御苦労さまでした。(合掌)

  11. はじめに銀人さんへ、
    【要はこうした先の大戦を正しく検証しようとする掲示板への撹乱、工作、
    つまり真の日本人ではないと思われます。・・・いわゆる、反面教師であり・・】

    こういう論理的でない言い方はまさに fanaticism そのものです。
    私はまじめに考えています。
    それを【真の日本人でない】などというのは独善もはなはだしいのです。
    真摯な歴史の検証はこういう独善を配するところから始まるのです。

    東埼玉人さんへ、
    私がそんなに【面妖】ですか。

    いわゆる「大東亜戦争」が諸外国、日本に多大の被害や犠牲を強いた・・・
    犠牲を強くからにはそれなりの「正当性」が必要です。

    あなたのご意見全体を通じて、犠牲を強いたことに対する「反省」というか、
    戦争指導者に対する批判の気持ちが伝わってきません。

    例えば、
    【亡国の縁に立たされているのは、戦って負けたからではなく、負けた後の思想戦に敗北し、
    自らの歴史と正義を見失ったからであろう。】
    と言われますが、喉首にナイフを突きつけられ、「降伏か死か」と迫られたこと自体
    「亡国」の危機でした。(ポツダム宣言)
    また、敗戦直前の国民の苦しみに対する同情の念というものが全く感じられません。

    歴史判断には「意図」ではなく「結果」が重視されます。
    また戦争には敗戦ということも事前に念頭(計算)に入れておかなければなりません。
    真珠湾以降の「大東亜戦争」に限って言えば、「大義」はともかく技術的に見ても、惨めな敗戦、
    多大な犠牲を考えていなかった、これだけでも大きな罪
    (国民に犠牲を強いた罪)であると思います。

    もちろん戦争には相手があります。
    だから日本だけに「罪」を負わせるのはいかが、という意見も分かりますが、
    あの時のような惨めたらしい敗戦では、一方的に「罪」を押付けられてもやむをえないのです。
    ポツダム宣言はまさにそうです。
    そこまで「読んで」いなかった戦争指導者は断罪されて然るべきでしょう。

  12. 銀一さん 
    あぁ、貴方はいつも私の心に響くお言葉を書いてくださいます。
    そうです。日本の富士山、自然、そして何より、素晴らしい先祖を持った私たち日本人なのです。貴方も私もその子孫。「国を潰してなるものか」です。

    私は日本人は世界の中でも優秀な国民と確信しております。
    今でも一般庶民の質(平均的)はそりゃそりゃずば抜けているでしょう。仏国は政治家が全ての面で凄いのです。国益第一(梃子でも動きません)。右も左も愛国一辺倒。誰一人自国の悪口は言いません。ここが日本国とは違います。政治家の「親日家」という言葉に喜ぶのが日本人。政治家の「親仏家」という言葉に猜疑心を起こすのが仏人。日本人は疑うことに対して「嫌悪感」を感じる脆弱な国民となりました。昔、お祭りの時など、「ボーとしていたらひとさらいに連れられて・・・。酢を飲まされて曲芸師にされるぞ」と、ばぁ様が言ったものです。ばぁ様もじぃ様も一家言があり、疑うことを憚らなかった。そんな日本人にもう一度なりましょう。「生きてゆく」ということに対してもっと貪欲に強くなりましょう。

    銀一さんが≪タイムカードをごまかす同僚・・≫と。仏では皆グルになってサボタージュってとこでしょうか。病んでいます。

    こんなことを読みました。ユーロに切り替わる前、EUのユーロ担当の人(仏人)が日本へ来て、ユーロになることに関してのコメントを求められた時のインタビューでの言葉。「ユーロになる・・・ワクワクします」と。本当は心配でドキドキなのかもしれませんが、決してそんな風を見せず「ワクワクする」という言葉を使う男。こんな男に女は弱いのです。女ばかりではなく男も・・・。私は真贋を見分ける目をこの地で鍛えられました(何度騙されか・・・)。その度、敵のあっぱれさに脱帽です。私のような一般庶民の段階では、まぁしょうがないか・・・ですが、国と国の場合はやられないように手を打つことができなくては成りません。手を打ったということを相手に知らせないように上手に。 対外国は、政治家外交官はやり手のセールスマンでなければならないのです。

    巧みな言葉に騙されないように・・・仏国だって住宅事情はたいしたことない。
    山本夏彦翁が「人は皆、己のことは飾って言う」と。

    てっくさん
    情報ありがとうございました。
    ヘレン・ミアーズ女史の名前は知っておりましたが・・・といった程度にです。
    今回てっくさんのブログ、そして「国民の歴史」ページ534、「沈黙する歴史」ページ47~79を再読しました。日本人必読の書と思いました。「アメリカの鏡・日本」買って読みます。  「クリック」してますよ。

    東埼玉人さん
    Vagabondさんになんとお答えをすればいいか? 考えておりました。歴史の部分部分は理解できても「全体的に捉える」のには頭がいまいちなのです。勉強不足の私ですが、貴方様のコメントでも勉強させてもらいました。ありがとうございました。

    Vagabondさんには日本人の心を感じ取ることが私にはできません。

    毎日、日録について行くのが精一杯。すぐにでも感想を書きたい私なのですが、忙しい主婦・・・忙しくしているというべきなのか・・・。
    銀一さんが、奥様のことを褒めておられましたね。とても素晴らしいことだと思いました。 
    主婦の仕事は目に見えて「残る仕事」ではありません。ギリシャ神話のシシュポスが巨石を山の上まで転がし運び、もう少しという所でまた下へ転がしてしまいます。この繰り返しをする話の如くなのです。同じことを毎日毎日・・・。御飯を食べたあと台所はきれいになっています。洗濯物は干して畳んで箪笥に入っている。朝と夜の家の中はなにも変りないのです。この行為が家族の生活を保っているのです。会社で働く男女には仕事の達成感、人との交わりがあります。これは生活の中のダイナミズムと言えますか。主婦は静かに同じことの繰り返しの仕事、しかし人間生活には欠かすことのできない行為なのです。男達よ、奥さんを褒めよ。それも子ども達の前で。私の夫は息子の前で、「お母さんの仕事は大事な仕事なんだよ」と褒め称え、時には息子と一緒に茶碗を洗ってくれたり、洗濯物を干してくれたりしました。(ワカメ干しですが)こんな夫を、息子を愛さずにはおられません。男達よ貴方の女を褒めよ。女は貴方に生命を掛けるでしょう。(ちょっと、決めすぎかしら?) 
    大人の男と女が仲良くしてたら、それを見た子供は安心して恋愛し、子供を作るよ。

  13. vagabondさんの意見を考える
    文脈がよくわからないところもあります。例えば東埼玉人さんの投稿に対して「また、敗戦直前の国民の苦しみに対する同情の念というものが全く感じられません」とお書きの部分は東埼玉人さんにどんな内容の投稿を貴方が望んでいるのかわかりませんが、あれだけの大戦争で被害を受けた国民に対する同情の念がないから批判がずれているという意味の投稿なら返事が出来ます。

    きっと貴方は同情心あふれ、かつ相手に対する強い共感とシンパシーを感じているのでしょう。当時の国民が貴方の強いシンパシーを読んだら、大きなお世話だというかもしれませんけど。でもこれは決して悪いことじゃありません。

    「欲の出しすぎ」という言葉をお使いですが、これも実に日本的です。日本には「欲の出しすぎ」を抑制する文化が根強くありますからそれを公理として無意識に使っている可能性がないかなと私は思いますけど。

    その理由は仮に「欲の出しすぎ」が正しいかどうかは何かの基準で比較して「欲の出しすぎ」と判断しているのでしょ。するとその基準(おそらくそれは当時の国際条約か国際法になるのでしょう)から考えて「欲の出しすぎ」であったかどうかを考えることでしょう。仮に「欲の出しすぎ」が国際条約や国際法と違反していることが証明され、それを是正することによって当時の米国が日本との戦争をやめたかどうか疑問が私にはありますし、そういう説明がないと私が『日本には「欲の出しすぎ」を抑制する文化が根強くありますからそれを公理として無意識に使っている可能性がある』と考えるのは妥当なことだからです。

    面倒ですから帰納的推論型で回答するなら「じゃあ事実を書くけど、どうして敗戦後サンフランシスコ条約締結後にも各種戦犯の免責が国民の圧倒的多数の支持を得てなされたの。それより皇居の前で詔勅を聞いたあとで、自分たちの努力が足りなかったと泣いた日本国民は例外的な日本人だったのだろうか」といわれたら何と回答します。私はあの光景を写真で見て「ああ日本人は被害を受けたので皇居の前で天皇陛下に向かって抗議をしている」なんて思いません。「ああ日本人は同じだな。会社でも下っ端の社員が自分の会社と無意識にいうように全員参加で全員が与えられた場で責任を取るというパターンには変化がないな」と思いました。

    そして開戦のときの色々な記録を見るとむしろいままであった閉塞感が一挙に晴れたとでもいう表現が新聞記事以外の日記などに書かれています。この閉塞感はおそらく日本が第二の敗戦といわれているバブル崩壊後の長く続く景気の低迷を背景にした閉塞感よりもっと強かったでしょう。小泉首相と田中外務大臣という実に妙な組み合わせに国民が絶大な支援を与えたのは両者とも破壊者であったからで、国民の閉塞感を破ってくれると考えたからでしょう。

    あんまり日本人は変わっていないですな。

  14. vagabond 様

     早速再販論を頂き、有難うございます。
     
     正直のところ、銀一氏の投稿を見たとき、情けなくてこのブロクへの投稿もやめようかと思いました。通りがかりのような書き込みならば兎も角、一方で真に立派な投稿をされる方が、かくも卑劣な物言いをするとは! 「八木秀次氏ともあろう人が怪文書とは」、という疑念をどうしてもぬぐえなかった私が、このような物言いが平然と横行する世界なら、さもありなん、と納得したというならば、銀一氏に対して失礼すぎると言うべきでしょうか。

     さて、話が横道にそれましたが、貴方のこの度の「再反論」によって、漸く議論の焦点が出てきたように思います。私の最初の議論は、貴方との違和感をもちながらも、論点を絞る切り口か分からず、ある程度抑制しつつ、しかし挑発的な部分も入れたつもりです。ところが、貴方の最初の反論があまりにも「穏やか」で、怪訝に感じたものです。

     ソルベさんや、松井氏の投稿もあります。ゆっくり議論をさせて頂きたいと思います。

     取り敢えず御礼まで。

  15. 多分・・・まともな議論なんかにゃならないと思います
    vagabondさんがHNに張ってらっしゃるリンク見てみました
    【極東軍事裁判とファナティシズム ( fanaticism ) 】

    fanaticismはファナタィシズムと発音するのですね、勉強になりました

    結局、結論のないコラムだったんで、何がおっしゃりたいのか良く分かりませんでしたが、
    とにかく、右に振れすぎた言論を諌めたいってのは分かりました

    ただ、一般論としての安易な右向き評論への疑義の提示はともかく、
    いわゆる東京裁判、あるいはそれに伴う一連のことについてのについての見解はいかがなものかと

    で、いい加減なものも少なくないと、断じてらっしゃる割には、あまりきちんと調べておられないように見うけられたりします

    思想的なものなのか、性格的なものなのか、単なる無知なのか、あるいは・・・
    とまあ、ここで止めときますが、ホントに戦争指導者の「日本人による」責任追及なんて必要だと思ってらっしゃるのでしょうか

    とにかく、自らの無謬性をそんなに信じられるのは何故?
    以前の職業からの悪弊ですか?

  16.  さて一段落したので、一つ議論を書こうかと、当ブロクを開けたとたん

    《多分・・・まともな議論なんかにゃならないと思います。》(てっく氏)

     そんなものでしょうか。
     腰を折られたような感じですが、ぼとぼち議論をしてみたいと思います。
     取り敢えず、今晩は休むこととします。

  17. いろいろな方からご意見をいただき、ありがとうございます。
    いちいちお答(応)えすべきですが、迷路に迷い込みそうです。

    【真の日本人でない】
    【Vagabondさんには日本人の心を感じ取ることが私にはできません】
    【自らの無謬性をそんなに信じられるのは何故?以前の職業からの悪弊ですか?】
    などという感情的な意見、人格にまで踏み込む意見に応えれば、たぶん、
    感情論の応酬になり現在の「つくる会」をめぐる泥仕合や、
    旧左翼内部のいがみ合いと同じになるでしょう。

    私の考え方の「全体像」らしきものは私のHP「過去の記事」2004(04-12月) 「歴史観の分類」に書きました。
    出来たらご意見をいただきたいと思います。

    簡単に言えば「人生も、国も良いこともあれば、失敗もある」ということです。
    明治維新以降に限れば、日露戦争までは基本的に問題はないと考えています。

    それまで東洋の後進小国に過ぎなかった日本が、日露戦争および第一次世界大戦後、
    突然世界の一等国の仲間になってしまいました。
    これはたいへん誇るべきことで、それこそ日本人の優秀さの表われでしょう。

    その後の日本は中国政策をめぐって「一等国」らしからぬ行動を取った、というのが私の考え方です。
    欲を出しすぎた、とか、背伸びし過ぎた、とか、自惚れすぎたとでも言いましょうか、国際社会において
    「分」をわきまえぬ行動を取った・・・その結果が歴史上稀な、
    惨めな敗戦です。

    無理に「我々の歩んだ道に誤りはなかった」などと強弁(これは私の感じ方です)
    する必要はありません。

    良いことはよい、悪いことは悪い、でいいではないですか。

  18. たしか福田恒存「乃木将軍と旅順港攻略」だったと思うが、こんなことを書いている。後世の者からみれば、歴史は良く見える、が当時を生きた人々にとっては一寸先は闇なのだ、後世の者は傲慢になってはいけない、とゆぅようなことを書いていた。たとえて言えば、山頂に登ったあとで、わが来た道を振り返り、あんな無駄道きて馬鹿じゃなかかと言うに等しいということであろう。
     仮にハリマンの満州鉄道共同経営にイエスと言ったとして、果たしてその後の歴史は、どーなったか、だれにも確信をもって言えまい。

  19. 東埼玉人さん
    水を差したようで、すみません

    vagabondさん
    最低限、私とは泥試合にはなりえません
    ご心配なく
    あなたのHPを拝見した上で、議論が成り立たぬことを実感した上での先のコメントですから

    分を辨へぬ行動を取った・・・良いことはよい、悪いことは悪い、でいいではないですか

    それは司馬史観、などと安易なレッテル貼りこそしませんが、おっしゃる論法でいくと、日露戦争をも否定せざるを得ないのですよ

    あの戦争に勝てたのは、うまいぐあいに、気の遠くなるような数々の諸条件の一致を見たが故の僥倖とも言えるのですから
    あれは ― そこまで当時の日本人が考えていたかどうかは別として ― 単に日露の戦いではなく、
    日本の同盟国イギリスやロシアに対する最大の債権国であるフランス、
    大西洋のみならず太平洋の覇権をも狙っていたアメリカ、ドイツや北欧諸国、
    そしてユダヤの資金まで絡んだ国際戦争だったともいえます(田畑氏に同意したので、前書きよりそのまま引用しました)

    で、それすらも、負けていれば「悪いことは悪い」になっていたのでしょうか
    (あれを勝ちと呼べるのかどうかという意見はこの際除外します)

    ところで・・・「分」をわきまえぬ行動を取った、の主語は何になるのでしょうか?
    「戦争指導者」なるものがいたとして、それを「国民」が裁くべきであったとおっしゃる方が、
    そこに「国」とか「日本人」などという言葉を持ってこられはしまいと考えましたので、よろしければそこだけでもお答え下さい

    日露戦争のもう一つの切り口にご興味のある方は、この本を
    Our Journey to Japan

    アマゾン

    とりあえず、日本語で手っ取り早くという方は
    HEATの日記さん クーン・ローブ商会のジェイコブ・シフに各種日本語文献の案内などがあります

  20. 日本文化にある抑制と心学の一考察

    さてどこから話をしようか迷いました。VACABONDさんの考察は今度は「分をわきまえぬ行動」ですか。

    国家の指導層が「分をわきまえぬ行動」をとったのか、国民が「分をわきまえぬ行動」をとったのか、よくわかりませんがおそらく指導層が「分をわきまえぬ行動」をとったから米国との大戦争になった、または日本国家の指導層が「欲の出しすぎ」をしたので米国からお前たちは非難されるべきことをやったといわれたんですか?米国がそんなことをいうわけがないじゃないですか。当時の近代西洋世界論理で「分をわきまえた行動」や「欲の出しすぎを抑制した行動」を取ろうと関係なく出る釘は打たれたと思います。日露戦争までは「分をわきまえ」「欲の出しすぎ」をしてないという貴方の評価なんでしょ。ではどうして米国が日露戦争の日本の勝利の後でさっそくホワイトフリートの派遣を日本も含むアジアに行ったのですか?そして「分をわきまえぬ」とか「欲の出しすぎ」とかいう日本的な倫理観で貫かれたルールが当時の国際社会にどうして適用できると考えられるのでしょう。

    私は貴方を非難しません。批判するとしたら自己の判断がどこから来ているのかを自覚がない点です。その根拠はお書きになっている点がてっくさんが書かれたように無謬の確信で貫かれているように印象を私も受けているのです。

    仮に戦中の状態を指導層の「欲の出しすぎ」であると考えた場合、それを防ぐにはどうしたらいいのかとどうして「欲の出しすぎ」とvacabondさんが考えたかの二つのことがあります。今回は前者より後者が重点になっています。「欲の出しすぎ」が仮に犯罪的な罪悪であるとした場合、それを防ぐには立法では無理でしょう。犯罪をしようとしている人間の規制が厳しい立法によって達成できないのは世界の歴史を見ればわかることです。したがってそれは内心の規制によるしか達成できません。それに気づいた日本人が多くいるわけです。その一人が石田梅岩という商家の番頭さんでした。

    石田梅岩を創始者とする後代石田心学と呼ばれた実践哲学の系列は当時の江戸だけでなく全国的に大流行し、まるで心学饅頭でも売り出しかねない状況を招いています。町人思想が武士や農民にも受け入れられたもので、現在の人はほとんど名前さえ知らないでしょうけど、多くの日本人の行動様式に無意識化するまでへばりついています。最近の例ではホリエモンや村上ファンドの没落にしたがって生まれた批評の中にもまるで石田梅岩の弟子から教わったなおじゃないかと思うような評論がありました。

    社団法人心学参前舎のサイトより心学とは何かを書いたものを抜粋します。
    (引用開始)
    そもそも心学は享保十四年(1729)丹波の人にして市井の儒者である石田梅岩によって初めて京都に於いて唱えられた我が国独自の教学です。心学とは人間の心を学ぶことで、自分自身を問題にする学問-実践道徳哲学のことであります。科学は物の本質を究めることを目的としています。心学は心の本質を究めるのがその目的です。心の本質を究めることによって、全体の中の個としての自己の主体性を発見することができます。これを本心発明とも、差別即平等の原理とも言っております。自己の主体性の発見が個としての全体への役割分担を徹底して明確なものとして行くのです。即ち平等即差別の原理であり“我なし”の場であります。この平等即差別、差別即平等の原理を自己の現在の立場に応じて実践可能なものにして行く道を各自に見出さしむるのが心学の教えであると言えるでしょう。
    (引用終わり)

    実に興味深いのは当時の江戸時代という小宇宙世界で商人道はどうあるべきかを考えた結果がこの実践哲学に反映しているわけです。そしてそれは個人の内心の本質を究めるという方向へ進みました。貴方も含めて多くの日本人の志向パターンはまず自分へ向かう性向がありゃしないかと思えるような印象も受けています。

    戦国が終わって秩序維持という要請と一方で商人に対する蔑視とそれを裏付ける行為を商人がやっていたわけで、その結果の一つが心学塾であったわけです。この塾の近代性は身分や男女の差別もない点と、貫かれているのは「倫理を持っている経済合理性」の精神でした。そこには経済合理性は善であるという考え方があり、これが利益の肯定にもつながっていますし、商人階級の社会的機能の位置づけにもなります。武士から見れば銭ばかりに関心がある苦労しないで利鞘を稼ぐ最下級の身分という見方でそれでも大商人に銭を借りざるを得ない困窮が背景にあり、農民もすでに鎌倉時代に商人に土地を借金のかたで取られる怨嗟がありますから当時の侮蔑は強いものがあったでしょう。しかし江戸時代前にすでに日本は貨幣経済に突入していましたから商人の機能が動かないとどうしようもなくなっていたのです。

    ところが何かひとつのことを絶対として合理性を追求すれば必ずどっかで壁に当たります。経済合理性もそうであって守銭奴といいますが、経済合理性を正しいとすれば守銭奴は唾棄すべき存在でもないし、株投機(当時は米相場)で儲けることは経済合理性から考えれば否定出来なくなります。

    そこで石田梅岩が考えたのは私欲のない経済合理性の追求というドグマでした。石田梅岩は空想家ではありませんから仏教的な百八つの煩悩を拭い去れなんて出来ないことは言っていません。

    私は日本文化の中に欲を抑制する文化があると書きましたが、それは仏教的な百八つの欲望にさいなまれた人間という概念からきたものもあるでしょう。儒教からきたものもあるでしょう。私は実際に仕事に携わる商人というもっとも欲に関係する仕事について倫理規制を設けている点に驚きを感じました。もともと江戸時代の初期から「職業は身分ではない。仕事をすることは仏心に適う尊い行為である」という思想が鈴木正三が論じていますが、そこでも人間は三欲に苛まれると論じていますし、儒教でも欲を捨てることを強調していますし、武士だって「武士は食わねど高楊枝」に見られるように欲の抑制をしていますから、やはり強い文化的な規制になっていたでしょう。

    vacabondさんが「欲」という点にポイントを置いた話を書かれましたが、その根拠が書かれていないので、以上の話を書きました。いわばvacabondさんが無意識に伝統的な考え方を使って書いているのじゃないかと考えたからです。でもこれが社会構造や倫理観や体制が違う国民国家どうしの問題に適用できるかどうかは私は疑問があります。

  21. てっく様
     水を差してくれたことに感謝します。

    vagabond様
     貴方に【面妖さ】を感じた理由・その内容を明らかにするために、私なりの「戦争観」(但し、大東亜戦争に対する評価)を分類し、貴方の戦争観の不可解さ・不安定さを述べ、貴方の考えを改めて問いたいと考えておりましたが、貴方がHPで歴史観の分類をしているということですので、参照させて頂きました。
     感想は、「あゝ、やっぱりそうだったのか、」ということです。
     実は、貴方の考え方は「アメリカべったり・対米追随史観」ではないか、というレッテルをはる誘惑を抑えてきたのですが、貴方の分類によれば、貴方の属する「保守本流」の考え方は「満州事変-大東亜戦争×、米軍占領○ 現在の親米○」(○=肯定的、×=否定的)というのですから、そのレッテル通りなのではないか、と感じた次第です。
     「保守本流」の評価(定義)自体適切か否か疑問ですが、米軍占領自体を肯定的に受け取る考え方ならば、それを承知の上で議論をするしかないでしょう。
     今後、機会があれば、改めて議論を致しましょう。

  22. 機械計算課長こと松井康雄さん
    私のことを vagabond ではなく vacabond と書いたのは故意ですか、ミスですか?
    「バカボン」と読めます。

    —-

    私はこのブログでは長い文章は避けたいので、簡潔に表現します。
    『新現役』というブログがありますが、ここで私はさんざん議論しました。
    このときは「続き具合」が分かりやすかったので、少し長い文も書きましたが、
    この西尾さんのブログは様子が違うので、短くします。
    (なお、新現役は新装開店し、古い書込みはすべてなくなりました)

    東埼玉人さん、これをもって最後の議論としましょう。

    歴史を勉強する目的は何でしょうか。
    単に興味がある、面白い・・といったことは別として、歴史から
    「何かを学ぶ」ことが目的だろうと思います。

    「大東亜戦争(など)は、起こるべくして起こった。
    なるようにしかならなかった」と言ってしまえば、
    これは「歴史学」と言えるでしょうか。

    歴史に「 if 」を持ち込んで研究する方法があるそうです。
    「もしあの時Aではなく、Bという選択をしていたら」
    という研究から「今」あるいは「将来」のより良い進路を考える参考になるです。

    岡崎久彦さんだったと思うのですが、日本がアングロ・サクソン(英国)と同盟を結んでいたころは順調だった、
    敵対したときに不幸になった・・というようなことを書いていました。
    数百年先はともかく、ここしばらくは対米同盟が基軸になると思います。
    対等の同盟ではありえない、「追随」と呼ぶなら仕方ないでしょう。
    それ以外の選択肢を提示できますかね・・・?

  23. 『日本人の社会に於ける役割意識の重要さと空気に対する弱さ』

    東埼玉人さんの論考とはまったく違いますが、以下の文章を追加投稿します。

    <思想としての「保守」は、伝統的価値観の肯定とその価値観の現在への反映を主張する>という考え方に私は立ちますから以下の文章になるのは当然なのですけど。

    「もしも私が論立てするなら」
    日本人は日露戦争以降で「欲に駆られ」「分をわきまえなくなったのか」というモデルのメカニズムを示せといわれたら、もしも私ならそれは近代化教育により伝統的な徳育教育(善悪の判断を先に教える教育)から西洋化のための知育教育に変化したからでしょうと書くでしょう。善悪の判断教育(知育)がなく幼児期から知識ばかり詰められた人間がおかしくなるのはある意味で必然です。まだ日露戦争の指導者層の多くは江戸時代の武士の教育を受けた人材であって、それらの人間が少なくなり、社会的にも社会の鏡になる人材が減ったからだと。興味深いのは日本の敗戦を決めた人材が江戸の幼児教育を受けた鈴木貫太郎首相であり、皇室でやはり江戸時代を生きた杉浦重剛(倫理教育担当)の帝王教育を受けた私欲のない昭和天皇の二人であったと書くと思います。

    ではそれでは日露戦争後のポーツマス条約締結に反対した日比谷公園に集まった民衆はどうしてなんだと言われたら反論しにくいのです。それと私は日本人の思考メカニズムは変化していないという立場で見ていますから、「欲に駆られ」「分をわきまえなくなったのか」というモデルはどっかで日本人の思考メカニズムに変化があったという確信をゆるがせるものです。それと同様なことが敗戦後に起きています。それは知識人に起きている現象ですが、いままで国家主義を唱えて愛国的な論説を吼えていた知識人がまるで180度逆転した態度です。勿論知識人でも首尾一貫している人もいますけど。

    日比谷事件の問題はまだわかりませんが、知識人の問題を以前からずっと考えていたのですが、考えてみるとそんな面倒な、面妖なことではなさそうです。

    「日本社会に於ける関係性と役割の重要性」
    まず前提ですが、日本人は私も含めて関係性の中で生きています。個人主義と集団主義と二項分類したくなるテーマですが、実際にはそんな簡単なレッテル付けでは解決しません。そして関係性が強いために周辺の空気や雰囲気に実に影響されやすいのです。この点は西尾先生もご指摘の通りです。一方では日本の経済力の強さはこの関係性の強さや企業に対する関係性を前提とする帰属意識がありますからそんな簡単に解決できる問題ではありません。

    自分で考えて血肉化した論説でなく借りてきた論説を使った人はしばしば180度転回を行います。
    日本人は社会に於ける役割の自覚がないと非常に不安定になります。おそらくニートといわれている若者集団もそうなんでしょう。この役割の重視は関係性の中で帰属的にかつ社会の一員という自覚をもって生きていくのが楽だからです。

    知識人の論説役割は敗戦後の占領下であってもなくても社会に必要なものは必要なのです。だから状況や空気が変わったからといって自分の役割が変わったと考えるのはおかしいはずなのですが、自信のない人間は役割が変化したと考えて過去の自分の論説の逆のパターンで論説を始めただけなんでしょう。別に日本人の思考パターンが変わったわけじゃない。いわば乾電池の構造を変えないでプラスとマイナスを逆につなげてもランプは点燈します。それなら日本人が別に変化したわけじゃないのです。勿論この知識人の構造は自分は悪くない自分は騙されただけであり反省もあるという自己防御モデルでも説明できますが。

    「どちらにしろ米国は戦争を吹きかけてきた」
    そしてそれは敗戦後に合理主義に欠けた点の反省があってますます表面的には唯物論化が強い欧米化の方向へ進みました。しかしこの方向ははじめて日本人が独自の思想を作った江戸の思想と乖離しますからどっか腑に落ちないところがあるに決まっているのです。西洋の文明思想を幾ら考えたって日本の答えがあるわけがないのです。西洋思想にあったとしてもそれは体験的に実感的に噛み砕いた上で得られたものではないですからあくまでも二流にしかなりえません。

    仮にそうであっても、そうでなくてもなくても米国は西部のフロンティア開拓が一段落した時点で太平洋の覇権獲得と中国への権益の欲しさから日本へちょっかいを出したと思っています。

    「日本から世界を見るのでなく世界から日本を見よう」
    私は八木先生の中国訪問へ強い批判を持っていますが、それは八木先生が日本的対応で中国に対応できると思い込んでいるからで、作る会の会長としてはそれは困るという意識があるからです。vacabondさんの投稿でも同じです。日本的伝統に無意識に従ってその流儀から世界を見ているという点では同じだと思います。中国では面白い言葉がたくさんあります。「敵を知り、味方を知れば百戦危うからず」という言葉も有名ですが、八木先生の場合は敵を知らず、自分の日本的流儀でそのまま対応できると考えていたら、「敵を知らず、もしかすると自分自身を規制する伝統も意識化していなかった」としたらそりゃ負けるでしょう。私はとんでもない誤読をする可能性がありますから、間違えているかもしれませんが西尾幹二流に言えば日本から世界を見るのでなく世界から日本を見る視点が欠けているとでもいうのでしょうか。

    日本の流儀は戦国の反省と資源が限られ、農地も少ない山と谷ばかりの狭い国土で人間がどうやって平和に秩序を持って生きてゆくかという前提で作られた思想が軸ですから、簒奪が伝統の現在の多くの米国人には想像も出来ない思想でしょう。

  24. 「真の日本人」、「日本人の心」、「本当の歴史」、「本当の伝統」等などは頭の中にしか存在し得ないし解らない性質のものである。当たり前だが「過去」は再現出来ない。理解すら不能である。タイムマシンで時間を遡ってもそれは理解出来ない。過去は「上手に思い出す」他は無い。歴史的事実を「解釈」するしかない。自分の過去すらも正確に再現し得ないし理解出来ない。
    「絶対的な基準」が無ければ歴史的事実を空間化して「歴史」や「伝統」には出来ない。
    果たして日本開闢以来、現在まで一貫した「絶対的な基準」があったのか?甚だ心許ない次第である。荷風は日本史に貧困を感じた。彼は正しい。日本には「歴史的事実」しか存在せず「歴史」も「伝統」も存在しない。
    初めから無いものを追っても見付からぬのは道理である。
    あるとすれば「祖霊信仰」だけである。それで充分ではないのか???何か不満でもあるのか?不足を感ずるのか?
    甚だ甚だ疑問である。

  25.  銀一様
     vagabond氏との「論争」を後味の悪い結末で終え、過去の議論を読み返していたところ、貴方の書いていることを、私がとんでもない誤読をしていることに気づきました。
     「この手のお方」というのを自分のことと勘違いしていた訳です。福地先生まで巻き添えにして冷やかし半分の攻撃をするとは何事か、と怒った次第です。
     
     勘違いにより、貴方に失礼な言辞を呈したことをお詫びし、以下の拙文を取り消します。申し訳ありませんでした。 
    【正直のところ、銀一氏の投稿を見たとき、情けなくてこのブロクへの投稿もやめようかと思いました。通りがかりのような書き込みならば兎も角、一方で真に立派な投稿をされる方が、かくも卑劣な物言いをするとは! 「八木秀次氏ともあろう人が怪文書とは」、という疑念をどうしてもぬぐえなかった私が、このような物言いが平然と横行する世界なら、さもありなん、と納得したというならば、銀一氏に対して失礼すぎると言うべきでしょうか。】

     

  26. 東埼玉人さん、
    あなたが本日 13:28 の書込みで「 bagabond はアメリカべったりの姿勢だから、
    議論しても仕方がない」といわれたから、「それならやめときましょう」といったまでで、
    あなたがよければいつでも意見を述べます。

    機械計算課長こと松井康雄さん、
    くどいようですが vacabond はやめてくれませんか。

    それはともかく本日 05:59 と 17:24 の意見を読むと、理解困難です。
    そもそも「欲の出しすぎ」とか「分をわきまえる」というのは考え方ではなく、
    当時の日本の指導者の取った行動をこのように「解釈」しただけです。

    日本的だの西欧的だの分けることにどんな意味があるのでしょうか。
    それにしても「出る杭は打たれる」( 17:24 の投稿)というのは極めて日本的な発想ではないでしょうか。

    もう一つ「保守」ということですが、保守には
    「伝統を守る」という面と「新しいもの(考え方など)を取り入れる」
    という両面があり、両者のバランスをうまく取りながら対処するという考え方が「保守」本来の生き方ではないか、と考えます。

    当たり前のことですが、新しい思想(など)を取り入れなければ、発展や進歩はありません。
    (発展や進歩という考え方自体西欧的だという見解もありますが)。
    明治時代は江戸時代の、江戸時代はその前の戦国時代、戦国時代は平安の・・・
    と遡れば縄文時代に行き着きます。いや、その前もあったでしょう。

    また、日本とアメリカとの間では思想の違いはあります。
    しかし「水と油」ではありません。
    共通な部分と、異なる部分があるのは当然です。
    異なる部分を互いに尊重し、共通な部分を大切にする・・当たり前のことではないですか。

  27. vagabond 様

     この際言っておきます。

     ①【米軍占領自体を肯定的に受け取る考え方ならば、それを承知の上で議論をするしかないでしょう。】

     ②【 bagabond はアメリカべったりの姿勢だから、議論しても仕方がない」といわれたから、……】

     ①が私のいったこと、②に貴方が引用したように「アメリカべったりの姿勢だから、議論しても仕方がない」などということを、私は言っておりません。

     一事が万事、相手の論点を少しずらしては反論めいたことをする。もう少し論争の作法を心得て頂かなければ、まともな議論はできません。
     また、「米軍占領の肯定適評の是非」などということは、この日録でのテーマには馴染まないでしょう。

  28. HNの件は失礼しました。

    さてわからないと明言する方にどのように理解させるか・・・私は同意を求めているのじゃない。理解を求めているのですけどね。

    ご存知ですかね。日本人が雨の日に向こうからくる相手に気を使って自分が濡れるのを覚悟で傘を傾けるのを。道ですれ違って身体が当たっても先に失礼って謝ってしまう風習を。タクシーに乗るのでも到着地の少し前で降りる習慣があるのを。これらはすべて江戸時代に作られた習慣です。決して戦後日本が負けたから自虐思想がはびこって遠慮深くなったわけじゃない。

    最近読んだ本でも次のようなものがありました。
    (引用開始)
    また一方日本語は、断定的な表現を避け、暗示という綿のように柔らかい表現方法を発達させた。それによって人々の間でクッションの入った意志の疎通が可能になり、刺激的な物言いが和らげられ。過敏な反応も回避することが出来た。日本人は、何時間もお喋りをしたり、冗談を言い合ったり、笑ったりしたところで、遠まわしの言葉使いによってお互いに距離を置くことを心得ているのである。彼らは例え相手と意見を全く異にしても、抜き身の刀をテーブルに突き刺すようなことをせずに、なんとしても、角の立った対決は避けるのである。彼らは自分と反対意見の相手に、当たり障りのない言い方で賛同することでさえ決して稀ではない。そして自分の考えはそのまま腹にしまっておくか、とりあえず、自分が考えていることは、それほど重要ではないというような言い方をしておく。
    もちろんこういったことは全く遊びでもなんでもない。それは狭い社会で物理的に生き延びていくための方法だった。それは、つまらないことで争うことは避けたいという人間の願望が生み出した知恵である。改めていうまでもないことであるが、争いは、個々人の間であれ公的な世界であれ、無視されたとか、冷遇されたとか、侮辱されたとかいったつまらないきっかけから起こるものである。そこで日本では、ヨーロッパの人がよく過剰な儀礼の表現だと敬遠する礼儀作法が発達した。この作法は、要は、人間が空間的なお互いに離れることのできない社会において、相手と人為的な距離をつくるための手段なのであった。
    今なお日本では、譲歩したり、相手や場の雰囲気に合わせたりすることが、美徳として高く評価される。譲歩してはじめて何かが達成できる。先を譲ることによってはじめて、開いたドアを自分が通れる。自分の意見を相手の意見と合わせることではじめて、自分の意見に耳を傾けさせ、自分の意見を通すことができる。
    この一見矛盾した論理は、屈して折れないという「竹の智慧」である。このやり方は日本では驚くほど効果的に機能するのである。

    『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子 文芸春秋社
    (引用終わり)

    私は「これほどまでGHQの7年間程度の洗脳活動によって日本人が変化した」という論説に前から疑問を持っていました。そうじゃないだろう。それほど強く洗脳活動が効果があったのならもともと洗脳される種があるはずだと考えているわけです。そういう意味では多くの保守系知識人と意見が異なります。
    別にGHQの洗脳を受けなくたって日本人は遠慮深く優しく人を信じて人格を重視する文化で生きてきたのです。そういう文化があることを知った上でGHQが日本人を洗脳をしたならそれは見事としかいいようがありません。
    でも松原久子が肯定的に見ている「竹の智慧」は日本だけで効果があるやりかたです。このやり方を中国やおそらく米国に向けてやっても効果的に機能しないでしょう。しかし政治家も含めて日本文化にたっぷり入っていますからついその癖が出るのでしょう。それを防ぐには自分たちの文化の再確認と敵の文化の再確認が必要なのではないでしょうか。

    そこで三つのことについて説明ください。

    ①「分をわきまえない」でもいいし、「欲がありすぎた」でもどっちでもかまいませんがその日本的基準(日本的基準として深く存在していることはすでに実例で書きました)で当時の米国へ対応できるというモデルを描いてくれたらありがたいですな。

    ②それとおそらく貴方と私の米国に対する認識も違うでしょう。その文化が大きな差がないというならその根拠を教えてください。

    ③またお書きになった私が進歩を否定していると感じた理由もお書きください。私は日本文化を是とする立場ですが、見事なくらい日本は西洋化を行いました。西洋化が進歩なら日本文化の中には進歩を否定する要素だけじゃないことがわかるはずです。

  29. まぁ、物分りが良くなった戦後日本人からすれば、「分をわきまえない」「欲がありすぎた」ということになるんだろうね。が、これも時代であって、かりに大成功していれば日本民族の勇気だなんて最大の誉め言葉が与えられるかも知れない。人間の歴史というのは間違いのテンコ盛りだと思うが、間違いはあるにせよ、時代の活気というか、そうゆう面でみれば、戦前は今の時代に比べて、やはり偉かったのではなかろうか。
     今は、特に小泉政権になってから、日本社会のアメリカ化が引き返し不能なまでに進んだ。中国文明でもなく朝鮮文明でもなくい、アメリカ文明だ、これが日本社会を徹底的に変えていった。
     セバスチャン・ハフナーとかゆぅ人の「ドイツ現代史の正しい見方」に書いてあったが:以下引用
     ・・・事実、476年の西ローマ帝国の滅亡は、劇画を見るようにドラマティックに起こったのではなく、ほとんど誰も気がつかないほどさりげないものだった。ゲルマンの傭兵隊長オドダケルが王となって、少年皇帝ロムルス・アウグストゥルスを年金生活へと追いやったときも、ローマ市民の心地よい退屈な日々の生活には、ほとんど何の変化もなかったのである。新しい主人達(すなわちゲルマン人たち)は読み書きも出来ず、食事も手でつまんでとるありさまだったが、そんなことは笑い飛ばせばそれですむことだった。
     しかしそれからはすべてが変わっていった。むろん急激に変わったのではない。しかしそれだけに根底から変わっていった。・・・・引用おわり。

     保守とは、保ち守ることなのである。

  30. Vagabondo様の投稿と皆様のやり取りを読んでいて、vagabonndo様に、ある種のタイプの方の典型を見る思いがし、類型化するのも失礼とは思いますが、少々の興味からvagabondo様に対する私見を述べさせて戴きます。

    先ず、冷徹に論理を述べているとしながら、情緒的感情的な判断を基盤にしていること。論理性の強調は、カモフラージュのように見えます。私は、情緒的感情的判断がいけない、というのではありません。
    御自分の個人的判断でしかないことを、絶対であるように表現すること。言葉上は他人の意見を尊重するようにおっしゃいますが。
    その判断基準が「自らの勝手な理想」であること。しかしそれはあからさまにはされない。
    お説への懇切な他者からの疑義には、「理解不能」と反応されること。一歩のあゆみよりも無い。
    倫理や道徳によって物事を判断し、対立意見を道徳的、道義的に批判すること。
    「権威」や「知性」に依った言辞を使い、対立意見を「無能」呼ばわりすること。
    お説も、言い様も、ことごとく、とても類型化され、紋切り型で、ありきたりであること。
    以上の事柄を自覚されていないこと。

    例えばこのようなおっしゃり方・・・。
    <日本の保守論壇は成熟していません。
    福地さんの論文(エッセイ)のように、素人の私が馬鹿馬鹿しいと思うほどの「偏向」ぶりです>

    結果として、コミュニケーションというものが取れない方だ、と思います。それを糊塗するために、「議論しましょう」という姿勢はいつもお見せになります。

    今回のお説の要点は、
    <アメリカと協力して満州開発を進めるべきでした。
    アメリカと協調せず日本の独占権に拘ったこと、つまり「欲を出しすぎた」ことがその後の「失敗」の根源です。>
    ということに尽きる訳で、松井様にその判断の論拠を解析され疑義を挟まれると、「理解不能」とおかわしになる。
    その前の「欧米の論理」についても、松井様の懇切な解説にも「理解不能」。
    東埼玉人様の、協調すべきか否かに関する「ボタンの掛け違え論」への詳細な批判(「昭和の戦争について十」6月24日23:04)にも、反応されていない。
    御本人は「他人の意見を尊重」せず、「協調性」にも欠く姿勢です。御自身でおっしゃるように「理解」出来ないのですから、致し方ないのですが。

    またこの米国との協調説にしても、以前から渡部昇一氏なども言っておられ、目新しいことでもないし、歴史にifを持ち込んで試行する、というのもそうで、例えばかつての「太平洋戦争、こうすれば勝てた」(日下公人、小室直樹)という書は、対米戦争の様々な段階で、自由にそういった試行を施したものでした。
    また本当にifを持ち込むのなら、もっと柔軟であってよいのに、何故、ここの一点に固着されるのか。当事者でも、同時代人でもないのに。そして「素人」を自認しながら。その無謬性への確信が奇妙です。

    更に、「協調」、特にアングロサクソンとの協調こそが歴史からの学び、という結論であれば、ご自身も挙げてらっしゃる岡崎久彦氏や、渡部氏のかねてからの説であるし、こういった目新しくもないことを、御自分の御意見として、かくも断定的に、そして異論を愚説と排除しながらおっしゃるのには、辟易いたします。

    Vagabonndo様には、大変失礼な言い方になりましたが、批判の意図もありますけれども、私の人生上、事は違えども似た様な感覚を覚えさせられた方々がおられたので、これを機に、自分の中でそういった類型を整理して考えてみたかったこともあるのです。この論の始めのところがそうです。だしに使ってすみません。
    書いた内容は、vagabondo様に御理解戴けることは無いと思い、この点は絶望しております。恐らく倫理的に私を糾弾されることでしょう。甘んじて受けます。

  31. なるほど、神戸人さん

    余り関心を持たなかった、このエントリーでの歴史問題のやり取りですが、神戸人さんのコメントを見て、ちょっと振り返ってみたいと思いました。
    やはり、言葉は相手が理解できるように、関心を抱かせるように表現したいものです。こういう風に書かれると、書かれた方も相手に理解して欲しいと工夫されるのではないかと思いました。
    失礼な言い方ですみません。私が感じていたのは、専門的な内容であっても、素人が読みたくなるような表現を用いる事の出来る方が、本当に優秀で、物事を理解している人ではないかなということです。ぜひ、門外漢にも分かるようなやり取りを期待します。

  32. 何度かvagabondさんの投稿を読み直しているのだけど、総体で考えるとやはりおかしい(矛盾があるという意味です)が断片的には日本人の思考習慣が無意識にへばりついているという印象がしてなりません。

    幾つかあるのですが今回気がついたのは以下の部分です。

    (引用開始)
    もう一つ「保守」ということですが、保守には
    「伝統を守る」という面と「新しいもの(考え方など)を取り入れる」
    という両面があり、両者のバランスをうまく取りながら対処するという考え方が「保守」本来の生き方ではないか、と考えます。
    (引用終わり)

    実に興味深い論考です。私が書いた保守の立場は辞書(主として欧米思想の転用)に書いてある一般的な定義をもってきたものですが、何種類か辞書を調べましたが貴方のような定義は残念ながらみつかりませんでした。私が注目した言葉はバランスという非原理型の言葉です。バランスには原理がありません。そのときの状況や場や空気の違いによってバランス感覚を持って生きてきた日本人の知恵とでもいう意味を私は感じています。

    多神教のように多次元の原理が存在するとします。何かを判断するというのはどの原理を選択するかを決めるか、または複数の原理でバランスを取った選択をするか、または別の原理を探求するかになるでしょ。どうして貴方がバランスという言葉を選んだのか実に興味があります。国内政治ではバランスを取るのは結構でしょう。しかしバランスは常に天秤の両端にある錘によって狂います。錘の重さはその場やその空気や状況によって感覚的には違いますからそれを是正するのは天秤の長さを適当に調整しないと天秤は一挙に崩壊します。そういう意味では日本人が首尾一貫していないように見える部分は尺度がつど変更される天秤的生き方をしているからだともいえます。尺度がつど違うのは国際政治ではおそらく信用できない人材だと忌諱されるでしょう。

    朱子学に君子のあるべき姿を書いたものがあります。例えば「柔和であるが厳しい」という、まるで昭和天皇を思わせる二つの基準を持ったものが九つだったかな書いたものがあります。これは「柔和」と「厳しい」が必ずバッティングする場合がありますから実運用では実に難しい考え方です。しかし日本人はこういう複数の価値観を同時に受容する習慣を持っているため一つの原理より複数原理をバランスを取って生きる生き方をしてきましたから。

    同じ結論になりますが、以下の文章も興味深く見ました。

    (引用開始)
    また、日本とアメリカとの間では思想の違いはあります。
    しかし「水と油」ではありません。
    共通な部分と、異なる部分があるのは当然です。
    異なる部分を互いに尊重し、共通な部分を大切にする・・当たり前のことではないですか。
    (引用終わり)

    私は米国と日本は本質のところで水と油だと思っています。だからといって現実政治や国内の状況を考えれば米国依存もやむなしと思っていますけど、水と油であると考えて覚悟の上で対応するのとそうじゃないと考えて対応するのはまったく違います。
    それと「異なる部分を互いに尊重し、共通な部分を大切にする・・当たり前のことではないですか」という論説も実に興味深い。私は前回から回答を言わないでレスを返していますが、今回も回答をしません。でも次の補助線を引くことは許されるでしょう。

    「異なる部分を互いに尊重し、共通な部分を大切にする・・当たり前のことではないですか」があまりに当たり前すぎて返事ができないのです。どうしてかというとこの返事は別に米国でなくたって適用できる、すなわち何もいっていないのと同じなのです。ここに中国をもってきても、北朝鮮をもってきても、ロシヤを持ってきても適用できる言葉だからです。判断基準がありそうで実は何もないことを貴方は自ら表現しているのです。

    もう一つ補助線を引いておきましょう。
    相手と自分の違いを認識する場合、今回は個人の問題ではなく国家間の問題です。それを論じる基準になるものは私は四つ程度はあるだろうなと考えています。その基準を明確にしてそれぞれの歴史を見てその基準の内実が日本と同じであることを実証してください。

    なお私は今日から今週一杯WEBに接続できない環境にいますから返事があっても来週に返事をすることになります。

  33. 田舎のダンディさん
    「・・・専門なる内容であっても素人が読みたくなるような表現を用いることのできる方が本当に優秀で、物事を理解している人でないかなということです。ぜひ、門外漢にも分かるようなやり取りを期待しています。」

    本当にその通りです。胸のつかえが解けました。私は歴史に興味をもつ者ですが、まだ勉強途中ゆえ、「出来事」を説明せよといわれても難しく、まず良いテキストを読みじっくり考えてからでないと、レジュメは書けません。(当然!と笑ってください。)

    Vagabondさんの文章は、東埼玉人さえも「面妖な」と感じられたのですから、発展途上脳味噌の私には、いくら調べる時間が在ったとしても、糸が絡まって解けなくなっていたことでしょう。日録のダンディさんたちがVagabondさんのコメントに対し論じられたあとに書くのは何となく「迎合の意見を述べる」ようで、恥ずかしいのですが・・・。私なりに感じたことを書きます。

    ≪「それごらん!やはり彼らは戦争肯定の教科書をつくろうとしています。」こういう声が聞こえてきそうです。≫
    :戦争肯定ってどんな意味で言っておられるのでしょうか?言葉は使い方一つで180度の隔たりを生みます。
    ≪自虐史観との対決の為には余計なことは言わないでほしい≫
    :きちんと意見を述べてこなかったが故に、日教組に教科書をほしいままにされたのでしょう。余計なことではなく、言わなければならないことです。
    ≪中国でその政府の許可なしに、 アメリカから見れば、 外国から見れば、 アメリカが判断した≫ 
    :私がVagabondさんに日本人の心を感じられない理由は、【日本から見れば】ということが欠けていると思うからです。

    西尾先生の【国民の歴史】には 田舎のダンディさんの言われる「素人が読みたくなるような表現を用いる」が輝いていて理解に易い歴史書です。私などには、とてもありがたい本です。

    西尾先生は若い時から、注釈ばかりに頼る本は本物でない! そして難しく書くことのまやかしを言って来られました。 

  34. 神戸人さん

    いくつか言われましたが、全部に触れると混乱しそうですので、2つだけお願いします。

    ◆1◆
    正直言って、松井康雄さんの言われることを理解できないのです。
    皮肉でもなんでもない、正直言って理解できません。(能力不足です)
    だから、松井さんに返信できないのです。

    出来ましたら、私が読んで理解できるような表現で解説していただけませんか。

    ◆2◆
    絶対である、とか、無能呼ばわりなどについて。
    たぶんこのブログは「大東亜戦争肯定論」が常識になっているのではないか、
    これを前提に議論しているのではないか、と感じるようになりました。

    私のような意見は「超」異端なのでしょう。
    過去のやり取りは知りませんが、例えば1930年代以降の日本の行動について
    「分をわきまえなかった」とか「欲を出しすぎた」などという表現は、
    たぶん、このブログでは非常に珍しいのではないか、そう感じます。
    (違ってたら指摘してください)

    なお、これは猪木正道氏の『軍国日本の興亡』(中公新書 1995初版)
    からヒントを得て使った言葉です(猪木さんの言葉ではありません)

    【・・以上の事柄を自覚されていないこと。】
    このことは「大東亜戦争肯定論者」にとっても言えるのではないでしょうか。

    なお福地さんの『昭和の戦争』について私のHPへ意見(批判)を書くつもりで準備
    しています。(ここへは載せません)

    ソルベさん、
    「日本から見れば」がない、と言われますが、議論の仕方なのです。
    私は自分の考えの「すべて」を述べたのではなく、「反例」を示しただけなのです。
    皆さんがあまりにも「日本から見れば」に偏っている(と私は感じた)から、
    「外からも見るべきじゃないですか」と述べたのです。

  35. 永田町では靖国神社に祀られている「A級戦犯」を分祀するかどうかの話が続いています。私はA級だろうとB級・C級だろうと分祀に反対です。小林よしのり氏の「靖国論」などを読み、そんな考えを持つようになりました。ただ一方で、大東亜戦争について、責任を問われるべき者たちの責任が問われてこなかったとも感じます。大東亜戦争の敗戦原因として物量の差で負けたとよく言われてきましたが、私は兵站や情報を軽視したり戦略・戦術面が拙劣だったことが大きく、それ故多くの犠牲者を出したことは否めないと思います。そういう作戦を立案した陸海軍の高級軍人たちの責任は検証されるべきではないかと思うのですが、西尾先生、それは後知恵による批判でしょうか?

  36. 「分をわきまえなかった」という私の発言に異論続出のようだが、
    この言葉を使った書込みをもう一度見ていただきたい。

    日露戦争、第一次世界大戦を通じて日本は「一等国」になった、
    しかしそれに相応しくない行動を取った、
    そのことを「分をわきまえなかった」と述べたのである。

    もう少し追加すると、「国際連盟脱退」、「日独伊防共協定」はその典型だろう。
    「一等国」というのは他の国の模範にならなければならない、
    少なくとも、顰蹙を買うようなことをすべきではない
    ・・こういうことに反していた。

    戦争は悪である。
    「すべての戦争」を否定すること(絶対平和主義)ではない。
    多大の犠牲を強いる戦争は、可能な限り避けなければならない。
    支那事変、大東亜戦争開始に当たって戦争指導者は本当に回避の努力をしたのか。

    大東亜戦争肯定論には、こういう国民(他国民を含め)に対する思いやりの心が感じられない。

  37. 皆様始めまして。課長さんも不在とのことですので若干の交通整理を試みてみます。

    以後の議論の参考にしてもらえば幸いです。
    なお、この投稿は私の私見ですので、解釈の間違いなどがあれば、その都度、指摘や修正をしてください。
    >「分をわきまえなかった」、「欲を出しすぎた」
    これについては、vagabondさんから「分」や「欲」について説明されれば行き違いは避けられると思います。なぜなら
    てっくさんは6月30日の時点で
    >欧米列強の視点から見た場合には
    神戸人さんは
    >アメリカと強調せず日本の独占権に拘ったこと
    とvagabondさんにレスしていますから、まったく理解されないと言うことではなく、「分をわきまえなかった」、「欲を出しすぎた」の具体的内容をvagabondさんが明らかにされないことからくる議論の混乱だと思われます。

    また、「良いことは良い、悪いことは悪い」と言うvagabondさんの言葉についても、何が良くて何が悪いと言うことの説明がない以上上記と同じです。

    で、上のてっくさんのレスにみられるようにこのエントリでは「日本の視点から見た先の大戦」と言うことが前提になっていますから、その意味ではvagabondさんの指摘は当たっているかと思われます。それならそれで、日本の視点からのみによる立論の妥当性について堂々と議論を提起すればよいだけです。

    まとめますと、vagabondさんは理由や判断基準を示さずに結論だけを書き込んでいます。
    言い換えれば、理由及び判断基準を示さないことによって、その理由や判断基準はは無条件に正しいとvagabondさんは思っている。
    このことにより、
    1 vagabondさんは理由や判断基準が示されない
    2 このため、理由や判断基準に対する反論が不可能
    3 このことはvagabondさんは自身の理由や判断基準は正しいと言う証明をするまでもなく正しいと認識している
    4 すなわち、他者からの批判を拒否している(自己の無謬性)
    とvagabondさんの立論は解釈されていると言うことです。

    で、課長さんの言葉ですが、私は以下のように解釈しています。(課長さんへ、もし、間違いがあれば修正してください)
    1 「伝統を守る」と「新しいものを取り入れる」と言う両面があり両方のバランスをとるということは「保守」ではない

    2 バランスをとると言うことはその時点によって基準が変わる。つまり、基準や一貫性がなくその場の状況に流されるということを意味する。このような行動様式は欧米の行動も出るからすれば優柔不断、機会主義者とみられ、到底欧米から信用を得られるものではない

    3 「異なる部分を互いに尊重し、共通する部分を大切にする」と言うことばについては、私も課長さん以上に解説することはできません。

    4 vagabondさんは「分」、「同情」、「バランスをとる」という言葉をキーワードとして使用していますが、それは日本社会に適合的な概念であって、国際政治という欧米的な概念においては適用が極めて困難である。どうしても、そのような概念を使用したいのであれば、それらの概念を利用できるという証明(説明)が必須である。

    とりあえずこんなところでしょうか

  38. 翔霍さん
    ご意見ありがとうございます。

    はじめに・・・
    松井さんの仰ることが分からない、というのは次の書込みについてです。
     07/03 05:59 , 07/03 17:24 , 07/04 12:21 , 07/05 07:44
    神戸人さんにお願いしたのですが、あなたも説明していただければ幸いです。


    1 vagabondさんは理由や判断基準が示されない
    2 このため、理由や判断基準に対する反論が不可能
    3 このことはvagabondさんは自身の理由や判断基準は
    正しいと言う証明をするまでもなく正しいと認識している
    4 すなわち、他者からの批判を拒否している(自己の無謬性)
    とvagabondさんの立論は解釈されていると言うことです。

    私はここでの書き込みは「出来るだけ簡潔に」をモットーとしています。
    「判断基準」はなるべく書くようにしますが、例えば、
    「日本は満州における利権を独占しようとした。日露戦争でのアメリカとの関係から、
    これは分をわきまえない行動だった」と言っているわけで、
    判断基準は示したつもりです。

    皮肉な言い方ですが、「満州での日本の行動は正しかった」と深く信じている人
    には私の言い分は不可解に聞こえるでしょう。

    自分は絶対正しいだなんてそんなバカなことは毛頭考えておりません。
    どうぞ批判をしてください。
    可能な限り応答(返信)します。

  39. 色々な方にレスをいただきました、まずは感謝します。
    vagabondさん>
    結局質問に対して答えてくれないですね。次期の管理職者の研修会で講師として参加していましたので、返事が出来ませんでした。私は早く終わりましたので宴会に参加しないで帰宅しました。

    ほとんど他の方がお書きですが、結論から書くと「私の質問に答えてください」ですが、私の質問の背景には①仮に日本人が当時欲深であって(「仮に」という言葉はこの命題は説明する必要がありますという意味です)、②それに気づいたとして(これはその気づくメカニズムとそれが容易である理由をあげてほしいです)、③欲ふかをやめて米国とシナの利権を共同所有しましょうと提案したとします。④しかしそれを米国が飲んで大東亜戦争に至らなかったという必然の歴史を証明してほしいです。読めますか?私は極論をいうと「当時の日本人が欲ふかであってもかまわない、分をわきまえなくてもいい」のです。国際政治はそんな基準では動いていないからです。

    少なくとも私は教育面から善悪の判断を重視する教育から知識を重視する教育に変化したことが「欲ふか」になったとしてその理由の一端をなしているだろうと書きました。他にも可能性はあります。幾つかあるのですが、大正時代の軍縮と職業軍人や退役軍人の生活の実態やそれらの人に対する世間の蔑視経験は特にエリート職業軍人の精神に大きな影響を与えたでしょう。蔑視は人間を無規範にする効果は確かにあります。でもそれでも私は無規範の一種である「欲ふかであった」ということを証明できたなんて思いませんよ。そして仮に①から④を貴方の論説に腹からぴんとくるようなモデルを掲示できたら「欲ふか」については認めましょう。

    しかし④はどうやってもそういうモデルを立てることは出来ません。米国の公文書館にでも「日本が中国の利権を米国と共有したら戦争をしないですむ」という秘密文章かまたは米国がそれを日本の外交官に耳打ちしているという証拠でもあればいいのですけどね。

    ここまで書いていいかどうか迷いますが、貴方が論理を重視するなら論理の構造を研究されたことがあるでしょう。論理は大きく分けると二つ、演繹論理と帰納論理です。実際にはこの二つが混在したようなものもありますが。

    貴方がそれほど確信があるのなら演繹論理で証明してくれませんか。どうして演繹論理かというと演繹とは公理の必要十分条件を満たす命題を証明することです。帰納論理は仮に百万件の事実が存在しても百万1件目の反証があったら一挙に崩壊する危険性が常にあります。したがって正しいのはどっちが正しいかというと演繹論理なのです。具体的にいうと貴方が書いた次の論理ステップについて証明してくださいという意味です。下の④は私が付け加えた命題です。

    「①日本は満州に於ける利権を独占しようとした。②日露戦争でのアメリカとの関係でこれは分をわきまえない行動であった。③分をわきまえていれば違った結論が得られた。④その違った結論とはこれこれじかじかのことである」

    ②から④の命題を①を前提条件として演繹的に必要十分条件で証明してください。または別の前提条件があればそれを出発点にして①から④の命題を証明していただいてもかまいません。なお私にはそれは出来ません。でも貴方は確信があるのでしょ。ぜひ立派な論説を聞かせてください。③と④はまあいけるかもしれません。④の意味が「分をわきまえなかったら普遍的に必ず発生する事象」であることが証明できたら。

    個人的には色々ときになる点がありますが、三例をあげると①満州の利権の独占があったとして米国がホワイトフリートを出動させたのはその前である、②日露戦争は日本とロシヤの戦争ですよね。当時日本とロシヤの国力比較は大東亜戦争前の日本とロシヤの比較と同様に隔絶していますけど、何をもって日本は分をわきまえない行動と判断されたのでしょう。③大多数の米国国民は別にして米国政府はドイツと日本と戦争をしたがっていたという説との整合性。

    (以下半分余談と繰り返し)
    私は貴方の非常に強い確信がどこから来るか実に不思議でした。初めに考えたのは貴方は帰納的推論(事実の積み上げ型推論)を重ねてその結論を得たのかなと思っていました。しかしそうだとすると貴方の論説に事実の積み上げが何一つないので、そこに大きな矛盾を生じます。もう一つは実証主義では百万回事実があっても、一つの反証があったら崩壊する危険を孕んでいるという危機意識が貴方の投稿には見られないからです。てっくさんがどういう理由で私と同じ判断をしたのかは知りませんが、私もてっくさんと同様に貴方は絶対の真理を語っているという印象を私は受けています。

    実際の社会は言葉で表せるほど単純ではありません。私は事務処理計算のSEですが、コンピュータ言語という論理言語で表現すると弊社くらいの小規模の会社でさえ数百万ステップの論理が必要なのです。それでも万能の事務処理システムだなんて私は毛頭思っていません。

    もう一つのモデルは貴方が演繹的に考えている場合です。
    これなら貴方は社会的な風潮から「当時の日本は欲深すぎた、または分を知らなさしぎた」と考えてもおかしくはないです。だって日本文化の中には前に書いたように欲を抑制する文化が確かにあるからです。問題は無意識に日本文化を通して世界を見るなということに貴方が気づいているかどうか不安です。
    勿論貴方が演繹的思考で「当時の日本は欲深すぎた」を公理にして考えると、日本は欲深いからこそ米国のような詐欺師の集団に騙されて戦争に引き込まれたと考えているのか。米国と日本は基本的に同じだと公言されているのですから、それでは日本人は詐欺師の集団になってしまいます。日本は詐欺師の集団ならもっと上手に立ち回っていたのではないでしょうか。もっとも私はこういうバカ正直な世界が住みやすいから好きですけど。

    文化の違う集団が戦争を行う場合に判断の基準になるのは共通のルールです。それをあげると①国際法、②国益、③国家の主権、④条約、(⑤実力・情報力・国家の徳性)などでしょう。

    そういう意味では福地先生が日本は法を遵法したという言葉は国家間の戦争の判断を下すのに国際法の遵守を行っているということを論説していますからそれが事実かどうかは判断しませんが(日本文化論的にはほぼ正しいだろうなと思いますけど、なかには捕虜虐殺を指導しながら責任を現場の責任者に被せ死刑にして責任を逃げたエリート将校もいますから、断定しませんという意味です)論理的には正しいでしょう。そして①から④に関しては貴方がお書きの「欲張りすぎた」も「分をわきまえなかった」もおそらくルールとしてないでしょう。

  40. 松井さん、あなたは次のように書いています。

    ①仮に日本人が当時欲深であって
    ②それに気づいたとして
    ③欲ふかをやめて米国とシナの利権を共同所有しましょうと提案したとします。
    ④しかしそれを米国が飲んで大東亜戦争に至らなかった
    という必然の歴史を証明してほしいです。・・・国際政治はそんな(欲、分)基準では動いていないからです。

    私は「日本は満州で欲を出しすぎ、分をわきまえなかった。それが間違いの根本である」と書きました。

    断っておきますが、「欲、分⇒間違い」
    は「直線的に繋がる」と言っているのではありませんよ。

    このブログのどこかに書きましたが、満州事変から敗戦までにはいくつかの「節目」がありました。
    はじめのボタンの掛け違いを「修正」出来る場面がありました。
    たとえば近衛内閣で「蒋介石を相手(対手)にせず」は何ともまずい選択でした。
    しかし日本の指導者はいつも「戦争へ、戦争へ」と舵を切ってきたように思えます。

    さてあなたの言われることはこういうことでしょうか。

    簡単に「A(欲張り、分不相応)ならばB(間違い)である」
    に対して「Aでないならば、Bでない」
    ということを証明しなさい、ということでしょうか。

    仮定と結論の間にはいくつかの段階があり、そこでの選択肢が複数個あるわけです。
    つまり上記で
    「AならばBである」
    ではなく
    「Aならば・・・(いくつかの段階)・・・Bである」
    なのです。

    したがって「Aでないならば、Bでない」という証明は出来ません、というより、質問自体成り立つかどうか疑問です。

    「Aでないならば、Bでない」
    を証明できないから、「Aならば・・・(いくつかの段階)・・・Bである」は間違いである、とは言えません。

    単純な話です。
    どこかで間違えたけど途中で修正できたのにしなかった、ということです。

  41. vagabond氏と論争し、そして氏を説得しようと努力されている皆様。
     私は、九九(くく)を知らない子供に割り算を教えるような空しさを感じます。
     vagabond氏に、いくら具体的な批判や反論をしても、応えは同じ、最初の主張を繰り返すだけ。曰く
    ≪「日本は満州における利権を独占しようとした。日露戦争でのアメリカとの関係から、
    これは分をわきまえない行動だった」と言っているわけで、判断基準は示したつもりです。≫

     自分に都合の悪いこと、反論できない批判は無視し、反論めいたことを言うのは、自分の感情に障ったとき(例えば、「私がそんなに【面妖】ですか」など)、または感情的な非難か捨てぜりふ(例えば「敗戦直前の国民の苦しみに対する同情の念というものが全く感じられません」など)を吐くときです。

     私は、一番最初に、歴史に「IF」を持ち込むことに疑問を呈したのですが、そんなことは何処吹く風、ところが「論争」はもう「終わり」となったとたん、
    ≪歴史に「 if 」を持ち込んで研究する方法があるそうです。
    「もしあの時Aではなく、Bという選択をしていたら」
    という研究から「今」あるいは「将来」のより良い進路を考える参考になるです。≫
    などと、おっしゃる。

     私は、不覚にも誤解してしまったのですが
    ≪この手のお方(すなわちvagabond氏のこと――引用者)は、……一読もっともらしい書き方ですが、実に不可解な言い回しをします。要はこうした先の大戦を正しく検証しようとする掲示板への撹乱、工作、≫(銀一氏)
    という可能性は濃厚である、と感じています。≪真の日本人ではない≫とまでは言いませんが、ご本人はアメリカ軍の占領を肯定的に評価する立場であることを明らかにしているのですから、そのように思われても仕方がないかも知れません。

     この度は、vagabond氏の表明している立場を考慮して、その胸の内を忖度し、歴史の「IF」を描いてみたいと思います。

    [Ⅰ]歴史の「IF」その一
    ① そもそもの始まりは、ポーツマス条約の後、日本軍が満州から撤退しなかったこと。
     もし、撤退していたら、ロシア・清国に満鉄の権益が侵されてしまうのではないか。
     いや、それはアメリカに進出していただけば守れたのです。「満州の情勢がもっと複雑になったのでは?」。アメリカ様なら、難なく解決してくれますよ。
    ② ハリマンの申し出は、勿論受け容れるべきでしたよ。
     アメリカの協力を得れば、日本単独の場合よりもうまくいくに決まっているではありませんか。それに疑問を持つ人は、私の言うことを理解できない人です。
    ③ 第一次大戦中に二十一箇条の要求をするなど、とんでもない。
     アメリカと相談して協力してもらえば、解決してくれたでしょう。そうすれば排日・侮日運動なんか起こりえない。アメリカに対して、排米・侮米なんて起こりっこないですからね。
     以上①・②・③のようにしていれば、ワシントン会議・ロンドン会議でアメリカと対立する必要もありません。太平洋の制海権をアメリカと争うなんて、分不相応も甚だしい。アメリカが安心して大陸進出ができるように、太平洋の覇権はアメリカに譲り、日本は近海の守りに徹していれば安全だったのです。

     以上の結果、日本はアメリカの大陸覇権の後について、経済的に「応分の」配分を受けてハッピーだったはずです。
     
     これに対して、私は、アメリカが大陸で共産党・ソ連・コミンテルンとの戦いで、ベトナム戦争の大陸版のような敗北を喫する悪夢に現実味がある(この場合、日本も直接被害を受けて、「日本人民民主共和国」なるスターリン主義体制に墜ちる危険も意味しているのですが。)と書きましたが、無視を決め込んでいます。

     さらに重要なことは、この間、アメリカは支那に対して全く無知・無理解だったことです。ラルフ・タウンゼント『暗黒大陸・中国の真実』(芙蓉書房出版)によれば、アメリカは、戦後日本を上回る媚中外交を行っていたことが分かります。そんなアメリカが本当に頼りになったのですか? お答え頂く必要はありませんが。
     ただ、明確にしておくべきことは、前にも述べたとおり、アメリカが戦前の日本の立場を本当に理解し得たのは、冷戦が始まり、朝鮮戦争が起こってからです。(大東亜戦争で)死闘を演じた結果、勝者が敗者の立場を理解した、今日の日米同盟の根本はそこから出発しています。それを理解しろとは申しませんが、貴方の「親米」が「保守本流」の立場だ、などという認識だけは改めることをお勧めします。

    [Ⅱ]歴史の「IF」その二 
    さて、ここでアメリカの「善意」を当てにしない、別の「IF」を、しかし日本の大東亜戦争に於ける大きな誤りを避け得た、という「IF」を描いてみたい。

     「太平洋戦争」敗因の一つは、日本海軍の大鑑巨砲主義・艦隊決戦主義にあった。もし、そのような作戦が実行されなかったとしたら、……
     日本が、ハルノートを拒否し、米英支蘭(ABCD)等に宣戦布告した。そこまでは同じ。
    ① 南雲機動部隊は、単冠(ヒトカップ)で待機していたが、「ニイタカヤマノボレ」の指示は発せられなかった。(山本司令長官の急の変心。)
     その結果真珠湾攻撃は実行されず、「騙し討ち」を避け、米国民が一挙に対日戦争世論に傾くことを避け(要するにルーズベルトの術中に陥ることなく)、続くミッドウェー海戦も行わず、その大敗戦を避けたとする。その結果は、ハワイで米海軍に損害を与えることはできなかったが、益の方が遙かに大きい。
     以後、我が海軍は西太平洋の防衛に専心し、米艦隊との決戦を求めて南太平洋を遊弋する、などという作戦は一切行わなかったものとする。(アリューシャン列島に戦線を拡大することなく、またガダルカナル島の作戦も実施しなかった。)
    ② マレー半島からシンガポール攻略、フィリッピンの攻防と占領(マッカーサー逃亡)、パレンバンの奇襲をはじめとする蘭印(インドネシア)攻略(石油確保)、そして極め付はマレー沖海戦による英東洋艦隊の撃滅、ビルマ占領、これら初戦の勝利は実現したものとする。
     蘭印の保障占領で石油確保に止め、大東亜戦争回避、と言う考え方もあるが、ここは東亜開放の大義を主張したい。実際、我が国の占領した地域のすべての国が第二次大戦後独立し得たのは、日本軍が独立を約束し、また、現地で軍事訓練を施したことによる。
    ③ 仏領インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)は、当時フランスがナチスに降伏して同盟国側であったために占領しなかったが、遠慮せず占領しておくべきだったろう。そうすれば、ホーチミンを(共産主義者でなくすることはできなかったとしても)ソ連・コミンテルンから切り離し、民族主義の枠に囲い込めたかもしれない。それによって、後のベトナム戦争とそれに伴う悲劇を回避できたろう。
    ④ インパール作戦はインド攻略を目指したもので、その悲劇的結末にも拘わらず、同行した「インド国民軍」の兵士達は不平一つ言わなかったという。聞くも涙。
     しかし、この作戦は避けることができたろう。
     インド解放のためには、戦艦大和(または武蔵)を含む連合艦隊・機動部隊によって、「インド国民軍」兵士を運び、インド洋から攻撃すべきだったろう。日本軍がその気になれば、インド洋の制海権を相当長期にわたって日本のものにできたはずである。
     その結果、インド独立が即時に達成できたかどうかは分からないが、少なくともチャンドラボースを支援した日本の大義はより明白になったし、実際に後のインド独立の過程をより安定的なものにする効果はあり得たろう。
    ⑤ 南太平洋の戦争はどうなったであろうか。
     アメリカは、徐々に国内の戦意を高揚させ、進撃してきただろう。ミッドウェーの敗北がないのだから、昭和十七年中に南太平洋の制海権がアメリカに奪われることはなかったろう。しかし、特攻隊を含む、相当な死闘は避けられなかったかもしれない。現実の進行と決定的に違うところは、支那大陸、ことに関東軍の戦力を、太平洋戦争に転用することは基本的にないということである。
     昭和十八年頃であろうか、戦局が不利に傾き始める寸前、昭和天皇のご聖断を仰ぎ、対米講和を申し入れる。アメリカが受け容れるかどうか、ここは是非ともvagabond氏の力をお借りしたいところではある。
     当方の和平条件は、
     1)我が国占領地域諸国の独立を支持する。
     2)満州国の独立を承認する。
     3)蒋介石・王兆銘両政権の対等な合同を支持し、共産党との戦いを支援する。
     4)南樺太・北方四島を除く千島列島をアメリカへに割譲する。
     5)講和条約発効後、朝鮮及び台湾の独立を認める。
     6)同じく、蒋・王合同政権及び満州国に対する米国の軍事協定締結を認める。
    (日本軍の漸次撤兵・縮小を認める。)
     7)独立朝鮮・台湾についても前項と同じ。
     これらの条項が実現できるなら、カイロ宣言やヤルタ協定など、事実上無効である。
     これで、本土大空襲や原爆投下が避けられたかどうかは分からない。少なくともソ連の参戦・満州侵略は阻止し得たろう。(関東軍健在であったのだから。)
     アメリカとの戦争が長引けば、日本本土に対する「保障占領」まで認めなければならないかも知れない。その場合でも、ハーグ条約違反の諸行為は阻止できたろう。
     大陸は、共産軍の攻勢によって、満州国、北京の共産政権、南部の蒋・王政権と分割されたかも知れないが、今日の東アジアに比べてはるかに望ましい情勢であることは明らかであろう。

  42. 『私欲と公欲の区別のない議論は意味があるのだろうか』
    vagabobdさん>
    ご返事ありがとうございます。
    私も最後の返事にしましょう。前回質問に対する回答をしますが、他に何か質問があればそのときは答えますが。

    >さてあなたの言われることはこういうことでしょうか。

    >簡単に「A(欲張り、分不相応)ならばB(間違い)である」
    >に対して「Aでないならば、Bでない」
    >ということを証明しなさい、ということでしょうか。

    違います。少し私の意見を述べましょうか。

    まず貴方がお書きの命題に関して述べると

    では日本の政治指導機関が欲張り、分不相応であったという命題を考えて見ましょう。貴方が自明であると考えている命題の根拠を知りたいのです。その上でどうして日露戦争後に日本の政治指導機関が「欲張り、分不相応」に変身したのかを知りたいのです。

    日本人がもっている行動様式には「私欲や分不相応」を規制する文化があります。これを破壊するのは随分苦労します。実際に貴方はあんまり意識せずに「欲張り、分不相応」を使っているしか読めません。そしてそれは過去にあった「欲張り、分不相応」を否定する日本文化の反映を素直に見ていて、それを無意識に公理として使っているとしか思えないのです。

    しかしその理解は形骸化された伝承だと私には見えます。「欲張り」でも日本文化にある否定は「私欲」の否定だからです。その欲が「公欲」ならば「欲張り」であってもそんな否定はされません。

    文化破壊が大変な事例をあげましょうか。
    最近の一例をあげればホリエモン騒動でも村上ファンドでも日銀総裁の蓄財の批判でも法以外の部分で過去に築かれた文化と共鳴している部分が多いと私は考えています。それは上に立つ人間は私欲を抑制しないといけない(欲をすべて否定しろなんて文化は日本にはありません。問題は私欲の抑制をしなかったという意味です)ということと上に立つ人間はたとえ法律上の規制になくても桃李の下で冠を正さずであって欲しいという判断基準があります。
    これは幾ら小泉首相がホリエモンを支持しようと、多くの若者がホリモンに共感しようと実務をやっている人間なら日本文化にどっぷりはまっている限り文化がそのようになるメカニズムを持っているのだから(この説明はしません)、どっか一部分を修正すればいいということにはなりません。複雑な長い文化を持ったシステムというのはそうしたものです。それは結果的に日本文化を根幹から崩壊させない限り修正できません。ただ日本文化は非原理型でかつ柔軟な人間中心の世界ですから、状況に対応する能力は基本的に備えています。それは一方で長所なんでしょうけど。

    小泉首相を多くの国民が支持したのは破壊者田中真紀子と首相が日本の混迷を改革してくれると思い込んだからでしょう。

    改革には破壊が伴う場合がありますが、それは創造的破壊なら許されると私は考えています。創造的破壊とは過去の伝統から本質を抽出してそれに時代の条件にあった服装をさせることです。貴方が私が進歩を否定していると誤解しているのはこの点です。私は保守主義者としての立場で「温故知新」という意味で創造的破壊を是としています。そしてそれは小泉首相のいうような「痛みがあるのは当然」な改革にはなりえません。

    「痛みがある改革」とは例えば文化に違反する改革です。例えば日本へ民法が導入されたときにフランスの民法をそのままもってきたそうですが、しかしこの民法はすでに不文法として存在した江戸の庶民法や武士の封建法とも異質であり、実にいやなものだったでしょう。そして当時の学者はフランス型民法を否定した学者を旧弊な人間としてレッテル付けをして終わっています。

    さて本題に戻って仮に貴方の論説が公欲の否定だとしましょう。

    そうだとすると国家の主権や国益や国際法や条約の否定につながらざるを得ません。もしかすると現代の日本以外のどの国も「自国の国益ファースト」をしているわけで、それは貴方が信頼する米国でも同じです。そうだとすると日本は国際政治では常に相手に譲歩して相手のいいなりにならざるを得ない国家といえない国家になります。これは現在の日本を説明するのにいいモデルだと私は思います。背景にある欲の否定を公欲の否定と考えれば国家の構成員が日本は国益の否定、国家の主権の否定を行うのはおかしくはないでしょう。なお余談ですが八木先生が朝日新聞にも納得できる歴史教科書を作るとアエラにかいていると聞きましたが、その朝日新聞の論説の流儀はおそらく戦前から戦後のGHQ支配で得たノウハウから日本人を規制する形骸化された考え方(これは本来のものと違います)を種に使って国家の主権否定をしているわけですね。

    これは別にわずか7年間のGHQの教育洗脳活動だけでなく日本文化論的に考えても発生しうるモデルだと私は思いますが。

    余談ながら今回の北朝鮮のミサイル発射でも防衛庁の中には日本が攻撃されたときに米国が助けてくれるのだろうかという疑問があると新聞に載っていましたが、国益ファーストの基準から考えれば米国は日米安保条約に対する日本側の理解に反する行動を国益に反するという理由で日本の防衛をしてくれないかもしれないと防衛庁の幹部が心配するのももっともなことです。

  43. 東埼玉人様 銀一です^^歴史の「IF」の考察、有り難うございました。
    大変勉強になりました。益々、自虐史観から解放され胸が晴れる思いです。

    戦後教育を受け、自虐史観に囚われていた私が年令とともに社会経験を積んで来た時
    社会の矛盾に突き当たってしまう・・・それは何故?なんで?といった疑問や義憤が
    起きてくる訳です。3人の子供を育てながら、父親として、やがて彼らもそうした
    矛盾や義憤を感じることになった時、父親として適格な答えを与えたい。

    私事で恐縮ですが私は父を早く亡くしたので、父親というものを知らず、何事も
    自ら判断、決断しなければなりませんでした。社会が父だと、目上の人には機会ある
    ごとに男としての人生観や処世訓などを教えてもらいました。追い込まれた時、幸い
    戦中派の尊敬する伯父がいたので疑問に答えてもらえたり力になってくれました。
    ・・・幸せだと思います。
    また私の疑問や義憤を解き明かす書籍を読み漁るようになりました。
    そうした講演会、そうした運動へ磁石に吸い寄せられるように関わりました。
    夫として父親としてブレない男になりたかったのです。幸い先祖が与えてくれた
    家屋敷もあり愛する妻と何とか維持管理しながら子供達も皆、成人しました。

    私らの時代は敗戦後の復興、経済成長と共に生きて来て、物心ついた昭和30年代
    まだまだ、現金収入の少ない貧しい生活で豊かな社会、憧れのアメリカ人みたいな
    暮しを夢見た訳です。中学生の頃、明治生れの祖父が言いました、「そんなポンチ絵
    (赤胴鈴之助、月光仮面)なんかを描いてないで公務員になるとか銀行員に成るなら
    大学へゆく費用を出すぞ。」その時の私には理解出来ず、鉄腕アトムや怪傑ハリマオを
    描く漫画家みたいに有名になって金持ちになりたい・・・自分の才能を生かして飯が
    喰えれば・・・田舎の少年は都会でのサクセスをいつしか夢見る訳です。
    お蔭かどうか大学は行かなかったので右翼だ左翼だのマルクス、階級闘争などという
    言葉も大江健三郎も知らず、ひたすら、恋を求めサクセスを夢見て来ました。
    日本の経済成長の中で・・・
    30代40代、憧れのアメリカへも何度か行きました。摩天楼のNY、ワシントンのア−
    リントン墓地、ケネディ大統領の「国家に何かを求めるのではなく国家に何が・・・」も
    この目で確かめました。憧れのスターが、カッコいい街並が私を魅了します。
    しかし、良く観るとホームレスが物乞いが様々な人種が鬩ぎあって生きている。
    リムジンのリッチマンもいれば、プアマンもいる・・・黒人に生まれようが
    何人に生まれようが結局は本人の生き方、自身の心根でしかない。心底そう思いました。
    ただ、海外でいつも頼り無く感じるのはツアー同行の邦人の節操のない姿でした。
    帰路のジェットで中年夫婦の旦那さんが「あんなアメリカと戦争したら負ける訳だ、
    もし、日本が勝っていたら、ぞっとする・・」と奥さんに漏らす声が耳に入ってきました。
    自虐史観なんていう言葉もなかった時代ですが何か言い様のない虚しさを感じたものです。

    私はご覧のように学者でも、知識人でもなく、ただ一個の日本人です。
    隣国から蔑まされたり、脅かされたり、むしり取られたり理不尽なことをされない
    強い意志を持った日本人が増えて欲しいと思います。その為にも正しい日本人としての
    誇りを持つべく正しい歴史観をわきまえたいと思います。

    前出の祖父の「公務員になるとか銀行員になるなら・・・」という話ですが社会へ出て
    みると、安定した収入を得る為には祖父の言う通りだったと思ったこともありますが
    「公務員や銀行員は国家の公僕であり経済の基幹を成す仕事だから・・・」と今は
    解釈し亡き祖父に心から感謝している次第です。
    難しい解釈議論など出来る器ではありませんが長々と私見を書いてしまい本項目には
    場違いかも知れませんが御容赦下さい。
    この国の行く末が楽しみになりました、生きる勇気が湧いてきます。
    これからも宜敷くお願い致します。

    松井康雄様はじめ国を憂れう心ある方々にも厚く御礼申し上げます。

    ●ここも勉強になりました↓
    http://www.k5.dion.ne.jp/%7Ehirokuri/genkou1.html

  44. 東埼玉人さん、
    逆に質問します。

    「 if 」というのは
    「もし、Aをしていたら(していなかったら)、結果はBであった(なかった)であろう。
    従ってAは相応しかった(相応しくなかった)」
    という仮想思考で歴史事実の「評価」を下す、研究方法だと思います。

    ここで質問です。
    あなたは if を持ち込んではいけない、と言われます。では、
    「日本の満州における選択は現実に起こったようなことしかなかった」
    ということになるのですか。

    そうすれば、アメリカの占領政策はアメリカからすれば「あれしか選択肢はなかった」
    ということになりますね。

    それとも、日本は日本に都合の良いように評価し、
    アメリカの政策が都合が悪かったら、「悪い」と評価すべきだ、というのでしょうか。
    あなたは「立つ位置」ということを書いています。

    松井さん、

    回りくどい言い方で理解するのに苦労するのですが、要するに
    「欲というのは個人(私)のことであり、公的な欲という概念はない。
    しいて言えば国益のことである」
    ということでしょうか。

    だから私の言う「欲を出しすぎ」というのは「国益を犠牲にせよ」ということになる・・・。

    ・・こういう理屈はあまり聞いたことがないので、念のため確認します。

  45. 『昭和の戦争について 十』に、
    福地さんのエッセィに関する私の見解をかきました。
    よろしければお読みください。

  46. 銀一さんは良き夫、良きお父さんであられるのでしょう。
    文面から察することができます。
    私は日本人は本当に優秀な民族だと思っています。(そのうちいい例を探しておきます)
    この日録に集う方々がおられる限り日本は大丈夫でしょう。確信しています。

    自虐史観、撲滅条件(これは夫も大賛成)
    その①:夫婦が仲良いこと 喧嘩はたまに派手にやるべし。
    その②:夫婦が祖父母を敬うこと。
    その③:子供に何があってもお前を守ってやると言うこと。
    ことある毎に抱きしめてやる。

    いまからでも遅くはない、①②③どこからでも始めればいい。
    特に③は子供の精神の安定に良い。両親を尊敬し、大好きになる。
    仏にいますが、振り返ってみたら、息子は日本男児になっていた。
    もし戦争が起こっても息子は自分の奥さん・子供のために戦争に行くことを厭わないでしょう。(まだ独身ですが)そんな風に育てました(育っていたというべきか)
    昔、カンボジアのNPOボランティアでなくなった中田青年のことを無駄死にだと言った青年がいた。こんな風に育ってしまった青年は気の毒だ。人の生命の、人生の、何たるかを感じる感性が育っていない人間です。薄っぺらで淋しい人生しか送れないでしょう。娘を持っていたらこんな青年には嫁にやらない。

    私は日本の若者が世界中の女の子からモテテ欲しい。
    モテル条件
    その①:堂々としていること。歩く姿も胸を張って堂々と。(自虐 史観の男は振り向いてももらえない)
    その②:ちょっと髭でも(無精ひげでもいい)のばして、フェロモンを演出する。
    その③:気が利いて、やさしい事。(気を利かせることは日本の男の子には苦手なことかも。 親がこうしたら女の子が喜ぶよと教えること。仏では耳にするよ。)

    小さい時から卑屈にならないように自信を持たせること。
    アジア人の息子が小さい時、顔のことを言われた。目が釣りあがっているとか平板な顔(要するに鼻が低い)とか。日本人は横目をした時に両目で見える範囲が君たちよりあるのだ(鼻が低い分)と,
    道理に合わないことだったが息子の友だちに自慢してやった。息子は満足。母ちゃんが味方してくれたと。親子の関係一丁出来上がり。

    男と女が作る家庭。心にないことでも言っていると本当になることってこの世の中に沢山あるでしょう。特に子供の前で男は女を女は男を褒めたらいい。子供がまともに育ちます。将来こんな人間が一杯いる日本は世界中でますます優秀な民族と羨ましがられるに違いない。家庭の崩壊といわれて久しい。取り戻しましょう。羨ましがられる家庭を。
    本居宣長のいう「やまとだましひ」、もともと日本人が持っていた「やまとだましひ」の日本国再生を。戦争に行かなかった私たちの使命です。

  47. vagabondさん>

    >松井さん、

    >回りくどい言い方で理解するのに苦労するのですが、要するに
    >「欲というのは個人(私)のことであり、公的な欲という概念はない。
    >しいて言えば国益のことである」
    >ということでしょうか。

    >だから私の言う「欲を出しすぎ」というのは「国益を犠牲にせよ」ということになる・・・。

    そういう理解をしていただいてもかまいません。貴方の論説を考えてみるとそうならざるを得ません。

    具体的に述べると以下の通りです。読んでいただければわかりますが、貴方の理解は私の論説の一部でしかありませんけどね。

    ①私欲と公欲をごっちゃにしている。
    まず貴方は私欲と公欲をごっちゃにしているのです。私欲が問題だとしたらそのように貴方は書いていたはずです。または私欲が発揮されたという証拠を出来たら一次資料を探して書いていたはずです。少なくとも私ならそうしています。
    以下は日本文化論的にはそんないい加減な話はないという証拠として書いています。

    私が引用した鈴木正三(徳川の武将で禅宗の坊主になった日本人)も私欲は否定していますが、百姓が「農作業がいそがしすぎて仏事をやっている時間が取れない、そんな私でも彼岸へ行くことが出来るのだろうか」(この百姓も彼岸に行きたいという欲があるわけです)と質問されたら「仕事をすることは世のためになるからやっているのだから、ひと鍬、ひと鍬、丹精を込めて畑を耕せばそれはそのまま念仏を唱えるのと同じである。その行為は仏心に適う」と答えています。すなわち「世のために働くことは仏心に適う」と明確にして公的な欲の否定はしていません。
    これが時代を経て江戸中期の石田梅岩になると経済合理性(勿論当時は経済合理性という言葉はありませんから意訳していますが)の重視(これは公的な商人の機能を考えれば得られたもののようです。従って全面的な私欲の肯定ではありません。併せて勤勉、無駄の排除、正直も含んだものです)とそこで生じる利益の肯定を行っています。
    日本は明治以降、資本主義国家として動きました。従って江戸時代に作られた日本の資本主義の精神には私欲への批判はあっても公的な欲への批判はありません。余談ですが、もっとも私欲の全面否定までいってしまうと「日本は資本主義国家なの。まるで社会主義国家のようだ」になってしまいますが(実際に日本における資本主義の精神は文化を反映した社会主義国家的な要素が幾らでもあるわけです)。日本人が社会主義やマルクス主義に強く引かれたのももっともだと思いますよ。

    ②貴方の論説は空気で発生しているにおいがある
    二つ目に気になったのは「欲」という言葉はすべての人間の行動に付随します。仮に医者が患者を治療したいと心の底から素直に望んだとしても、その底辺には治したいという「欲」があること私は否定しません。「欲望」という言葉を辞書でひくと「不足を感じてこれを満たそうと強く望むこと。また、その心。「―にかられる」と書いてありますから、おそらくすべての人間の行動の背景には「欲」があるのでしょう。
    ごく一般論で言うと欲そのものは否定されるだけのものじゃありません。貴方のお好きな進歩の根底には動機や関心があると私は考えますが、その動機には「不足を感じてこれを満たそうと強く望むこと」がありますから、単純に欲を否定するだけじゃ問題は解決しません。実際に江戸時代の鈴木正三も石田梅岩も悩んだ末に貴方のような単純な「欲」の否定はしていません。
    少し一歩下がって考えてみればすぐに気づくと思いますが、「欲にかられる」でも「分をわきまえない」でも同じですが、「欲」の場合は「不足を感じてこれを満たそうと強く望むこと」とありますから、ある基準があってそれに対して不足を感じてどこまで満たそうと強く望んだのかは具体性がないといけません。また「分をわきまえない」でもこの言葉はある基準が存在してその基準から比較して分をわきまえないという話になるはずです。しかし貴方の論説には基準になるものはひとつもありません。数量化してくれとはいいません。しかし言葉で表現できることはあるはずです。
    私の経験から考えるとこういうパターンの論説は世間の空気を基にした論説が多いのです。空気を発見しただけであって、根拠がないのです。自発的に発見したと思ったらその証拠や根拠を私なら探すでしょう。その空気の成立の背景に日本文化論から演繹されるメカニズムがありますが、それを説明するのは今回止めておきます。

    ③国家間の争いという観点が抜けている
    三つ目の気になることは戦争は国家間の争いです。その主原因は色々とあるでしょう。おそらく幾ら西洋が進歩しようと中華が進歩しようとその文化の中には繰り返された戦争を起こす原因があるはずです。しかしそれでも戦争の存在を是として共通の規範(ルール)を作ろうという努力を人類はしてきました。
    このルールの一例は国際法です。国際法は列強の都合で作られた面がありますから、また平気で米国も含めた列強は国際法を破って新しいルールを作りますからある意味でいい加減です。
    しかしルールがおかしくても日本は国際法をどのよりも遵守してきたという論説は欲があろうとなかろうと、分をわけまえようとそうでなかろうと関係なく成立する命題です。
    ルールとは精神でなく手続きですから真珠湾攻撃でも手続き上実に具合の悪いミスを外務省は行いましたが、米国は南米における戦争で宣戦布告なしで戦争を開始しているので無法者の米国にとやかく言われる筋はありませんけどね。
    国際法は手続きですから精神は関係ないと書きましたが、したがって欲があるとか分をわきまえないという基準は国際間の基準の対象ではありません。欲があってそれで国際法に違反する行動を取った場合、やったことを批判されることはあるでしょうけど。しかし貴方の論説はそんな意識はまるでないでしょ。貴方のように範囲・条件、意味の限定していない「欲」の否定をしたら資本主義の否定どころか国益だとか国家の主権なんか霧散してしまいます。

    >・・こういう理屈はあまり聞いたことがないので、念のため確認します。

    私は異端者です。GHQへ責任をもってくる論説がほとんどの中で私は違うのです。
    GHQの洗脳教育の存在を否定しませんし、それに協力した多くの日本人知識人の存在も否定しません。しかしこれだけおかしくなったのはどっか日本文化論的な要因が存在するだろうと私は考えています。それは初めに申し上げたとおりです。

    余談です。

    あるときGHQに協力した知識人が「それは生きてゆくために仕方が無かった」という論説を読んだことがありますが、それじゃ特攻隊で死んでいった兵士に何と答えるのですかといいたいです。または劣悪な環境で部下を死なさないように努力した指揮官に何と答えるのでしょう。おそらくこういう人間を中国じゃ小人と呼ぶのでしょう。状況にあわせて論説を変える人間ですな。そういう人間の存在に共産中国は気づいているのでしょう。それら小人や朝日新聞や毎日新聞を目当てに中国は攻撃を繰りかえしているのでしょう。自虐は日本文化論的に見てもありうる現象ですが、これは日本人自身が自分を律している本来のものが何かを気づけば是正できますが、小人はどうしようもないでしょう。

  48. どこまでも拡散していく議論に参加するつもりはないので、ほとんど個人的なメッセージになるんですが・・・

    佐伯啓思先生の論文を転載しただけのエントリ書きました
    単に読んで欲しかっただけです

    見失われた「この国の価値」を求めて

    彼我の価値の相対化ができてない人以外には、感じてもらえるところがあると思います
     

  49. 松井さん、

    単純なことを記述するのに、なぜあんなに回りくどいのでしょうか。

    理解に努めましたが、どうやら「国益に出しすぎという概念はない」ということらしい。
    「小人」といわれようと、そんな議論に付け合うのはやめておきます。

    私にとってそんなに関心があるわけでも、また重要とも思いません。 so what です。

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