ハンス・ホルバインとわたしの四十年(四)

 ほゞ40年前の文章を本の中から取り出してこうして一区切りごとに丁寧に読むと、まるで自分の文章でないような気がしてくる。

 「ひとびとはあらずもがなの無用の言論に取り巻かれて、自分を瞞すために思想をあみ出し、不安から目をそらすために理論をこねあげる」といった一文などは紛れも無く私の文章で、振り返ってみると私は四十年にわたり「あらずもがなの無用の言論」をずっと相手に「黙れ」「沈黙せよ」と叫び続けてきたようにも思える。

 キリストの遺骸の絵について私はいま語るべき新たな言葉もない。たゞインターネットで大きな画像を読者にお届けできる時代になったことが不思議でならない。

 私の本にはこの絵の挿絵は載っていない。また仮りに載っていても小さなモノクロ写真ではイメージを喚起できまい。もっぱら私は文章だけで衝撃を伝えようとしていた。文字は無力である。あらためてそう思う。

 私は格別にホルバインの研究をしてきたわけではなく、彼について知る処は少ない。たゞ私の処女作がこの絵を取り上げ、さらに私がいま出版を前に原稿の整理に入っている『江戸のダイナミズム』がロッテルダムのエラスムスを取り上げていて、ホルバインはエラスムスと縁が深いのである。

 スイスのバーゼルからの友の手紙で本稿は始まった。バーゼルは19世紀の精神史でいうとブルクハルトとニーチェの名がまず出てくるが、ルネサンス期の16世紀の精神史でいうと人文主義者ロッテルダムのエラスムスの名が大きいのである。エラスムスはこの町で幾つもの重要な事跡を残している。逗留した家も残っている。

 『痴愚神礼讃』を書いている。聖書のギリシア語原典の復元を試みている。意志の自由をめぐってルターと論争している。『痴愚神礼讃』の挿絵を描いたのがホルバインであった。また、彼は一枚のよく知られたエラスムスの肖像画――後でこれはお見せする――を残している。

 『痴愚神礼讃』は軽妙洒脱な本である。人間を生殖へと追い立てていく「痴愚神」、人間を戦争に駆り立てる「痴愚神」――いわば人間の狂乱と無思慮に対する痛烈な風刺の書といってよいだろう。どことなくからかい口調であれこれ人間の愚行について例をあげてさんざん言いたい放題。自由に語りかけるおどけた調子もあれば、危険思想ととられかねない激しさを秘めた苛烈な言葉も垣間みられる。若いころ私はすべての人間をバカ呼ばわりするエラスムスのものの言いように多少とも反感を覚え、この人の立脚点は何処にあるのかと怪しんだものだった。

 これに比べルターの『奴隷意志論』は厳粛そのものに見えた。人間の意志には自由はない。神の全能と全知に対し、人の意志の不自由を対比させ、人は罪のうちにあるがゆえに、善を行うことにおいてまったく無能力である。これを救うのはたゞ神の恩寵の独占的な働きのほかにはない。・・・・・・・・

 ルターとエラスムスとの自由意志をめぐる論争は学生時代に私がある友人とたびたび交わした論点の一つであった。互いにまだ知識もなく、わけもなく真摯に考えるべき人生の最大の難問の一つと思えていて、熱心に論じ合ったものだった。その友人はルターの研究家になった。ハイデルベルクに留学した。私はいつの間にかルターも、エラスムスも忘れてしまった。

つづく

「ハンス・ホルバインとわたしの四十年(四)」への2件のフィードバック

  1. ホルバインのタッチは何かリアリティとは違うもうひとつの気高さを感じる。
    他の宗教画はどちらかというとでっぷりと下半身の太さを表現し、四等身から五等身でまとめ上げるものが目につくが、ホルバインの画は余計なデコを排除し、真実の追究にこだわる印象がありながら、何故か感情の高まりを物凄い勢いで呼び起こす所に、最大の個性を感じる。
    そしてその描写を限りなく幾何学的に空想し、感情の温和な世界を意識して表現すると、もしかしてクレーの世界が見えて来るのかなと思ったりもする。
    あまりにも強烈な描写が展開するホルバインの画の背景には、その画から得る印章の反動を期待しているかのように思うのは考え過ぎなのだろうか。
    いずれにせよ、あまりに強烈な画を前にして、しばし立ち尽くしてしまう感情が当然のように沸き起こるのは間違いない。
    私たちは外科医のような度胸を皆が等しくは持ち得ない。がしかし、本来人間はかなりな点で残酷な現実を涼しげな顔をして見過ごせる非情さも隠し持っているのだろう。
    様々な現状が渦巻く中、その非情を堪えず使い分ける人間の残酷さは、この画が何よりも物語っていると言えるのかもしれない。

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