北朝鮮核問題(三)

――安倍政権は重点主義を――

 今日掲げるのはVoice10月号(9月10日発売)の拙稿「まずは九条問題の解決から」の全文である。

 自民党総裁選より前に次期総理は決まっていたという前提で、Voice誌が特集「安倍総理の日本」を組んだ。それへの短文の寄稿である。私は憲法改正について何か書けといわれたので応じた文章である。

 最近、海上の「臨検」をめぐって日本側の法の不備が指摘されている。またその調整が急がれているが、憲法の制約が障害の根本原因であることはみな承知している。

 13日シェーファー駐日大使が「日本の憲法上の制約をわれわれはよく理解している。臨検など、日本ができる範囲のことでわれわれに伝えればいい」というような発言をして、日本側を慰撫している。

 いかにも「親心」に見えるが、こういう温情を示され、それが当り前になって、この侭でいいのだとなることは、日本にとって危うい。日本をいつまでも仮睡状態にしておきたいのがアメリカ人の本音である。

 以下の文は今の時点での緊急提言になると思われるので、ここに掲載する。

 安倍総理には男系が維持できる皇室典範の改訂と、ここにこれから掲示する一点のポイントの憲法改正を実行して下されば、正直、他は何もしなくても良いとさえ考えている。岸信介氏の政権も60年安保改訂だけを実行した短命内閣だった。

 慾張って多くをしようと思わないで欲しい。ひたすら重点主義で行ってもらいたい。

日米安保体制はフィクション

 北朝鮮の七連発のミサイル発射は深刻な挑発でないはずはないが、あのとき私は目の前に薄い膜がかかって、なぜか白昼夢を見ている趣であった。不安が習慣化しているからである。1920年代に『日米もし戦わば』というような本が流行した。いつしか言葉は現実を引き寄せた。同じように七連発のミサイルもまだ相手が遊んでいるような、夢のなかの出来事のように思えているのだが、こんなことを繰り返しているときっといつしか現実になる。

 スカッド、ノドン、テポドンの行列は、次回は南に下ろして日本列島に一段と近づけるように威嚇するだろう。失敗したテポドンがハワイを射程内に入れていると知って米国は初めて本気になった。ハワイでは核攻撃を想定した防空訓練さえした。ノドンはとうの昔に日本列島を核の射程内に入れているが、日本国民は運命論者である。

 米国は日本列島を「マジノ線」のような自国の防衛最前線と見ているので、最初の着弾があって日本の都市の一つや二つが吹っ飛んだあとでなければ自ら攻撃はすまい。否、そういう場面になっても、テポドンがハワイやアラスカや西海岸に核弾頭を撃ち込める可能性を実験で証明した暁には、日本を見殺しにする可能性が十分にある。少なくともその段階になれば、一発のノドンの威嚇発射がなくても、日本は北の政治的影響下に置かれる。平和勢力が金正日礼賛に走り、日本の「韓国化」が始まるだろう。

 七発発射の直後に、外務大臣と防衛庁長官はミサイル基地への先制攻撃の可能性を憲法の許す範囲で検討すべきだと重い口を開いた。あの不安な瞬間にみんなそうだと思った。地対地ミサイルや長距離戦略爆撃機を具える準備態勢を急がなくてはいけない。なにも日本がすぐ攻撃するという話じゃあない。用意するだけである。いざとなったら先手を打って攻撃できなければ、防衛なんかできっこない。MD(ミサイル・ディフェンス)なんていってみても、95パーセント防衛できても5パーセント漏らしたら、全国が焦土になるのである。核武装を急ぐ国が増えているのはMDへの不信の証明であり、大国の核の傘への信用度も落ちている証拠である。

 加えて北朝鮮は半島南部のほぼ中央に大型ミサイル基地の建設を始めた。米大陸に届くテポドン開発を明らかに急いでいる。日米安保体制がフィクションとなる――もうすでになっていると思うが――ことが誰の目にも明々白々となる日が近づいている。

 歴史を振り返れば、日清・日露の戦争から日韓併合まで、朝鮮半島の情勢に欧米諸国は無関心であった。バルカン半島や中東には目の色を変えるのに、朝鮮半島で何が起きても彼らは興味を示さない。結局、日本が自分自身で解決しなければならなかった。いまでもその情勢は変わっていない。日本が自らの安全保障の必要から何とかしなければならない地域だ。いまどういう政策があるかは別として、地政学上のわが国の宿命的課題といってよいのかもしれない。

 ミサイル基地への先制攻撃の可能性に初めて言及した二大臣のせっかくの発言も、例によって首相の制止でサッと引っ込められてしまい、国連外交の場に移され、周知のとおり安保理決議に終わった。それで問題が終わったわけではない。日本の不安の解消は先延ばしにされただけである。しかるに、マスコミの空気をみていると、ああこれで良かった、肩の荷が下りた、といういつもの安堵の空気、何事もなかった無風状態に戻っている。ところが、『夕刊フジ』8月6日号は突然「日朝戦争シナリオ、日本人一億人死亡、列島地獄」という悪夢の記事、防衛アナリストの戦慄シミュレーションを掲げた。国民の心の奥に不安が重く居座ってきる証拠といってよい。

全面的改正は困難

 いたずらに騒ぎ立てるのは良くないと人はいうかもしれないが、日本の政治的知性の低さ、能天気ぶりを見ていると、問題の先送りはいつか来る破局を大きくするだけである。平時に危機を忘れない、は防衛の要諦であり、わが国の場合、冷戦を戦争として戦ってこなかったせいもあって、すべての用意があまりに遅すぎる。むろん、憲法が障害要因となってきたことはあらためていうまでもない。

 吉田内閣時代に改正しておけばよかった九条問題が未解決のままここに来て、厄介な問題が新たに発生している。すべて遅すぎたせいである。かつて自民党は自主憲法制定を党綱領に掲げた。いま自民党は憲法改正を目前のプログラムとしはじめているかにみえるが、全面的改正には幾多の困難が予想される。

 改憲はいいが、新しい権利を盛り込め、たとえば環境権だの、知る権利だの、プライヴァシー権だの、フェミニズムの権利だのの新設がさながら改憲の目的であるかのごとく論じ立てる人が現にいる。改正案には地方自治の考え方が不徹底だとか、行政の介入範囲が広く経済活動の自由が明確でないとか、そうした声が改正にこと借りて唱えられ、百家争鳴の観を呈し、いたずらに時間を要し、肝心の九条問題が棚ざらしにされるであろう。

 九条問題自体もまた国際政治の変化で厄介極まりない。米軍再編計画に示されているアメリカ軍のスリム化は、自衛隊をアメリカ軍の下に編入する可能性を探っているようにみえるし、アメリカが対テロ戦争を戦ううえで日本から一定の軍事協力を得る目的が、近年の憲法改正問題と切り離せないようにみえるとの声も一段と高まるだろう。はたして自主憲法改正といえるのか、との批判にどう抵抗できるのか。

 しかし自衛隊が正規の軍となり、自分の判断で先制攻撃をも決定できる独立性を一日も早く確立しなくてはならないのも、また焦眉の急である。わが国は苦悩の多い判断を迫られている。そこでよくいわれる提案だが、戦争放棄条項はそのままにして、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めた第二項、日本を縛ってきたこの矛盾極まりない項目だけを削除する提案を、憲法改正案の差し当たり全提案とする。これを北朝鮮情勢に不安を抱く国民の前に差し出し、投票に掛けることは、国民の合理的判断に訴えやすく、短時日にして理解を得られる可能性に道を拓くのではないだろうか。

「北朝鮮核問題(三)」への5件のフィードバック

  1. 難しいことはわからないが、戒厳令をしいても、核武装を急ぐべきだと思いました。

  2. 目前に迫り来る脅威に対して、目をつぶり頭を隠す行動を取る者は、ダチョウと日本人だそうだ。
    ダチョウの平和は、酔漢や暴漢を見てみない振りをする電車のおとなしい日本人乗客の行動に端的に示されている。
    電車ホームに転がり落ちた酔客を命がけで救おうと自ら飛び降りたのは韓国青年であった。
    偽善者と呼ばれいじめにあった哀れな日本人少年の末路は自死でしかなかったのか。
    武士道は廃れるにまかせ、他力本願の憲法を後生大事に抱き続ける国民の末路が目に浮かんでくる。

  3. 経済一番で形振り構わず走ってきたが、気が付いたら、国ごと乗っ取られていたオバカな国・・・と、世界の笑い者にならない為の方策は何か。これからは、中国、韓国、北鮮、ロシア等との国際紛争が生じた時は、間髪をいれずに、憲法改正、情報機関の創設、核武装・・・等の戦略を実行できる内閣が必要だ。 安部総理、非常事態である、戒厳令を発令して即実行を求む。

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