日本人の自尊心の試練の物語 (一)

新・地球日本史」という歴史ものの連載が「明治中期から第二次世界大戦まで」の副題をつけて、いま「産経」文化面に連載中である。毎週一人が担当する。すでに西尾幹二、八木秀次氏、加地伸行氏、田中英道氏、鳥海靖氏の五人が登場し、各担当分を完了している。今は弁護士の高池勝彦氏が「大津事件―政治からの司法の独立」を掲載中である。

 このあと福地惇「日本の大陸政策は正攻法だった」、北村稔「日清戦争―中華秩序の破壊」、平間洋一「日露戦争―西洋中心史観の破壊」、三浦朱門「明治大帝の世界史的位置」、入江隆則「日清日露の戦後に日本が直面したもの」、田久保忠衛「ボーア戦争と日英同盟」・・・・・・という具合につづく。

 私は全体の総論を書く必要があるので、明治を離れ、あえて「新・地球日本史」の中心部分ともなる1930年~45年の頃のテーマ、及び現代のわれわれのそれへの意識を語った。題して「日本人の自尊心の試練の物語」である。新聞でお読みいただいた方も多いと思うが、ここに再録させていたゞく。

====================

――歴史に学んで自己を改められるか――

 先の大戦で日本が中国大陸にさながら泥沼に入りこむように深入りして、抜け出そうにも出られなかった状況について、われわれはここ半世紀、「あれは失敗だった」「ああせずに、こうしておけば良かった」「日本人は道を誤った」と反省と悔悟の声を上げることしきりであった。

 勿論、日本は近隣国とは干戈(かんか)を交えないほうが良かったに違いない。地球の裏側に回って戦争をしかけたり植民地を作ったりすることが日常茶飯事であったのが20世紀の前半までの世界だった。日本はその仲間入りはしなかったし、できなかった。それならいっそのことどことも戦争をしなければ良かった。否、欧米とは戦っても、中国とだけは戦わなければ良かった。そう考える人が今の日本にはことのほか多い。

 自分の過去の失敗や踏み外しを反省することはもとより悪いことではない。けれども反省したからといって現在の自分がほんの少しでも利口になったといえるのかどうかは、まったく次元を異にする別の問題である。歴史に学んで自己を改めるとか同じ歴史の過ちを二度と繰り返さないとか、よく人はそういう言葉を簡単に口にするが、人間は過去において失敗や過ちを犯すつもりで生きてきたわけではない。成功と正しさを信じて生きていたのである。従ってそのときの心の真実をもう一度改めて蘇らせ、同じ正しさを再認識し生き直さない限り、それが失敗や過ちであったかどうかさえ分かるわけがない。

 過去の行為の間違いを正すことにおいて、現在の人間は果てしなく自由であるが、現在の行為の間違いを正すことに、それがほんの少しでも役立つと考えるのは、ほろ苦い自己錯誤であろう。

 例えば、いま日米韓の三国は金正日の国をソフトランディングさせたい、なるべく禍(わざわい)を自国に及ぼさないで解決したいと考え、この国の生き延びを許してしまっている。日米韓それぞれの事情があって自由に動けない。ことに日本は無力である。その結果、拉致された自国民を救出できないばかりか、北朝鮮の人民が日々飢餓にあえいで惨死しているのを黙視している外ない。日本人は自分の道徳感情に従って自由に行動できない現実を目の前に見ている。

 われわれはいま本当は重大な過誤の入り口に立っているのかもしれない。できるだけ平和的に解決しようとする思いが大きい余り、朝鮮半島への今後一世紀の経路を間違え、とんでもない運命を選択しようとしているのかもしれない。それはずっと先になってみなければ分からない。しかし人間はつねにそのとき最善と思う道を選ぶ。今度の件もどうなるかは分らないが、それなりの成功と正しさを信じて、日本人は新しい政策を選ぶであろう。

 かつて中国大陸に泥沼にはまるように行動した悪夢のような選択を今の日本人はしきりに「反省」するが、呼べども叫べどもどうにもならなかった、手に負えない厄介な世界があの当時の大陸だった。過去の日本の間違いを正すことにおいてすこぶる自由な今の日本人は、それなら目の前の政治の選択においても間違いがなく、自由で賢明であり得るのであろうか。

 人はいつの時代にも不自由で、見えない未来を日々切り開いて生きているのではないのか。

 朝鮮半島という、われわれがいくら声を張り上げて叫んでも言葉の届かない、手に負えない世界を前にしている今の日本人と、大陸政策で批判ばかりされてきたかこの日本人と、不自由という点で原理上どんな違いがあるというのだろう。

 勿論、過去の日本は軍事進出していた。今の日本は資金投与の方法以外に他国を少しでも動かす方法を他に知らない。そのように行動の種類は異なっているが、力の行使という点では同じであり、しかもその力がもたらす結果の見通しの不透明という点では、きわめてよく似ているのである。このようにいくらこうしたいと自分で思ってもそうできない現実はいつの時代にも存在する。

(8/14誤字修正)

「日本人の自尊心の試練の物語 (一)」への1件のフィードバック

  1. 初めまして。
    西尾先生がこちらでブログをなさっていることを
    初めて知りました。

    ワタシは常々、最近の日本の(日本人の)プライドは何処に行ったのか?
    と憂いております。

    占いという仕事をしておりますが、
    相談に来る20代より、むしろ40~50代の年代の方々が
    自分~仕事~会社~地域~最後に日本、この全てにプライドと
    自分の存在感を感じていないのです?

    なぜ?
    相談をするときにいつも詰まります。

    どうやたら、日本の、日本人の..ひいては自分のプライドを取り戻せるのか?

    これからも先生のブログをじっくり読ませて参考にさせていただきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です