伊藤悠可
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講
産経新聞の「正論」欄は私たちの周辺には馴染みの紙面である。しかしながら、近頃は本当に「馴染み」というだけが唯一の価値であって、書いているほうも載せているほうも、これで悲しくないのだろうか、という感想を禁じえない。ごく最近の論文を無造作に選ぶ。
新保祐司さんは、「蛍の光」に千島列島の歌詞があることを初めて知り、先人の辛苦を追憶して感動したという意味のことを書き、松本健一さんは、司馬遼太郎が三島自決を「さんたんたる死」と侮蔑し、その後も〈天皇の物語〉を書かなかったのは深い意味があってのことで、司馬一流のアンチ・テーゼ提出であると書いている。
少なくとも五十男の保守人士と胸を張るなら、「蛍の光」に千島列島の歌詞があるくらいは知っていてほしい。それよりも「今、時代は唱歌である」という保守論者が増えているらしいが、純情であっても衰弱的懐古だと私には見える。今、時代(のテーマ)は決して〈唱歌〉ではない。新保さんはこれを教育者として子どもたちに伝えたいのだろうか。土井晩翠あたりから詩論を展開すべきであって、文章からは氏の退屈しか伝わってこない。
司馬遼太郎は朝日などが〈大思想家〉としてキャンペーンを続け、産経もまたいつまでも司馬、司馬という調子だが、司馬遼太郎は「空海の風景」だけを読んでも、皇室を疎ましく感じた人であることが読み取れる。なお、主観的直感だが、実は日本も嫌いな人だと私は思っているのである。松本さんだけではなく、多くの保守論者から反論されるだろうが。
かつて、といってもわずか三十年の昔である。福田恆存は今月何を語るのだろう、江藤淳と本多秋五が新聞で論争をはじめたがどう決着をつけるのだろう、西尾幹二が次に書くのは東西の精神史だろうか、それとも人生についてだろうか、と私は限られた小遣いを持って論壇誌の発行を毎月心待ちにしていた。
「碑のように堅い言葉」という表現があるが、そのような言葉を待っていた。私たちが聞きたい言葉、私たちが目に刻みつけたい言葉のために一冊何百円でも惜しくはなかったのである。論争はどちらかを贔屓するために読んだのではなかった。むしろ、福田恆存の場合などは「この人をやっつけられる人が出て来ないのは淋しい」と思いながら両者の剣の切っ先を見ていたのである。
今はどうか。例えば、西尾幹二と論争(対決)しなければならない知識人は、すでに保守陣営に五人はいる。テーマは置き去りにされているのである。論壇もまた衰微していると言われて久しいが、小林秀雄が言うように言葉は精神である。投げかけられ応えるのは知識人の義務である。
ベルジャイエフは『社会哲学について論敵に送る書簡』の中で、こう書いている。
保守主義的原理の本質については、その敵だけでなく、別の味方からもよく理解されていない。ここに一つの保守主義のタイプがある。この連中はあらゆる保守主義の名誉棄損のためにいろいろなことをやっている。
真に保存され、防衛されなければならぬものは、変貌するエネルギーである。もし、そのなかに単に惰性と停滞だけが存在するならば、それは悪であって善ではない。
嘘の、沈滞した保守主義は過去のもつ創造的神秘と、それが未来の創造的神秘との間にもっている関連性を理解することはできない。したがって過去を滅亡させる革命(進歩)主義は、沈滞した保守主義の裏返しである。革命(進歩)主義は嘘の保守主義、創造的伝承を裏切る保守主義を待ち伏せている懲罰である。(以上、永淵一郎訳)
まだある。ベルジャイエフの洞察は怖ろしい。「諸君は下賤にも、諸君の父祖が地中に、墓のなかに横たわっていて、自分の声を発することができないのをよいことにしている。(中略)自分の仕事をうまくやるために、また父祖らの意志を尊重することはせず、その遺産だけを利用するために、彼らが不在であることを利用している」。
小林秀雄が言うように、「諸君が注意して周囲を見渡されたならば、眼を覆はんとしても不可能な現実の姿がある」というのっぴきならぬ事情は、平成の今でも何ら軽重を問うことはできない。私たちの国家や社会はあまりにも、戦後の手抜かりと晦渋の念と内外の悪意とに包囲されている。
たしかに教育問題も「待ったなし」であろう。だが、教育は六十年間違ってきたなら、善くするには六十年かかる、という考え方がまず正しい発想である。愛国心教育が必要かという世論調査では、必要と答えた人が八割にのぼるといい、或る保守陣営の知識人が機は熟してきたと喜んでいた。世論調査で八割を達成したなら、それは危険な兆候ではないのかと、私などは思う。
小林秀雄は伝統を、伝統主義によって捉えることは不可能だと言い切っている。今、私たちが見聞きしている数々の運動は、伝統主義の突出ではないと言えるだろうか。
伊藤様
ここでは、初めまして(笑)。
司馬遼太郎に関しては、私も同じように感じていました。あまり芝作品は読んだことがないのですが、映画か何かで「梟の城」を見たときに、作品の基本テーマである秀吉の貧弱さには強い違和感を感じました。司馬遼太郎は、陸軍にいるときに、よほど深い絶望感を味わったのでしょう。彼にとっての陸軍なるもの、日本なるもの、もう少し限定すれば日本人の父性にたいするどうしようもない絶望感といらだちを、彼の秀吉の描写から感じずにはいられませんでした。秀吉とはなんとみすぼらしい人物だったのか、これが梟の城のなかで司馬が最もいいたかったことなのだと思います。しかし、これはあくまで司馬の主観にすぎなかったように思えます。あくまで相対的な比較ですが、当時の陸軍と海軍のどちらを評価できるか問えば、私個人の意見では圧倒的に陸軍の方に軍配が上がります。なにも、陸軍の方にミスがなかったというわけではありませんが、それでも、海軍より遙かにましだったのだと思います。
例えば、山本五十六はアメリカで駐米武官を務めていたにもかかわらず、米国というものの本質を捕らえてはいませんでした。米国を動かすものは米国大統領ですが、米国大統領を動かすのはアメリカ国民の民意であり、その米国民の民意を握ったものが、アメリカを動かすことができるのです。真珠湾攻撃は、その民意を対日戦に導くものに他なりませんでした。どうして、軍事的観点からではなく、政治的観点から見て真珠湾奇襲が愚かな戦いであったかが彼には見えなかったのでしょうか。
話を司馬に戻せば、日本のこうした失敗は1度ではないのですが、司馬がしばしば批判する日本人の偏狭な性質のなせる業であるとは、私には思えないのです。
アメリカには日本を戦争に巻き込みたいという意志がはっきりしているのに、その真意をつかみ損ねる近衛文麿。対人関係というのか、外交関係に対する基本的な認識不足が、日本の多くの悲劇を導いたように思います。大正以降の日本の指導者が外交というものの基本的な性格を理解していなかったために、多くの悲劇が生まれたように思えてなりません。近衛が南進していなければ、すなわち日ソ中立条約を結ばず、独ソ戦の開始と同時にソビエト軍と戦っていれば、ソビエトロシアは敗北、共産主義体制はロシアから消え去っていたでしょう。ソビエトロシアが消滅してしまえば、ソビエトを頼みにしていた国民党も共産党も日本の言い分を相当飲まなければならなかったでしょう。というか、第二次国共合作も消滅していたのではないでしょうか。日本の対ソ開戦は中国大陸の状況を飛躍的に安定化させたはずなのです。そうなれば、アメリカは中国大陸に対して何の要求もできなかったでしょう。この点でも日本陸軍の方が、南進説を主張する海軍よりも正しかったように思えます。いまこうやって書いているうちから、腹が立って仕方ありません。ああ、本当に腹が立つ。このように考えると、司馬の日本陸軍嫌いは、本質的な論点をはずしているのだと思わざるを得ません。
私は司馬遼太郎さんの思想というのは、非常に狡猾に構成されていて、有益な指摘も数多く含む反面、「良心」があるかというと決してそういうことはいえないものだと思います。たとえば、彼は中国史に関して、各段階での中華文明の傲慢さをきちんと指摘している。なかなか説得力をもつのですが、それを決して現実の中国や中国人への政治的言論に組み立てることをしない。怠惰でしていないのではなく、全く意図的に対立を避けていることが行間を読むうちにわかってくる。これは精神的余裕というようなものではない。優等生然とした雰囲気が感じられる。むやみやたらに「対立」はすべきではないですが、しかし思想家・作家というのは、「優等生」になってしまっては絶対いけないのですね。狡猾な優等生というのが、司馬思想のある実体だと思います。
ブログの中の「唱歌」のお話は非常に面白いと思いましたが、これを司馬さん的に考えてみると、唱歌というのはその大半が明治期に入ってきたものですね。私は「過去はつくられる」というようなことを言いたいのではないのです。ただ唱歌を保守精神という言い方は、日比谷暴動の前後で近代史が転換したというような司馬さんの図式的な歴史観を連想させるものです。歴史というものは、そう簡単なものではない、ということくらい司馬さんが知らないはずはなく、そんなことをあえて言う必要もないのに言う。なぜかというと、そこに司馬さん流の対立を避けるための狡猾さ、があるのですね。図式やスローガンで捉えきれるものなどが「歴史」とはいえず、まして保守とはいえるはずもない。
何のための狡猾さかというと、迎合とまでは言わないにしても、戦後民主主義的な人々との境界線を曖昧にするための狡猾さです。「唱歌」より以前の日本的伝統はどうなるのか、という問いを消してしまうようなことが、唱歌=伝統精神という言い方にはあるのではないか、という疑問と同じです。かくして、大江健三郎や筑紫哲也といった諸氏が司馬さんをたたえるという困った図式が出現するのですが、これは司馬さんの戦略が成功しているということに他ならないのではないかと思います。ブログで展開されている保守主義原理、感動的なくらいに同意できますが、しかし司馬さんは、なるたけ敵からも味方からも理解できないような言葉の戦略を駆使した人間として、決して保守主義的人物とはいえない人間といわざるをえないでしょう。大江健三郎さんや筑紫哲也さんが司馬さんを持ち上げるのは不快な風景ですが、しかしそれは司馬さんの戦略が死してなお、作動成功しつづけていることに他ならない、ともいえると思います。
誤解していただきたくないのですが、私は司馬さんの文学や歴史エッセイは大好きで、ファンといっていい人間の一人だと自負しています。しかしだからこそ、彼が散りばめた巧みな言葉の戦略に対しても、意識的でなければいけない、ということを言いたいのですね。
創めまして
西尾幹二様。
田浦靖久と申します
今、暫し,集中力が途切れ途切れで
記事を精読せずに
斜め読み致しました。
私が織りたいのは
戦術です。
又,伺います
まだ生きてください
ご教授お願い致します。
私の所属部隊です
http://shade00075.blog83.fc2.com/blog-date-20061118.html
陛下なくば
日本の樹立からの
歴史が断たれます。
又伺います
LINKをお願い致します。
田浦靖久。
まだまだ
気は抜けない
無礼講には
まだ早い!!!!
>田浦さん
「国民の道徳」は西部邁さんがお書きになり、
西尾先生がお書きになったのは「国民の歴史」ですよ。
訂正
ありがとうございました!!
靖久。
「風の谷」って本を読んだ事ある?^^
長谷川さんへ。
俺はまだ保留中です^^;
すまそ。。
成程
と言う事は
長谷川さん。
「西部はFAKE」ですね
一つ賭けにかちましたよ^^。
怪しいと思ったよ。