坂本多加雄選集のこと(二)

 坂本多加雄選集のこと(一)の続きです。 

 選集のⅡ巻目の月報に私も寄稿していることは前回にも語った。それは次のような内容である。

偲ぶ会のこと

 永田町の星陵会館で平成14年12月21日、新しい歴史教科書をつくる会と民間憲法臨調が主催する「坂本多加雄先生を偲ぶ会」が行われた。高橋史朗氏の司会で始まり、まず田中英道氏が「常識を大切にする、壮士風ではない」つくる会の性格形成に、坂本氏がいかに貢献したかを語った。三浦朱門氏は、坂本氏が歴史を物語だと言ったのは、歴史を現在の枠で見るのではなく、それを形成した往時の人の意図や課題に即して見ようとしたからだと評価し、田中氏とは逆に「坂本さんは国士ともいうべき人」と語った。

 来賓の自民党中川昭一氏は「あのいかがわしい靖国懇談会」(というお言葉を使った)のさ中に、ただ一人まともといっていい戦いをした坂本先生への感動を述べた。つづいて私が話をした。録音テープを再現する。

 「よく言われることでありますが、死んで初めてその人の姿がくっきりと見えてくる、そういうことばがございますが、私は彼に先に死なれ、このたびあらためて次々と著作を読む機会を得ました。そしてご著作の文章のリズムに――やはり現代では52歳の死は夭折ですからね――いわば業半ばにして、仕事の絶頂期に逝った人のはげしい息遣い、切ないまでの、急いで生きた人の足取りが感じられました。

 坂本さんは予想よりもずっと大胆な思想家であったのだな、という思いを改めて致しました。普通、静かな思索家と思われていた彼が――つくる会の会合では付和雷同せず、さりとて独断専行もなさらず、同調的で、しかも意志的で、責任感もお強かった――、その彼が、じつは静かなたたずまいとは別に、非常に緻密な思索の奥に、思いもかけない飛躍的独断――これはご文章の世界について申し上げているわけですが――、論議上の思い詰め方、切り込み方、逆説的な言葉の転調、そういうものを、私は今回読み進みながら、何度も何度もくり返し感じました。あゝなるほど、早く逝った人らしい、そういう言葉遣いだったんだなァ、と改めて思った次第であります。

 大量の本を次から次へと読み、読書中毒ではないかという読み方で、知識を呑み込み、慌ただしく吐き出しているような著作もございます。かと思うと、学問と政治、哲学と歴史、認識と行為といった相反する概念の矛盾の中にあえて身を置いて、その矛盾を構造的に解明しようとしたご著作もありました。代表作『象徴天皇制度と日本の来歴』はさしずめその一つです。

 坂本さんは歴史は物語であり、来歴であるとおっしゃいました。坂本さんならではの大胆なこの規定は、歴史教科書の世界では有効で、ありがたい思想でしたが、よく考えてみますと、とてもきわどい危ない思想でもあるのです。なぜなら歴史が民族の物語であり、来歴であるなら、国境を越えた歴史の客観性、普遍性を否定してしまっているのですから。あくまで自分の生きている共同体の幻想だけが歴史であると断定しますと、人類の歴史というものはどこかへ行ってしまいます。その矛盾、その危機を、彼は最初から意識しておりまして、無知でそういう言葉を弄していたわけではないのです。

 彼はハイデガーを使ってこの矛盾、危機をどう乗り越えるかを説明しています。ハイデガーを使う人というのはどうも危ないところがある。いつでも死を思うところに立ち還る。人間が人間としての本来のあり方、本来的自己に立ち還る、そこに死のモチーフがあるのですが、坂本さんは日本の歴史が死を思うことが二度あったと言います。19世紀の初頭と昭和20年です。日本人はそれぞれこの時期に、自分たちの『来歴』を思い出しました。それがつまり『国体』という概念です。

 歴史は必ずしも物語ではないのかもしれませんが、坂本さんはあえて物語であると承知して言おうとする。歴史はフィクションだと言ったら大変なのです。そんなことは言えない。そこで、そのきわどい矛盾を乗り越えるために、行動が必要になった。政治行動が必要になった。学問と行動、認識と実践を統合しないと学問も認識も前へ進まない、そういうタイプの学者だったんだと今にして思います。

 書斎の人でありながら、そこだけでは完結しない。物静かな思索家でありながら、思考の論理に飛躍があり、思いのほか大胆だったと、先に申し上げたのはこのことであります。」

 私は政治参加(アンガージュマン)が坂本氏の哲学の必然から出ていて、凡百の政治学者とそこが違う点だと言ったつもりである。話の最後に私は彼の学者としての誠実さを伝える逸話を添えた。坂本氏が私のある本の文庫本の解説を書いてくれたことがある。彼は私の別の関連本を二冊、つまり一冊の本の解説を書くのに都合三冊読んで書いた。「こんな篤実な人はいない。坂本さんはそういう人だったんです」と私は結んだ。

 私につづいて四人の挨拶があり、献花が行われ、参列者全員によって彼が好んだ「海行かば」が斉唱され、散会した。

「坂本多加雄選集のこと(二)」への1件のフィードバック

  1.   歴史や政治的現実というのは矛盾した面をたくさん含むので、それを正確・誠実に表現しようとすればするほど、必然的に飛躍や逆説を必要としてきます。言い換えれば、言葉を巧みに矛盾させなければならなくなる。優れた思想家・思索家というのは、飛躍や逆説を豊富に含んだ言葉の世界をもった人だと思います。坂本先生の著作の言葉の世界も、そういうものだ、と私は感じています。
      ハイデガーをよく緩用されていたのは、「物語」としての歴史に本質的な実体を与えるのが、「死=消滅」への意識ということにおいては、個人も民族も基本的に同じである、ということだと理解します。民族が死滅を感じるときに、物語である歴史は本来的な存在感を意識せざるをえなくなる。ハイデガーの哲学は難解きわまりないのですが、しかし、実感的には、とてもわかるところがあります。しかし、西尾先生が言われるように、このハイデガーの思想は、本質論であると同時に、取り扱いの危険な思想でもあるわけですね。ナチズムのニヒリズムをそのまま肯定してしまうこともありうるのです。坂本先生の実践は、この難問への必死の格闘だってのではないか、と思います。実践によってしかわからない謎が、民族・国家の考察にはある。「本質=死滅への予感」を絶えず見据えながら、ニヒリズム・全体主義・左翼民主主義、そういったものに結びつかないような「秩序」を、民族・国家観に与えてくれるもの、それが坂本先生の著作なのだ、ということを、ブログを拝読して改めて感じました。

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