現在西尾先生による日録は休載しておりますが、先生の許可を得て、管理人長谷川が、西尾先生の近況を報告させていただきます。
『江戸のダイナミズム』の出版に伴い、出版記念会が開催されます。
以下はその案内文です。この会に私も出席できることになりました。その折の報告もしてよいと言われましたので、5日に帰宅してから、エントリーを挙げる予定にしていますので楽しみにお待ちください。
また、『江戸のダイナミズム』の感想に限り、コメントを受け付けますのでので、どうぞふるって書き込んで下さい。
西尾幹二さん『江戸のダイナミズム』出版記念会のご案内
謹啓 季節も春めいて参りました。
貴台におかれましてはご健勝のことと大慶に存じあげます。さて今般、私たちの知人・友人・酒友でもあり、広く健筆を振るわれる西尾幹二さんが、『江戸のダイナミズム――古代と近代の架け橋』を文藝春秋から上梓されました。
日本、中国、欧州の学術の歴史を比較するなかで、日本文明の核心を解き明かそうと試みたこの長編評論は、月刊誌『諸君!』に、足掛け四年にわたる連載ののち、推敲、注の作成にさらに二年余を費やした労作、まさに西尾さんの代表作といえる一冊です。
多くの歴史観論争と哲学的論点を含み、新しい国語学上の問い掛けもあり、今後、言論界に大きな反響を呼び起こすことと思われます。
心身共に切り替わる花の季節に合わせて、この大著の出版を記念した祝宴を開催させて頂きたく、
茲もと御案内申し上げる次第です。記
一、と き 四月四日(水曜日)午後六時半より(六時開場)
一、ところ 「ホテル・グランド・ヒル・市谷」三階「瑠璃の間」(同封地図をご参照下さい)
一、会 費 壱万円(書籍代金(2900円)を含みます。ご夫妻でお見えの場合は一人分のみを頂戴します)なお誠に畏れ入りますが、御出欠のご都合を同封の返信葉書にてお知らせいただければ幸いです。
謹白
平成十九年三月吉日
発起人 井尻千男 桶谷秀昭 呉 善花 加地伸行 工藤美代子 黄 文雄 小浜逸郎 佐伯彰一 佐藤雅美 高井有一 田久保忠衛 芳賀 徹 長谷川三千子 平川祏弘 三浦朱門 宮崎正弘
上野 徹(文藝春秋社長)、江口克彦(PHP研究所社長)
加瀬昌男(草思社会長)、松下武義(徳間書店社長)〔50音順〕西尾幹二さん『江戸のダイナミズム』出版記念会事務局
(株)文藝春秋第二出版局 第一部気付(事務担当/内田博人)
三島由紀夫が、手塚富雄氏との対談「ニーチェと現代」(昭和四十一年)で、 ニーチェへの熱い想いを語っている部分があります。
(引用開始)「わたしくは、「ツァラツゥストラ」の影響をうけて短編を書いたことがあるんですよ。 「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋」という長い題ですが、それは非常にニーチィズムなんです。 戦争中に書いたものですけどね。・・・大学なんかでもニーチェの話なんかよくして、 かなり読まれているように思いました。「悲劇の誕生」の、あのエネルギーの過剰からくるニヒリズムということばが実に好きでしたね。
ニヒリズムということばは一種の禁断のことばとして、われわれの世代に共感を与えたと思います。 ・・・
僕個人の体験で申しますと、「ウンツァイトゲメース」というニーチェのことばが非常に好きで、戦争中はウンツァイトゲメース、「反時代的」と訳されていましたか、それがもう唯一のよりどころみたいなものでした。 ・・・ 戦争中、ぼくたちはこんな時代にたいして、とてもアンパックスン(適応性)がないと感じていたわけですね。 それはある意味では劣等感です。 それを、ニーチェが非常に朗らかにウンツァイトゲメースと言ってくれたんです。自分はそれじゃ適応性がないだけじゃなくて、もっと積極的に反時代的なんだと思えば安心する。それがニーチェの持っている、つまり青年に対する魅惑だと思うんですよ。 (引用止め)
『江戸のダイナミズム』を上梓した西尾幹二氏は、ニーチェの研究で数々の業績を残しています。
古典文献学に取り組んでいたニーチェについて研究した西尾氏は、西洋文献学の探求を通して、書き残されたものから予断・恣意・空想を交えず、なるたけ精確にその意を掬いとるエクスパタイーズを磨いたと思うのです。
書き残されたものから、古え人の心々の含意・隠喩をくみ取り、意識下に沈んでいる心情までも炙り出す技を鍛えられたと思われます。
西尾幹二氏の『江戸のダイナミズム』は、意外に(失礼!)読みやすく書かれていて、スイスイと読み進める平易な書き方が工夫されています。
私は、『諸君!』に連載中のこの論文を 「展開編」 の部分から目を通していました。
同本を手にとり通読して興味を強く惹かれるのは、第七章の清時代の考証学を論じた箇所、第十章から十二章にかけての本居宣長を中心に荻生徂徠、ニーチェを取り上げている箇所、第十六章・十七章で契沖の『万葉代匠記』と西洋の文献学を論じている箇所、そして第十八章で古事記を論じ日本語の成り立ちに踏み込んでいる箇所です。
ここら辺りに来ると西尾氏が判りやすく書こうとしても、読む方に辛抱と集中が求められます。 しかしそれが心地よいと感じられる好著です。
この書で、西尾氏は、誤解と歪曲に満ちた江戸時代の思想史の闇に、今までにない方向と角度から燭光をあてています。
それは、江戸時代のディニソス的存在である宣長・徂徠やアポロン的な契沖・富永仲基らと、平成のディニソス的英傑、西尾氏の熱き邂逅、そしてバトルとなっています。そこがこの書の妙味の在り処であると思います。
江戸時代の先哲たちは帰幽し冥界で悠々自適ですが、西尾氏はうつし世で瑣事・雑事・小人に煩わされながらも、孤軍奮闘しその焔を赫々と燃え上がらせ驀進しているとお見受けします。
日本列島の太古の森の中から、かそけく聞こえてくる先祖たちの神韻の声に耳を凝らし傾けた、現代の哲人の手によって成った傑出の書が、『江戸のダイナミズム』です。
昭和の御世『本居宣長』を書いた小林秀雄のこころが、平成の世の西尾氏によって、分かりやすいかたちで、受け継がれたのです。
日本は言霊の幸(さき)くにぎわう国だと実感する、ウンツァイトゲメース(反時代的)の書です。
江戸のダイナミズムを昨日、本屋で立ち読みしました。55分粘りましたが、店員に嫌な顔をされたので読むのをやめました。出版されて暫くしてから、多摩図書館に行きましたがなかったからです。多摩図書館で「西尾幹二」で検索すると、膨大な書籍が表示されました。あるのは殆ど読んだ本ばかりでした。
明日、もう一度図書館に行ってさがしますが、なければ買って読みます。私にとって、2800円は大きいのです。江戸のダイナミズムには、私の好きな頼山陽がありませんでした。漢詩の天才ですが、性格的に問題のあった人物だからでしょうか、西尾氏の研究範疇にはないのですね。
では、また江戸のダイナミズムを熟読して、咀嚼して、反芻して、疑って、準備が出来たら書き込みします。
前半部分、本居宣長のところの少し前まで、読ませていただきました。私なりの考えでは本居宣長論の部分が本著のクライマックスと思いますので、まずはそれ以前の部分に関して、考えた感想を記したいと思います。
非常に面白いと思ったのは、荻生徂徠に関しての評価の部分ですね。「なりきる」と「かぶれる」ことは思想実践において全然違うのだ、ということですね。徂徠は気が触れたかと思われるくらい、異常なほどに中国の儒学世界に接近した。これを「かぶれる」ことと評価する人間が多いのですが、しかしこの異常な接近はどうも「なりきる」ことだったようですね。「なりきる」ということは、実はギリギリの追求地点において「なりきれない」ことを知ることですね。徂徠は訓読み否定運動などを通じて、「儒学を身につける」とは何か、ということをほとんど死にもの狂いで追求したのだ、ということが西尾先生の指摘からよく伝わってきました。多くの儒教専門家が指摘するように、儒教は本来、中国の伝統的社会構造と密接なもので、他国人がそう易々と受容できるものではない。徂徠の知的冒険というのは、裏返しの意味において、そうした儒教の性格を伝えるものであったわけですね。それを指摘ということにとどめず、ニーチェのギリシア文献理解と鮮やかに対比展開するところが、さすがというか、「西尾学」の「ダイナミズム」ですね(笑)和・漢・洋を読みこなす人でなければ日本人の自画像は描けないのだ、と私は日頃から思いますが、西尾先生はその一人だということを改めて感じる著作なのだな、と私には思いました。
文献学と歴史学の相違という冒頭近くの指摘は、気づいているようで、なかなか私たちが意識的になれないことですね。徂徠をはじめ、数々の文献学者を筆致豊かに語られる前半部分の中で、私が思い浮かべたのは、私たちの実際の生き方の中で、「文献学」的な生き方と、「歴史学的」な生き方ということが、いろいろと混在しているんだろうなあ、ということですね。どちらが優劣ということではないのですが、私自身は文学や思想書を、時間蓄積的に読むことをあまり好まない人間で、テキスト自体の不安定さとの直接対決を読書の本質と考える人間です。「歴史学的」な視点が強すぎると、何でもかんでも理解して、実は何も理解していないということが起こりうると思うのですね。もちろん、これは文献学や歴史学そのものの評価とは別のこと、ですけれどね。西尾先生がかつての著作で、(世界観が全く異なる)ガブリエル・マルセルとサルトルを平然と並行して語れる学者というのはおかしい、といわれていたと思いますが、こういう理解は、私からしてきると、過剰に「歴史学的」なんですね。そう考えると、江戸期におけるわが国の文献学評価を通じて歴史評価を再考するという西尾先生の知的戦略はなかなか面白いものであるように私には思われます。
先生お久しぶりです。やはり、こうしてネットで先生と近しくさせてもらえる事は有り難い事です。先生は大変義理固い性格なので、ご自身が満足な仕事をこなせないと、たとえブログとはいえ、不満が募るのはよく理解できます。
私たち閲覧者は確かに場あたり的に投稿し、その瞬間の感情を表現しながら先生との距離を近しくしたい気分はあるんだと思います。
そうした風習がネットという媒体が誕生して以来可能になり、不思議な空間が誕生しました。
ネットって何なんでしょうね。色んなケースが語れます。そんな中で、着目しなければならない点は、目の細かい網で拾うとあれもこれも捕獲しちゃうし、荒い網なら大切な意見も捨ててしまう危険が伴うのが事実です。
江戸時代の思想家ははたして大衆の感情をどう拾っていたのでしょう?
そうしたレスポンス自体が必要ない事と判断すればそれまでですが、もしもそれが可能な社会であったなら、画期的な現象が生まれたのかもしれません。
けして彼等は大衆の意見を請う姿勢ではなかったのでしょうが、仮に現代のツールがあの時代に存在していたとしたら、彼等はたぶん先生と同じ感情を抱いたに違いありません。
私は西尾先生という方は時代を越えて江戸時代の思想家と呼吸をしている、現代における唯一の人物だと認識しました。
現実的に江戸哲学がこれまで私たちにこれほどまで強く響いた事があるのでしょうか。
中国の歴史と日本の歴史がいかに微妙な関連性を保ちながら今日に辿り着いたかを、これほどまで掘り下げた論文は存在したのでしょうか。
いや掘り下げたのではなく、身近にしたと言うべきでしょうか。
現代人はどこか江戸時代を遠くに位置して安心している感情があるのではないか・・・そんな感想が私の気持ちを覆います。実際私もそうです。いかに江戸を知ろうとしても、なかなか近づいてくれない世界が存在します。不思議な感情です。
もしかすると、戦後と戦前、維新と江戸末期という既製の概念が深く有りすぎるからでしょう。
どうしてこの句切が簡単に生まれるのか、そこから疑問をいだくと、「江戸のダイナミズム」が単なる文献批判書ではないことが確認できるのではないでしょうか。
昨晩・今日と、本居宣長論など、「江戸のダイナミズム」の中盤部分を拝読いたしました。私の期待していた通りのボリュームが充分に味わえて、本当にとても感謝しています。私はせっかちな人間なので、思想論文も小説も、雑誌連載時は読まないようにしているのです。面白ければ面白いほどイライラしてしまうからですね(苦笑)
私自身、本居宣長はだらだらと読んだことが何回かあるのですけれど、先生が宣長論で最初に触れられている、本居宣長の兼好法師嫌いについて、ほとんど意識せずに宣長を読みすすんでしまっていた自分に気づかされました。この点に関してまず、私達に実にいろんな自省が可能だと思われました。私達は日常、兼好法師的な修辞学で、「日本」を語っていると錯誤している面が多い、ということにもっと自覚的であるべきなのでしょうね。私達の少なからずが、松竹系の映画を観て「人情」を日本的人情といい、花の美しさや季節の食事の美味しさを語るときの「風情」を日本的風情といいます。しかしそれらを語るとき、「日本的」はすでに一種の固定的観念に化しています。固定的観念というものは、固定されていた枠が崩れれば、いずれは退化してしまうものですね。裏返せば、「人情」や「風情」を復活させることが、「日本」なるものへの復活だという錯誤になりかねないといえましょう。もっと奥深い、言葉になりえないものに、「日本」的なるものは潜んでいると考えなければならない。宣長は兼好法師の修辞学が通俗的日本論に転落しかねないことを指摘していたのですが、ここらあたりも、現在的関心から読み込んでいける宣長の普遍性の出発点があるわけですね。
宣長が、「常識」論にせよ「自然」論にせよ、呆れるくらいに一貫しているのは、西尾先生の言葉を借りれば、「何かがあるが、何であるかはわからない」ものを絶えず意識対象にしていた、ということなのでしょう。だから、兼好法師批判と、「猿と争う阿呆もいる」という漢意批判には、観念化する思想や思念に対しての拒絶という意味において、しっかりとした結びつきの地脈が存在しているのだ、といえるでしょう。ですから、宣長が「皇国イデオロギー」という形式的思想を受容したなどとはとても考えられないのは当然であるというべきなのですね。「文学」という言葉がそれを発するときに一個の概念に化してしまうことに生涯嫌悪を向け続け、「行為」の意味に激しくこだわった小林秀雄が、まさに反解釈的な解釈という宣長的修辞学を通じて、宣長を晩年に多く語ったことが、西尾先生の宣長論を通じて、改めて実によく認識できたような気がします。小林秀雄の宣長論と西尾先生の宣長論の相違は、前者が読者に対して反良心的に書かれ、後者が良心的に書かれている、ということだと思います(笑)宣長の神話への「反解釈」ということは西尾先生がおっしゃるように、ニーチェのアナクシマンドロスたちギリシア哲学の空想的哲学者への自然理解に共通するものがあるのは確かですが、ハイデガーもまたこの空想的哲学者の一群の修辞に「存在」探求の在り方を見出していますし、あるいはキルケゴールも宗教学者を「哲学銀行の出納係」といっていたことなどを思い出しました。ハイデガーにせよキルケゴールにせよ、「近代」の硬直性に大変敏感であった思想家であったわけで、宣長は、これらの近代懐疑論者の一群に加わる世界的思想家といっていいのでしょう。
ですから、常識的なインターナショナリストであり、実は私達が通俗に使う「近代」という意味での「近代人」であった上田秋成との論争は大変興味深いと同時に、よってたつ土壌が全く違っている、と考えなければならないわけですね。そこで、私達がどういう在り方を宣長あるいは宣長周囲に起きた論争から学ばなければならないのか、という問題が大きく生じてきます。私達は保守革新を問わず、とりわけ論争的な場で、秋成のようなロジックに親しまなければならないことはどうしても避けられないのではないか、と思うのですね。たとえば中国や韓国が非常識的な政治主張をしてくるとき、私達が「近代」の「常識」で応酬しなければならないときはたくさんあったし、これからもある、と思います。しかしこの場合の「近代」も「常識」も、宣長の精神とはほとんど無縁と考えなければならないでしょう。使いわければいいというほど単純な話はないし、あるいは戦後の小林秀雄のように、いろんな意味での「放棄」を巧みに行って引きこもりに転じた生き方が大きく正しいとも、どうも思えません。実はここに、ナショナリズムの修辞学の展開の一番の難しさが、明晰に描かれているのではないでしょうか。答えは決して近くにはないのですね。近くにあると思いすぎてしまうことに、ここしばらくの保守派陣営のいろんな混乱の源があったともいえます。西尾先生の宣長論の読後のボリューム感には、この点がしっかりと存在しているように思えて、それが他の日本論・ナショナリズム論にはないすばらしい幅になっているように私には思えました。
宣長論の後の後半部分、更に読み進んで、昨晩までに、最終章まで読み終えることができました。長編の思想書や文学書を交響曲的な音楽になぞらえる評がよくあり、クラシック音楽好きの私からしてみると、言葉と音楽というものは全然違うものなのだから、そういう類の評というのは通俗的だなあと思ってきたのですが、そんな私が、今度の先生の著作は、実に交響曲的な読後感を感じることができました。交響曲というのは、鮮やかな序曲の印象、そして正しくクライマックスに向かい展開しているようにみえながら、途中で、序曲の印象がいったん何処かに隠れたりして、この曲はいったいどこに向かって進むのだろう、というハラハラ感を感じさせながら、最終章で、見事に、途中抱いていた色んな感情を、清涼感としかいいようのないものに結んでいくのですね。
たとえば、伊藤仁斎の、儒教へのヨーロッパ有神論的解釈の存在の意義を説かれるあたり、序章から宣長論までの展開があまりにも鮮やかだったため、理解はできても、「この曲(本)はいったい何処に向かい進むのだろう」という印象を抱かれた方は少なくないと思います。いったい、伊藤仁斎あるいは、ヨーロッパの有神論的な儒教・孔子解釈を登場させる必要がここであるのだろうか、という印象ですね。しかし、それは、最終章の認識の味わいのための巧みな前段階というふうに思われる。交響曲というのもそういうもので、一見するとあまり意味のないような中途の何処そこのメロディが、最終章の感動と密接になっている場合が少なくないのですね。ヨーロッパの有神論的な孔子・儒教解釈というのは、最終章での「ヨーロッパの不安」という主題に裏道から結実していくもの、なのですね。
西尾先生の著作によってはじめて知ったフェヌロンの安直なソクラテスと孔子の創作対話、あるいは意外に有名なヘーゲルの杜撰な孔子批判、そういうものを私達はヨーロッパ中華思想、として片付けてしまいがちで、結論的にいえば確かにそれはそうなのですが、中国の中華思想が実に複雑なプロセスを経て成立したのと同様、ヨーロッパ人の中華思想も、ただ単に成立したのではないのですね。大体、孔子を有神論的に解釈する必要など、ヨーロッパ人が正真正銘に傲慢だったら、行う必要はないものです。私はずっと以前の西尾先生の著作で、先生に執拗に、日本人の近代の成功を、五輪書その他を、ヨーロッパ的解釈によって、強引に説明しようとするドイツ人のエピソードを思い出しました。日本人からすれば喜劇的にさえ思えるような、異世界の成功や栄華を自分流に理解しようとする彼らの一貫した精神背景には、自分達は原典というものから切り離されているものだ、というヨーロッパ人の不安感があるのですね。たとえばドイツ人に典型的な、原理を異常に重視する思考法も、原理と現実の間が引き離されているという「不安感」があるからこそ固執するわけで、日本人のように、現実世界に原理が内在すると考える民族には、カントの定言命法のような道徳的形式論は実際的にはほとんど理解できない、ということになるのでしょう。
不安感というものは乖離感でもあり、たとえば私達は、こういうヨーロッパ人の不安感を、存在と実存の乖離など、哲学史論に置き換えて考えたりします。しかし先生のこの著作は、そうした従来の知的戦略をあえてとらず、「文献学解釈」というものの存在を通じて、いわば巧みに裏道から描き出そうとされたわけなのですね。哲学書も文献の一部ですから、ある意味、文献学の方が哲学よりも深いというふうに、論理が裏返ることがありえます。たとえば私はこの著作を読むまで、エラスムスの聖書原典への情熱を、文献学的な偏執の一種で、単に謎めいているものだ、としか考えていませんでした。しかしあの謎めいた情熱こそに、ヨーロッパ人の中華思想的排他主義の根源を説明しうるものがあった、ということがほとんど衝撃的なくらいにわかりました。考えようによっては、「文献学解釈」は最も根源的なのですね。
そして、最終章のこのエラスムスのことを読んでいるときに、伊藤仁斎のところで触れられたヨーロッパの有神論的な孔子・儒教解釈ということの意味も、私には、より理解できるようになります。仁斎の章ではヨーロッパ人の「不安」が読者にはまだ明確でなかったので、煙に巻かれたような気がしてしまったのですけれど、「不安」という解釈をはさんで考えると、このヨーロッパの有神論的解釈の詳述が、ボディブロウのように、ジワジワ意味をもってきます。そして更に掘り下げると、そうした有神論的孔子像にクロスした伊藤仁斎という思想家の存在も、不思議なくらいに存在感が大きくなってきます。なぜかといえば日本人には「不安」がないにもかかわらず、仁斎のような人物が現れたからですね。仁斎は宣長に比べれば、思想家としての偉大感は少ないような気がしますが、しかしヨーロッパのような精神的背景がないのに、仁斎のような人物が現れたこと自体が、私達に、江戸時代のおそろしいくらいの幅を示してくれます。いろんな意味で、最終章まで読み進んで、後で以前の章を読み返す、ということが多かったのですけれど、読書というのは繰り返しすることができるので、歴史よりずっと音楽に近く、やはり書を交響曲にたとえるのは、決して俗的なことでないな、とも段々思えてきました(笑)これも先生の著述の巧みさによるものでしょう。
最終章の展開で、最終章の結論ともいうべき点、中国の文献学は自己否定を内包していないがゆえに「自足」しており、原典の不安定さを有している「不安」なヨーロッパはニーチェのような文献学破壊の徒を持つことができたのだ、という点は、ニーチェの実際の激しい生き方を熟知していらっしゃる先生が言われることを思うと、感動的ですらあります。「破壊」が決して安易にできる行為でなく、ニーチェは全身が粉々になるよな精神行為を通じて、その破壊を実践しえたことを、西尾先生はよくご存知だからですね。しかし、交響曲を聴き終えた私達に、何も課題がない、とはいえないとも思います。ニーチェと同等に評価しうる宣長のような人物を生み出した私達、日本人の精神原理には「不安」も「自足」も明確にあるわけではないのですね。もちろん宣長的にいえば、「何か」と実体的概念を求めた瞬間に、すでに私達は日本人の精神原理の考察のダイナミズムから離れてしまいます。しかし何か得体のしれないものがあるからこそ、私達は江戸時代の驚くべき幅をもったたくさんの先哲を持ちえたのでしょう。日本人の不思議さを解くことができるのは日本人だけで、考えることはむしろこの著作を読んで後に始まるのだ、ということを、先生の見事な作曲を聴き終えて、私は強く思うことができました。