小冊子紹介(十)

書 評

注:小冊子には三分の一に縮小されていますが、ここでは全文を掲げます。(文・長谷川)

宮崎正弘(中国評論家):「宮崎正弘の国際ニュース早読み」2月19日号より
                        
平成の本居宣長の意味 (2)

 ▼「平成の本居宣長」とは?

前置きが長くなった。
本書は近年の読書界を震撼させる爆弾を抱えた傑作である。
(ダイナミズムという表題にはダイナマイトも含まれている?)

 哲学的論争と文献学的論争と、国語学的論争を多層に輻輳させながらも、くわえて場面はソクラテスからニーチェ、ヤスパースへ飛んだかと思いきや、平田篤胤、北畠親房、山鹿素行。縦横無尽に登場する人々の思考の多様さ。

『諸君!』に足かけ四年に亘って連載され、さらに加筆、索引、注の作成に二年を費やされ、「平成の本居宣長」と銘打たれての上梓だが、その労苦を思わざるを得ない。

本書の構成は第一部と第二部に別れ、第一部は議論の前提となる「文献学」に多くが費やされる。

 登場する人物は「儒学者系列」は藤原せいか、林羅山、中江藤樹、山崎闇斉、山鹿素行、熊沢蕃山とつづき、同時に「国学系列」の契沖、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、上田秋成、新井白石など。

 ここで儒学と国学が二大潮流として登場し、巧みな筆裁きで整理され、その江戸における思想対立、思想の深化などの対比がなされるのは当然にしても、本書はそこから、いきなり世界史的パースペクティブを拓くのである。

 同時代の中国の学者(黄宗義から康有為)から西欧の学者、思想家(ヴィーコ、グリム兄弟、ニーシェ、ブルクハルトなど)が飛び出してくる。私たちは世界史の視野から思想の遼乱をながめることができる。

戦後歴史教科書は「江戸」が反文明的で暗く、西欧に遅れており、文化度もひくいなどと教えた。

 近年、それは逆であって江戸時代の日本は世界に抜きんでた文明と文化、そして経済力を誇ったことが、あらゆる方面で立証されている。葛飾北斎や写楽が、西欧の画家にどれほど深甚な影響をあたえたか。

 武家政治も随分とあしざまに言われたが、近年は武士道が見直されてきた。
 
 西欧や中国のように暴君が独裁をふるう政治ではなく、日本の武士社会では、主君が「暴君や暗愚の殿様で出てきたときに、これを排除するために『主君押し込め』の構造があった」(中略)

  「江戸、大坂の巨大市場が成立し、徳川幕府の安定政権の下で貨幣経済が整備され、何よりも自前の貨幣鋳造が行われました。金銀銅の大産出国であった我が国は、銅の貨幣を中国、東南アジアその他に輸出するほどでした。かつて宋銭を輸入することで経済圏を中国に奪われていた日中の立場は逆転し、日本の銅銭に中国の経済が依存するようになっていました」と、西尾氏の視座は経済学の考察にもおよんでいる。

こうした何気ない挿入も、従来の概念を徹底的に破壊する。

 田中英道氏によれば、江戸の遙か以前、シナ大陸におくった遣唐使、遣隋使のことばかりを日本の歴史教科書が力説してきたが、じつは中国から日本に留学にきた「遣日使」のほうが数も多く、しかも多くの学僧が“日本のほうが良い国”として帰らなかったという。

つづく

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