小冊子紹介(十三)

江戸のダイナミズム―古代と近代の架け橋 江戸のダイナミズム―古代と近代の架け橋
西尾 幹二 (2007/01)
文藝春秋

この商品の詳細を見る

寄せられた読後感から

東中野修道(アジア大学教授)

 江戸時代が論じられていながら古代と現代が浮かび上がって来ることに驚かされます。クローチェの言うように、歴史は現代史を思わされます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

桶谷秀昭(文藝評論家)

 大変な労作で、しかも労作にとまなふ当方の負担感がなく、風通しのいい、颯爽たる行文、まことに魅力的な本です。

 ショォペンハウエルの訳業と論、以来の薀蓄がここに活きてゐる。ローマは一日にして成らずの感を新たにしました。

~~~~~~~~~~~~~~~~

池田俊二(元『通信協会雑誌』編集長)

 いま、二回目の真ん中あたりに来て、ほんたうに久しぶりに読書らしい読書を愉しんでゐますが、一言だけ感想を申し上げたくなりました。あるいは、御著を一言をもって評すれば、かういふことになるのではないかといふ気がして来ました。それは著者が『契沖伝』の久松潜一と全く逆の行き方をしてゐるといふことです。

 「契沖の作業場の姿が浮かんできません。日々彼が何に呻吟し、言葉選びにどういう工夫をしていたか、そこを書かなければ。。。」「肝心なこと―契沖の心がすっぽり抜けている」のに対して、御著では、あの膨大な登場人物が(勿論与えられたスペースに応じてではありますが)、全て活々と動いてゐます。そして「心」を見せています。彼等が何に苦しみ、何を喜び、何をごまかさうとしてかまで、相当程度見えます。これは著者が彼らの言動を手がかりに、能ふ限りの深奥まで分け入り、見たことの一端でせう。私には孔子の「心」まで、いくらか見えてきたやうな気がします。

~~~~~~~~~~~~~~~

安本美典(日本古代史家、言語学者、『季刊邪馬台国』編集責任者)

 まことに興味深く拝読いたしました。
 「言語の根源は音であって、文字ではない」などは言語学のイロハだと思うのですが、それも通じない頭でっかちの方々からの言説は困ったものです。

 文字など、たかだかここ五千年から一万年に出現したものであって、それ以前の人類は言語らしい言語がなかったとでも、この方々は思っておられるのでしょうか。

 また文字なしで世界を半周以上するほどの大航海民族であったマライポリネシアの民族は、言語らしい言語を持っていなかったことになるのでしょうか。

 同封にて拙著『日本神話120の謎』を贈呈させて頂きます。

 西尾先生はどちらかといえば、本居宣長系で、私はどちらかといえば新井白石系なので、あるいは違和感をお持ちかとも存じますが。

 いずれにせよ江戸期に古典の探求についての重要な種がまかれているわけで、江戸期に光をあてることは、現在のわれわれを知るために重要なことだと存じます。

 現在西尾幹二先生自身の筆による「西尾幹二のインターネット日録」は休載中ですが、西尾先生の許可を得て、管理人が西尾先生関連のエントリーを挙げています。

 4月4日、「江戸のダイナミズム」出版記念会の折に、受付で全員に配布された36ページの小冊子があります。その内容を順を追って紹介しています。

 また、この小冊子は非売品ですが、西尾先生のご好意により、多少残りがあるので、ご希望の方にはお分けしたいとのことです。希望される方はその旨を明記し、コメント欄にてご連絡ください。住所等個人情報は折り返しメールが届いたときに、メールに記述してください。

(文・長谷川)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です