寄せられた読後感から
早川義郎(元東京高等裁判所判事)
(西尾氏とは高校時代からの友人)
昨夜、貴兄の大著読了。快挙と言うべきか、凄いの一語に尽きますね。読むそばから忘れるような読み方で申し訳ないけれども、老眼鏡を取り替え、前をひっくり返しては先に進むといった調子で三日がかりで読み終えました。しかし読んでいて、知的興奮を抑え切れぬものがありました。
小生、これまで古典のテキストについて問題意識を殆ど持たず、荻生徂徠も本居宣長も読んだことがないという低レベルの読者ですが、西尾幹二という思想家(この言葉が好きかどうか知りませんが)のスケールの大きさと奥行きの深さにはほとほと感じ入りました。古代から現代へ至る日、中、欧にわたる膨大な文献、資料を探し出し、読みこなし、記述の背後にあるものを剔出したうえで位置づけし、採るべきものを採り、壮大な西尾史学・文献学の体系を構築した、その凄まじさに圧倒される想いです(おかしな表現ですが、二十頭ほどの犬(専門家)を巧みに操って知の極北を目指してひとり橇を走らせている孤高の男を連想しました)。
『国民の歴史』の蓄積が基礎にあるとはいえ、よくぞこれだけのものをほかの仕事と並行させながら書き上げたものだと感心いたします。この本を読んだだけの(著者を見たことのない)読者には子犬にじやれって相好を崩している好好爺のじいさまは想像つかないでしょうね。
また、中身の濃さはいうまでもなく、切り口も、語り口も軽快で、念を押すところはきちんと押し、そのお陰で難しい内容のものを愉しく読むことが出来ました。子安宣邦をやっつけるあたりは痛快極まりなく、思わず喝采を送った次第です。
今日は、基礎的知識をうるため、早速、三省堂で萩野貞樹の『歪められた日本神話』を、古書店で中公新書の『古代アレクサンドリア図書館』を買ってきました。
「江戸のダイナミズム」を巡る色々な方の書評を拝読させていただき、西尾先生の場合、知的探究心とほとんど同じ意味である、交友範囲の広さへの驚きを改めて強く感じています。早川さんのような法律家とも親しくされていたことも新しい発見でした。桶谷秀昭さんについては、今でもよく「昭和精神史」を読み直しますが、もちろん、西尾先生が文芸誌に文芸評論を執筆されていた頃の文壇雑誌にも、桶谷さんは色々活躍されていて、戦後の文芸評論を語る上で、欠かせない人物の一人です。あるいは安本美典さんは、その邪馬台国論はもちろんのこと、数理的な面から掘り起こした、巧みな欠史八代天皇実在論など、実に刺激的な古代史の大家ですが、やはり「国民の歴史」以降に、西尾先生の知的探求の世界で、必然的に触れ合うことになった知性の持ち主ということになるのでしょう。
そのたくさんの書評の中で、私に、本質的議論としていろんなことを考えさせてくださったのは、宮崎正弘さんの書評でした。宮崎さんが、本書で触れられていない、イスラム教について、記されていたのですが、「原典」と「真理」について、考えてみるところがありました。
イスラム教においては、よくも悪くも、原典との距離が確定的なもので、このことがイスラム教の穏健な合理主義、反面、政教分離を難しいものにしている、ということがいえるように思います。私はイスラム教徒の人と議論したことがほとんどないので、想像的にしかいえませんが、原典との距離がこういうふうに置かれている場合、「真理」を巡る対話というのは、純粋に原典解釈を巡り「安定して」なされるものになるのでしょう。事実的な問題として、イスラム宗教国家の多くがいまだに法的な国家最高機関をコーランの解釈評議会におき、また国民主権でも国王主権でもなく、「アラー主権」という私達からすれば不思議な政治的原理を憲法においているのは、この「安定感」に由来していることだと思います。イスラム教の精神的風景というのは、原典を中心に、アラーや預言者、信仰者の関係が実に安定した精神的治安状況のもとに整理されている世界であるといえます。そこには、「原理」のせめぎあいというような、不安定なものが生じる余地は全くないといえます。
仏教について考えてみると、話は少し複雑になるように思えます。仏教教典を読むと、ブッダは「真理を悟った者」としてあらわれます。仏教の難解なロジックはさておき、私にとって興味深いのは、「真理」との距離、なのですね。真理を悟った者であるブッダの言葉に、対話者はただちに納得せざるをえない。「批判」をするならば、それはブッダの教え=真理を理解していないことをただちに意味してしまうのですね。ここでは、「真理」を知りえない者どうしが「真理」を巡って対等に対話する資格があるという、ソクラテス的世界は実は全く成り立ちません。これを「安定感」というのは語弊があるかもしれませんが、しかし少なくとも、「真理」との距離は固定的なものである、といわざるをえないでしょう。大切なことは、「真理」との関係が安定したものである以上、「預言者(マホメット)がこう言った」「真理を悟ったもの(ブッダ)がこう言った」ということが、ただちに「真理の証明」の証明になりえます。しかし「ソクラテスがこういった」といっても、それは「真理の証明」にはなりません。「真理に対しての原理」の存在がせいぜい証明されるに過ぎません。ソクラテスを研究する人間は、ソクラテスと同等の立場で「真理」を巡り対話(研究する)立場を、絶対的に有しています。プラトンにしてもデカルトにしてもカントにしても同様ですし、実は、原典との距離が不安定極まりないヨーロッパ世界の神学というものも、そういうものといえるのではないかと思います。しかしブッダの場合、「真理」について、「同等の立場」で対話・研究するということなど、ありえません。せいぜい、ブッダの弟子が、それをなしうる「資格」を有していたにすぎません。
孔子の場合は、自らを真理を悟った者とは言いませんでした。孔子が「真理」あるいはそれに近いもの、といったのはせいぜい伝説的古代中国王朝の古典文化だったわけです。しかし孔子のロジックは、「真理」ということを、時間的古代性に帰属させるものだったため、やはりソクラテス的世界のような対話世界を可能にはできませんでした。孔子は弟子達より年配だったから「真理を悟ったもの」として、弟子達と対話者として対等でなかったという言い方さえ可能かもしれません。そして儒教が時代を追って体系化されればされるほど、本来、イスラム教や仏教のような性格を本来、もったものでない儒教が、「真理」との距離を安定したものにしてしまう。孔子もまた、「真理を悟ったもの」にされていってしまうのです。メレンドルフを「文学官僚」とおっしゃったのは西尾先生の見事な至言ですけれど、言い換えれば、膨大な「儒教官僚」を生み出してきた背景というのは、孔子のロジックを固定化していく中で生み出していった、「真理」との距離意識の安定感に他ならなかったといえましょう。
少し遠距離のある感想めいてしまいますが、「江戸のダイナミズム」で紹介されている江戸期の思想家群は、儒教が時代を追うに連れて有してしまったこの安定感を懐疑して、「真理」を巡る対話、すなわち「原理」のレベルでのせめぎあいということに、日本人の精神史を展開させた人達なのだ、ということも、概括的に言うこともできるのでしょう。私にとって関心があるのは、ヨーロッパでは凄絶な歴史的悲劇として背負わざるをえなかった「真理」との距離を、江戸期の日本の思想家達は、自分達の精神的格闘ということで意識していったのではないだろうか、ということです。ニーチェや西尾先生が言われるように、読書というのは、実は激しい精神的行為なのでしょう。
西尾先生がいつも言われるように、西欧と日本の安易な比較や同列視は慎むべきですが、少なくともいえることは、イスラム教文化の精神史や、原始仏教の性格の濃い文化の精神史に、日本人のそれを連想させるものを発見するのが難しいのは、この「真理との距離」ということではないだろうか、と、宮崎さんの書評を読んで、ふと感じた次第です。
宮崎正弘さんのイスラム教についての言及からイスラム教、仏教と色々と想いをめぐらせていくと、「江戸のダイナミズム」9章の富永仲基論が、とても興味深い章として再読できるように思います。
最初、「江戸のダイナミズム」を読んだとき、富永仲基論は「前提編」の最後の章に位置し、その後の壮大な「展開編」の直前に位置するので、何となく閑話休題的な章ではないかと思いました。しかし普遍宗教(仏教)と日本人のかかわりということの再考を促すということでは、実はこの章をきちんと消化しなければならないということに、気づかされました。
ブッダは「悟りをひらいた者」であり、彼への批判はただちに「真理」の否定を意味し、「対話」ということはありえない、それは「真理」との距離を意味してしまう、というふうに私は考えますけれど、そうした哲学的な解釈とは別に、仏教というものは、「真理」との距離の問題を、その歴史の大部分において有してこなかったといえます。西尾先生は、「1820年以前に、宗教としての仏教は全く存在してこなかった」といわれますが、このことは、実は全く正しいことだといえます。
少なくとも私のまわりには圧倒的に多いのですが、よく日本にいる「熱心な仏教徒」は、自分達の宗派の正統性を、「・・・経は、ブッダが云々のときに、いろんな経典の中で正しい教えといったのだ」としたり顔でいうのを常としますが、私は昔からそれが実に疑問でした。しかも注意すべきなのは、この安易な姿勢の多くが、ブッダの入滅直前に語られたという、時間的正統性をくっつけていることです。客観主義的精神というのももちろん怪しいものですが、如何せん、何年に何処で、ということを全然説明しないでさらりとそういうことをいってのける、これは本当に信仰といえるのだろうか、という疑問を感じてきました。「信じることは信じないことである」というサルトルの言葉がありますが、本来、信仰というのは、信じられないような可能性を孕む状況において、あえて「信じる」という行為に踏み出す精神行為ではないかと思います。どうも私には、日本の仏教徒の大半は、「信じる」という行為を必要とするような状況に直面して格闘しているようには思えないのですね。
ヨーロッパ(キリスト教)は血みどろと暗黒の歴史展開の中で、「原典」とのかかわりを不安定にしました。しかし、仏教の場合は、表向き、その痕跡そのものが消滅してしまったこと、そして、歴史意識と時間意識の不在の中で、他文明がいうような「記録」というものが存在してこなかった、ということなのですね。これはキリスト教よりもっと徹底した根本的な不安定さだといえます。にもかかわらず私達日本人が「安定」して仏教を「信仰」してこられたのは、日本の仏教が歴史意識と時間意識を完備した漢訳仏教の世界だったから、ということに他ならない、と西尾先生は正しく指摘されています。私は寡聞にしてわからないのですが、こうした、原典との対決姿勢を欠いたまま成立してきたアジアの各時代・各地域の仏教国家というものが、そのために、裏返しの「安定構造」をその国民精神に絶えずどこかにもってきてしまった、ということが、もしかしたらいえるのではないでしょうか。
「本当はどうだったのか」「本当は偽書ではないのか」という探求心それ自体が非仏教的である、という指摘も可能かもしれません。ある歴史学者が言ったように、仏教ではすべてが「空」であり、実は「教義」なるものが存在しない宗教だといえるからです。しかしそのことと、漢訳仏教の世界のあまりに整然とした「安定構造」を批判し解体する精神は、必ずしも矛盾しないことである、ともいえるでしょう。そういう意味で、富永仲基の聖典批判というのは、近代的精神に接近した江戸時代の思想家の営為の中でも、はっきりと、きわめて優れたものである、ということがいえるということになると思います。もちろん、9章の最後で西尾先生が巧みにもきちんとことわっていらっしゃるように、富永仲基を賞賛する精神が実はヨーロッパ人的に切り取った意味でのアジア宗教観に根ざしたものにすぎないかもしれない、という指摘を忘れるべきではないですね。悟者としてのブッダへの批判そのものが真理への拒絶を意味する、という私の考えも、実はそういうヨーロッパ中心主義・近代中心主義からのアジア観・アジア宗教観にすぎない、という警戒もまた、必要だということになるのでしょう。