小冊子紹介(十五)

寄せられた読後感から

武田修志(鳥取大学助教授)(1)

 「あとがき」に「長編小説と思って読んで下さっていい」という言葉がありますが、確かに私はこの評論を一遍の長編小説のように味わったという感じがします。これは、信ずるものをことごとく失って混迷を深めている現代日本における、新しい自己探求の物語と言ってよいのではないかと思います。平成日本の「聖杯物語」ですね。どんな価値も根底から疑わざるを得なくなった主人公が、前人未踏の野へ歩き出した、その最初の本格的な旅路を描き出したもの――そんな印象を持って二度通読しました。

 ごく普通の言い方をすれば、この書が言っていることは、江戸時代の再評価ということになりますが、この本はそういう手堅い目的をはみ出して、今言ったように、日本人にとっての「聖杯」を求めての自己探求となっています。

 その理由の一つは、やはり著者が、多くの江戸時代再評価論者とは、時代認識のレベルを異にしていて、近代的価値そのものを根底から疑っているからでしょう。(たとえば25ページに「私は『近代的なるもの』それ自体が今の21世紀初頭に崖っぷちに立たされているという認識に立っています」という言葉が読まれます)。そして、どうして、著者がこういう認識を持っているかと言えば、学問するとは、単なる認識の獲得ではなく、同時に、学問するというこの人間的営為には、必ず自己の魂の救いと言うことがなければならないと考えているからでしょう。『近代的なるもの』は、人間の生において、無価値ではないけれども、究極的には人の魂の救いには無力です。

 この本において初めて敢行された批評的冒険は、日本を中心に据えて、単にヨーロッパと比較するのではなく、また、単に中国史・中国文化の影響を論ずるものでもなく、日本、ヨーロッパ、中国の三局を立てて、その精神の胎動、文化の動向を文献学というキーワードで締めくくるようにして、平行して論じたことでしょう。

 これは日本の学問界・評論界で初めて行なわれた試みではなかろうかと思います。これは極めて大胆な試みで、最初読んだときに、この本は何をテーマにしようとしているのか、いささかまとまりに欠けるという印象を抱きましたが、二回目に読むときには、この大胆な試みが、これまでにない、日本史、日本文化を見る視点を提供することになっていることに気づかされ、大変面白く、知的興奮を味わいました。

 先生のヨーロッパ文献学の造詣が深さは勿論知っていましたが、中国考証学についての御勉強ぶりには、全くびっくりしてしまいました。私などは、そもそも清朝考証学といってものがあることも、今回この書で初めて教えて貰った次第です。

つづく

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