荻生徂徠と本居宣長(四)

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神話を神話として理解する
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西尾  : 宣長とは異なり、これまで多くの人々は歴史をもって神話を解釈しようとしてきました。その一つが神話の歴史反映説で、たとえば出雲の有名な神様と畿内の神様が出会って戦い出雲が屈伏した物語から、出雲族と天孫族の対立の歴史を引き出し、日本の古代史の展開をそこに重ね読みする歴史解釈などが典型的ですね。

長谷川 : 古代に女の将軍と男の将軍がいて、両軍が相戦ったのが・・・・・

西尾  : イザナギ、イザナミの話だとか(笑)。

長谷川 : その類の話が、荒唐無稽なつじつま合わせだというのは確かです。ただ神話をわれわれがどのように理解するかを考えたとき、これもけっこう難しいものがあります。たとえば、われわれは開闢の神話を読んで、無意識のうちに、それをなにか遠い昔の話のように考えてしまう。でも、それはすでに、神話と科学(たとえばビッグバンの仮説のような)とを混同しているのです。「天地初発之時」はつねにわれわれ自身の時間において繰り返される――この認識をもたなければ、「神代を以て人事を知」るんだなどといってみても意味はない。神話を神話として理解するというのは、じつは大変な精神的冒険なのです。

西尾  : 人間はどんなに科学が進んでも、自分がどこから来てどこに向かうのか全然わかりません。神話は人生のその相に触れています。私は、神話のなかにさまざまな教訓を読み込むことが正しいとは思いません。また、ユングの心理学を使って解釈するのもどうでしょう。天照大神のもとで素戔鳴尊(すさのおのみこと)がめちゃくちゃに乱暴するのをアニマ(魂)とアニムス(アニマの男性型)と解釈して、これが人間性の原型みたいなものだという。心理学者の神話解釈では、そのような類の物言いがなされます。

長谷川 : そのような解釈では、神話とそれを語る人物とのあいだに、大きな距離があるのですね。一方、宣長が「神代を以て人事を知れり」というときは、そうではない。一口にいえば、宣長は神の間近に立っているのです。

西尾  : 長谷川さん、大東亜戦争を私たちはもうよく、立派に思い出すことができません。私の父母が健気に必死に生きたあの時代が、私には「神話」の世界のように思えてなりません。

 話は変わりますが、中国においては、聖人・孔子による「神話抹殺」が儒学の基本になっています。儒学から神話は徹底的に排除されたのです。孔子も「三本足の神様」というような記述があれば、「三人の人間」と書き換えたりしました。これにより儒教何千年の歴史が、合理主義に徹したというわけです。これは日本の儒学に強力な合理主義を形成する背景にもなっていました。

 しかしながら江戸から明治あたりまでまだ儒教の影響はありましたが、その後日本では、神話を排除して合理主義を貫く儒教は、あっという間にその影響力を失ってしまいました。たとえば儒教の基本的な経典、四書五経でも、四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)はある程度読み継がれていますが、五経は今日、テキストを手に入れるのさえ困難な状況です。江戸時代から明治までかなりの影響力があったはずの文化が消えてしまった。影も形もないといってもいいくらいです。これは結局、儒教が心の奥底では日本人に受け入れられていなかったからだとしか思えません。

長谷川 : 漢詩をつくれる人も少なくなりました。

西尾  : そう考えたとき「脱儒教」となった責任は、日本文化ではなく、儒教の側にあるように思うのです。このことを徂徠は、見抜いていたのではないか。

長谷川 : 儒教というのは日本人にとって、ある種の科学的思考をするための道具だった。しかし明治に入ると、西洋から科学的な社会システムが導入され、それに完全に依拠したため、中国的な思考を必要としなくなったと考えられます。

西尾  : 表面的なテクニカルな部分だけで十分だったのです。そのことも徂徠は見抜いていた。また徂徠は政治のあり方として、「先王の道」を伝授するには、文学と学問と同時にスキンシップも大事で、そのためには狭い地域で君主が民衆と接する、封建制度のような制度でなければいけないと述べています。だから理想は周の時代で、科挙官僚制といえる郡県制度下にあった秦漢以降の在り方を否定しています。

つづく

「荻生徂徠と本居宣長(四)」への1件のフィードバック

  1. 私も月並みというより通俗的といっていい関心を、古代史一般に対してもっている人間なので、古代史の本に一時期ずいぶんはまった時期がありました。中でも岡田英弘さんの「倭国」(中公文庫)には大胆ともいえるその切れ味に関心するところが少なくありません。しかし反面、岡田さんに対して全く相容れないものを強く感じた面もありました。それは何かというと、「神話」に対しての扱い方ですね。
     
     岡田さんは言うまでもなく東洋史の大家で、「歴史とは何か」(文春新書)で展開される歴史観はとても刺激的であるし、またその重厚な歴史観を基にした現代中国や中国史に対しての痛快な批判的著作の数々などから、知識や見識の恩恵をずいぶん受けてきました。しかし岡田さんほどの人でも、こと、「神話」とは何か、という知的検証は、全く放棄されているんですね。

      岡田さんは「倭国」で、「日本書紀」の記述を厳しく批判し、たとえば、神武天皇から応神天皇までの15代の天皇を架空の天皇と断じ、その他、「日本書紀」の有している時間的・資料的矛盾をいろいろと指摘しています。岡田さんが言いたいのは「日本書紀」は編纂に携わった、天武天皇中心の歴史観を神話の名のもとに構成した書物である、のようなのですね。しかし私はそれを読んで、岡田さんは20世紀人として、「日本書紀」を編纂したがごとき想像力しか有していないのではないか、と思いました。だからこそこんなわかりやすい言い方ができる。しかも岡田さんは、「日本書紀」をめぐる様々な既存の歴史学や心理学からの解釈を、新たな神話つくり、というような批判を展開した上で、「日本書紀」へ、そういう新しい断定をくだしているのですね。

      僭越を承知でいうと、岡田さんからすると、「わかりやすい時代」に対置するいろいろな「不鮮明な時代」というものに、神話という、後世の作為がかかわるのだ、という図式があるのではないか、と思いました。勿論それは一面の真実ではあると思います。しかしこの対談で西尾先生が指摘されているように、私達はすでに第二次大戦という「鮮明な時代」をどこかで決定的に神話化しています。或いは、アメリカの建国神話やフランスの革命神話という、大変新しい時代の「神話」もたくさんあります。

      「それらは神話でなくエピソード」だ、という人がいるかもしれませんが、アメリカ人やフランス人と話せば、彼らが事実の存在の検討により、「エピソード」を捨てる、とはとうてい思えません。「エピソード」と「科学」の対決はどこかで決定的に放棄されています。ゆえに「エピソード」でなくて「神話」なのですね。時間軸的に近代にずっと寄ったところに生まれたこれらの「神話」はどれも、長谷川先生が言われるように、私達の人生で繰り返される「始まり」というものに触れる役割を果たしています。かくして、科学はついに神話に及ばない、という西尾先生の言葉は、その正しさを強調してしすぎることはないほどに、全く正しいものなのですね。

      戦前の人の方が、やはりこうしたことをわかっていた気配があります。たとえば古代史の実証主義的研究をおこなって神武天皇を「日本書紀」がいう年代よりずっと後世の人間だ、と「科学的」に断じた那珂通世は、そういう主張をしながら、「歴史教育」と「歴史研究」は別のもので、神話を神話として教えることは、「歴史教育」として必要なのだ、と言いました。おそらく彼には、「神話」は実は歴史学の純粋な対象にはなりえない、という価値判断が存在していたのでしょう。

      こうしたことを踏まえて、西尾先生が強調される徂徠の封建時代肯定論は非常に面白いし、近代社会の神話不在にあちこちで悩まされている私達にとって、生き方や考え方の大きなヒントになるのでは、と思いました。たとえば、「先王の道」を、神話一般と読み替えてみて、神話との「スキンシップ」を継続するというのはどんなことか、考えてみると、日本の天皇制度の在るべき姿というのも、ややこしい制度論などよりよほど自然にみえてくるのではないでしょうか。

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