『日本がアメリカから見捨てられる日』の刊行(三)

 「まえがき」に代えて9ページにわたって大、小あわせて24個のアフォリズムを巻頭に掲げたのが、本書の新しい試みの一つである。その中から5つほどここに紹介しておこう。

===================

 悪い環境下ではときに強い人間が育つ。しかしあまりに悪い環境下では、どんな人間も育たない。他方、あまりに恵まれた環境下では、弱い人間ばかりになってしまう。けれども、あまりに恵まれた環境下であっても、それに負けない人間は必ずいるはずである。そしてそれが一番の本物なのだ。

* * *

私が一生かけて戦ってきたのは、左翼でもマルクス主義でもなく、人の心を思い通りに扱おうとする、つまり人間を自由にできると信じている便利で、軽薄な政治主義なのである。

* * *

インターネットによる交流という「言葉だけの人間関係」の自由のよろこびは、確かに新発見だと思うが、――しかしいつか気がつくと思う――そこにおいても人間は孤独であり、不自由であり、危険と隣合わせに生きているという事実を片ときも見落としてはなるまい。

* * *

保守という派閥は存在しない。保守主義というものも存在しない。私は真の保守を唱えるつもりもない。存在するのは「真贋」の区別だけである。
私は「保守運動」などというもののために生きているのではまったくない。これだけははっきりさせておく。

* * *

歴史に再生はない。未来に復活もない。過去は不可逆であり、未来は予知不能であり、存在するのは現在だけである。歴史は現在という点のつながりであり、過去においてもその時の現在という点があっただけである。そういう限界に直面している人にだけ、現在という点の中に過去が映し出され、未来がおぼろげながら予想されるのである。それ以上のことは人間の身には起こらないのだと思う。

==================

巻頭に掲げたこうしたアフォリズムは、この本の付録みたいなものだが、必ずや立ち停って考え、考えては立ち停るひと時を持っていただけるであろう。とりわけ三番目の短章は、「緊急公告」の騒ぎの後ではひとしお「日録」の読者の心に訴えるものがあることを信じたい。

誤字修正(9/5 19:31)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です