非公開:私のうけた戦後教育(三)

民主教育の矛盾と欠陥

 知識教育がその後全国的にいっせいに再開されたということは、戦後の民主教育の根本的な矛盾と欠陥が克服されたことを意味しはしない。じつはそこに問題があるように思える。教育に民主主義という抽象理念をもちこんで、その純粋培養をはかろうとすることの愚さがひろく認識されたことの結果ではけっしてない。受験という否応のない現実に強いられ、仕方なく理念を修正し、頭の中の抽象的夢想を一時保留しておかなければならないと、やむなく教育者が妥協した結果でしかないように思える。私が受けた教育経験だからそう言うのではない。最近ある進歩的教育集会に出席してみて、しみじみそう感じた。

 受験競争は社会の現実が生み出した一つの「必要」であって、善し悪しは別としても、そこには実体がある。が、教育者はそういう事実を認めることをつねに避けようとする。現実に耐えることから出発しようとする姿勢がまったくない。ただただ現実を「悪」として否定し、自分の仲間うちだけ通じる符牒のような言葉で、あるべき教育の姿を論じて夢想にふけっている。そして二言目には受験が教育を歪めているという。裏返せば、受験という強制の枠を外されれば、明日にでも民主主義という名の「道徳教育」の実践に乗り出し、子供を意識的・人為的・目的的な教育観の道具に化そうというのであろう。彼らがそういう目論見を意識しているというのではない。無意識ではあるが、というより無意識であることこそ、結果がこわいのである。

 多少皮肉な言い方をすれば、受験競争、出世競争があるからこそ教育は今日辛うじて教育らしい格好を保っているのではないか。教育の情熱が生きているのは、予備校だけではないか。それ以外のところでは、できれば子供を少しでも甘やかして育てたいという善意の倒錯があるだけだ。教育などはじつはどこにもありはしない。必要十分な知識を学ぼうとする激しい情熱、悪意や怨みをかってでもそれを教え込もうとする厳しい熱情――そういうものの生きていないところでは、教育そのものが成り立たないのだ。

 もし道徳教育というものが行なわれるとすれば、それは知識や技術を伝達していくその形式、態度、方法によって表現され、その厳しい習得過程のうちに自ずと形づくられるものなのである。けっして特定の「徳目」によってではない。かつて人文主義的な教育理想が追求されていたドイツのギムナジウムで、ギリシャ語やラテン語の詩句の暗記などがいかに厳格に行なわれ、そういう味けない作業を通じて西欧の伝統的な詩型と韻律への感受性、古代への愛情とその理想主義への畏敬の心が、いかに効果的に培われたかを考えれば、知識を軽視し、抽象理念を振り廻すといったようなことが、教育の自己破壊であることは自明の理であろう。

 にもかかわらず、毎年三月が来るたびに中学・高校の予備校化が新聞の話題になり、教育を歪める知育偏重の声が叫ばれる。知育偏重そのものはけっして悪いことだとは私には思えない。それどころか今日の教育の現状から考えれば、知識と技術の伝達はまだまだ足りないのだ。私自身甘やかされた教育課程を歩まされてきたお陰で、自分の中にたえず基礎的な知識や技術上の訓練の不足を感じている。私は勿論過去の教育内容に責任を転嫁しようなどと思ってはいない。

 が、ときにはなぜもっと漢文などを自由に読める下地を与えておいてくれなかったか、なぜ大学の教養課程でラテン語やギリシア語の少くとも一方を必須科目にしておいてくれなかったか、などという弱音を吐くときもないではない。そういう不満は私ばかりではない。

 戦後教育をうけてきた者が戦前の人達にもし劣っている点があるとすれば、この基礎的な訓練であって、例えば漢語造形能力、古文に親しむ習慣。ドイツ語ひとつを例にとっても、旧制高校では一週13時間あったものが、今日では4時間しかない。そしてなんら統一のない雑多な諸科学の詰め合わせセットを教養と称し、「幅広い教養人の養成」というまたしても抽象的・目的的な見取図によって、一番大事な時期に多大の時間を分散させ、二年きざみの学制によって自己集中の機会を逸している。

1965 年(昭和40年)『自由』7月号

つづく

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