非公開:『三島由紀夫の死と私』をめぐって(五)

謹啓 

 『飢餓陣営』の論文拝読しました。日録に感想を寄せた方々と同じ思いです。先生の『ヨーロッパ像の転換』の本の帯に三島氏の言葉があったと記憶します。「これは日本人による『ペルシャ人の手紙』である。……我々は一人の思想家を見出した。」という内容だったと思います。それで三島氏は早くから先生に対して相当の評価をなさっているのだと思っていました。

 あの事件の翌日、三島氏の本を買うために店頭に多くの人が並ぶニュースを見ました。当時先生が書かれた論文を読んでも十代の私には理解不能だったはずなので、今回の連載は大変有難い気持ちです。難しいので何度も読みました。

 三島氏の二元論、政治と行動などの問題についてこれ程精密な文章を私は初めて読みました。読んだ後は切ない気持ちになりました。まるで何度も聴きたくなる交響曲のようでした。近頃思うのですが、自分たちの靖国神社のことを外人に教えてもらう必要は全くないし、映画『明日への遺言』も上司の鏡だという似たような感想ばかり目につくので、かえって観る気が失せてしまいました。

 本当のことや肝腎なことは何も語られない社会。我々は、他人の服を着ている様な居心地の悪さを感じつつ、そこに安住することなく、両眼をカッと見開いて、絶えず過去を振り返りながら真の自己に突き当たる瞬間を求めて、未来に向かって走り続けなければならないのでしょうか。背筋の伸びる論文でありました。小さくかつ乱筆お許し下さい。
                                敬具
平成20年4月12日

 私信でしたが、私にはありがたく、しかもいい内容のご文章でしたので、取り上げさせてもらいました。女性の方からです。講演会でお目にかゝったことがあり、お名前は存じていますが、住所が書かれてありません。掲載は困るという場合には、その旨至急ご一報ください。消去します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です