日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(三)

9月10日(金)
 午前11:00オーストラリア放送から頼まれたインタヴューを受ける。オーストラリア放送東京支局はNHKの建物の中にあるので、どうせ午後御茶の水の医科歯科大で歯の治療を受けるので、早めに出て自ら局に出向く。

 日本女性がインタヴュアーで、ほかにはオーストラリアの女性ひとりとカメラマンの三人が私を迎えた。テーマは外国人労働者問題。久し振りにこのテーマである。またまた世間の関心が高まっているようである。

 オーストラリアは白豪主義と言って、人種差別のはなはだしい国である。60年代にギリシア人とイタリア人の移民を迎え、そこまではよかったが、70年代にアジア系移民を大量に受け入れてトラブルが始まった。移民国家なのに移民反対政党も出現したはずである。

 私が何を心配して受け入れ慎重論者であるのかが知りたい、と、質問はしきりにそこに集中する。日本人が加害者になる可能性が一番恐ろしいと私は述べた。本来日本は階層が固定しない流動社会である。それなのに約8パーセント――ドイツ、フランス、なみに考えれば――の外国人定住化は1億2000万の日本人の内部に1000万人の外国人が定住化することを意味する。どこの国でも先進国の単純労働力受入れは8パーセント前後に近づく。しかも複数の民族の渡来で1000万人はカスト化する可能性が高い。例えば中国人が外国人の中の上位を占め、ベトナム人が下位を占めるなど。日本人は複雑にカスト化した民族間闘争に巻きこまれるだけでなく、彼らの総体とも対決しなければならなくなるので、日本人社会の内部は流動性を失い、受身のまま硬直化する危険がある。硬直化は社会の進歩を阻む。

 問われるままに、私が今まで
に論述してきた他のポイントを私は次々と語った。しかしインタヴュアーは何かを待ちつづける。テレビのことだから、実際の放送では、私の話の概要はアナウンサーが要約し、核心を衝く個所がきたところで約2分間私の顔を画面に出したいらしい。その核心が見つからなくて、あれこれ問いかけてくる。そしてさいごに「あァ、先生そこです。そこをもう一度語ってください。」

 「分りました。もう一度丁寧に言いましょう。」と私はあらためてテレビカメラに向って居ずまいを正して語った。

 「古代ローマ末期、ローマ人は奢侈に流れ、労働を嫌い、軍務を逃げ、つらい仕事は奴隷に任せ、外敵との戦いは傭兵に委ねて、その日その日をうかうか過し、やがて滅亡しました。日本人もつらい仕事を奴隷に任せればいいのですね。アメリカ軍を傭兵だと思っている日本人はとても多いのです。そのうちローマ人がゲルマン人の傭兵隊長オドアケルに寝首をかゝれたように、日本はアメリカ軍に再占領される日を迎えるでしょう。異民族がどんどん入ってきます。日本列島がなくなることはありません。列島の住民、この地への移住者が絶えることがなくても、日本という国、日本人という民族は消えてなくなってしまうのです。」

 「ありがとうございました。先生、そこを放映させてもらいます。」

 なぜこんな話を急にしたかというと、数日前、ある会合で出席者の一人が大学生5人のいる場で尖閣諸島の話をしたら、彼らは全く尖閣の名を知らなかった。そこで詳しく説明したら、大学生の一人が「そんなの簡単じゃないか。日本がアメリカになっちゃえばいいんじゃないか。」他の大学生もそうだ、そうだと言ったとあきれた面持で語ったのを思い出したからだった。

 「日本がアメリカに再占領される」という私の先述のことばの意味も今の大学生には分らないだろう。再占領されれば気楽でいいや、というくらいにしか考えないのだろう。

 再占領されれば憲法が停止され、日本人は人権を無視され、婦女子が暴行されても日本に裁判権はなく、彼ら大学生はアメリカ軍の尖兵となって最も不利な戦地に追い立てられるかもしれないのである。そんなことを今の学生は考えてもいない。けれども人手不足を補うために外国人労働者をどんどん入れゝばいいと思っている今の企業人やエコノミストも、日本の現実について考えていることはこの学生たちと大差ないであろう。

9月11日(土)
 午後1:00~5:00「新しい歴史教科書をつくる会」の総会が虎ノ門パストラルで行われた。会員全体から5000万円の寄付をお願いするというのが総会のメインテーマだった。理事が率先して寄付に応じないで、会員にだけ新しい負担を求めても通る話ではないだろう、と私は秘かに思ったが、総会では黙っていた。

 ひきつづき5:30から、同じホテルで懇親会の今までの形を変えて、「前進の集い」という名で、東京都の新しい採択を記念して、各界の名士をあつめ、八木秀次会長の就任のおひろめを兼ね、どなたでも参加できるオープンな祝賀パーティーが開かれた。

 私は祝賀の会で何があったかをいちいち報告する煩に耐えない。政治家からの祝電ではやっぱり安倍晋三さんのものが一番長く心がこもっていたこと、皆さんのスピーチがとても上手で面白かったことなど、語ればきりがない。

 そこで私は、自分の印象に強く残ったスピーチをひとつだけ書いて記念にしようと考え、「二宮清純さんのこと」と題した一文を日録に掲げた。短いこの一文で「前進の集い」の全体の雰囲気を代表させたつもりだった。

 当日録に接続する「感想掲示板」に「前進の集い」に参加した人の報告文が皆無だったことが、私にはやゝ意外であり、また今非常に不満でもある。全体の報告は私ではなく、どなたかに代表して書いてもらいたい。

 だいたい「感想掲示板」は「新しい歴史教科書をつくる会」の応援をも意図していたのではないだろうか。このところまるきりそうでないのが心外である。、若い八木新会長就任についてもほとんど関心が払われなかった。「西尾幹二感想掲示板」は最近少しおかしい。変質している。自分の狭い関心にだけかまけたテーマで書き込む人が多い。共通の感情を失っている。

 今度また「前進の集い」のような関心が共通する催しがあったら、参加者の誰かゞ私に代って会の客観的な報告をしてほしい。

 さて、「前進の集い」では最後のしめくくりの挨拶を私に託された。『史』(9月号)巻頭に書いた一文とほゞ同内容の話をして、祝賀ムードに少し水をさした。ここに同誌から全文を引用しておく。

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 愛媛につづいて東京の6年生一貫校でわれわれの教科書が採択されたことは嬉しいし、関係者に厚く御礼申し上げる。しかし3年前に養護学校の採択に実績を上げたこの二ヶ所以外に、新しい採択校が他の府県で名乗りをあげてくれないことにむしろ私は心を痛めている。公立の6年生一貫校は全校で毎年次々と新設されているはずである。

教科書の採択は教育委員の権限とされる。しかし実際は違う。現場の教師が選んで、順位をつけて上へあげる。上にはPTA代表や学識経験者などから成る選定委員会という、教育委員会とは別の組織が存在し、そこでまず決められる。教育委員はめくら判を押す役目にすぎない。選定委員会に教育委員が入っている場合もあるが、権限は比率に応じて下がる。選定委員は元校長など、教師の世界と直結していて、日教組に左右され易い。例外は若干あるが、全国的にまずこの形態である。

だから平成17年夏の期待される採択にも、私の見通しは暗い。教員支配のこのシステムを毀し、本当に教育委員が全権を掌握し、しかも教員上りを教育委員から排除する法律でもできない限り、日本の成熟した社会の常識が教育を動かすということは起こらない。教師の世界は一般社会より半世紀遅れている。

八木秀次新会長を中心とした新しい体制には本当にご苦労をお願いしなくてはならない。今度の採択で一定の成果を上げなかったら、ひとえに右の閉鎖的システムのせいで、新しい力をもってしても固定した旧習を毀せなかったことを意味する。そうなると、歴史や公民は検定をやめて自由出版にせよ、という声が一気に高まるだろう。責任の所在を不明にする教育委員会制度そのものの廃止が叫ばれるだろう。

この意味で八木氏の果す役割は運命的な位置を占めている。若い会長が新任されたのは会が未来を信じている証拠で、その生命力が必ずや壁を打ち破ってくれるであろう。

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 「前進の集い」のしめくゝりの挨拶ではほぼこれと同内容を話しことばにして、強弱をつけ、分り易く語ったが、最後にこうもつけ加えた。

 「『新しい歴史教科書をつくる会』の若返り会長人事を真似していただきたいところがある。自民党です。どうか自民党はわれわれのこの人事をぜひともモデルにして、思い切って若返っていたゞきたい。」と語って、万座を笑いにして終らせた。

9月12日(日)
 どういうわけだかこの日私は9時間寝てそれでなお眠り足らず、朝食を食べて寝て、昼に起きて少し食べてまた寝て、何と合計13時間も眠った。

 それで夜になるとまた眠れた。我が家の老犬のようである。こんなことがときにあるのである。あっていいのだろう。昨日の会は三次会までつき合ったが、酒で疲れたとは思えない。

 2冊の著作が同時進行している。根をつめている。やはりそれで疲れているのだろう。

 余りに眠りつづけると、このまゝ快く死に至るのかと思う。しかし深く眠ると、翌日は生命感が甦っているのを感じる。

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報  告

(1) 10月17日(日)(関西の読売テレビ)
西日本だけのテレビ、よみうりテレビ「たかじんのそこまで言って委員会」にでます。
 テーマは「日本の自虐史観と反日」。放送は17日(日)午後1時30分ー3時。
関西、中国、九州地方5局ネット。

(2) 10月23日(土)14:00~16:00
西尾幹二講演会「正しい現代史の見方」入場無料
帯広市幕別町緑館
主 催:隊友会道東連合会
連絡先:自衛隊帯広連絡部
飯島功昇氏
TEL 0155-23-2485

(3)Voice11月号(10月10日発売)

拙論「ブッシュに見捨てられる日本」25枚

尚同誌に横山洋吉(東京都教育長)、櫻井よしこ両氏の対談「扶桑社の教科書を採択した理由」があり、注目すべき内容です。

(4)11月20日に科学技術館サイエンスホール(地下鉄東西線竹橋から6分、北の丸公園内)で福田恆存没後十年記念として、「福田恆存の哲学」と題する講演を行います。他に山田太一氏も講師として出席なさいます。

福田恆存歿後十年記念―講演とシンポジアム―
日 時:平成16年11月20日 午後2時半開演(会場は30分前)
場 所:科学技術館サイエンスホール(地下鉄東西線 竹橋駅下車徒歩6分、北の 丸公園内)
特別公開:福田恆存 未発表講演テープ「近代人の資格」(昭和48年講演)
講 演:西尾幹二「福田恆存の哲学」
     山田太一「一読者として」
シンポジアム:西尾幹二、由紀草一、佐藤松男
参加費:二千円    
主 催:現代文化会議
(申し込み先 電話03-5261-2753〈午後5時~午後10時〉
メール bunkakaigi@u01.gate01.com〈氏名、住所、電話番号、年齢を明記のこと〉折り返し、受講証をお送りします。)

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戦後日本において最も根源的に人閒の生き方、日本人の生き方を問ひ、「左翼にとつて論爭しても勝てない隋一の保守知識人」と称されてゐた福田恆存氏が亡くなられてから今年で十年になります。當會議では、この機會に改めて福田思想を檢證し、今日に継承するため、御命日である十一月二十日に「福田恆存歿後十年記念―講演とシンポジアム―」を開催することに致しました。多くの皆様方のご參加を願つてやみません。

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「日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(三)」への2件のフィードバック

  1. >どこの国でも先進国の単純労働力受入れは8パーセント前後に近づく。しかも複数の民族の渡来で1000万人はカスト化する可能性が高い。

    留学した経験のある人はわかると思いますが、どこの国でも本国人との軋轢よりも、他の外国人との軋轢の方が多いですからね。

    http://p45.aaacafe.ne.jp/~matsuda/?itemid=16

    この私がタイで乗ったタクシーの運転手ですが、以前3年間日本で働いていたそうです。彼が言っていたことなんですが、「中国人や朝鮮人はいい、見掛けで日本人と区別できないから。でも、われわれは違う。” ちょっとだけ “違うから。だから、すぐに外国人だと分かってしまって、そこが嫌だった。中国人や朝鮮人がうらやましかった」ということでした。たしかに、タイ人はアジア系ですが、すこし浅黒いし、顔つきも日本・朝鮮・中国とは若干違うので、区別するのが容易です。そんな少しの違いでも外国人同士の階層化にはつながるようです。また、そんな彼でも、しきりに黒人を汚い、肌が真っ黒だからというんですね。タイ人もけっこう黒いですが。黒人はたしかに間違いなく世界中で差別されまくっていて、欧州はいうに及ばず、中東やアジアでも差別されていて可哀想なくらいです。日本に行ってみようかという黒人もいましたが、やはり差別のことを心配していました。日本は人種による差別感情が例外的に少ない国で、これが崩れるようなことがあってはなりません。ホテルのカウンターで黒人が先に並んでいて、白人が割り込もうとしても、黒人が優先されるでしょう。これは日本では当たり前ですが、他の国では違います。この「当たり前」をわれわれが見失ってはいけない。戦前に人種差別撤廃を国際連盟で訴えた先輩たちはさすがです。国際友好と外国人労働者は明らかに逆のベクトルなんです。

    >「古代ローマ末期、ローマ人は奢侈に流れ、労働を嫌い、軍務を逃げ、つらい仕事は奴隷に任せ、外敵との戦いは傭兵に委ねて、その日その日をうかうか過し、やがて滅亡しました。日本人もつらい仕事を奴隷に任せればいいのですね。

    これはEUの人や白豪主義?の人が聞いたら絶対怒りますよね。本当だけに怒る。インタビュアーとしたらおいしいところだ。EUは基本的にローマ帝国を念頭に置いている。しかし、ローマ帝国はそんなに長く続かなかった帝国だということを念頭に置いていない。白人はバカなのか賢いのかよくわかりません。

    >「前進の集い」

    中核派みたいな名前ですね。

  2. 本日の日録を読んで、日記の日付を見ますと丁度ゴタゴタしていた最中のころであり、何か思いがつのるものがあります。
    外国人労働者の問題に触れておられましたが、インタビュアーが豪州人と聞き、彼らの日本人に対する関心がいかようなものなのか気になりながら読みました。
    私も二度当地に訪れた事があり、一度目の時は学生だったのですが、現地の友人とディスコに訪れた際私達日本人数名が入店拒否をされきまずい思いをした経験があります。
    現地の友人はしきりにその事で詫びを入れてくれましたが、私にとっては始めて経験した人種差別であり、白人が持つ表と裏の感情がその時始めて感じ取れた事を覚えています。
    そしてそれと同時に私達日本人がいかに普段人種に対する意識が薄いかも解りました。
    それが幸か不幸かはわかりませんが、現実を直視する能力の薄さというものは相変わらず今も続いているのだろうと思います。
    そうした意識の薄さとはまるで底無し沼のごとく、いくら治そうと思っても治らない「不治の病」という捉え方も出来るのではないかと危惧します。
    日本人らしく生きたいと願う者は数多かれど、真にその意味を理解する上では捨てなくてはいけない楽観主義的な感情を自ら戒める努力が必要だという事を、私達は知るべきなのでしょう。

    また八木新会長に関する話題もありました。
    私が感想板2927にて八木会長の話題を振りましたが、誰もレスを入れてはくれませんでした。
    話題の中心はもっぱら南京大虐殺に関するものが多いです。
    先生が仰る通り日録は「つくる会」の応援の場でもあります。
    閲覧される方々に近い世代の八木氏の抜擢は、もっと話題に上っても良いと感じておりましたが、どうやら現実はそうでもないようです。
    まだ選出されたばかりの為か、何か事が起きないうちは感想も書けないと言う理屈は言えますが、その前に教科書問題に対する意識が閲覧者の心の中から薄らいでいくものが影響しているのではないかと見えたり致します。
    この事は先ほどの人種差別の中にある認識の度合いと何か繋がる日本人の悪い癖があるのではなかろうかと思ったりします。
    つまり上辺の装いのごとき認識の度合いの薄さは色んな方面で今の日本人の精神を蝕み始めていると思える点です。
    身近なこんな話題一つ上げただけでも私達は非難の対象に晒されるのが現実です。その認識の薄さの幅が想像を遥かに超えて全てを覆い隠した時、日本はいったいどんな国になっているのでしょうか。

    そんな中、先生は黙々とご自身のお仕事を精一杯務めていらっしゃいます。
    しかも時は雑言多き真っ只中であった事を考えますと、やはり我々とは土台からして違うものがあると、あらためて認識した次第でございます。
    人種差別における日本人の感情の多面性の欠如は、ここにきて重要な問題性を含んでしまったと言えるのでしょう。

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