日記風の「日録」 ( 平成16年9月 )(四)(前の月の生活に即した所感です)

9月13日(月)
 12:30入れ歯の調整に医歯大へ行く。新しい入れ歯は非常に具合がいい。口腔内に違和感がない。私は担当の水口俊介先生に「先生は名人ですねー」と賛辞を呈する。

 3:30から渋谷の「日本文化チャンネル桜」のスタジオに赴き、初めての出演をする。知っている人ばかりで集まっていて、私たちの仲間のテレビ局だということがよく分る。

拙著『
日本がアメリカから見捨てられる日』を司会の大高未貴さんが用意していて、私の出演中ずっとテーブルの上に立てて置いてくれた。こんな厚遇は他局では考えられない。

 私はテレビが嫌いで、最近はニュース以外はほとんど見ない。私の老化のせいではなく、番組内容の劣化のせいである。アメリカでは240ものチャンネルが選べると聞いた。私がかって杉並ケーブルテレビに加入していたときには60のチャンネルがあった。24時間天気予報だけを流しているチャンネルなどもあって、その限りでは便利だった。

 私はあらゆるテレビ受像機が100くらいのチャンネルを映し出す電波の自由化の到来を待っている。NHKと既成民放の電波独占が番組内容の劣化を招いている。郵政の民営化より電波の自由化のほうがずっと優先価値が高い。テレビと大新聞の情報の独占、画一化、愚かな自己規制、小さくても途方もなく重要な情報の選別能力の欠落、その結果としての番組内容の空虚化――こうしたことをいっぺんに解決するのが電波の自由化である。

 私はこの点では秩序派ではなく、情報の戦国時代を良しとする者である。「日本文化チャンネル桜」はぜひその尖兵になってもらいたい。何が電波の自由化を阻んでいるのか、原因を究明している論文をどなたか知っていたら、教えてほしい(感想板に書いてほしい)。

9月14日(火)
 12:00~14:00の時間帯に時事通信社の内外情勢調査会の講演で大宮市に行く。聴衆は企業の経営者が多いと聞いたので、あえて経済をテーマに選んだ。

 私は最近、14年前の日米構造協議における日本側の屈服を批判した私の観点は間違っていなかったと自信を深めるようになった。「日本経済は閉ざしている」という根拠なき強迫観念から解放されない限り、日本は立ち直らない。さすがに日本経済は遅れているとは今は誰もいわなくなったが、その代りに閉ざしていると口々に言い、遅れているというのと同じ思い込みに陥っている。

 果して閉ざしているだろうか。諸外国と比較してもそうは思えない。系列、談合、株の持ち合い、終身雇用、官僚主導、愛社精神などをことごとく「閉ざした」表徴として自己批判させられてきて、日本はアメリカ経済の前に膝を屈した。しかし、今にして分ったが、解雇したり不動産を売却したりして数字合わせをした日産よりも、日本型経営を守ったキャノンの方が、ずっと正しかったと思えてくる。

 日米構造協議から日本の没落が始まった。堺屋太一や、中谷巌や、竹中平蔵はやがて「日本をアメリカに売り渡した男たち」のドラマの主人公となるであろう。日本の資本主義は日本独自であってよい。アメリカが資本主義の正統で、日本が異端だなどというそんなバカな話はない。ファロアーズの『日本封じ込め』以来、ずっとなにかが狂っている。

 私は今日の講演で、90年代前半までの日本がいかに正当な自由競争社会であったかを例をあげて力説した。郵政民営化もアメリカの陰謀に相違ない。

 日米構造協議は海部内閣の時代だった。あのころまだ若かった小泉首相の頭の中に「日本は閉ざされている」という強迫観念が宿ったのであろう。中曽根首相の国鉄と電々の民営化が成功したかにみえたので、残るは郵政と思い込んだのに違いない。

 電々の民営化は時代の要請に合っていたし、国鉄の民営化もまあ仕方がなかった。しかし後者は巨額負債を棚上げして国民の負担として残した侭である。加えて廃線になった地方の山奥の人々を苦しめてもいる。100パーセントの成功とはとてもいえない。

 日本の国力は明治以来、「統合」と「公平」の観念に支えられ上昇した。教育と郵便と鉄道と保健衛生はその象徴である。義務教育の国庫負担削減という最近の政策は、貧乏県の教育を切り捨てるという結果をもたらす。小泉内閣は病院を株式会社にし、治療費を保険と自己負担に分ける自由選択制に切りかえようと画策している。保険の患者は粗末に扱われるようになり、日本の健康保険制度――世界一といってよい――は崩壊し、アメリカのような貧乏人早死制度になり果てるであろう。

 何でも自由競争にすればよいというものではない。郵政の民営化も大いなる疑問である。ストップ・ザ・カイカク!

(10/17削除修正)

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