つき指の読書日記 より
2008/09/13
本の忠言テレビ朝日の深夜番組「朝まで生テレビ」をビデオで録画し、朝、それを毎月、観ている。最新の8月は「激論!これからの“皇室”と日本」で、「皇太子さまが結婚されて15年、以来、皇位継承問題、雅子さまのご病状、ご公務についてなど、世間の関心も高くなっています」と番組の趣旨が、事前に同テレビ局のホームページで紹介されていた。パネリストの中心は西尾幹二で、猪瀬直樹、高橋紘、高森明勅、上杉隆、斎藤環、香山リカなどが討論に加わっていた。
テーマの核心はオピニオン誌「月刊WiLL」(編集長 花田紀凱)に、当初書いた西尾幹二の論文、皇太子殿下、雅子妃殿下への御忠言というか、御批判、御苦言が、この手の硬い雑誌にしてはめずらしく大反響、一部、増刷することもあり、その後も三度、核心部分の詳説、氏への批判への一部反論を含め書き継がれていった。それが先月末、新刊として、まとめられて一冊の本になった。
番組はこの本の論旨に対する各パネリストの見解、同調、反論、批判がいつものように熱気がみなぎってなされた。老いた西尾が淡々と持説を、論旨を絞りきって語っているのが印象深かった。
保守の大家が皇室を憚りなく、渾身の論文でそうするのは、ことの大きさ、重要さが自ずと理解できるだろうし、同じ保守派からの反論の波及は当然、畏れ多いとの心情から数多く発表された。西尾は老い先短いし、自身の知性が衰えないうちに、しっかりした正論を強靱に貫こうとしたことは、容易に理解できる。だからこそ論壇で大反響を呼び起こし、そして読者の関心が驚くほど高まった。
この本、西尾幹二『皇太子さまへの御忠言』(ワック)を、引き込まれるように一気の読み進んだ。天皇制度、皇室への危機感がわかりやすい例えを引き、読者から送られる数多いメール、手紙の傾向を押さえながら、保守が保守へと、いまの彼らの浅はかさを、重要な核心に的を合わせて強く迫っている。このままではいずれ天皇は日本から消えるとさえ、彼らの甘さを難じてやまない。左翼がそうするのではなく、無関心層の圧倒的多数がそうさせ、極力、目立たないようにしている左翼が結果的に、その悪意の目的をはたすことになると、それがわからないのかと弁を強める。テレビでの西尾は歴史教科書問題の時と比較して、老いが確実に進んでいる。余命を知るからこそ、先の『GHQ焚書図書開封』でも、孤独な一国だけの日本文明、日本の敗戦後の桎梏からいい加減に、目覚めて自立せよと、自身にむち打つように世に問いかけている。これも歴史に残る名著で、わかりやすいので一般にも強く、心から推薦できる。皇太子さまへの御忠言
先の「本の忠言」で西尾幹二『皇太子さまへの御忠言』を取り上げ、天皇と皇室がかかえる危うい状態を論じた。国民国家という西洋的概念では、取り扱うことのできない、日本の失われなかった伝統である。
伝統と古く長い歴史を持たないアメリカの日本に対する隠れた嫉妬心が、敗戦後の占領政策で旧皇族、貴族制度を解体させ、狭い範囲に追いやられたことも、その起因として大きく存在する。
山本夏彦もこれらの藩屏(はんぺい)を失うと、皇室の継続は難しくなると危惧する言をよく吐いていた。
その日本の国の原型、司馬遼太郎は「国のかたち」といい、戦前は国体といったが、その伝統の重みを体で自然に理解し、受け入れる、そういう人たちもすでに鬼籍に入った時代になった。
長い間、昭和天皇のおそばで侍従として勤めた、藤原家の分家、冷泉家傍流の公卿出身であった、最後は侍従長になった、入江相政(いりえすけまさ)『いくたびの春 宮廷五十年』(TBSブリタニカ 1981年刊・絶版)を読んだ。このひとをいまの若い人は思い出せないのではないか。昭和の戦前、戦中、戦後の
皇室を共に歩んだ、その時々を和歌を織り込みながら綴られた書である。天皇陛下の戦後の行幸、欧米訪問が白眉である。昭和天皇の人となり、その帝王としての日常の日々を淡々と語っていく。時の流れに阿(おもね)ない、自然な随筆である。こういう人材がいまは、特に皇太子殿下のまわりにはいない。外務官僚の出向者で偏っている。西洋の概念だけに毒され、いまの左翼的な国際主義を唱える連中である。そこに危殆の大きな原因があると、西尾幹二は鋭く分析していた。雅子妃殿下の医師(精神医)すら小和田家の意向で決められている。国家の前では、皇室には西欧流の人権も自由も個性もなく、あるのは公としての立場だけである。それにも論及していた。その論説を思いながら読了した。
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