10月の私の仕事

 一昨日、今月の仕事が校正も含めて大体ピークを過ぎたら、昨日は夜よく眠っているのにどういうわけかたゞたゞ眠くて仕方がない。犬の散歩から帰って、久し振りに風呂場で犬を洗ってやり、やれやれと座敷の片づけをし始めていたら、壁を背に柱に凭れていつの間にかぐっすり眠っていた。夜七時間眠っているのに、どうしてかと思う。

 今年は5冊刊行すると豪語していたが、4冊目『三島由紀夫の死と私』の完成部分160枚に100枚加筆する仕事が10月10日に終った。だいぶ時間をかけていたので、今月すべての加筆部分を書いたわけではない。この本は新書予定だったが、PHPからの単行本に決まって、11月21日の刊行も決定した。

 11月25日に憂国忌があり、そこで今年は私が話をするので、その日までに間に合わせる必要から急いだのである。加筆部分は小説論が中心なので、久し振りに田山花袋や岩野泡鳴や太宰治や葛西善蔵や近松秋江を読み、また中村光夫の論考を精読した。彼の「笑いの喪失」はいい評論だと思った。

 そんなわけで月末に月刊誌の仕事が迫っているのに、落着いて取りかかれない。原因はもう一つある。9月後半からのアメリカ発の金融破産である。アメリカが潰れるのはいいが、巻き添えを食う日本の未来が心配だ。10月10日から後はもっぱら『日本経済新聞』ばかりを読んでいる。

 10月10日にPHPに原稿の最後を渡したことは先に書いた。そのあと私がどんな毎日を送ったか、よくぞ体力が持ったもの、テーマがばらばらにならなかったものと、今日になって振り返って感慨ひとしおである。

 12日に小石川高校時代の同窓会があり、一日を失い、14日夜、銀座で論壇人のあるグループのカラオケ大会があり、夜中まで遊んだ。18日までに残る日数は6日間しかない。どうして可能だったか今もって不思議だが、18日までに『WiLL』と『諸君!』の各12月号にそれぞれ相当量の評論を間に合わせた。

 『WiLL』は題して「麻生太郎と小沢一郎『背後の空洞』」(33枚)。これは政局論ではない。題名には迷って、花田編集長も最後の最後まできめられなかった。最初は「ついに裸身になった日本」と付けてみたり、「『アメリカの没落』に襲われる日本の政治」と付けてみたり、迷いに迷ったが、どれも説明的で面白くない。で、上記の表題となった。非常に広い、大きい内容を打ち出しているので、ぴったり内容に合った題の付けようがないのである。

 それに対し『諸君!』のほうは「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」という派手な表題である。内田編集長がこちらは迷わずに付けた。13ページに渡る大型評論である。これは去る9月29日に行った(財)日本国際フォーラム主催の講演「私の視点から見た論壇」を基にしているが、かなり内容を増やし、書きこんでいる。

 このほかに西村幸祐責任編集の『撃論ムック』に「アメリカの中国化 中国のアメリカ化」を出した。

 さて今月は以上の通り、私の意識はあっちへ行きこっちへ行きで落着きなく、ご覧の通り、田山花袋とポールソン財務長官と『英霊の声』とリーマンブラザーズとテロ支援国家指定解除と『私小説論』と……どこでどうつながるのか、傍目には不可解な話であろう。

 昨年の憂国忌では井尻千男氏が高揚した悲愴な武人三島由紀夫像を語ったが、今年はがらりと調子を変え、二葉亭四迷からの近代小説史における長編作家としての三島を論じる予定だ。それでもさいごは多分天皇論になる。

 14日の夜の銀座のカラオケでは「イヨマンテの夜」を歌った。フジテレビの黒岩祐治アナが私の帽子をちょっと貸してと取って、斜めに被って、沢田研二を演じた。しかし何と驚くなかれ、座の中心にいて、声量抜群の声でMy Wayを歌った人――それは朝日新聞前社長・中江利忠氏(79才)である。中江さんと一緒に歌うのはこれで二度目である。そういう会なのである。

 『WiLL』と『諸君!』の私の二篇では勿論、朝日新聞は最大の敵に位置づけられているわけだが……しかし歌では隣席だった。仲良く握手して別れた。まったく互いに他意はない。中江さんの歌は本格派である。

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