GHQの思想的犯罪(九)

GHQ焚書図書開封 GHQ焚書図書開封
(2008/06)
西尾 幹二

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GHQ焚書図書開封 2 (2) GHQ焚書図書開封 2 (2)
(2008/12)
西尾 幹二

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◆『GHQ焚書図書開封』について

 私はこの本は、第一部の第一章が焚書とは何かということで、焚書のいきさつを語ったものです。第三章以下が発掘した焚書を何冊か使った歴史叙述になっております。その後半の歴史叙述を読んでいただくほうが主であって、焚書とは何かということを考えたくない人は考えなくてもいいです。このあと続く第二、第三章は焚書を用いた紹介。ほんの紹介ですね。焚書された本の実態の紹介。これが楽しく読めればもうそれでいいのです。

 では、どうして楽しく読めればいいかというと、さっき岩田さんが「怒りというものが昭和15、6年の日本人にはあったから戦争が始まったのだろう」(『澪標』7月号「義憤なき哀しみ」参照)とおっしゃっていました。しかし、怒りもあったけれど恐怖もあった。恐怖と怒りは一緒です。ただ、その当時の日本人の恐怖は今では形を変えてしまっている。

 それはどういうことかと言うと、この本ではかなり明確に、オーストラリアを取り上げておりますが、オーストラリアとそれから北米大陸で、恐るべきホロコーストが行われた。原住民虐殺です。これはちょうど時期的にいうと江戸時代です。18世紀が大体の舞台ですね。日本が近代史に登場したときにはほとんど終わっていた。ですから、終わってはいるけれども、その歴史の傷跡というものは、ひたひたと感じられていた情勢です。それを戦争前期の日本人は肌で感じることができた。そのことが私のこの本でよく分かります。何が日本をして恐怖させていたか、何が日本をして怒りを感じさせていたか。怒りと恐怖はひとつですから、戦争に人を駆り立てる動機となります。

 確か先ほど岩田さんが言っていましたが、「要するに物量の差が大きい国となんで戦争したのか、そんなことを言っても歴史は説明できない。」(『澪標』7月号、「義憤なき哀しみ」参照)そのとおりであって、なぜ人がそのような形で行動せざるをえなかったか。その中には、ある大きな心理的モチーフがあるはずです。日本が何ゆえに戦争をしなければならなかったのかということの心理的、ならびにその時に日本人への感情移入した説明は、この本を読めば次第に分かります。

 とくに、第二部以降を読んでいただければそれはわかる筈です。第二部の大きな表題だけ言いますと、第二部の最初の章は、「一兵士の体験した南京陥落」。次の章は、「太平洋大海戦は当時としては無謀ではなかった」。その次の章は、「正面の敵は実はイギリスだった」、続いて「アジアの南半球に見る人種戦争の原型」、「オーストラリアのホロコースト」、そして「南太平洋の陣取り合戦」となっています。この陣取り合戦でドイツが果たした役割をかなり詳しく書いています。ドイツが果たした役割と、日本海軍が第一次世界大戦のあと、ドイツと戦って、オーストラリアやイギリスを助けていくそのプロセスが書いてあって、しかも一生懸命助けたのにあっという間に裏切られるプロセルも語っています。

 つづけて、シンガポール陥落までの戦場風景。それから、「アメリカ人が語った真珠湾空襲の朝」・・・というような順序で太平洋に起こった出来事、日本人の生身の体験、当時の日本が幕末から受けていた説明のできない風圧がどんなものであったかということを、いくつかの焚書の中にある引用をしながら語っております。

 当時の文書の中で私は、真珠湾攻撃の後、日本はハワイを占領すべきだった、同時にパナマを爆破すべきだったということを書いています。それをやろうとする声は当時は非常にあったし、やるだろうとアメリカは見ていた。今の日本人では考えられないけれども、その当時は「ハワイを叩いて何で戻ってきちゃったのか」という見方があった。やるなら第二波、第三波攻撃で全部あそこを動かなくしてしまって、さっさと占領してしまったらおそらくアメリカは参戦しなかったかもしれませんよといったようにです。やるならば徹底してやればいいのに、という声もあった。いつも日本は不徹底なわけですね。不徹底なのがまずいけないけど、無駄なところへ出ていって、肝心な点をやらないとかね。そういう、よく分からない戦略をとっていますね。

 今の日本人だとパナマを攻略するなんて夢にも考えられない話でしょうけど、当時だったらこれは普通の話だった。今から約7、80年位前の周辺の国々の中で、日本の置かれた位置というものを考えたときに、ありうる普通の話だった。しかし今の人々にはそれが信じられない。何故か。そこには歴史の断絶があるからです。

 占領政策の極めて悪質なメカニズムをこれからお話しますけれども、実はそれが主題ではありません。この本の主題はあくまで歴史の物語です。それと同時にその焚書を使った歴史の展開なのです。だからこそ、むしろそれは楽しく読める。買って読んでくださった多くの方々はあっという間に読んでしまったと言ってくださっています。どうか、本の主旨というか意図というものは実はそっちにあるのだということをご理解いただきたく思います。

日本保守主義研究会7月講演会記録より

つづく

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