ゲストエッセイ
伊藤悠可(いとうゆうか)
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講 坦々塾会員
「専門家という存在が理解できない」
西尾幹二先生の読者は、先生が折節、専門家というものに対して疑問符をつけていることに気づいているだろう。最近では秦郁彦氏との対談(『諸君!』四月号)でも、少し前の『江戸のダイナミズム』の中でも、専門家の見識及び専門家という存在に対して疑問を呈しているところがある。
先生がなぜ、専門家に大きな信頼を置くことはしないと言ったり、また、専門家であることを自負している人の専門家的所見を容赦なく裁断したりするのか、私には大変、興味のある問題であった。その指摘は知識人の限界や不備に通じる予感がするし、専門家を任じている人間の無自覚を衝いて、長く置かれたある風潮に警鐘を鳴らしているようにもみえる先生の態度である。勿論、専門的研究、成果そのものについて全否定するという暴論的な鉈を先生がふるっているわけではない。「尊重はするけれども、しかし」と問いなおし、それでよいのかと迫っているものである。
専門とは無関係な私が興味を持つのは西尾先生が抱いている〈不満足の在り処〉だけである。
現代は専門家が活躍している時代、より活躍しなければならない時代だと思われている。知識と職能は分化され、特定の領域に専門的習熟者が常住するのがあたりまえという社会のようである。専門家がいなければ、およそ複雑な世の中で信頼するに足る正確な情報、有益な分析、高度な判断というものが一般の生活者には納得したかたちで届けられないと信じられている。
一方で、専門家が信頼するに足りる存在かどうかというと、これほど心もとない時代もないといえる。信頼欠如は甚だしく不安視されている。専門家と称する人々が時勢に応じていろいろな発言をしているけれども大丈夫なのか、信じてよいのかという素朴な疑いが生じている。例えば、多く言葉を費やす必要はないであろうが、経済学者のこの難局における無力、視力の弱さはひどい。
的に刺さった矢を見て、俺の予想は当たっていたというような話が多すぎる。繰り出される見識の混乱、政治的視野を持たない無定見な世界解読に対して、果たしてどれほど真摯な顔で受け取ってよいものか、疑わしい。それなら実態予測、実態報告をやめて純粋理論の故郷に帰ればよいのにという気がするが、経済界と疎遠な場所での仕事は閑職だと見られているのかもしれない。
政局の起伏や選挙の読みだけで暮らしている政治学者を政治学の専門家と呼べるのかどうかわからない。こちらの世界も同じである。二大政党の実現をユートピアのように語る学者を深い眠りから起こしてやるのはむずかしい。否、彼らは眠っているのではなく遊んでいるのかもしれない。かくして、いびつな専門家事情は社会科学はじめ学問領域全般に行き亘っているのかなと想像してしまう。
自然科学分野では発言の逸脱をして一向にその不自然を省みない物理学者がある。ノーベル賞を受賞するとどうして、唐突に憲法九条を死守する平和主義者になりさがるのか。「科学者は最悪の哲学を選択する」という言葉があるそうだが、皇室典範を強引に変改しようとしたロボット工学博士がいたことは記憶に新しい。ここまでくると専門家の壟断としかいいようがない。大衆人の代表としての専門家
だが、いったん立ち止まって考えよう。果たしてこんないわゆる専門家に向けて西尾先生は批判の矢を放ったのだろうか。彼らは先生が疑問符をつけるに値しない。先生が「私は専門家の成果を尊重しますが、専門家という存在がどうしても理解できません」(『江戸のダイナミズム』あとがき)という言い方をするとき、別の人々を意識しているのは自明である。
なら、私が挙げた電波や雑誌や新聞に低調な私見をちぎっては投げている専門家とはいったい何物なのか。やはり、いわゆる専門家としておくしかないのだろう。オルテガがいち早く警告した「大衆人の典型」としての〈いわゆる知識人〉についてここで始末を付けておかなければ、先生が首をかしげた意味が遠のいてしまう。専門家を知識人の代表として置き換えると、知識の保有量が少ない大衆人が一方にあり、これに対しては知識の保有量とその操作術に勝れた少数の知識人が指導を与えていかなければいけない、という了解の下地がある。西部邁氏によると、こうして知識人と大衆人とを対立的にとらえ、知識人が社会の指導者であるべきとする図式は二十紀前半に提出されたのだという。
しかし、このような図式は根本的に誤っていると指摘したのがオルテガで、「彼は、今やほとんどの知識人が『いわゆる知識人』になり果ててしまったとみる。ここで『いわゆる知識人』というのは、自分の扱っている知識を疑ってみることをしない人間、自分のもっている知識に満悦している人間のことをさしている。
その知識が狭隘な専門知であるのは当然のことである。なぜなら、包括的な哲学知を含むような知識はかならず自己懐疑の回路を有しているのであり、知識にたいする自己満悦に耽けることなど論外だからである」(西部邁著『新・学問論』)と説明されるように、今では、知識人が知的リーダーシップを振るい大衆人のために貢献しているという考えは、〈いわゆる知識人〉の側の一方的な思い上がりというべきなのかもしれない。
「この世界が存立して以来、言葉が今日ほど大衆的に、愚かしく、軽薄に濫用されたことは決してない。賤しい民はつねに存在していたし、また存在せねばならぬでもあろう。けれども彼が今日ほど発言権を獲得したことは曾てなかった」とフリードリヒ・グンドルフがその師シュテファン・ゲオルゲの評伝の中で嘆いたのも前世紀初期のことだが、既に〈いわゆる知識人〉の病根が宿されていた。
〈賤しい民〉とは当然、知識人を意識しているのである。彼らこそ大衆の中の大衆という風貌をしているのだが、これを追いかけるのが小論の目的ではないので、〈いわゆる専門家〉ではない専門家の話に戻る。
つづく
文・伊藤悠可