〈専門家への疑問符〉考(第二回)

ゲストエッセイ 
伊藤悠可(いとうゆうか)
記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営む。
易経や左伝の塾を開講 坦々塾会員

  
露伴を雑学家と呼んだ田邊元博士

 西尾先生が「業績は尊重するが、理解できない」とした専門家への疑問符とは何かという問題である。

 専門家が専門家然として満足していられるふうに見えるが現実は不安と後退の道を歩いているではないか、研究成果を誇っているが実は自らの末技的仕事に眩惑されて嗜眠状態にあるのではないか、その耕地に留まっているが隣の山は関係がなく海も見る必要はないという視界の狭窄は気にならないのだろうか、と私なりに専門家に抱いている不服があるけれども、先生は何を衝いているのだろう。

 機械的に科学的な世界解釈で事足りているイデオローゲンというタイプが確かにある。ソフィスト風のにぎやかな専門家が蔓延していることもある。だが、直接彼らを今ここで意識しているわけではない、とすると先生が学者としての業績を一応認めながらも、なおその人たちに決定的に不足しているものを想像しなくてはならない。

 それは何であろうか。

 その昔、田邊元博士は弟子の前で幸田露伴を「結局は雑学さ」とけなしたそうである。そのことは山本健吉の露伴全集の解説などを読んで知ったのだが、つまらないことを言う先生だと思ったことがある。田邊博士の研究は何もわれわれのような書生風情を相手にしているわけではなく、世界の哲学者の目を覚まさせるために用意されたのかもしれないが、高尚な学問に比してこのセリフの落差はなんだというものだった。
 
 露伴を雑学者だというなら森鴎外も柳田國男も、それから南方熊楠も内藤湖南も皆雑学者ということになってしまう、と山本は書いた。

  哲学者は崇高な学問を相手にしていて人種が違う、知識の深さも違う、そこいらの文学者と一緒にしてくれるなと、田邊博士は言いたかったのだろうか。それも大いに考えられる、「文学的」という言葉は相手を否定するときの武器としてよく使われる。自然科学者、社会科学者がその急先鋒で、文学的ということは、すなわち「つくりもの」「想像したもの」「化粧・装飾したもの」で実証に耐えないと言いたい実証主義者が心から蔑んでいるものである。

実証というのは素朴すぎる考え

 ところが、これを昨今は歴史家と呼ばれる人間も武器にしだして、われわれは職人であって確かな実証できる事実だけを採用する、小説家や物語を書く人はおもしろおかしく事実を着飾り詩魂に花を咲かせたらいい、というような意味のことを口走っている。何をかいわんや、歴史は文学的というものでなければならず、元来、伝というものは支那でも日本でも、文学の一体であった。いわゆる客観的資料を、年次を追って配列する学問的発掘書なるものは、最近の時代の産物である。
 
 秦郁彦氏は七十年の蒙昧から抜け出し、甲羅を破り、自己過信症状から目覚めるチャンスを西尾先生にもらっていながら気がつかずに家に帰ったのである。対談をよく読めばわかることだが、西尾先生はふだんより抑制的に、ときに老婆心をもって応じている場面がたくさんある。これほど親切に西尾先生は説いているのに、秦氏は親切を迷惑に感じたという一幕であった。

 「具体的な歴史的実際に抽象的、社会学的範疇を適用したため、歴史的実際を殺してしまい、その中から心を引き抜いてしまい、歴史的宇宙をありのまま直観的に観照することを不可能にしてしまった」と言ったのはニコライ・ベルジャイエフである。秦氏は精緻な立証があると讃えられている歴史家らしいが、取り組む心がけというか、はじめの一歩がきっと間違っているのである。

 実証的とは素朴すぎる考えである。百の事実が消えて一の事実が残るということが歴史にはあるからだ。ただ、こんなことを何度言ってもこの人には分からないだろうという気がする。この人は自分が好きだけれども歴史が好きだという感じがしない。人間を軽蔑しながら歴史を扱っている。勝れた裁定者は客観的でなければならず、むしろ、歴史を好きになっては鋭い歴史眼が鈍るとでも思っていることだろう。

専門家の狭隘と倨傲

 横道にそれてしまったが、田邊博士もまた、文学や物語などを戯画のように見下し、哲学を深淵なるもの偉大なものと考え、一緒にされては困ったのであろう。
 
 多様態哲学『種の論理』をもって学界の注目を集め、西田幾太郎門下の高弟としてゆるぎない地位を築いたという自負や威権から、つい悪口を漏らしてしまったとするならそれはそれでよいし、大学者でも妬忌を行うということはままある。露伴の博識は驚嘆すべきものがあるし、その評判は博士の耳に届いていただろう。

 ただ、露伴を雑学家とした貶斥は失当だと思う。露伴をただの物知りとしてしまうところに、明治以来の学殖の偏向があらわれているようにも感じられる。つまらないエピソードにこだわるのは、専門家の狭隘と倨傲がこんなところにもベットリと付着しているのを見るからである。

 田中美智太郎風に言えば、専門家は国家社会から必要とされているが、教養は単なる必要以上のものなのである。われわれは教養のために自分の専門ではないことを素人として学ばなければいけないということになる。勿論、教養など死語である。そして何の役にも立たない。けれど役に立たないこと大事にしたいと考えるのが人間である。

 私には、露伴の例えば『努力論』一冊のほうが断然大事な本であり、全体人間的な興味から言って露伴はいてくれなければならない人だが、田邊博士は公立図書館の書庫にでも座っていてくれたらそれでよいと言いたくなる。それは私の恣意であるから別の考えもあろう。晩年に、博士は『懺悔道としての哲学』を著し日本の戦争責任を考えたらしいが、自らの学究人生に満足されたのだろうか。

つづく

文・伊藤悠可

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