出版後数年にもわたり歴史学者たちから反論や批判が相次いで、わざわざそのために誹謗本を書く人までが何人も現れたのには驚きましたが、それは『国民の歴史』にとって名誉なことであり、どうぞもっと激しくやってくださいという気持ちでした。私を当時落着かなくさせたのはむしろこの本の評価でした。心外に思ったことが二つほどあります。広告文面などに日本人の誇りを確立させるために書かれた本だ、というような文言が飛び交っていたことでした。
日本人に誇りを与えるとか自虐史観に打ち克つとか、そんな言葉が当時流行っていて、一緒にされるのは迷惑だなと思いました。私でなくても誰であろうと、簡単な心理的動機で大きな本を書くことはできません。
もうひとつ心外だったのは、戦後の歴史観に挑戦している本だというような言葉遣いです。これは広くこの本に与えられた通説でした。しかし違うのです。私の目的はもっと大きいのに、なぜ読み取れないのか、と不満に思いました。
上巻付論「自画像を描けない日本人」に書いた通り、「日本から見た世界史のなかに置かれた日本史」が私の構想であり、私がそれを実現したと言っているつもりはなく、そのための試論、基礎的理念の提供の書であることが本書の狙いでした。
戦後の歴史観の否定というのは大きな目的のうちの一部にほかなりません。自分にとって不本意な言葉が飛び交っていることに落着かない思いを抱くのはどの著者でも同じでしょう。
下巻付論「『国民の歴史』という本の歴史」より
地球上のありとあらゆる民族の興亡の歴史を念頭に置いた場合、この列島の住人の歴史は比較相対的にみて、一言語・一民族・一国家の特性を示していると言ってもさほど間違いではないのではないかと私は考えます。七世紀半ばという日本の国家的自覚は、ヨーロッパの各国より七百年ほど古く、ヨーロッパの「契約国家」とは異なり、いわば「自然発生国家」でした。長い未完成な国家以前の国家の経過を前提としています。もちろん厳密なことをいえば網野善彦氏が言う通り「列島全域をおおった国家」ではなかったでしょうが、だから「日本」はまるきり存在しなかったと目鯨を立てるのは、比較相対的にみて、大雑把にいってそう言えるという物事を判断する際の「常識」に反します。
加えて、網野氏は『「日本」とは何か』の第三章で、「日本」という国号は中国から見て東の方向を指す意味であり、中国という「大帝国を強く意識しつつ、自らを小帝国として対抗しようとしたヤマトの支配者の姿勢をよくうかがうことができる」といい、「唐帝国にとらわれた国号であり、真の意味で自らの足で立った自立とはいい難い」と述べ、この国号を大嫌いと言った江戸の国家神道家の例を挙げて、「日本」という国号に思う存分に罵言誹謗を浴びせた気になっています。
しかし何というわからず屋の無知蒙昧のご仁でしょう。古代のわが国が大陸の大文明にとらわれた時代から国の歩みを始めたことは自明であって、それは不幸でも敗北でもありません。大文明から少しずつ独立に向かった歴史の歩みこそが貴重であり、創造的です。独立への心をやれ空威張りだとか、やれ対抗心にとらわれているとかいって嘲ける網野氏のような人間の存在こそが不幸であり、敗北なのです。
そもそも「真の意味で自らの足で立った自立」を達成した国など何処にもありません。中国の各王朝も治乱興亡の歴史の波間にあり、近代西洋の各国もまた同様です。しかし本書の読者にはもうこれ以上申し上げる必要はないでしょう。「日本」にとらわれているのはむしろ網野氏や同類の日本史学者たちであって、『国民の歴史』はこのうえもなく広大な視野で、文明の興亡を展望し、わが国の歩みをその中に位置づけるべきとした新しい歴史記述のための試論を心掛けたのでした。日本史学者の視野の狭さにはほとほと手を焼きました。通説となっている極西(ヨーロッパ)と極東(日本)の相似性と同時勃興の歴史に関する基礎知識さえ彼らは持っていません。世界史のことは何も知らないのです。言語学や哲学や神話学など他の学問分野のことも何も知らないのが日本史の学者たちです。
下巻付論「『国民の歴史』という本の歴史」より
さて、『国民の歴史』の方法論の一つが「比較」にあることは前に述べましたが、もう一つの特色として私が多少の自負をもっているのはどのテーマも可能な限り「根源」を目指していることです。縄文土器文明、日本語の起源、中国と日本の王権、中国の文書主義、古代専制国家、儒家と法家、世界史の概念、そして西欧の地球占有。最後のテーマは普通スペインとポルトガルを起源としますが、本書は十字軍、それも北の十字軍を示唆しています。北の十字軍からニュルンベルク裁判まで一直線につながるものがあると判断しています。
縄文土器文明については、従来の考古学と異なり、地下層の花粉探査をはじめ数々の大規模科学調査に基づく安田喜憲氏の研究成果を知ったのは幸運でした。氏はその後も東アジア全域に調査を広げ、縄文文明の意味を確認しつづけています。
日本語の起源問題は現代で最も信頼度の高い松本克己氏の論文に依拠しました。氏は世界言語を視野に収めた言語類型地理論の手法で、袋小路に陥った日本語系統論に、壮大で緻密な論考を展開して活路を見出してこられました。私が参考にしたのはまだ雑誌論文でしたが、平成十九年に氏の『世界言語のなかの日本語』(三省堂)が刊行され、新地平を拓きました。本書は安田喜憲氏の縄文と松本克己氏の日本語論が柱をなしたと言っても過言ではありません。
下巻付論「『国民の歴史』という本の歴史」より
最後の一文は、私がなぜ神武東征から書き始めなかったかの根拠を示しています。しかし、神武東征を含む神話と歴史をめぐるテーマの理論分析が本書の上巻で徹底的に扱われたことは周知に属します。第6章の「神話と歴史」、第7章「魏志倭人伝は歴史資料に値しない」、第8章「王権の根拠―日本の天皇と中国の皇帝」の三つの章にわたる展開をご覧下さい。
気になっていた第8章の文章の不分明や混迷を今度かなり修正し、整理しました。よみ易くなったはずです。