ゲストエッセイ
浅野 正美
坦々塾会員
ちょうど一週間で読了した。お腹をすかせた子供がご飯をかき込むようにして読んだ。本当は、上等なお酒をじっくり味わうような読み方があってもよかったと思うが、それはできなかった。
文庫本を読むのに先立って、あのずしりと重たい単行本の奥付を見て、この本が世に出されて早くも10年の年月が流れたことを改めて感じた。この間、無作為を繰り返すばかりだった自民党はついに自壊した。「冷戦の推移に踊らされた自民党」の章で指摘されているように、理念なき政党は国民から見放された。
「国民の歴史」は私が30代の最後の最後に読んだ本である。若い頃、きちんとした読書をしてこなかった私は、その頃になってあせりのような気分を抱いていた。それ以降、何ら系統立った目的もなく、雑然と本を読み散らかして来た。
私の読書は、中学時代の北杜夫「幽霊」が原体験となっている。北杜夫からトーマス・マンを知り、マンからワーグナーとショーペンハウエルを知り、西尾先生が翻訳された「意志と表象としての世界」を読んだときは、すでに26歳になっていた。私はその哲学書にまったく歯が立たなかった。ただ、こんなにも難解な書物を翻訳してしまう知の巨人がこの世の中にはいるのかという、恐れとも驚きともつかない当時の感情は今もはっきりと思い出すことができる。それ以来私の中では、「西尾幹二」という名前は特別な響きを持っている。それからほぼ四半世紀が経った。
単行本から10年、私に起こった最大の変化の一つは、坦々塾の会員として西尾先生から直接教えを受けるという僥倖に恵まれたことである。若いとき、知の巨人と仰いだ人から、名前を覚えていただく日が来るなどということは、夢想だにできないことであった。
大著を再読するということは滅多にない。読まなくてはならない本がたくさんある、という強迫観念から未だ脱することができないからだ。
今回再読して感じた初読との一番の違いは、文章が以前より明瞭に理解でき、すんなりと頭に吸収される感覚を味わったことである。10年で利口になるわけはないから、これは間違いなく、坦々塾の勉強会の成果である。
西尾先生の主張は一貫して揺るぎがない。私は前回この本を、恐らく多くの読者がそうであったように、自国の歴史の失地回復、名誉挽回の本として読んだ。いわば知識の吸収を目的として読んだ。
西尾先生は歴史に向かう姿勢として、「事実に対する認識を認識する」という哲学的な態度の重要さを説かれた。また、人間の織りなす歴史を認識するということは、文学、哲学、宗教といった人間の本質を究明する教養が基礎にあって初めて可能なことであるともいった。また、歴史とは各国が相互に影響し合い、利害を衝突させながらそれによって翻弄されるものである以上、日本史もまた、世界史の視野をもって考察されなければならないという視点も示された。
そういった西尾先生の、哲学、史学感を直接耳にしてきたことで、私の歴史に対する向き合い方が、坦々塾以前と以降とでは明らかに違った。もちろんまったくの勉強不足ではあるが、単なる年代記としての歴史、実証主義に呪縛された歴史、洗脳され修正された歴史、こういった我が国にはびこっている歴史観からは決別できた。10年前には、こうした視点から読むことはできなかった。そういう意味で、今回の文庫化は私にとって、大変いいタイミングであった。単行本を再読するという方法もあるが、今回は「決定版」である。迷わず買った。
本書の上巻では中国に関する記述が多くを占める。我が国では、国の成り立ちの根本を成す多くの要素を、中国から学び、受容してきたとされている。漢字、仏教、儒教、稲。そういった中華大文明に対する負い目が、いかに幻想であるかが、圧倒的な筆致をもって描かれている。特に、文字を持たなかった縄文一万年の、記録に残らなかった歴史に言及する部分は圧巻である。先生は縄文語という言葉を使い、その当時間違いなく話されていた言葉があったという。今も我が国に残る意味不明な日本語の中にもそういった縄文時代から語られてきた言葉があるのではないかと思う。
私の故郷、信州諏訪には、古事記に登場するタケミナカタノミコト(オオクニヌシの子)を祀る諏訪大社が鎮座するが、この地にも国譲り神話があり、諏訪から見たタケミナカタは征服者であり、土着の神は「ミシャグチ」と呼ばれている。
この「ミシャグチ」が何を意味するのか、今ではまったく解らない。室町初期、すでに解らなかったという。私は密かに、縄文時代、諏訪の古神道によって信仰されていた、何か偉大な存在を昔から伝えてきた言葉でないかと考えていた。余談だが、諏訪では国譲りの際、権権二分を採用することで、両者の存続を計った。
タケミナカタは地勢権を譲渡され、政治の実務を担当し、その血を受け継いだ人間が後の諏訪藩主となった。
土着神ミシャグチは祭祀権を継承し、幼い童に神霊を憑依させて祭祀を執り行う。
現在大方の日本人は、中国に対して愛憎相半ばする感情を抱きつつ、こころの奥底の部分では、偉大なる師、文明の先達といった憧憬と、ある種抜きがたい劣等感を併せ持っているのではないかと思う。彼の国は歴史が古く、面積は広大であり、大事なことはほとんど中国から教えてもらったと漠然と考えている日本人が多い。
我が国は教義の確立した大宗教も、文字も発明しなかったが、それらを受容して発展させていく過程において、偉大なる事跡を残した。現在の中国では近代概念を書き表すのに多くの日本語を使わなくては成り立たなくなっている。国名「中華人民共和国」も、中華以外は日本語である。
また、稲を宗教的シンボルとした。各地に伝わるお田植え祭りや、豊饒祈願、秋の感謝祭に見られるように、日々の糧である米を、単なる食料の一つではなく、霊性をもった神からの献げものであるとして大切にしてきた。
伊勢や宮中の新嘗祭がそれを端的に象徴している。私が子供時代の祖母は、天皇陛下が新米を食べるまでは口にしてはいけないといって、新嘗祭(勤労感謝の日)がすぎるまで新米を買うことを許さなかった。東北の農家に産まれた彼女は、そういったしきたりの中に育って来たのであろう。
本書に稲妻についての言及がある。雷が田んぼの稲と交合することによって、稲穂が実るという思考は、とてつもなく壮大で、ロマン的である。雷を、天が稲の受胎のため使わす鳴動と捉えた。光と音による神の使い。その想像力とスケールの大きさには、ただ圧倒されるばかりだ。梅雨明け間際にはよく雷が鳴る。ちょうど稲が実り始めるころである。
古神道の解釈を巡って、神はまれ人信仰か、祖先崇拝か、といった論争があるが、そのどちらでもあって構わないと思う。我が国の宗教観は、祖先崇拝、先祖慰霊を最も大切に考える。先生がおっしゃったように、この神道的な慰霊の心が、仏教においても取り込まれ、我が国独自の信仰を生み出した。我々の仏教儀礼といえば、葬式、法事、墓参りに尽きる。現世利益は、どちらかというと神道が担う。
さて、キリスト教に関して、なぜ日本では信者が国民の1%以下にとどまっているのか、といった問題に、先生は一神教の持つ原理主義にその原因を求める。日本人は基本的に大まかで、何でも受け容れては加工することで自家薬籠としてしまい、肌に合わないとなれば放り出してしまうといった国民性を持つ。一つの神しか認めず、聖書に書いてあることを絶対の教義とするキリスト教はまったくなじまない。戦争に敗れた占領期は、アメリカにとって日本人を改宗する絶好の機会であったにも関わらず、成功しなかった。
我が国の巨大構造物についての記述も、興味を引いた。仁徳天皇陵とエジプト・クフ王のピラミッドを同縮尺で図解し、我が国が模倣と精密加工に特化した縮み思考の国であるという通念を覆す。出雲の巨大空中神殿は、近年地下から巨木を三本束ねた柱の遺構が発掘されて、その実在が証明されたが、大林組によると縄文時代の土木技術で建立は可能であるということである。大林組では、出雲神殿再現プロジェクトチームを発足させて、現代土木技術・機械を一切使わないで、建築が可能かどうかのシミュレーションを行い、出版した。そこには、必要日数、人足、工法、現在価値に換算した必要経費も算出されている。大社裏山の中腹にロクロ(柱を建てるために、回転させながらロープを巻き付ける装置)を設置して、縄を結わえることで、このような巨大な柱を建てることも可能であるという。
諏訪の御柱祭では、最後の御柱曳き建てを今でも重機を使わず、ロクロと人力だけで行っている。出雲と諏訪は親子神なので、お互い巨木信仰に対する親和性があるのではないかと思う。ある本には、古代日本に巨大建造物が多いのは、文字を持たなかったからではないかという推定が書いてあった。偉大な人物の事跡を文字で残せなかった時代には、その存在を古墳の大きさで表したのではないかというものである。4世紀を境に、巨大古墳は姿を消していくという。
西尾先生は6月の坦々塾で、「思想的に明治以前に用意されていた国学が、明治の自覚とともに疑うことを不必要とした」、というお話しをされた。先生のこの短い言葉の中に、大河の奔流のような、我が国近代の歴史の悲劇と栄光がぎっしりと詰まっていると思う。それは運命でもあり、歴史の必然でもあった。白人による世界分割統治の最終局面において、日本は敢然と立ち上がり、防波堤となり、彼らの壮大な野望を挫いた。日本は神国として、世界と対峙した。江戸時代の国学者達は、よもや自らの思想が後の世で我が国が世界と戦う上でのバックボーンになろうとは思いもしなかったに違いない。
時代の必要が、人材を輩出した。しかも、江戸中期という早い段階から周到に用意され、時間と共に思想は深化し、明治の自覚を待った。開国維新から、大東亜戦争敗北にいたる百年の歴史の何というダイナミズム。
「江戸のダイナミズム」があってこそ初めて成し遂げた偉業であった。まるで細い支流を幾本も呼び込むことで、大河が形成されるように、ゆったりと、静かに、そして着実に、明治の自覚を待った。肇国以来の危機がこうして回避された。
下巻では近代世界が語られる。明治以降三つの大きな戦争を戦い、最後に破れた日本。そこに至るまでの世界の動きと、各国のエゴイズムは凄まじいの一言である。ナイーブな日本人は、そういった荒波に翻弄され続けた。
アメリカの中国に対する幻想も災いした。蒋介石を支援しつつ、結果的に毛沢東を勝利させることで、人類に大きな厄災をもたらした。後に数千万人の人間が、命を奪われた。それは確かに結果論かもしれないが。
日系人収容所に関しては今夏、「東洋宮武が覗いた世界」というドキュメンタリー映画が上映されている。
その中に大変印象深いシーンがあった。インタビュアーが日系2世、3世に「収容所に入れられたことについて父母や祖父母はどんなことを話していたか」とたずねる。2世、3世はもはや日本語を話さないため、質問は英語である。その質問に対して、彼らの両親や祖父母が語った中に「仕方がない」という言葉が何度も出てきた。しかもこの「仕方がない」だけは日本語で発音していた。英語にはそれに相当する言葉がないのだろうかと思った。地道に働き、やっとその土地に生きる場を見つけ、結婚もし、あるいは小商店の主となってささやかに生きていこうとしていた彼らにとって、日本人であるというただそれだけの理由で、キャンプに収容される。ナチスのように殺さなかったから、アメリカの方が人道的であるという理屈は通用しまい。まったくの理不尽な仕打ちである。そういった運命に対して、「仕方がない」といって従容と受け容れる日本人。ここに我が同胞の民族性がよく表れていると思う。
映画では、写真館主として成功していた宮武の、キャンプ内での撮影の様子が再現され、職業がこの方面に近い私は、そういった面での感動もあった。カメラの持ち込みは厳禁であったが、アメリカ人の中にも、協力者がいたようである。若い青年が年老いた父親(祖父?)に向かって、「どうして父さん達は、抗議の声を上げなかったのだ。広く国民に訴えれば、必ず賛同者を得られたはずだ。アメリカは自由と民主主義の国ではないか。」といって食ってかかるシーンがあった。記憶は曖昧だが、そんな息子に対して父は「人種差別というものが確かに存在した時代があった」、という意味のことを語ったように思う。
建前として、人種差別は現在の地球上には存在しないことになっているが、そんなことは真っ赤な嘘である。
一人我が国だけが、こうした偽善を信じている。政治家も官僚もマスコミも教師も、建前を本音と信じ、偽善を真実であると信じて疑わない。この極端なナイーブさはまったく変わっていない。我が国の大きな弱点、宿痾ですらあると思う。一定の品格を求められる大新聞が、ある程度建前をいうのは仕方ないのかもしれない。それは我々も、日々の社交という場面で繰り返している。ただしその裏にある、真実を見抜くもう一つの目を持たなくては、いいように手玉にとられてしまうであろう。人は善悪を共に内包する存在である。そのことをきちんと認識しない限り、我が国はこれからも世界の孤児として蹂躙され続けるであろう。
商人は、卑屈に頭を下げて、無理難題もごもっともと聞いて、利のあるところに群がるが、最後は財布を開かせて金を受け取る。我が国は、卑屈に頭を下げて、無理難題もごもっともと聞いて、さらにお金も払っている。
敗戦以降、精神の荒廃は止まず明治の光輝は完全に否定された。神話は忘れられ、歴史は貶められ、祖国は悪いことばかりしてきた、どうしようもない国だと定義されてしまった。丸山昌男の8.15革命説のように、原爆の光によって、戦後日本という新しい国が誕生したという錯覚に陥っている。
アメリカ占領期の洗脳工作が、戦後64年を経てもなお一向に溶けないのはなぜであろうか。すでに世代は、占領国民の2世、3世の時代になっているにも関わらず、状況は悪化するばかりである。
こんなにも、きれい事で現実を糊塗するような風潮は、一体いつから染みついたのであろうか。大衆が、大きな流れに漂ってしまうのは、これは仕方がないのかもしれない。ただし、一定のエリートや指導者には確乎とした人間洞察力がなくてはならない。これを養うためには、先生が言うように、文学、哲学、歴史、宗教に触れ、そこから学び、自らの血肉とする以外にない。私の回りにも、かつての偏差値秀才が、中学生レベルの正義感のまま、大人になったとしか思えない人間が何人もいる。先生はこうした現象を、福島瑞穂現象と喝破した。辻元ほど騒々しくなく、土井ほど憎たらしくなく、発言は一応正論。こういった人間は、民主党の多数をなし、やがて自民党の多数にもなろうとしている。驚くべきことに、実利を何よりも重視する実業界においても、こういった人間が多くなったように思う。私の先輩世代にあたる戦後創業者達は、皆一様に欲望に正直で、脂ぎった体質と強面の風貌をしており、風圧すら感じさせた。そういった人達が一線から去り、あるいは亡くなっていって、二代目が後を継ぐケースが増えている。彼らはおしなべて高学歴で、留学経験があったり、外国語を習得したりと、父親に較べて上品ではあるが、気迫には欠ける。何か日本人全体を象徴しているように思えてならない。行き着くところは、「唐様で売り家と書く三代目」であろうか。我が子の世代には、日本は売りに出ているのかもしれない。
今の体たらくを見ていれば、これがあながち冗談とも思えない。
勤勉、優秀、山紫水明、規律的、倹約、忍耐。日本を定義するこれらの美徳の、一体どれだけがその時残っているだろうか。
戦後、金科玉条として来たスローガンに、平和、憲法遵守、民主主義、人権尊重と並んで平等という観念があった。偽悪的な言い方になってしまうが、私は人間のどうにもならない不平等をこそ教えるべきではないかと思う。少なくとも中学生ともなれば、そういったことは自らの人生を通して経験して来ている。
私はこの10年間で通史と呼ばれるものを、日本史(16巻)、明治開国100年(10巻)、世界史(23巻)、古代ローマ史(28巻)と読んできた。二種類の日本史はどちらも階級闘争史観、マルクス主義史観で書かれている巻も多く、その部分は楽しくない読書であった。西尾先生の大著二冊「国民の歴史」と「江戸のダイナミズム」は、これらの通史とは明らかに違う。何よりも読んでいて楽しい。江戸のダイナミズムに関しては、難解であったという感想を何人かから聞いた。確かに易しい本ではないが、先生のいう、読みやすいことが良書の条件という基本は外れていなかったと思う。今回、感想を書くつもりが、ほとんどそれ以外の個人の世迷い言になってしまった。
「決定版 国民の歴史」は、これ一冊を読めば、コンパクトに我が国の通史が理解できるという便利な本ではない。そもそも、そんな本は存在しない。私は今回この本を、歴史の本質とは何であるかということを、考えながら読み進んだ。そして先生がいつも講義で話し、ご著書で書かれている人間洞察のない歴史理解は、不可能であるという点にも注意した。さらに、人間はそれぞれ異質であるということを、異質には異質の正義があるということにも思いを馳せた。善意、正直といった価値観は、普遍でも真理でもない。ヨーロッパにもアメリカにも中国にも、それぞれの価値があり正義があり利害がある。ただ、それだけである。
私達は日本に生まれた。特に私のように戦後(昭和34年)に生まれた世代は、歴史上誰も経験したことのないような、平和で豊かな生活を送って来た。ただし、わずかな時間をさかのぼれば、我が国もまた大きな国難に何度も見舞われて、必死に戦って来た。総力戦を戦うためには、軍備だけではなく、国学、思想といった知をも総動員した。先生はこの本で、何が何でも日本を礼賛しているわけではない。そう、歴史もまた是々非々で見るべきだと思う。先生の視点は、我が国の長い歴史を語りながら、つねに現在へのまなざしを忘れていないのではないだろうか。歴史に学ぶということを、我が国では過去の悪を繰り返さないと定義してしまったが、そこに大きな不幸があったと思う。本当に歴史から学ぶということは、人間が起こした歴史から、人間の本質を探り、現在のあるべき姿に反映させることではないかと思う。異質を理解するということは、その異質を育んだ文化の基底を知ることでもある。日本人も海外から見たら異質であろう。それで構わない。すぐれた点も、どうしようもない欠点もある。それらをすべて受け継ぐかたちで今の日本人がいる。近代文明を生み出し、文理にわたる近代学問を確立したと自負するヨーロッパにも、歴史の暗部はある。より多くあるといってもよい。歴史といわれているものの多くが、実は戦争の記述である。古代の英雄譚も戦史であり、NHKの大河ドラマも半分くらいは、内戦の物語ではないだろうか。権力闘争は、人間のどうにもならない本能であろう。現在はたまたま経済による代理戦争を戦っているが、戦争もまた、権力闘争であり、かつ経済闘争でもあるという側面を持つ。これも古代から変わらない原則ではないかと思う。
人間のみがつねに過剰への欲求を持つ。蕩尽への飽くなき渇望がある。これがある限り、争いがなくなることはないであろう。
文責:浅野 正美
(坦々塾のブログより転載)