GHQ焚書図書開封3 (2009/10/31) 西尾幹二 |
少し刊行がおくれた。すでに「4」が半分ほど出来あがっているのである。どんどん後を追いかけて進行している。
「3」はとても詠み易い内容になった。そのわけは冒頭の「はじめに」に次のように書かれていることから察していただきたい。
はじめに
『GHQ焚書図書開封 3』は今までとがらっと様相を変えて、歴史の記録ではなく、昭和の戦争時代における日本人の心を直(じか)に扱うことにしました。心を直に扱うなんてできない話で、ここで言う意味は要するに、あの時代にどんな気持ちで人が生きていたかが伝わる体験記や物語を取り揃えてみたということです。具体的で読みやすく、分かりやすい文章が並ぶ結果になりました。私自身が思わず涙ぐんでしまった母と子のシーンもあるし、敵の城砦を落としてよくやった、と私までが万歳を叫んでしまったシーンもあります。戦後まったく知らされなかった新事実、奇談、珍談の類いもあります。これらは戦後になって回想された反省の文章ではありません。あの時代の人間があの時代のことを語った率直な生活感覚、というより生死へのきわどい思いが綴られた文章で、今読んでも切実さは、哀感を伴って伝わってきます。
どうかどんな理屈も予備知識もなしで、以下の文章に、黙って素直に入って行っていただきたい。自分があの時代の人間になり切った経験をきっと手にすることができるでしょう。それが言葉の正確な意味で歴史を経験するということになるのだと思います。
目次は次のようになっている。
目次
第一章 戦場が日常であったあの時代
第二章 戦場の生死と「銃後」の心
第三章 空の少年兵と母
第四章 開戦直後に真珠湾のそばをすり抜け帰国した日本商船
第五章 中国兵が語った「日中戦争」最前線
第六章 匪賊になって生き延びた中国逃亡兵
第七章 忘れられている日本軍部隊内の「人情」
第八章 菊池寛の消された名著『大衆明治史』(一)
第九章 菊池寛の消された名著『大衆明治史』(二)
第十章 「侵略」や「侵略戦争」の語はいつ誰によって使われだしたのか
溝口郁夫あとがきに代えて――平成二十一年夏のテレビに見る「戦争」の扱い
ご覧の通り第十章を溝口郁夫氏に分担していたゞいた。氏は焚書7000冊余の全データをパソコンにとりこみ、数多くの有益な発見を示唆してくれたが、それだけでなく、章題に示したような歴史的解明をも試み成功している。
溝口氏は昭和20年生れ、北海道大学工学部出身のエンジニアで、新日鉄を定年までお勤めになった、いわば戦後日本の繁栄を支えたお一人である。氏がなぜ現代史に関心をもつようになったかのわけも本書あとがきに記されている。篤実な人生を歩んだ方の晩年における愛国の思い、日本の歴史を歪める者への秘かな憤りには胸をうたれるものがある。
本書は日経、読売、産経にそれぞれ広告が出た直後なので、いま丁度書店の店頭でお手に入れやすいはずである。以上ご案内する。