GHQ焚書図書開封感想文

ゲストエッセイ 
大月 清司  
坦々塾会員

反滑稽読書・孤峰の熱き論説より

GHQ焚書図書開封(3)

GHQ焚書図書開封(2)

GHQ焚書図書開封
 
 ひとり西尾幹二だけが、思弁の丈を孤峰になっても、知性の壁を打ち破り論説を、老骨をやすらぐことなく、熱く、勁(つよ)く語りつづける。
 
 だから、冷徹な分析、論旨だけでは、ベースにそれをおいていても、いまの曖昧模糊とした、しかも美名に飾られた情緒に流される世情の中では、大きな響きを谺(こだま)のように伝えることはできないことを知り尽くしている。

 そして、文学のもつリアリティを知るゆえに、それが軍人の美談でも、些細(ささい)なことの積み重ね、基盤にひととしての血と涙が流れているもの、いまにつづく日本人の人情、情感を手繰り寄せる。高所から見下げるのを嫌い、低い視点から焚書された書籍と向き合っていく。
 それは、歴史家の語る知性、繰り返される愚かしさを、菊池寛が著した当時を生きてきた文学性によって、その歴史のツボを心得てものとして、その本と向き合っていくことにつながっていく。

 更に、敗戦後の米国流の時流に迎合し、ただ安易に流されるままに、世渡りのすべとして、学識、評論、知性、学問までもが、なすすべもなく迎合していくさまを一刀のもとに斬る。いまなお深く根づき、無意識のままに刷り込まれていることへ、容赦のない批判の切っ先を向ける。

 いまも昭和初期と同じ情況にあり、アメリカと北京政府の挟み撃ちに合いながらも、日本の内部からすすんで同調、協力していく、そういう論調に黙してはいられない。

 日本は昭和史のためにあるのでもなければ、その前史もあり、いまにつづき、更に未来へと、島国としての温かみのある人びとの連続性を維持しながら生きつづけている。

 現在の出版界も、実は「焚書の世界」に、すっぽりと飲みこまれている。あたりさわりのない、時の勢いをただただ追い求め、読者にいっとき、迎合、提供することばかりにうつつをぬかしてはいまいか。二一世紀へと残すにたり得る書籍があるだろうか。

 本書で第三弾になる、西尾幹二『GHQ焚書図書開封3』(徳間書店・新刊)は、それに反して、きわめて例外的で、重厚なシリーズの一冊である。この出版社の損得抜きの勇気ある英断と、氏の渾身の著書、健筆に心から感謝したい。それを待ちこがれている、わたしは次なる名著を愉しみに、活字人間たる幸福をひたすら感じている。

反滑稽読書・孤峰の熱き論説 つき指の読書日記 by 大月清司 より

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