マスコミ人「松本重治氏」の疑惑的な証言

ゲストエッセイ 
 溝口 郁夫
坦々塾会員


  南京大虐殺派の笠原氏は『南京大虐殺否定論13のウソ』(225頁)の中で、マスコミ人の松本重治氏を取り上げている。

 そこでは「南京にいた従軍記者の中に捕虜虐殺や強姦、暴行などを目撃見聞していた人がいたことが紹介されている」と記述するだけである。

 なぜか、「従軍記者」ではなく「同盟通信社上海支局長」であった松本氏のみを取り上げた理由が薄弱である。

 そこで、笠原氏が取り上げた松本氏の過去を調べてみよう。

 昭和五十年、松本氏は『上海時代』(上・中・下)を本多勝一著『中国の旅』発行の三年後に出している。山本七平氏や鈴木明氏から『中国の旅』の出鱈目さが指摘されていた頃である。

 本多氏支援なのか、発行のタイミングが良すぎる。

 南京には十二月十八日から十九日にかけ二日しか滞在したにすぎない松本氏は、回想録で次のように書いている。
(この二日間滞在も疑問であると推測しているが、ここでは不問)

 「・・・私は、本多氏、洞教授、鈴木氏のものを心苦しさを覚えつつも、通読したが、事件の正確な全貌は、なかなかつかめなかった。だからといって、私は反論しようとは思わない。
・・・(同盟通信社)同僚の新井正義、前田雄二、深沢幹蔵の三氏から、参考のため、直接話を聞いた。とくに深沢氏はずっと従軍日記をつけていたので、それも読ませてもらい、大いに参考になった。」(下巻251~252頁)。

 松本氏は大虐殺が進行している筈の二日間滞在したのであれば、自分でも詳しく当時の様子を書ける筈であるが、それを回避している。何故だろう。

 ここで笠原氏がとりあげなかった前田氏の回想を紹介する。

「また占領後、難民区内で大規模な略奪、暴行、放火があったという外電が流れた。(中略)私たちは顔を見合わせた。新井も堀川も中村農夫も、市内をマメにまわっている写真や映画の誰一人、治安回復後の暴虐については知らなかった。残敵掃討や区内に逃げ込んで潜伏した中国兵の摘発も十四日には終っていたのだ。もしこうした無法行為があったとすれば、ひとり同盟だけではない、各社百名の報道陣の耳目に入らぬはずはなかった」(『戦争の流れの中に-南京大虐殺はなかった』(昭和57年、125頁)。

 松本氏と前田氏のそれぞれの回想のどちらがマスコミ人としての姿勢であろうか。

 なお、松本氏は「ゾルゲ事件」で死刑となった尾崎秀實も関係した「昭和研究会」の世話人である後藤隆之助と上海で会っている(『昭和研究会』86頁)。松本氏も「昭和研究会」のメンバーであり尾崎氏とも上海で接触はあったであろう。

 松本氏が南京事件虐殺派に理解を示す萌芽は、戦前の松本氏の行動からも納得でき、笠原氏が松本氏を取り上げた背景もなんとなくうなずけるのである。   以上

       文責:溝口 郁夫  坦々塾ブログより

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