謹賀新年 平成22年元旦

 私の研究論文の処女作は「ニーチェと学問」だった。つづいて「ニーチェの言語観」だった。26歳の頃の話である。研究論文とは別に、「私の戦後観」を29歳のときに書き、時代批判、社会批判を始めた。それからドイツに留学して『ヨーロッパ像の転換』と『ヨーロッパの個人主義』の二冊を処女出版とした。

 ドイツ文学畑だったはずだが、ドイツ文学研究にさして興味がなく、文学が研究の対象にならないのは漱石以来の宿命だなどと思っていた。ドイツにではなくヨーロッパ全体に関心があると言っていたのも、ただの若さの傲慢ではない。人間は全的存在だという教えはゲーテにもニーチェにもある。何かの専門家でない生き方があるはずだ。文学研究ではなく、文芸批評を志し、実際にひところ新聞で文芸時評を書いたのも、研究がつまらなかったからである。人は誰も知るまいが、新劇の舞台時評を書いていた時期もあるのである。

 私は若い頃自我が分散していたのだともいえる。自我の不安にも陥っていた。学問論にも古代論にも関心があり、ヨーロッパを普遍文明として捉えるべきだと考え、他方マルクス主義に汚染された知識人への軽蔑から時代の政治に批判的関心を抱いていた。といっても政治学者のようにではなく、文学的自我の問題として抱いていた関心である。

 二度目の訪欧の頃から教育論に関心が移った。紀行文をもとにしたソ連論を書いたのも、食料安全保障から外国人労働力の制限論まで、各種の「国際化」批判を展開したのも、時代の問題に積極的に関わろうとしたからともいえるが、そういえば聞こえはよく、実際は学者ではなくなり、ますますジャーナリストになり、時流に流され始めていたためともいえるだろう。時流に逆らうという形式で時流に流されるということもあり得るのである。

 以上は私が「歴史」に関与する前の閲歴である。私は自己再発掘のために自分の昔の著述を順番に全部読破してみたいと思うようになっていた。『ニーチェ』二部作から『国民の歴史』を経て『江戸のダイナミズム』に至る流れが私の処女作「ニーチェと学問」「ニーチェの言語観」の延長線上にある研究上の系譜だが、そこにヨーロッパ・コントラ日本の主題が重なり、さらに現代政治批判が絡み合って私の思想全体が構成されていると自分なりに漠然と考えている。

 10月に京都の学術出版社ミネルヴァ書房から期せずして自叙伝執筆の依頼を受けた。人文科学・社会科学・自然科学から数名づつ人を選んで研究自叙伝を書いてもらう企画を立てたという。すでに第一期として、来春にも5人の学者のポートレートが世に問われる。幼少期から現在までの生涯を描くことを通じて、現代日本の学問状況を明らかにするシリーズだというのである。

 こういう自己総括を内心必要としていた私にはこの仕事は渡りに舟だが、しかし大体私は必ずしもいわゆる「研究者」ではない。私は文学的自伝なら書いてみたいと思っている。『わたしの昭和史』少年篇1、2がすでに書かれていて、これは17歳までの詳しい自伝であり、この延長を書きつづけたい思いは当然あるが、研究者自叙伝にはならない。

 私はミネルヴァ書房に返事を認めた。私の自己形成の物語、私の「詩と真実」なら書けると思います。内面のテーマ、すなわち自我の不安と外部の社会との葛藤の物語を展開してみたいという気は十分にありますと書き送った。

 すると返事がきた。先生のお書きになる自叙伝が「詩と真実」であり、自己形成の物語であるというのは大変魅力的で、拝見するのが楽しみですが、たゞし今回の企画は自叙伝の中に三つの意味をもたせたいと考えています。すなわち「個人史」はもちろんですが先生をとり巻く時代の「社会史」、そしてご専門の学問全体を鳥瞰していたゞく「学問史」の視点もぜひ組込んでいたゞければと存じます・・・・・・。

 私はこれに再び返事した。私はドイツ文学を専攻したことになっているが、文学研究は学問にならず、外国研究も学問になり難いことを痛感してきました。私の26歳の処女論文は「ニーチェと学問」という題で、既成の学問の概念を破壊したニーチェの抱いた学問論は、学問論としてすでに矛盾で、私も同じ矛盾を抱いて生きつづけたつもりなので、「学問史」は既成の安定した専門風学問史に立脚していないのです。学問の概念を問い直すことがむしろ求められた私の知的営為でした、と。

 これに対してあらためて送られてきた編集者からの手紙はじつに素晴らしい内容だった。

文学研究と学問、これはとても興味深い主題です。
既成のディシプリンを超えて、さまざまな問題を提起なさってきた西尾先生だからこそ、力をもつ「学問論」「学問史」があると思います。
そのあたり、先生がぶつかられた葛藤、日本における学問の風土、さまざまな論争などなど、ぜひこの機会にお書きいただきたいと思います。リアリティある自叙伝になるとともに、貴重な「一時代の記録」となります。
なにとぞよろしくお願いいたします。まずは、構成案を楽しみにしております。

 私はこれを読んでミネルヴァ研究自叙伝の一冊を引き受ける意を決した。以上はとてもいい言葉、ありがたい言葉だった。この出版社の、この方を相手にするなら、安心して仕事が出来るように思えた。まだお目にかかっていないが、女性の編集者だった。

 私のニーチェやショーペンハウアーに関する研究は『江戸のダイナミズム』までつながって一体をなしており、それはまた私の内部では歴史や文明をめぐる各種の論争とも構造的に連関していることは自分なりに判っている。それをここであらためて分解して、学問と論争、認識と行為の関係を読み解き直してみることは自分に必要であり、次の仕事への転回点に恐らくきっとなるであろう。

 今年7月に私は「後期高齢者」になる。しかし意欲も体力も衰えていない。新年に当り決意を新たにしている。じつはこの自叙伝の執筆が開始される夏以後に、ほゞ並行してある雑誌に歴史に関する長篇連載を掲載する契約がつい年末に決定したばかりである。時間的、体力的に大丈夫か、とても不安ではあるが、嵐の時間は刻々と近づき、いずれは頭上をとび越えていくであろう。

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