ゲストエッセイ
柏原 竜一
インテリジェンス研究家・坦々塾会員
人様の歴史観を批判すると言うことは、ある意味で恐ろしいことだと思います。批判というのは、両刃の剣で自らにも降りかかるものだからです。ですから、歴史を語るにあたっては、細心の注意が求められているといえるでしょう。
例えば、戦前の日本はいいこともした、台湾ではダムを造り、はげ山だらけだった朝鮮半島に植林を行なったといった事績は有名ですが、こうした日本の光の側面ばかりを取り上げていても、それは保守による一つのイデオロギーへと堕落してしまいます。我々が気をつけなければならないのは、日本人はすばらしい、日本の伝統は素晴らしいといってふんぞり返ってしまうことなのです。自らの正しさに酔っては、歴史には永遠に手が届かないのです。かといって、半藤さんのような一連の昭和史家皆さんと同じように、軍部の暴走で日本は悲惨な戦争に巻き込まれたとする通俗的解釈も、また別のイデオロギーと堕落することでしょう。というか、その腐敗の最たるものが、半藤さんの一連の著作であるといってかまわないでしょう。
歴史を語ると言うことは、光と闇の狭間の薄暗い道を、心細く歩んでいく孤独な旅に喩えることができるでしょう。ある説が正しいと思っていても、それと反する証拠(あるいはその証拠に見えるもの)も同じように見いだされるからです。ですから、歴史家は、多くの史実を、自分の良心に忠実に再構成しなければなりません。
とはいえ、この「良心」こそが厄介なのかもしれません。というのも、自分の良心に基づいて事前に決定した結論をひたすら展開するという良心もあり得るからです。しかし、歴史学という営為から考えてみれば、こうした良心はなんと歪んだ良心でしかありません。結論を事前に設定できる良心とは、傲慢もしくは独善の仮の姿ではないでしょうか。自分のわずかな資産にしがみつく小市民的心性といっても良いでしょう。歴史家にとっての良心とは、経験主義の垢にまみれた小市民のそれであってはならず、なによりも事前の予断を抜きにして史実を眺め、再構成する必要があるのです。
しかし!事前の予断を持たない人間というのもこれまた存在しません。それは歴史家といえど例外ではないのです。ですから歴史を学ぶものにとって、傲慢や独善の誘惑から自らをいかにして遠ざけるかが根本問題なのです。歴史を語るものの自己に対する批判意識の鋭さが、提示される歴史の、ある意味での真実味(あえて真実とは言いません)を保障しているといえるでしょう。
傲慢に陥らないためには、幾つかの心構えが必要です。まず第一に、新たな資料には常に注意をはらうことでしょう。例えば、西尾先生は「焚書図書開封」という本を出版されていますが、江藤淳の「閉ざされた言語空間」とならんで、戦後流布した歴史観のいかがわしさを明らかにしています。問題は、焚書された書物が半藤さんの主張する歴史観と真っ正面から完全に矛盾していることでしょう。可能性は二つしかありません。半藤さんの主張する歴史観が正しく、焚書された書物が「間違っている」のか、あるいは半藤さんの主張する歴史観が正しく、焚書された書物が「間違っている」のか?答えは言わずともわかりますね(笑)。
問題は、半藤さんの歴史観が誤っているか否かという点よりもむしろ、半藤さんが「焚書図書開封」という書物に前向きに対応できたかという点なのです。しかし、寡聞にして、半藤さんが衝撃を受けたという話は聞かないわけです。本来であれば半藤さんは、それこそ良心があれば、過去の著作全てを絶版しなければならないはずです。しかし実際には、ますますお盛んに著作を怒濤の勢いで刊行なさっています。西尾先生の著作も、保守反動のパンフレット程度にしか考えておられないのかもしれません。しかし、ここで私が問題にしたいのは、自分の見解を批判する資料に対して反応しない、あるいは反応できない半藤さんの精神の、信じがたい、そして救いがたい硬直性なのです。
これと似た光景を我々は最近目にしました。それが一昨年前の諸君紙上での西尾泰対談でした。私が問題だと思ったのは、泰氏が、自分の見解に矛盾する資料は全力で否定しながら、自分の主張が崩されている、もしくは崩されているかもしれないと言うことを、知って知らずか、遮二無二否定していた事実でした。私は、改めて読者の皆様に伺いたいと思います。泰氏は、張作霖暗殺事件で、中西輝政先生が示された英国情報部の見解の是非には答えられませんでした。これは、泰さんの論争の敗北を意味しているのではないですか?私が見る限りでは、あの論争は泰さんの一方的な敗北でした。実際、デクスター・ホワイトのアメリカ政府内部での働きに関しても何もご存じないのです。歴史家にしては、無知が過ぎると思いました。ある見解を否定するためには、その見解を知らなければなりません。しかし泰さんには、「信じられない」の一言で終わりです。これって、アリですか(笑)?あの場で提示された議論に反論するためには、何らかの新資料を泰さんは提示しなければならないはずです。しかし、泰さんにはそれだけの気力も能力もないようです。泰さんは、この対談で言論人としての生命を終えられたのだと私は思いました。
泰さんといい半藤さんといい、なぜ新たに発見された資料を貪欲に自分の思索の中に取り入れられないのでしょうか。なぜ自分の読んだ資料や自分が人から聞いた話だけが真実だと思えるのでしょうか。この視野の偏狭さ、そして自分の見解だけが正当であるとして譲らない、腐敗しきった精神の傲慢さの醸し出す”すえた臭い”に、ご本人方はどうして無自覚のままいられるのでしょうか?理由は簡単で、あの年代特有の名誉心を満足させたいからでもあり、自分の過去の精神的傷を正当化したいからでもあるでしょう。あるいは、単に内容よりも本を売りたいという経済的動機が重要なのかもしれません。さらに付け加えるならば、困ったことに、こうした人ほど「自分こそは良心の固まりである」と信じ切っているものなのです。おそらくは、これら全てが鼻持ちならない傲慢の原因なのでしょう。しかし、自己への批判意識のない精神の産物は、社会に害毒しかもたらしません。日本の言論界の貧困があるとすれば、こうした思考の硬直性、鈍感、傲慢にあるのではないでしょうか。
興味深いことに、思考の硬直性、鈍感、傲慢といった一連の悪口は、半藤さんが旧日本軍に投げかけている悪口と全く同じなのです。これもある意味では当然のことなのかもしれません。自らの視点を絶対視するあまり、そして、自己に対する批判意識の欠如から、半藤さんは「昭和史」をかたっていながら、実は自らを語っているに過ぎないのですから。
もう一つ付け加えておかねばならないのは、歴史観それ自身が歴史的産物であるという論点です。時代が移れば、歴史観も代わります。フランス革命の評価も約60年ほどの時代が立つと、全く逆転したこともよく知られています。歴史とは、固定的なものではなく、歴史が編み出され、そして読まれる時代とともに変動していくものなのです。その理由は簡単で、我々が歴史書を読むときに、歴史的事実を読むと同時に、その歴史を通じて、かならず今生きる現在を考えているものだからです。あるいは、歴史的事実に流れ込んだ現在を我々は歴史書の中に発見しているという言い方もできるでしょう。つまり、我々は歴史を通じて未来を予感しているのです。過去と現在は決して分離しているのではなく、二重に重なって存在しているものなのです。現在が変化すれば、過去のあり方が変わるのは当然の道理です。現在の条件が変われば、予見される未来も、その経路となる歴史観も移り変わります。むしろ、それが社会としての活力であるとも言えるでしょう。
冷戦が終結して20年が経ちました。従来の歴史観が新たな歴史観に移り変わっていくのは、むしろ当然のことでしょう。逆に従来の歴史観に固執することは、日本という国家の沈滞、長期的没落を招くということになります。昭和の平和だった時代を懐かしみ、ただ昭和の時代のように過ごせばよいのだというのは、昭和生に生まれて平成に生きる人間にありがちの誤りです。そこには、未来への意欲も、自ら運命を切り開く覚悟も欠如しているからです。半藤さんは、陸軍のように野心的になってはいけない、外の動きには目を閉ざし、平和におとなしく暮らしていけばよいのだという自分の価値観を読者に押し売りしているだけです。残念なことに、自分のことはわからない半藤さんですから、念仏平和主義という自分の歴史観の害毒には徹底的に無自覚です。
ここで一つ例を挙げましょう。私は占領終結後もっと早い時期に日本は憲法を改正し、国軍を備えるべきであったと考えています。しかし、残念ながらそれはかないませんでした。半藤さんにしてみれば、まさに喜ぶべき時代であったといえるでしょう。しかし、憲法を改正し、自ら軍事力を整備できなかったツケは、日本を徐々に蝕んでいきました。竹島の不法占領を初め、東シナ海における油田の帰属問題、そして北朝鮮による日本人拉致問題です。日本政府に、国民を守る覚悟があれば、このような事件が次々と生じることはなかったはずです。横田めぐみさんこそ、こうした念仏平和主義の犠牲者なのではないですか?北朝鮮に拉致されている日本人の皆さんは、半藤さんの本質的に反知性的な念仏平和主義の犠牲者なのです。
歴史史観については、事実がもちろん最優先しますが、事実のはっきり分からない事も多くあります。そういった状況で、議論する場合、物事を一面的に捕らえる事は禁物で、いろいろな可能性をその時代の背景や地域の状況、人間の感情や憎しみ、民族間の考え方の違いや文化の違い等もよく考えて、物事の真理と本質を追求すべきであると考えます。
田原総一郎氏の例ですが、最近出された書物の中で、「石原莞爾氏の事を決して平和主義者では無かった」と書かれていました。私から言わせると、それは、戦国時代の武将に対して平和主義者でないと言うに等しい愚かな評価だと思います。張作霖の思惑も考慮すべきであろうし、満州国は、溥儀を皇帝に迎えるのが、歴史的にも妥当だと考えます。また、石原氏は辛亥革命を支持し日中戦争拡大も大反対であり、和平案も妥当なものでした。少なくとも、米内や東條、近衛等他の将軍達より遥かに日本とアジアの事を考えていたことは確かであると思っています。
田原氏については、辻本女史への政治献金や小沢、辻本氏らへの秘書起用の不法真性についても弁護されていましたが、全く呆れてしまいました。
西尾氏が批判を加えている半藤一利氏についてですが、最近、「秘録・日本国防軍クーデター計画」(講談社)という本を読んだところ、改めて西尾氏の言うことに納得しました。
参謀本部の作戦課長を務めた服部卓四郎氏を、半藤氏は指導力のない人だと批判していましたが、「秘録・日本国防軍クーデwター計画」によれば、そうではありません。
そんな人が作戦課長に就くかどうか、考えてみただけでわかります。
たとえば出版界を知らない人でも、半藤氏に企画力があったから、「文芸春秋」の編集長を務め、社の役員となったのでしょう。それを、半藤氏には企画力がなかったなどと言うのと同じです。
こうなると、半藤氏の著書は、まゆつばですね。