皇室と国家の行方を心配する往復メール(三)

西尾から鏑木さんへ(前篇)

 詳しい報告をありがとうございました。貴方がとりあげた旧皇族のスピーチは、誤報と考えていいわけですね。

 若狭氏の著作からとびとびの引用は、著作そのものを丁寧に読まないと分らない内容で、いま私は簡単に応答できません。第二次大戦の旧敵国が「日本人の正義」を消す戦いに成功した、という結論はその通りと思います。ですがコミンテルンが関与したのは占領政策までの話で、小泉首相の皇室典範会議にまでコミンテルンが手を伸ばしているという論の立て方は私にはちょっと理解できません。

 いずれにせよ、他人の著作のとびとびの引用に基いてわれわれ二人の議論を発展させるのは危ういので、この議論はいずれ著作をきちんと読んでからお答えする必要があればしたいと思います。

 たゞ貴方の論の立て方ですと、アメリカよりもコミンテルンのほうが日本の破壊に貢献したというように聞こえました。その結論は、私はさしあたり判断留保しておき、アメリカ文明の破壊性をあらためて考えさせる小さな出来事に出会った話をしておきます。

 過日『アバター』という映画を見ました。3D映像革命という宣伝につられてわざわざ有楽町にまで行ってきました。舞台を宇宙に置き換えていますが、あの映画のアイデアの基本は西部劇ですね。西部の荒野におけるインディアンの掃蕩戦。インディアンはここでは宇宙人で、酋長を中心とした祈祷の大集会、復讐の誓い、弓と矢による宇宙人たちの反撃戦。騎馬ではなく大鳥に乗って地球人の航空機と戦うのですが、西部劇となんにも変わっていませんね。子供はよろこぶでしょうが、長すぎます。

 最後は地球人は自然を破壊しただけで終り、宇宙人に敗れます。映画を見ていて、フィリピン戦争、日米戦争、ベトナム戦争における暴力による地球破壊の罪がアメリカ人のメンタリティに深いトラウマになっていることを証明しているような映画だと思いました。

 地球人が総攻撃を加えるときの標的の中心に、天まで聳える一本の巨樹がありました。あの一本を倒してしまえば全部が総くずれになるといって象徴的位置に見ている巨樹は、アジア各国の王室なのだと思いました。女王蜂を除去すれば蜂の巣はつぶせるとよくいいますね。あれと同じです。アングロサクソンの植民地政策はそういうことを最初から狙っているのだと思います。

 たゞアメリカは日本の皇室を甘く見ていませんでした。ずっと恐れていました。そして今のアメリカ人は皇室をもはや恐れてもいないし、嫌ってもいないでしょう。たゞ1945年~53年頃のアメリカには皇室破壊の深謀遠慮があったと思います。その証拠が、一つは皇室の無力化政策であり、二つ目は国体論143冊を含む「焚書」(本の没収並びに消去)です。

 60年以上経ってその効果が現われ最近とくに顕著になって来ました。貴方がご指摘になっていた神秘感の消失です。国民の多くが皇室にまだ敬愛の念を持っていますが、何とはなき神々しさを感じることが少なくなってきました。今回の貴方の問題意識は国民の冷淡さや無関心もさることながら、皇室自らが国民にまだ残っている敬愛畏怖の念をこわすような自滅行動をくりかえしていることへの痛恨の思いに発していることが、拝読していて分ります。多くの人が心を傷めている問題です。たゞそれが外国の介入から始まったといえるかどうかはまだ分りません。徹底して情報不足なのです。この次にこの問題を少し考えてみます。〔続く〕

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