「ナホトカ日本人墓地墓参の余韻-抑留の思想戦と知識人の妄言」 (2)粕谷哲夫
60万人の日本将兵を不法に拘束しシベリアの移送し、捕虜として自由を奪い過酷な強制労働を課し、さらに参謀、憲兵、通訳などは国際ブルジョワジー援助の罪など戦時刑事犯人に仕立て20~25年の重刑を課し囚人とした、シベリア抑留という大罪は、スターリンないしはスターリニズムの責任である。これは議論の余地はない。
事実、スターリンの死によって、遅ればせながら抑留者は日本に帰還している。また、スターリンはソ連共産党にとって正式に否定されたし、赤の広場から遺骸も撤去されている。ゴルバチョフは、シベリア抑留を遺憾とし、エリツインは謝罪している。さらにペレストロイカ以後の情報公開で、シベリア抑留の悪夢の内情が、ソ連側資料で、徐々に知られるようになってきた。いかに弁護しようともシベリア抑留にソ連にいささかの正当性はない。むしろこのことは、この事件に心得のある日本人より、ロシア人自身が認めているところである。
問題は、このような残虐非道、暴虐のスターリンと共産主義を賛美、崇拝したインテリ階層がいかに多かったかである。同調、理解する幅広い支持者が、日本の知識社会を支配したということである。スターリンの大粛清は、細部はともかく、子供の私でもある程度匂いは嗅いでいたし、共産主義とスターリンに心酔してソ連に行っていた日本共産党員すらも多数、スターリンの毒牙の犠牲となった。そんな事実は 当時の共産党員なら誰でも知っていたはずである。
アンドレ・ジイド 『ソヴィエト紀行』から
アンドレ・ジイドは、1936年にソ連訪問した。僚友ゴーリキイの病篤しという報に接して、モスクワにジイドが到着した翌日ゴーリキイの生涯は終った。ジイドは「赤い広場」での葬儀に出席する。その後、二ヶ月間、ソ連各地を訪問し、観察を記録したのが、『ソヴィエト紀行』である。
ジイドが書いた、革命後のソ連の実情の描写は、国内外に異常な反響を呼んだ。当時世界の知識社会をほぼ席巻していた、革命礼讃の政治家、学者、文化人、ジャーナリストの、あるものを当惑させ、あるものを震撼させた。そしてあるものは激しいジイドに批判の矢を向けた。
『ソヴィエト紀行』を読むと、ジイドは決してソ連で行われている諸悪や誤謬を暴露するために行ったのではない。ジイド自身、ロシア革命が人類のユートピアに至るファイナルアンサーであると心から信じており、その成功をこころから祈っていたのである。今流にいえば、共産主義革命にコミットしていたのである。
ジイド自身の言葉をいくつか引用しよう。
ソ連は一つの「人類の模範」であり、「先導者」であり、われわれのユートピアが現実のものになりつつある国がであった。
「われわれのユートピアが現実のものとなりつつある国」としてソ連に憧れていた。ジイドにとって、彼らの大きな成功は、われわれの心の中にさらに多くの要求を注いだのである。
すでに最も難事とされていたことが成就していた。そして我々は、すべての悩める民衆の名においてソビエットとともに契った誓約の真っただ中に隠然として突き進んでいったのである。
アンドレ・ジイドはロシア的なものをこよなく愛し、ロシアの文士たちと友好を温め、ロシア革命に大きな夢を膨らませていた。ところが、実際にソビエットに来てみるとどうも様子が違う。その違う様子を少し長いが、そのまま引用する。
あふれるような人間愛、少なくとも正義を欲する烈しい欲求が、人々の心を満たしてくれればと、そのことを私たちはどんなに希ったであろう。が、一度革命が成就し、勝利を得、さらに革命の業が固定してから、そうしたものが問題にならなくなった。そうした革命の先駆者たちの心を動かしはげましていた感情は、次第に五月蠅くなり、厄介者となってしまった。あたかも最早役に立たなくなったもののように。
(中略)
今日ソビエットで要求されるものは、すべてを受諾する精神であり、順応主義 (コンフォルミズム) である。そして人々に要求されているものは、ソビエットでなされているすべてのものに対する賛同である。のみならず、為政者たちが獲得しようとして努めているものは、この賛同が諦めによって得られた受動的なものではなく、自発的で真摯なものであり、さらにそれが熱狂的なもののように望まれているのである。そして、何よりも脅威に値することは、この要求が達せられていることである。
また他方、ほんのわずかな抗議や批判さへも最悪の懲罰を受けているし、それに、すぐに窒息させられているのである。
私は思う。今日いかなる国においても、たとえヒットラーのドイツにおいてすら、人間がこのようにまで圧迫され、恐怖におびえて、従属させられている国があるだろうか。
スターリンおよびスターリニズムの人権侵害、人民抑圧は、悪名高きヒットラーのそれをしのぐ!とすら言っているのである。当時とすれば驚くべき発言であると見なければなるまい。
ジイドは、万が一にもその共産主義の理想が幻想に終わるとすれば、それにコミットした自分たちの責任はきわめて大きい。しかし、ロシア革命の希望まだ捨てない。
ソ連の現実に完全に絶望して、フランスに帰国したのなら、ジイドはこの『ソビエット旅行記』など書くことなく沈黙を守ったであろうとすら言う。希望があるから、ソ連に誤謬を改めてほしいという、祈るような気持ちで期待をつないだのである。
この辺の事情は、訳者の小松清の、ジイドは誠実な人で、黒いものを白いということは言えない誠実な人である。いまのスターリンの誤りは誤りとして、いずれ改善するだろう。自分もジイドのようにロシア革命の完全成功を祈っている・…というホンネを披歴している。
ロシア革命の完全成功とそこからのユートピア実現を祈った、フランス文学者はじめ、われわれの青春時代の文学全集に名を連ねる学者や知識人に共通のものであろう。桑原武夫などその最たるものである。それは後述する。
ジイドの観察した内容は、ソ連時代のロシアから北朝鮮他共産国に、そのまま残り続けた。ジイド批判を得意げに書いた、宮本百合子はそれのンの崩壊をどう弁明するのか? シベリア抑留も彼らの信じたものの、典型的な被害例である。
ジョージ・オーウエル 『動物農園』の序文
スターリンとスターリニズムの内情に警告を発したもう一人のジョージ・オーウエルを見てこう。
彼が 『動物農園』の序文で述べた文章は、ジイドから遅れること約十年、1945年ごろのイギリスの、知的空間を支配していた共産主義幻想を的確に描写したものである。そのようなものは早晩、消滅するであろうと、鋭いメスを入れて渓谷としている。オーウエルはジイドのように共産主義への期待も希望も抱くことはまったくない。
Orwell’s Preface to Animal Farm の要点
1945年、無批判なソ連賛美は、イギリス国民の常識になっている。
ほとんどの国民はこの「常識」に基づいて、行動している。
ソ連邦批判の文章や、ソ連の嫌がる真実の暴露本は、印刷してもらえない。
ソ連批判は許されないのに、英国を批判するのは当たり前のこととして、自由なのである。
このソ連に対する寛大さは、決して圧力団体によって強制されたものでなく、イギリス人の内発的なものである。
1941年以来、イギリスの知識人が、無批判にソ連の政治宣伝受け入れるという、卑屈な態度は驚くばかりでありだ。
現在のイギリスのソ連崇拝熱は、西欧自由主義の伝統が全般的に衰弱したことの一つの現れである。
ソ連への無批判の忠誠こそが正しく、ソ連の利益になる事なら検閲はおろか、故意の歴史の歪曲も大目に見るしまつである。
このような態度は、ロシア礼讃以上に重大なことである。
ロシア礼讃の流行は長くは続くまい。
おそらく動物農園が出版される頃には、私の見方は、広く社会に認められるのではないか。
400年間のわれわれの文明は、思想と言論の自由のない体制を認めない。われわれの文明はこの考えの上に築かれたものである。
わたしは、ソ連の体制は基本的に「悪」であると、この10年間信じてきた。
たとえ戦争でソ連が同盟国であっても、わたしのこの信念は変わらない。
ミルトンかいみじくも言った「古くからの自由の よく知られた 習わしによって」のように。「古くからの」を強調するのは、知的自由が深く伝統に根ざすものであるからである。これが否定されれば、西欧文明は存在さえ危うい。
イギリスには、あれだけ雄弁な平和主義・非戦論者がいながら、ソ連の軍国主義賛美に対して抗議の声は聞かれない。
イギリスの戦争は大罪であるが、ソ連には自衛権があるからソ連の戦争は問題ないと考えているらしい。そのような考えは、イギリスよりソビエット社会主義共和国連邦のほうに愛国心を抱いている大多数の知識人、その彼らの臆病な欲望のもたらすものである。
イギリスの知識人が、かくも臆病で不正実を自己正当化する理由は、(よく聞くので)私の口からも簡単に言える。だが、そういう口実を言うのなら、少なくともナチのファシズムに対して自由を護るというなどというナンセンスは止めようではないか。
いやしくも自由というものに意味があるとすれば、それは相手が聞きたがらないことをあえて相手に言う権利だからなのである。
一般国民は、知識人とは違って、いまでも、漠然とではあるが、そのような考えで、行動しているのである。
自由を恐れているのは自由主義者たちであり、知性にドロを塗りたがるのは、知識人自身である。というのがわが国の状況である。
私がこの序文を書いたのは、このことをイギリス国民に注目してもらいたいからである。
この文章の「1945年のイギリス」を「2010年の日本」に置き換え、「ソ連」の代わりに「◎◎」を入れ替えても、そのまま通用する。
20世紀の歴史は、ジイドのソ連観察もオーウエルのソ連批判もまことに正しかったことを証明されている。この事実を受け入れたくない人は、想像よりはるかに多く、この歴史に目をつむって死んでいった著名人の1945年当時の考えで書かれた「名著」の多くは、現在でも聖書として、学界、思想界には脈々と生きている。共産主義の本山ではすでに廃棄されたカビだらけの思想も・・・・。
ジイドもオーウエルの観察、警告はシベリア抑留と無関係ではない。それどころか、シベリア抑留の90%以上同じ文脈の中にある。