『GHQ焚書図書開封 4』の刊行(二)

『GHQ焚書図書開封 4』

あ と が き

 昭和10年代の言論の世界は、それなりに盛んな時代で、出版界も決して沈黙していなかった。まるで自由のない言論封圧の時代のようにいわれるのは間違いで、戦前にも正当と思われなかった思想が抑圧されていただけである。戦前には戦前に特有の活発な言論活動もあったし、時流に投じたベストセラーもあった。

 「戦前に正当と思われなかった思想」が戦後息を吹き返したのは当然であるが、それだけならいいのに、今度は逆に「戦前に正当と思われていた思想」がずっと抑圧されて、今日に至っているのである。「国体」論はその主要部分である。

 敗戦で日本のすべては変わったという錯覚を日本国民に与えてきたのはGHQである。日本人にとっては自分たちがそれによって生きてきた時代の思想が他人の手でもぎ取られたり、捨てられたりする理由はない。

 私たちは予想外に戦前の「国体」論と同じ思想の波動の中にいる。「日本人論」というような形で与えられてきたものがそれである。また皇室に対する今の国民のさまざまな感情の動きの原型もほとんどすべて戦前の「国体」論の中にある。

 本書では取り上げていない本だが、大川周明の『日本二千六百年史』は鎌倉時代の成立を「革新」として捉えたがゆえに不敬の書であるとして、蓑田胸喜(みのだむねき)らの批判を浴び、東京刑事地方裁判所検事局思想部に摘発されたりもした。鎌倉時代は武家が活躍した時代で、したがって皇室への反逆の時代であるがゆえにこれを低く見るという歴史観が一世を風靡していたからである。信じられない話である。

 戦争の時代には戦争の時代に特有の歴史の見方があり、論争があった。国民は神勅によって確定された天壌無窮の皇統を仰ぎ奉り、ひたすら忠義の心さえ唱えていればそれでよく、国民に主体性や個人に固有の役割などは求めなくてよいという静的な歴史観を基本に置いた立場がまずあった。文部省編の「國體の本義」はそれにほぼ近い。これに対し当時ただちに反論がまき起こった。こんな考え方では総力戦体制で戦おうとしている軍人たちの精神涵養さえ覚束(おぼつか)ないではないか。わが国体はなんらの理由なしに尊厳なのではなく、国民の個々人の主体性の関与があって初めて成立するものなのである。臣民たる分際を静かに守っていればそれでよいという自然的日本人観から、武人の自立を尊重する意志的日本人観への転換が支那事変たけなわの昭和10年代の思想界を二分する争点だった。山田孝雄(やまだよしお)も、平泉澄(ひらいずみきよし)も、三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)も、みなこのポイントを意識して著作活動を展開していたのである。

 平成の言論界においても皇室論や天皇論は最近珍しくなくなってきたが、やはり同じように、臣民たる分際を守って皇室をひたすら仰ぎ見ていればそれでよいという静的な態度と、そんなことでは現代日本の危機に対応できないので一歩踏み込むべきだという動的な態度とのこの二つの様態があることは、おそらくすでに知られているであろう。

 以上は、歴史は敗戦で切れていないことを示す一例である。戦前の思想は、言葉遣いのなじめなさは別として、予想外に私たちの今の実感に身近な存在なのである。

 であるとしたらGHQが勝手に私たちの視野から切り離した思想の世界をここで取り戻し、再現する手続きは、現在の自分の位置を知る上で重要である。

 戦前に生まれ、戦後に通用してきた保守思想の多くは、とかくに戦後的生き方を批判し、否定してきた。しかし案外、戦後的価値観で戦後を批評する域を出ていない例が多い。戦前の日本に立ち還っていない。

 戦争に立ち至ったときの日本の運命、国家の選択の正当さ、自己責任をもって世界を見ていたあの時代の「一等国民」の認識をもう一度蘇らせなければ、米中のはざまで立ち竦(すく)む現在のわが国の窮境を乗り切ることはできないだろう。

 しかし、それは戦前の思想の全てを無差別に正しいとすることと同じではない。そこが難しい。本書で私は「国体」論のある種のものに手厳しい批判を浴びせている。

 戦前が正しくて戦後が間違っているというようなことでは決してない。その逆も同様である。そういう対立や区分けがそもそもおかしい。戦前も戦後もひとつながりに、切れずに連続しているのである。戦前のものでも間違っているものは間違っている。戦後的なものでも良いものは良い。当然である。日本の歴史は連続して今日に至っているという認識に何度でも立ち還るべきと私は考えている。

 本書第八章を分担してくださった溝口郁夫氏は昭和20年生まれ、北海道大学工学部土木工学科卒、八幡製鐡(現新日本製鐡)で定年を迎えられたエンジニアである。氏が現代史に関心を持たれ、研究調査を始められた動機やいきさつは『GHQ焚書図書開封 3』のあとがきに記したのでここでは繰り返さない。

 氏は信念の堅い人であり、文献の実証の仕事も大変に手堅い。今後この方面でのさらなる活躍を祈りたい。本書末尾の付録「焚書された国体論一覧」の作成は氏に負うている。

 今までと同様、本書も(株)日本文化チャンネル桜のテレビ放送を基本にしている。私の番組は平成22年6月までの段階で56回に及んだ。今は月二回が平均である。同社社長の水島総氏、古書蒐集のご努力にたゆまない上田典彦氏、録画スタッフの宮木恵未氏、北村隆氏、三石宗芳氏、阿久津有亮氏の熱意あるご支援にあらためて深謝申しあげる。

 本書の制作に当たっては前回までと同様に徳間書店一般書籍局長の力石幸一氏、同編集部の橋上祐一氏にお世話になった。また、同編集者・松崎之貞氏にも今まで同様に全体の調整と細目の補足修正にご関与たまわった。諸氏にあらためて感謝申し述べたい。

平成22年6月13日

著者

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