『GHQ焚書図書開封 4』の刊行(五)

 私がまだ教科書の会の代表をしていて、採択運動で全国を飛び回っていた頃、いく人もの秀れた地方の教育指導者や社会科の先生たちに会い、現場の危機を熱心に訴えかけられました。長崎県で出会った山崎みゆきさんもそのようなお一人でした。中学校の社会科の先生で、まだ若く、大学をお出になったばかりの頃だったと思います。今も勿論お若く、しかも活発な女性の先生です。

 拙著について感想を寄せて下さいました。私が教科書の会を退いてからもずっと私の著作活動を見守りつづけて下さっている読者のお一人です。ありがとうございます。

 『国民の歴史』初版以来、私は西尾幹二先生の御著書を読み漁り、新刊が出れば即購入して拝読している。近年、私が特に楽しみにしているのは『GHQ焚書図書開封』である。西尾先生のナビゲーションの面白さもあいまって早く読んでしまいたい衝動にかられ、1、2日で読了する。その理由は、戦前・戦中の日本人がどのように世界情勢を見ていたのか、戦場ではどのような場面があり日本兵はどんな行動をとったのか、戦前・戦中の日本人の思考や感覚、心情にとても関心があり、真実に迫りたいからである。

 昨今のテレビドラマや映画での「戦争」では、市井の人々を描くと空襲の悲惨さや徴兵の無理矢理さを、軍隊や戦場を描くと上官が部下を殴りつける陰湿さや残虐性が強調される。そして戦後民主主義の感覚でものを言う登場人物ばかりで、浅はかである。「戦後〇年」というカウント年数が多くなるにつれ、その傾向は強まってきているのではないだろうか。私は、そんなドラマや映画を見ることで戦争の実態がわかったと勘違いする人々が多くなりはしないかと不安になる。そして、内容を鵜呑みにして、戦時下を懸命に生き祖国のために戦った先人を尊敬できない日本人が増加することを危惧している。

 『GHQ焚書図書開封』第3巻には、中国での日本兵の生と死、息子の戦死に対する両親の複雑な心境、中国逃亡兵の実態、大東亜戦争開戦直後に真珠湾を通り抜け無事帰国した商船・鳴門丸、兵隊の日常、菊池寛の『大衆明治史』など多岐に渡っている。私たちに戦時下の日本人の心のひだや逞しさを感じ取らせてくれる。特に生と死の隣り合わせの中で、日本兵の人間味あふれる言葉や行動は微笑ましくも切なく、時に感涙する。焚書された作品それぞれから、日本人が自分の意志とは関係無しに運命に巻き込まれながらも、その場面において自分にできることを考え、信念をもって行動してきたことが強く伝わってくる。

 第四章の鳴門丸の出来事は私にとっても新たな発見だった。船員・乗客が敵艦に見つからないように船体を灰色に塗り直したり、より安全な航路を選択する必死な様子から、必ず生きて日本にたどり着こうと念じる気持ちが伝わってきた。その一方で、船内には、万が一逃げ切れず敵艦に拿捕されたら船を自沈させるという覚悟もあった。

 戦時中のことを語るとき「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓のために多くの民間人も犠牲になったとする風潮がある。しかし、もともと戦前・戦中における日本人には戦陣訓など関係無しに生き抜こうとする努力とともに、もし敵の手に落ちるなら死を覚悟する気概が備わっていたのではないだろうか。そのようなことを鳴門丸の記述から感じた。

 ちなみに同じ3巻には、どんな汚いことをしてでも生き延びようとする中国敗走兵の記述も収録されている。鳴門丸との対比となり、日本人の覚悟がより強調されている。

 GHQが7.000種数十万冊もの書籍を焚書した影響は甚大であると思う。焚書によって本の内容が人々の記憶から消し去られ、戦前・戦中の日本人の心や感覚を伝えられなくしている。歴史が寸断されているような感覚である。そして、とって代わった戦後民主主義によって戦前・戦中の歴史を断罪し、戦後の感覚で歴史を歪めさせ、日本人が自国を誇れない状態にしている。

 焚書の中身が明るみになるにつれ、日本人が真の歴史を取り戻すことを願う。

長崎県 中学教師  山﨑みゆき

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