『GHQ焚書図書開封 4』の刊行(六)

産経新聞【正論】欄2010.10.25 より

文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司

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 ■ 戦前の地下水を汲み保守再生を

 現今の政権がもたらしている亡国的危機の最中にあって、心ある日本人は「保守の再生」ということを考えているに違いない。

 だが、問題は「保守の再生」という言葉が何を意味しているか、である。「保守」とは何か、何を「守り保つ」のか、「再生」とは何か、といった点がどうも明確にされていないように感じられる。人により、使われる場所によって内容が違っているのであり、それがこの言葉を掛け声だけのスローガンのように響かせている。

 今日の日本人が本来の日本人に「再生」するために必要なものについて重要なヒントを与えてくれるのが、この7月に出版された西尾幹二氏の『GHQ焚書図書開封4-「国体」論と現代』だ。
 2年前の6月にスタートしたシリーズの4巻目で、敗戦後、占領軍によって「焚書」された七千数百点の著作の中から順次、選び出して「開封」し論じている。

 ≪≪≪戦後価値観での批判は限界≫≫≫

 『皇室と日本精神』(辻善之助)、『国体の本義』(山田孝雄)、『国体真義』(白鳥庫吉)、『大義』(杉本五郎中佐)などの著作をとりあげた4巻で、氏は、戦後の、そして今日の「保守」の盲点を鋭く衝いて、「戦前に生まれ、戦後に通用してきた保守思想家の多くは、とかくに戦後的な生き方を批判し、否定してきた。しかし案外、戦後的価値観で戦後を批評する域を出ていない例が多い。戦前に立ち還っていない」と書いている。

 これは、保守思想を考える際の頂門の一針ともいうべき指摘であり、「保守の再生」というものも、戦後の保守政治の「再生」ぐらいにとどまっていては仕方がないということである。

 「戦前に立ち還」ることが戦前の思想のすべてを無差別に正しいとすることではないという点は、氏も明言しているところだ。それは「復古」にすぎない。「再生」としての「戦前に立ち還」るということは、戦前と戦後を貫いて日本人の精神に流れているものを回想し自覚することである。

 日本人の精神の中で、戦前と戦後が余りにも激しく分断されすぎた。確かに氏もいうように「戦前のものでも間違っているものは間違っている」。小林秀雄的にいえば、戦前を「上手に思い出す」ことが必要で、それが真に「戦前に立ち還」ることに他ならない。

 「戦後的価値観で戦後を批評する域を出ていない」保守思想が唱える「保守の再生」では、本来の日本人の「再生」にはつながらないであろう。そして、日本人が本来の日本人にならなければ、日本は本来の日本にはならない。福沢諭吉が「一身独立して一国独立す」といった通りだ。国防論議が熱してくるであろう今後、この順序を心に銘記すべきである。

 ≪≪≪保田與重郎再評価を一歩に≫≫≫

 このように、今必要な「戦前に立ち還」ることのひとつとしてとりあげるべきは、保田與重郎の著作であろう。保田は、今年生誕百年であるが、余り問題とされていないようである。戦前、日本浪曼派の中心人物として活躍し、『日本の橋』『後鳥羽院』『万葉集の精神』などの名作を刊行したものの、戦後、一転してジャーナリズムから追放された。この稀有な文人の著作は、GHQによってというよりも日本人そのものによって「焚書」されたといっていい。

 その後、心ある日本人によって「再生」されたが、保田がどのようにとらえられてきたかは、生誕百年を記念して出版された『私の保田與重郎』という本によってうかがうことができる。

 これまで刊行された保田の全集の月報や文庫の解説に書かれた、172名の諸家の文章を集めたものであるが、これを読んで心に残った表現のひとつは、倫理学者の勝部真長氏の「地下水を汲み上げる人」というものであった。

 ≪≪≪まず、日本人たるべし≫≫≫
 
 勝部氏は保田のことを「歴史の地下水を汲み上げる人」と呼び、「地下水にまで届くパイプを、誰もが持ちあはせてゐるわけではない。保田與重郎といふ天才にして始めて、歴史の地下水を掘り当て、汲み上げ、こんこんと汲めども尽きぬ、清冽な真水を、次から次へと汲みだして、われわれの前に差し出されたのである」と評している。
 
 「保守の再生」への国民的精神運動に、保守思想家が貢献できるのは、戦前の「地下水」の中から「清冽な真水」を「掘り当て、汲み上げ」ることに他ならない。現在では、保田自身が「歴史の地下水」になっている。保田の著作から日本の歴史の高貴さを汲み出して、魂の飢渇に苦しむ今日の日本人に「一杯の水」として差し出すことは、大切な仕事であろう。
 
 保田は戦後の著作『述史新論』の中で「我々は人間である以前に日本人である」と書いた。「日本人である以前に人間である」という、戦後民主主義の通念の中で生きてきた日本人は、「人間である以前」の日本人という精神の堅固な岩盤を掘り当てなければならない。そこから「保守の再生」は始まるのである。(しんぽ ゆうじ)

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