緊急出版『尖閣戦争』(その三)

尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223) 尖閣戦争――米中はさみ撃ちにあった日本(祥伝社新書223)
(2010/10/30)
西尾幹二青木直人

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 編集者が自ら作成した本を自らのことばで紹介する産経新聞の読書欄(産経書房11月13日)に、祥伝社の角田勉氏が次のように書いて下さった。氏から発売後10日で3刷3万部になったとのしらせを受けた。

【書評】『尖閣戦争 米中はさみ撃ちにあった日本』西尾幹二、青木直人著
2010.11.13 07:45

「尖閣戦争」 

「必ずやってくる」中国に備え

 実を言うと、この対談は、別のテーマで取材日が9月25日と設定されていた。ところがその前日の24日に、中国漁船の船長釈放というニュースが飛び込んできたため、急遽(きゅうきょ)テーマを変更し、対談から発売まで1カ月という異例のスピード進行で出来上がったのが本書である。

 それが可能だったのは、この両者の日頃(ひごろ)の言説に触れている人にはおわかりの通り、今回の事態は想定内のことであり、これまで散々に警告を発してきたことであるからである。

 西尾氏はかねてより、米中が経済面においては事実上の同盟関係にあり、利害を一にしている以上、いざというときには日米安保は全く当てにならないこと、そして、アメリカが日米の同盟関係を強調するときは、その裏に、日本の再軍備や核武装論を抑え、米軍の駐留費を引き上げる目的が秘められていることを指摘してきた。

 青木氏は、その精細な中国分析から、中国の海外進出が、歴史的にも国内事情からも周到に準備されてきていることを述べてきた。

 そしてこの両者の一致する見解は、今回の事件が日米中三国関係の構造の変化に伴う必然であり、一過性のものではないこと、中国は次も必ずやってくるということだ。そのために日本はいま何をしておくべきなのか。それは間に合うのか。日本に切れる外交カードはないのか。議論は尽きることなく続いた。

 騒ぎがいったん収まったと言って、安心している場合ではない。ともかく、ここは日本の正念場である。(祥伝社・798円)

 祥伝社新書編集部 角田勉

 さて、最近知ったが、沖縄をめぐる中国の言い分には相当にすさまじいものがある。アメリカが沖縄を日本に返還した1972年に、蒋介石はアメリカに対して激怒したそうだ。沖縄(琉球王国)はかつて中国の朝貢国だったから、アメリカは沖縄を中華民国に返還すべきだったという考えからである。そして、ときの北京政府も同じ立場で、キッシンジャー周恩来会談で、このことが取り上げられたという話である(毎日新聞 2010.10.21)。

 しかし琉球王朝はわが国の薩摩藩にも朝貢していて、いわば両属だった。1871年に日清修好条規が結ばれた。同年琉球の島民66人が漂流中に台湾に流れついて、54人が台湾人に殺害されるという怪異な事件が起こった。

 日本政府は琉球島民の権利を守るために台湾を管理する清国に責任を問うたが、清国政府は台湾人は「化外の民」(自分たちの領土の外に住む人)だからといって責任を回避したので、日本はただちに台湾に出兵し、台湾住人を処罰し、責任を明らかにした。

 この問題の解決に当り、清は琉球島民を日本国民と認めたので、日本は1879年に琉球を日本領として、沖縄県を設置した。これを「琉球処分」という。以上がわれわれの理解する略史である。

 今の中国がもしこれに反対して現状変更を求めようとするのなら、130年前の近代史上の国境確定をくつがえそうというとんでもない企てである。暴力(戦争)以外に方法はない、というのが中国サイドの究極の考え方だろう。

 もう少し歴史を振り返ってみたい。永い間中国はまともな主権国家ではなかった。第一次大戦中の「21か条要求」にしても、よく調べてみると日本はそんな無茶な要求はしていない。袁世凱政権が日本からこんなひどい要求を突きつけられたとウソの内容をでっち上げて内外に喧伝したので、それを聞いて怒った中国国民が反日運動に走ったというのが実情である。いまは詳説しないが、中国人特有の謀略にはめられた日本政府の甘さは、今も昔も変わらない。

 あのころの中国はイギリス、フランス、ドイツそしてアメリカなどに歯向かうことをむしろ避け、弱いものを標的にする排外運動、すなわち排日に走った。一方日本の中国に対する基本姿勢は中国を救済し、西欧列強から防衛するという一方的な善意の押しつけの面があった。優越した立場から「面倒を見る」というのが対中対応であった。巨額の援助金で支援した孫文に裏切られたのがいい例であるが、日本人の善意は大抵逆手にとられ、すべて悪意に仕立てられていった。そして、西欧列強はそういう日本に冷淡で、中国に利のあるときは群がり、危うくなればさっさと逃げ出したのである。

 最近の日本の置かれている立場は当時とまったく同じに見える。尖閣問題は世界のどの国からも同情されていない。関心もほとんど寄せられていない。ドイツの友人から知らされたが、ドイツのテレビには報道もされていないらしい。尖閣が中国に占領されても、たいした話題にもならないだろう。一昨日のG20の経済会議に際し、フランス大統領は目の色を変えて中国との巨額商談をまとめた。少し前にイギリスもドイツも中国詣でに夢中だった。

 たゞアメリカは人民元の安さに苦しめられている。9月末に人民元切り上げを迫る制裁法案が下院で可決された。20%-40%くらい人民元は安いと見て、アメリカをはじめ世界の雇用をおびやかしていると批判した。

 アメリカは制裁法案を実行して本格的に経済戦争をはじめるつもりだろうか、それとも中国の言い分を認め、異常な前近代のままの中国中心の世界経済秩序を認めるつもりだろうか、今、二つに一つの岐路にあるといえる。もし後者の道をアメリカが選べば、日本は完全に見捨てられることになる。

 130年前の「琉球処分」を白紙に戻そうという中国の野望は「近代」を知らない非文明の大国のエゴイズムに文明の側が屈服することにほかならない。しかしこれをはね返すには、なまなかな覚悟ではとうてい及ぶまい。

 例えば あるブログに次のような言葉があった。

フジタの社員が4人スパイ罪で捕まりましたが、スパイだから銃殺される可能性もあった。中国という国はそういう国家であり、フジタもそれを覚悟で中国に進出しているはずだ。だから社員が4人捕まっても自己責任で解決すべきだろう。日本企業は安易に中国に進出することは国益を害するのであり、進出した日本企業は中国の人質なのだ。

「株式日記と経済評論」より

 私はさきに「なまなかの覚悟ではとうてい及ぶまい」と書いたときの「覚悟」とはさしあたりこういうことである。しかも、これに類することが今後相次ぐだろう。例えば、進出企業が中国側に接収さsれるというようなことだって起こり得るかもしれない。

 変動相場は今の市場経済の前提なのに、人民元だけが固定相場である。世界がこれに悩まされながら許しているのが不思議である。非文明の大国のやりたい放題を我慢しているのが奇怪である。隣国の日本が災難を一手に引き受けざるを得ない不運な立場に世界の同情がないのも、大戦前と同じである。

 日本の今後の政策は非文明の大国を文明国家にするべく可能なあらゆる手を打つことである。アジアは経済の成長センターで中国はその希望の中心である、というようなものの言い方をやめるべきである。中国は北朝鮮を巨大にしたレベルの国家にすぎない。規模が大きいだけにソフトランディングの周辺国に及ぼす影響は破壊的である。

 尚最後に付記するが、沖縄の言語(琉球原語)は3世紀ごろに日本語から枝分かれした、世界でただひとつの日本語の親類語である。アイヌ語も朝鮮語も日本語とは系統を異にする。

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