つくる会定期総会での私の話(二)

 「夢はどこまでも夢ですから空想めいて聞えるかもしれませんが、いつだって半分は現実なんです。」私はそうつづけて、二つ目の夢はつくる会が広報に関するマーケティング戦略を展開できるようになることだ、と言った。

 「今回の総選挙で小泉首相が『改革を止めるな』と言っただけで国民はそうだ、そうだと雪崩を打って、言われた方へ走りだしました。四年間も首相の座にいて、改革を果すべき立場にあり、ちゃんとした改革をしてこなかったのは誰のせいでしょう。あの人の責任ではないですか。それなのにその人が『改革を止めるな』は、何という言い草でしょう。自分が止めていたんじゃないですか。私は笑えて仕方がなかった。

 けれどもこの鉄面皮こそが、勝つためには大切なんですね。つくる会にもいい教訓です。で、われわれも発想の転換が必要です。『新しい歴史教科書こそ反戦平和の教科書だ(笑)。国際協調を絵に描いたような教科書だ(笑)!』と堂々と言いつづけるような、胸を張った臆面のなさがを示すべきなんです。

 今度の自民党は参議院の世耕議員の肝入りで広報のためのPR会社が参入し、戦略を組み立てたと聞いています。広報と広告とは違いますよ。小泉さんも武部さんも大分前から広報会社とよく会い、よく打ち合わせをしていたらしい。解散はかなり前から研究していた。『改革を止めるな』は首相おひとりのアイデアではなかったようですね。

 つくる会もできれば広報会社に依頼したいのです。でも、そんな巨きなお金はありません。だから夢なんです。夢ですが、とても現実的な夢ではあるんですよ。

 それから三番目の夢はまた小泉さんに関係があります。8月8日の解散から9月の第一週目くらいまで、日本の大マスコミは小泉批判をピタッと止めてしまいました。テレビは女性刺客V.S.抵抗勢力の対決を面白おかしく追いかけるだけで、首相の仕掛けた罠にはまったのか、背後で見えない権力が動いたのか、薄気味の悪いほど同じ一色に染まった。皆さん、ご記憶にあるでしょう。小泉万歳を一番煽ったのは産経ですよ。そして産経から朝日まである意味で論調が一つになった。

 権力というものはもの凄いことができるのだということが証明されました。権力は小泉さんかどうか分りません。その背後にいるアメリカかもしれません。何か分らないが権力が本気になるとこういうことができる。

 それで三番目の夢です。夢ですからいいですか、無責任ですよ。

 教科書問題においては権力がまだ本気になっていない、そういうことだなと思いました。権力が危機感を覚え、本気になったら、地方の県教委なんてみんなふっ飛ばされてしまいます。みんな右へならえしちゃうんですよ。その程度の暗い闇なんです。

 以上三つの夢、申し上げました。夢ですから、すぐ醒めてしまいました。そして、私たちは再び自分の非力を悟らざるを得ません。

 ですが、非力でも、無力でも、ずっと旗を掲げつづけることが大切なのではないでしょうか。さもないと夢のつづきも見られません。

 尚、最後に八木秀次会長が今回の総会を機に自ら会の編成替えを示し、新しいプロジェクトを打ち樹て、本格的に会長の職責を全うせんと実力を発揮し始めたことを申し添えておきます。今までは前任者の後継ぎという立場を外さぬように慎重になさっていましたが、今回ご自身でどんどんアイデアを出し、指示し、命令し、活発に動き出しました。私の知らない間に新理事が増え、本部は若返りました。

 各地方支部におかれましても活動のより一層の活性化と次の時代への課題の継承をにらんだ組織の若返りをぜひにお願い申し上げる次第です。ありがとうございました。」

つくる会定期総会での私の話(一)

 「私は番外の人間ですので余り発言しないつもりでしたが、それでも会議の途中で思わず少し口出ししてしまい申し訳ありません(笑)。」というような前口上で、私が議長に指名されて、しめくくりの挨拶をした。

 新しい歴史教科書をつくる会第8回定期総会が9月25日午後1:00~4:00虎の門パストラルの大会議場で開かれた。全国から集まった約200人の正会員が熱心に討議をくり広げた。成功とはいえない採択のにがい結果にも拘わらず、会の空気は快活で、気力もあり、ひたむきに前向きだった。

 ただ私の心の中には、17日の全国活動者会議で北陸のある県の代表から聞いたことばが重苦しくのしかかっていた。北陸は圧倒的な保守地盤である。日教組もほとんど力がない。日の丸・君が代も抵抗なく励行されている。というのに、彼はドアをこじ開けることができなかった。

 開けようとすると、立ち塞がるある暗いものの影がある。ぞっとする。「それは何ですか」と質問する人がいた。「分りません。教師の世界の閉ざされたメンタリティー、そう言ってしまえば簡単です。そういうものでもない。それは闇のようなものです。」「教科書業界の利権でしょう?」と別の人が質問した。「そうかもしれません。しかしもっと何か奥深いもの、遠いものと絡んでいる。威圧するものがある。地元をよく知るわれわれがこの年齢になって今年初めてぶつかった説明のできない壁です。」

 以上は総会の一週間ほど前に聞いた話である。今回の採択の不首尾を象徴するような話だった。

 総会でもさまざまな角度から「壁」が語られ、議論された。しかし総会では「壁」を動かないもの、毀せないものだとは誰も考えていなかった。私は最後の挨拶を求められていた。

 「本日はご参集のみなさま、ありがとうございます。熱心なご討議も、また各種議案のご可決にも感謝申し上げます。さて、私は本日の会の終結にあたり三つほど夢を語ってみたいと思います。夢ですから多少無責任ですが、お許し下さい。

 教科書法の制定を求める運動が確認されました。教育委員会制度の見直し、権限の明確化ということですが、教師上りはレイマンコントロールの趣旨からいって教育委員にはなれないという法的とりきめがきちんとなされるのが望ましいのです。そういうことは先ほどもどなたかが仰言っていました。私は加えて、教科書販売に関し出版社の営業活動がいっさい禁止されるべきだと思います。道路や橋の談合についてあれほど世間は騒いでいます。しかし、談合の弊害が教科書においてはるかに著しいことは、道路や橋の比ではないのです。公正取引委員会がこれを黙認し、放置しているのはおかしい。

 教科書会社の営業が禁止されることになれば、東京書籍の営業マン150人が全員解雇されることになります(笑)。扶桑社にも迷惑をかけないで、対等に採択戦に臨める。まあ、いいことばかりです。

 これは夢ですが、あり得ない話ではないですよ。理屈からいって、正夢なんです。」

なんとか日本を守りたい

 9月16日頃から22日までの間、うち別件で一日使えなかった日があったが、自己集中して、次の二論文を書いた。

(1) 最後の警告!郵貯解体は財政破綻・ハイパーインフレへの道だ
  「諸君!」11月号(40枚)

(2) ハイジャックされた漂流国家・日本
  「正論」11月号(23枚)

 (1)は経済論、(2)は政治論である。どちらも、いうまでもなく現政権批判である。

 私の一連の関係論文はまとめてPHP研究所より単行本化される予定で、作業が開始されている。昨夜書名をどうしようかと担当者と話し合ったが、私は誰にでもすぐ分る簡潔なのがいいなァ、と呟やき、こんなのはどうかなと提案した。そうなるかどうかはまだ分らないが・・・・・『小泉純一郎は間違っている』。

 そのものズバリの、あけすけで分り易いこんな題の本を出したことはまだないが、私が言いつづけてきたことは、この題に尽きている。

 日本は戦後60年目にして、この政権で一大変質し、破局に近づいている。権力の頂点が頼りにならない、崩壊が上から始まっているこんな不安定は、私には初めての経験である。国民の大半が明日の自分の財布を心配していないのが不思議でならない。財務省や金融庁の幹部はじつは真蒼になっているのではないかと思う。

 尤も、彼らは破局ですべてを清算したいのかもしれない。

 私は郵政民営化は最終的には実行できないと思っている。法案が成立しても、執行されないうちに財政が行き詰まってしまうからである。4年間で240兆円もの、戦後政権で最大の借金を増やした小泉政権に責任は帰せられる。

 間もなくみんなが本当に困る時代がくるのである。

若い三候補者応援の旅

明日9月1日19:00~日本文化チャンネル桜に出ます。

報道特番
《西尾幹二が郵政改革を斬る!!》

当日録でも、チャンネル桜の許可の下、動画を配信する予定です。

 私はこの夏、たまたま二着の夏服をしつらえた。なぜ二着かというと、二度つくりに行くのは面倒だからである。そしてまた、一度つくると何年もつくらない。

 よれよれになるまで着て、また慌てて二着または三着をいっぺんにつくる。不精なのである。

 大分、宮崎、静岡を二日で回る真夏の衆議院議員候補者応援の旅は汗だらけになりそうである。私は着古したよれよれの服を着て行こうとしたら妻に叱られた。

 二着のうち一着はまだ着衣に及んでいない。着ないで秋になりそうである。来年の夏にはもうその新しい服を着ることが出来ない身になっているかもしれないではないか、と妻は言った。

 これは嫌味でも皮肉でもない。私は二度重病で倒れている。

 私は手を通していないチャコールグレーの新しい夏の背広を着て、長距離の旅に出た。

 私はこの旅を自分から発起した。無駄なことをする、止めなさい、とは妻は言わなかった。黙って送り出した。

 8月15日の靖国の境内で日本会議事務局総長の椛島(かばしま)有三氏に私が今度の選挙で守りたい六人の名を挙げた。椛島氏の意中の名とぴったり一致した。私は応援に行きたいと言った。協力しましょう、と氏は言った。

 日本会議やつくる会やモラロジーやキリスト教幕屋や自民党県連、市議会議員、その他関連団体の方々が行く先々で私を迎えて、案内してくれた。椛島氏や同会議の松村氏が大分で待っていて下さった。

 旅に出る前日の26日夜中に、『Voice』10月号の原稿25枚が終った。23日に岩手から帰った直後だったので、執筆時間は正味二日間だった。いつもこんな風に時間の綱渡りをしている。いつまで体力がつづくだろうか。

 『Voice』は〆切りから発売まで2週間もかかるという作者泣かせの例外的な雑誌である。26日は最終〆切りで、雑誌の発売日は9月10日である。内容がいい雑誌なのに、『正論』や『諸君!』に立ち遅れがちな理由は多分この日程の不合理にある。

 9月10日では何を書いてももう11日の選挙投票日に影響を与えることはできない。私はコピーを作成し、3人の候補者にせめて読んでもらおうと、三つの封筒の中にそれを入れ旅の鞄に収めた。

 27日の夜羽田空港ホテルに泊まって、28日13:00~15:00、大分市でE氏激励講演会。それから列車で3時間半かかって宮崎、乗り継いで都城まで45分。幹線を外れると、列車は旧式で汚れている。日本の鉄道は決して生き返っていない。民営化は末端を貧寒とさせる見本である。

 F氏激励講演会は20:00~21:00。ここまで椛島さんも同行、かつ熱弁をふるわれた。終って椛島さんは夜行で大分に帰られるので、彼の方が大変だなと思った。私は支援者たちと芋焼酎で乾杯。候補者たちの武運を祈る。

 都城の宿で『Voice』編集部から電話が入り、拙論のタイトルが正式に決まった。すなわち「狂人宰相、許すまじ」。

 この論文は臨床心理学の某教授との合作である。織田信長との比較論でもある。しかし、約4分の3はエコノミスト各氏の意見をも引例して郵政民営化をめぐる経済学上の議論を基礎に置いている。勿論、法案を私なりに緻密に読んで分析している。

 翌29日朝、車で鹿児島空港へ。そこからJALで中部国際空港に降り立った。二人の関係者が迎えて下さった。この空港は初見参である。

 空港から長距離バスで2時間浜松へ。飛行機の中でも、バスの中でも私はたゞひたすら眠っていた。浜松でまた迎えの方がおられて、浜北市へ約40分かけて運んでもらった。

 たくさんの人たちの熱意は私のためではない。候補者のためである。彼らを当選させたいという多くの人の熱い思いが結実した現われである。

 18:00~20:00K氏激励講演会。会場は三つどこも満員で、感情の高ぶりに満ち溢れていた。

 三候補者の様子、状況、観測、見通し等は読者の関心でもある処と思うが、今は書かない。たゞ三氏ともに活力に満ちて、元気だった。

 帰京した翌日8月30日に選挙戦が全国一斉に正式に始まった。衆議院の選挙に応援の無償の講演会を自分から希望して行うなどは私の人生でも初体験である。私に体力の余裕があるわけではない。私の時間はとても切ないほどつねに足りない。

 なにものかへの私の憤りがたゞごとではないことだけは理解してほしい。

 私の講演会に呼ばれた人たちは候補者を支援する各団体の活動家たち、協力者たちである。だから熱心だし、私の話も分ってくれる。

 それにくらべ、候補者が相手にするのは大衆である。さぞ大変だろうな、と同情する。

 帰京して日録を見たらコメント欄に私の所論を読まずに、日録の文章にだけ反応している人が多く、『Will』の拙論をきちんと読んで論評して下さった方はわずかひとりであるのを残念に思った。

 日録はご覧の通り私の郵政民営化批判の論述展開の場ではない。私の論述は、再度確認しておくが、次の通りである。ぜひこれを読んで論評してほしい。
 
 ・小泉「郵政改革」暴走への序曲(20枚)『Will』10月号
 ・小泉首相の「ペテン」にひっかかるな(6枚)『正論』10月号
 ・狂人宰相、許すまじ(25枚)『Voice』10月号。

 尚、私は31日に文化チャンネル桜で「郵政民営化の正体」を単独スピーチ録画してもらう。放映時間は先方に任せる。

 さらに、東京でも講演をする。以下の通りである。

緊急集会!―郵政と拉致と教育を考える―

●登壇者:西尾 幹二氏(評論家)
       西岡 力 氏(救う会副会長)
       椛島 有三氏(日本会議事務総長)
●日 時:平成17年9月4日(日)
      午後2時開場 2時半~4時半
●会 場:ゆうぽうと 6F会議室「菖蒲(あやめ)」
      Tel 03-3494-6339
      東急池上線大崎広小路駅徒歩1分
      JR・都営地下鉄五反田駅西口徒歩5分
●主 催:郵政と拉致と教育を考える東京都民の会
●後 援:日本会議東京本部
●参加費:無料
●お問合わせ:〒153-0042目黒区青葉台3-10-1-601
        Tel 03-3476-5695
        Fax 03-3476-5612(担当:藤井)

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九段下会議の歩みと展望 (五)

 

お知らせ
   《来月の評論》

   特集 閉ざされた言語空間と「戦後神話」---60年目の再検証    「正論」9月号

     ___ 知られざるGHQの「焚書」指令と現代の「焚書」 30枚

          特集執筆者  上記論文の私のほかに石井英夫、林道義、和田秀樹、西岡力、新田均

やっと書きあげました。写真もいれます。

マンガ嫌韓流   山野車輪     晋遊舎 ¥1000
  
        5ページのコラム「外が見えない可哀そうな民族」を寄稿しました。
       旧稿改作です。

       コラム執筆者は西村幸祐、大月隆寛、下條正男の各氏。

       マンガ本体はよく描かれていて、私も知らぬこと多く、何箇所かで、
       衝撃をうけました。

九段下会議の歩みと展望 (五)

 今度日本の会社法改正(*1)が行われたわけですが、私が心配しているのは、中国が日本の企業に襲いかかってくる日が来るのではないかということです。その場合、技術を持っている日本の企業を買ってですね、技術だけさらって行って、従業員はみんな解雇しちゃうなんてことを中国はやりかねないと思うわけです。それに対応する日本の司法制度が、果してちゃんと機能しているんだろうかという疑問が最近沸き起こっていて、日本の裁判官のダメさ加減という問題が一つあるんです。ホリエモンの騒ぎの時に、クローズアップされた問題でございますけれども、リーマンブラザーズに何百億もうけられるなんておいしい話が転がっている国なんて、日本だけでしょう。

 中国はこの10年くらいしか市場経済の経験がなくて、そういう意味では全く資本主義国としては小学生みたいなのに、まるで大人のような対応で世界の市場に乗り出している。そういうことが可能になっているのは、ごく少数の人間が支配権を握ることができて、人民を安く使えるというシステムが稼動しているからだろうと思います。

 では、いつまでそういうことが可能になるんでしょうか。という問題が一つと、もう一つはアメリカがいつまでそれを許すんだろうかという問題があります。僕はどうも、後者に疑問がある。非常に不安がある。つまり、アメリカは中国の現状を利用しようと考えていて、暴露しない、あるいはこれをとことん叩きのめすと言う考えを持っていない。

 つまり、アメリカは中国の特権階級と手を結んで、利益をせしめようとしているという風に考えた方が、今の停滞した情勢を説明するのに分り易いと思っております。それが非常に心配で、先行を不透明にしている。先ほど言っているように、どうもアジアでは戦争をしない、戦争はしないどころか、アジアの悪と手を組むかもしれない、そして日本はいつ梯子を外されるか分らないという憂慮すべき思いも感じられる。表向きはアメリカは北朝鮮人権擁護法とか言ってですね、全体を一挙に動かそうとしている。北朝鮮人権擁護法は立派でしたが、そういうことをやると言ってですね、なかなか実行しないんです。

 北朝鮮を爆撃すると言ってみたりしても、口だけですね。しかもあれ、爆撃だけされたら非常に困るんで、私は望んでいない。爆撃をするんだったら、海兵隊がきちんと上陸して平壌を占領して欲しい。それだったらば爆撃してもいいと思うのですが、爆撃だけされたら朝鮮半島は完全に反米一色になっちゃいますから、そうしたら、中国の意のままになってしまいますから。僕は爆撃なんていうのは、とんでもないんで、是非ともソウルにクーデターが起こることを期待しています。ソウルのクーデターをアメリカがうまく利用するようになってほしいと、勝手に思っているわけなんです。それも夢物語で、今のところはわかりませんが、そういうことが起こる可能性も刻々と近づいているような気も最近はないわけではありません。

 しかし状況の変化をアメリカに期待しているというのも我ながら情ない話です。

 以上いろいろ申し上げましたが、もう一つこれに加えて、私が憂慮しているのは、日米構造協議以来、アメリカの日本改造計画というのが、非常に露骨で、細目にわたりしかもドラスティックで、大体平成7年くらいから日本の国内への手の突っこみ方が激しくなってくる一方です。アメリカは日本のありとあらゆる分野に手をつっこんで、注文をつけている。

 「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基く日本国政府への米国政府要望書」(2004年10月)というのをご存知ですか。電気産業から医療体制、薬品製造、商法、教育、なにからなにまで注文をつけている。われわれが世界に誇るべき医療保険制度、これはアメリカなんかとは比較にならないほど日本の方がいい。アメリカは医療保険制度はだめなんです。貧民切捨て政策ですから。それにもかかわらず、アメリカ式の導入まで求めてくるというような理不尽なことである。郵政も勿論そうなんです。郵政改革ももちろんアメリカの介入の結果ですけれども。

 そういうことで、大体、今日は持ってきておりませんけれど、すべてペーパーでておりますから、これ全部ペーパーは隠してやっているんじゃないんですよ。もう米政府は全部、中国政府もそうなんでしょうけれども、全てのデータをわれわれが丁寧に読めばみんな分る仕組みになっている。突然起こる話じゃなくて、何年も前に起こっている話で、何年も前にアメリカは文章にして出しているんです。それを日本が読み解いて、そして警告して、これこれはNOだというそういうことがないできた。なくて日本の金融庁も経済産業省も、すべてのお役人が唯々諾々と言われたとおりの法案を、毎年のようにあげているわけですよ。イギリスのサミットの後にも日米のこの面の書類の交換が行われているはずです。

 すべてアメリカの言いなりになっているというのが現状でありまして、これは私が一回論文に書きましたように、日本企業の株価をどんどん下げていって、アメリカの株価との落差がものすごく大きくなったところで、三角合併ということをやらせる。日本の株式会社を買い取るという、つまり一番日本の株価を下げ、アメリカの株価との大きな差ができるまで準備を整えて、10年ぐらいの忍耐で、あるいは15年ぐらいの時間をかけ、そして怒涛のごとく、アメリカが日本の買取を始めるんではないか。つまり日本の産業がすっかりアメリカに買い取られて、主体性を失ってしまうんじゃないかというような恐怖を私は抱いている。いいかえれば米中二つの谷間の中で、虎視眈々とこの国は狙われているというのが、私が憂慮している最大の問題です。

 そういう怖いアメリカに日本は安全保障の面で、中国に対抗するために全面的に頼らなくてはならないという矛盾した、絶望的な状況にあることは誰しも知る通りの現実であります。
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九段下会議の歩みと展望 (四)

 お知らせ

《シンポジウム》
サマーコンファレンス2005道徳力創造セミナー
7月23日(土)本日!15時30分~18時
名古屋国際会議場(名古屋市熱田区西町1-1、Tel 052-583-7711)
基調講演: 西尾幹二
パネリスト: 兼松秀行、陰山英男、水野彌一
参加費: 入場無料  
主 催: 日本青年会議所
代表連絡先: Tel 090-8991-7123(宮崎修)

九段下会議の歩みと展望 (四)

 アメリカの企業を相次いで買収している中国企業はすべて国営企業か政府の一部門によって設立された企業であって、資本主義の原理で動いているわけではありません。それでも技術獲得には、熱心で、やがて日本の超優良企業をターゲットに敵対的M&Aを仕掛けてくる日もそう遠くはないでしょう。

 どうしてそういうことが可能かということを考える必要があります。ある本によると、中国は三つの手段でこの巨大資本主義的国営企業と最貧層の賃金の安い労働力との併用をコントロールしている。つまり、もちろんこれは共産主義国家であり続けているということが前提で、そして、それが古代専制国家とどこか繋がっているということ、昔の古代のですね、それが中国の持っている現段階の少なくとも強みであるということでありますが、その源泉の一つは戸籍制度であります。

 農民の戸籍制度と都市の住民の戸籍制度で人間を二つに分類してしまって、身分秩序というよりも、都市戸籍を持つものにはなんでもかんでも優位を与える。農村出身の者は、徹底的に不利になる。そしてそれで農村から都市へ流民のように這い上がってくるものには、戸籍はないわけですから、ほとんど何の保証もないような、つまり低賃金、そして奴隷労働、ということが実行されている。何年間かだけ許可して、都市に置いてやるということもやっているようです。ある時期が過ぎると農村へ追い返しちゃう。また別の違う労働力を入れる、つまりチェンジするということ、取り替えるということで、それでいつも賃金は安く使える。幾らでも農村に余剰人口、余剰労働力があって、それを都市へ自由に移動させて、そして2、3年居たらまた戻してしまうということで、そういうことが強権体制で可能になっている。

 それからもう一つは清朝の時代から続いている人民支配の手段として、これは僕は加地伸行さんからもその話を聞いたことがあるのですが、トウアンというのがある。トウは木へんに当たり前の当をつけて档、われわれは使わない文字です。アンは名案、思案、案ずるの案なんですが、档案といい、記録ですね、その人の人事ファイル。生まれとか出生とかあるいは、経歴などみんな書きこまれたファイルで、全人民がそれを持っていて、警察が管理しているのかどうかなんでしょうがね、結局は。

 ですから、何か犯罪でなくても、政府に楯つくちょっとしたことをやっても、例えば上司に楯ついて文句を言ったとかいうと、もう記録されちゃうそうです。だから政府が許可しないデモに参加したというと、それだけで記録されてしまう。そういう人事ファイルを党が握っていて、これに下手なことが書かれると、一生が不幸になるので、それに変なことが書かれないようにするのが大切で、いったんそれに書かれたら諦めて、反逆する側に廻ったりするんでしょうが、まあ、とにかくそういう名札がある。清朝時代から続いているやり方だそうであります。なんでも政府が自由に出来るシステムのひとつ、管理の仕方のひとつだといいます。そして、それがあるために、巨大な資金が中国共産党政府の手で自由になる。

 もう一つ、三番目には私有、土地の私有が一切認められていない。だから、土地は完全に党の自由になるから、今奥地でですね、ものすごい農民暴動が起っている。ダムを作ると言えば、政府がそう考えれば農民を追い立てても文句が言えないと。文句を言えないというよりも、農民も生きていかなきゃならないんで、暴動になる。それをまた警察の力で弾圧する。その一部がこの間、インターネット界に露出したわけでありますけれど、あれ、僕はアメリカが流したんだろうと思います。そういう推理ももうインターネットに早いうちから 出ていましたけれども、アメリカが流したんであろうと。

 つまり、小泉擁護ですよね。小泉さんが靖国でいじめられているから、中国はひどい国だよということを、愚かな日本国民に教えてやろうというような、まあ、アメリカはいつでもそういうことをやるわけで、あんな情報はおそらくいっぱい持っているんだと思います、アメリカはね。それで、時たまぱっと播く、また出すだろうと思いますね。だから何時の出来事とかわからないですよね、あれは。何月何日、何処というのははっきりしないんですから。でも事実としてああいうことは、たくさん用意されているんだろうとは思いますけれども、宮崎さんのサイトにも、農民暴動はもの凄い数があるという話は、よく書かれていましたけれども、撮影している写真が無かったですね、今までは。

 まあ、そういうことが行われていて、とにかく資本の移動というのが無い国で、通貨が自由化されておりませんから、全くわれわれは、中国でもって得たお金を他の外国のお金に替えることが出来なかった。普通考えられないことがおこっているわけで、そういう不自由な、拘束された状態の中で、政府特権階級だけが、自由に出来る巨額のマネーの蓄えを可能にしている。だからこそ、航空母艦を作るとか、アメリカの大企業を買い取るとか、計画が次々と出てくる。

九段下会議の歩みと展望 (三)

 今申し上げたとおり、中国には日本を威圧するという一つの単純な政治意志があるだけで、従って、日本の精神をいち早く打ち壊してしまいたいということがあるだけですから、靖国、靖国と言ったり、歴史認識と言ったりして日本の気持、意気というか、精神というものを叩き潰すというのが中国政府の一貫した政策になっていて、それだけの話だと、私には見えてなりません。最近も虐殺記念館を整備したり、南京虐殺史実サイトを最大手ポータルサイトが開設して、その式典を催したり、じつにしつこい限りで、彼らの意図ははっきりしています。

 このことも、日本人はみんなわかってきたのではないかという気がします。幾ら鈍感な自民党のリベラル保守の先生方にも、分って来たんじゃないかという気がするわけです。しかし、どうしても不思議で仕方ないのは、先ほど申し上げましたように、中国が市場経済に入って来たのは、まだ10年くらいなんですね。鄧小平が、93年くらいでしょう、いわゆる国際的経済秩序に中国が参入すると宣言したのは。ですから、中国という国は、資本主義国としてというよりは、そういうポーズで市場経済の立場を取れるようになったのは、少なくともそういう顔を外見上しているのは、まだ10年の歴史しかない。

 本当にある種の圧力としてこの国が浮かび上がってきたのは、3年くらいの話なんですね。しかも、奥地はアフリカの最貧国に等しいていどで、それと先進領域と言っても、アジアの中心国程度の部分を抱えているという、これでどうして大資本主義国に割って入るようなことが可能になるのか、疑問でしょうがありません。

 と申しますのは、普通の経済の通念から言うと、ご専門の方がたくさんおられるから、お伺いしたいところでありますが、高成長というのは、必ずインフレを招くわけですよね。貿易に携わっていないような業種においても、賃金の上昇が起るわけであって、つまり、高成長を遂げると、たとえば貿易に携わっている人の賃金が上るというだけではなくて、床屋さんの賃金も上るわけですよね。それが世界中の何処でも起っている経済の普通の法則だと思います。ところがどうもそうなっていないみたいですね。どうしてそんな奇妙なことが可能なのかというのが不思議でしょうがない。

 われわれが1ドル360円時代のことを思い出せばわかるんですが、為替を固定性にしていた場合には経済が成長すれば、物価上昇は限り無く起るわけであります。それから変動性にすれば、当然為替が上昇するのは目に見えて、中国元というのがどんどん上っちゃうのはもう避けられないわけです。固定性にしているわけですね、中国は。だけれども、それならインフレ、物価上昇になって当然なのに、それがなっていないんですね。つまり、高成長の中でもデフレという経済の状態が、中国の社会を覆っているというのは想定外のことでありまして、何故そんなことが可能なのか。普通の資本主義国では有り得ないことが、有り得ているということが疑問であります。

 さっき言ったように中国はにわかに航空母艦を作るとか、アメリカの巨大な石油会社を買うとか、それだけではなくて、日本が20年もかけてやっと成し遂げた成田空港よりもすごい空港を北京で3年くらいで作っちゃうというようなことが現に起っているわけですね、北京で。これは日本のODAだけでやっているわけではなくて、中国にそういうようなパワーがあるということが証明されたわけであります。しかも時間が早いんですよ。ものすごく早い、迅速なんです。

 こんなことがどうして出来るのかというのは不思議で、中国という国を研究しないと、われわれはこれからどんな対策もたたない。アメリカと中国に挟まれていて、アメリカは中国をどう見ているかという問題と、アメリカが日本にどういうゆさぶりをかけてくるかという問題と、それから中国の経済がこのまま上昇していくのか、いかないのか。

 と申しますのは、防衛とか外交とかいうテーマがわれわれの委員会の最大の興味でありますけれども、これからの時代は力というのが、今までもそうですけれど、力というのが軍事力だけではないんです。軍事力は使えない力ですから、むしろ経済の力。日本は経済が強いと言ってこれが政治や外交をやってきましたけれども、只の一度も、政治とドッキングさせて考えて来たことがなかった。経済そのものが政治の力だと思ってやってきたんです。しかしそうではなくて、経済を維持するにも政治力が必要になる。

 経済をパワーとして維持する為には、政治意識というものが切り離せない関係にあるということが日本人にはどうしてもわからないで、ずっと戦後やりすごして来ているわけで、経済自体でもって政治力になっていると思い込んでいる。これは間違いなんです。それは湾岸戦争の時に、巨大なお金を払ってばかにされたり、国連の拠出金が多いから安保理の常任理事国いなれると思ったり、すべてのことを経済で外交するという日本の間違ったやり方が長年続いてきたわけですけれども、それがもうだめだと、今度こそ壁にぶつかった。

 つまり、経済を維持する為にも、政治力が必要である。政治力を維持する為には軍事力が後ろに必要である。これは諸外国がみなやっていることです。中国は堂々とそれをやり出しているわけですから、今まで経済の力がなかったから、中国は脅威じゃなかったわけですけれども、中国は政治の力と経済の力と軍事の力をドッキングさせて、アメリカ型スタイルの国家として浮上しているわけであります。

最高裁判決

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 裁判所が新しい権利を認めることは滅多にないそうである。そう前から聞いていた。だから船橋の「焚書」事件(関連投稿・船橋西図書館焚書事件(一)(二))
でも、一、二審どおりに、自分の政治的偏見で図書館の蔵書を好き勝手に廃棄した司書の減俸処分はすでにきまっているので、それでもうおしまいにされそうだった。著者たちを傷つけた償いをせよとまでいう私たちの要求は余計なことと見做されそうだった。

 6月に最高裁で口頭弁論(関連投稿・最高裁口頭弁論(一)(二)(三)(四))が許されると聞いて、なにかが起こりそうな予感がした。弁護団は色めき立った。その段階で土橋悦子という司書個人への上告はなくなった。船橋市の責任に対してだけ最高裁が新たな判断を示すことになった。

 既報どおり14日午前10時30分、最高裁は原判決破棄、高裁差し戻しの判決を下した。「つくる会」側の事実上の勝訴である。著作者の人格権を認めたのである。船橋市が著者に償いをせよという判決であり、金額は高裁で決定するという意味である。

 当り前の判決ともいえるが、一、二審どおりに門前払いもあり得た。一、二審は一件を図書館内部の管理問題にとどめて、著者への権利侵害までは問い得ないとした。今度もこの程度でサラッと体を躱して終りにされる可能性は高いと見ていたのに、最高裁は「図書館における著作者の人格権」を認めた。

 いちかばちかやってみようとした弁護団の勝利である。内田智弁護士を団長とした複数の熱心な弁護士さんたちの、3年に及ぶ努力と苦心の賜物である。

 プライバシー権や眺望権、日照権に並ぶ法的保護に値する新たな人格保護の拡大である、と内田さんは記者会見で説明された。これを補って、高池勝彦弁護士はプライバシー権や眺望権、日照権はアメリカから来た概念であるのに反し、今度の権利はまだ名がなくても、日本独自の概念であることに意義があると付言された。

 こういう分り易い説明のことばが新聞報道にはまったく出てこない。日本の新聞は気が利かないし、硬直していて、つねに表現不足である。弁護士さんからは今年の最高裁判例の特筆すべき一ページではないかとの言葉もあった。健全な司法制度が機能していることが証明され、日本が民主社会であることを証した一件、とは居並ぶ人の異口同音の言葉であった。

 作家の井沢元彦氏は船橋市在住でこの訴訟の原告団代表をつとめて下さった。氏は記者会見で、右とか左とか関係なしにすべてのものを書く著作者にとって福音をなす判決であると語った。

 私は二つのことを言った。人権の名において特定の団体に警察権を与えるかのごとき人権擁護法が鎌首をもたげて来ている今の時代に、民主社会の自由の原則を最高裁が再確認したという点が時宜に適い、意味深いものがあると思う。人権擁護法が通っていれば、土橋司書の行動を止めるすべはなくなっていただろう、と。

 船橋市から著者たちにこのあと謝罪の言葉があるのかどうかを見守りたい。市が償いの金を払えばそれでいいというものではあるまい。図書館長の減俸、教育委員長の解任などの個人処罰がなくてはすまないはずだ。適用される法令の種類が異なるというなら、個人の責任追及は船橋市議会の課題になろう。

 日本では官僚の個人責任が問われないでウヤムヤになるケースが余りに多い。新聞記者の皆さんはいつもそのことを疑問にしているではないか。私は土橋司書がこのまま免職もされずに居座るということにも納得がいかないものがある、と付け加えておいた。

 ところで「日録」の「TVタックルもやっぱり詐偽だった」(二)7月14日付けのコメント欄の上から4番目に、土橋司書の異常行動に関する投稿が書きこまれている。

 それによると、土橋悦子氏は自分が書いた創作童話『ぬい針だんなとまち針おくさん』(福音館書店、1999.6)を、船橋市内の図書館に分散させて35冊買入れさせている

 長年多くの人に親しまれて定番となった童話なら複数買い入れもあっていいが、自分の新作をこんなに大量に搬入させるのはどうであろう、と書き込み者は疑問を投げかけている。職権濫用は間違いあるまい。こういうことを平気でする人格なのである。船橋市議会での追及を期待しておきたい。

7/21一部修正

TVタックルもやっぱり詐偽だった(二)

 

緊急のお知らせ

 船橋西図書館焚書事件は、本日10:30、最高裁によって原判決を破棄、東京高裁へ差し戻すという、事実上「つくる会」勝訴の判決が出された。
午後1:30より、記者会見が行われる。西尾も席に列なることとなった。

関連記事:独断廃棄は著者の利益侵害 最高裁「図書館は意見伝える場」

 7月13日のアクセス数が14000を越えたのに吃驚した。TVタックルの表と裏の違いに多くの人がよほど大きな関心を持った証拠であろう。

 そこで忘れていた発言を追加しておく。

 昭和18年秋の学徒動員の雨中の行進、今でもよくテレビに出る東條首相が檄をとばした日の神宮外苑の学徒出陣壮行会の光景に触れた人があの席にいた。多分佐々さんではなかったかと思う。

 私は今あのシーンだけを持ち出して回顧的にあれこれ言うのはセンチメンタルだと反論した。日本の戦前のエリート、高学歴知識人はとかく国事に背中を向ける傾向があった。なぜ日本の知識人は積極的に国事に関わらなかったのか。

 アメリカでは戦場に出て行った軍人が大統領に選ばれている。なぜ日本ではそうならないのか。知識人は可哀そうな犠牲者だという前提でものを考えるのはおかしいのではないか、という意味のことを語った。勿論これらの言葉もテレビでは無視された。

 知識人の扱い方に対する以上の疑問はじつは日本史の大きなテーマに関わってくる。知的エリートはつねに反権力の弱者の位置にあり、統治者の立場には立たないものとするという大正・昭和初期以来の彼らの自己認識にはマルクス主義的偏向がある。国民皆兵の時代になぜ学徒動員だけが「悲劇」なのか。それは戦後の扱い方によっても一段と強まった一つの見方にすぎない。勿論、ここまで突っこんだ論題がテレビにふさわしいとは思わないが、こういう方面にも私の発言が及んだことを報告しておこう。

 尚、ディレクターとおぼしきテレビ朝日の担当者が収録日に「今日は西尾さんがメインですから、できるだけご発言を尊重します」という意味のことをたしか言った。ただのおだてだったのか。

 私はせめて私の発語の中の、意味のまとまったワンブロックを正確に、ひとかたまりだけでもいいから文脈どおりに再現してほしかった。全発言をテレビでとり上げてくれと我侭を言っているのでは決してないのだ。無理な念願だろうか。

TVタックルもやっぱり詐偽だった

 TVタックル(11日21時~テレビ朝日)で私は「西尾さんばかりが喋りすぎています」と司会の阿川さんからたしなめられたほど重要なことを数多く語ったが、放映時にはその8割は削られていた。ことに重要なことばが削られ、瑣末なことばが拾われた。以下簡単にご報告する。

 靖国神社の御霊のあり方や東京裁判判決文の11条問題やA級戦犯問題などはすでに用意されたビデオで流されていて、われわれもそれを聴きながらの討議であったから、私はこの点については再論することをあえてできるだけ控えた。他の参加者も同様だった。

 私は日清戦争から110年経て、日本の大陸への介入は今や大きな視野からの「歴史」という立場から再考すべきときで、「歴史は道徳や正邪や善悪を超えている」という言葉は二度語っている。終幕でビートたけしさんが「西尾さんは歴史、歴史というけれども、大化改新が・・・・・」という発言をなさったが、私が歴史について語った言葉は全部削られているので辻褄が合わなくなっている。

 「小泉首相は孔子は罪を憎んで人を憎まずと反論して、おや、日本からの反論と主張がやっと始まったかと思った人もいたかもしれないが、首相は『罪』を認めてしまっている。それではダメである。同じ言うなら毛沢東は、日本軍の軍事介入のおかげで中国共産党は国民党に勝つことができて、中国という一国の領土が保全された、と語ったが、首相には孔子ではなく毛沢東のこの言葉を取り上げてほしかった。」と私は言った。

 すると、「いや、それは意味が違う」とか何とか高野氏が茶々を入れたので、私はすかさず、「日清戦争から110年も経て私は歴史を善悪正邪にとらわれずに見るなら、日露戦争で日本が中国の領土をロシアから保全したことは紛れもない。つづく戦争で日本はイギリス、フランス、オランダをアジアから追い払ったので、おかげで中国の領土はロシアとイギリスによって南北に分割されないですんだのだ。」と語った。

 本当はここで「だから中国はむしろ日本に感謝するべきなのです」と言いたかったが、そこまで言うと討論の空気から離れすぎるので止めた。しかし歴史の大局を語った私のこれらの言葉は全部削られた。

 次に時間がなくてすぐ政教分離のテーマに移った。これは事前にディレクターと私が西洋との比較を説明する旨伝え、面白い観点なので歓迎すると言われていた。日本の政教分離は諸外国に比べ厳格すぎる、という意見を誰かが言ったので、そのあとすぐに、「フランスを除いて、政治と宗教の関係は何処の国もあいまいで、イタリアの『キリスト教民主党』、ドイツの『キリスト教民主同盟』という党名が示すように、既成宗教と政治の関係はどこの国もそんなに厳密ではありません。少しうるさいことを言うアメリカだって、大統領が聖書に手を置いて宣誓することは知られていますし、アメリカ議会では法案があがるたびに牧師が議会で祈祷を捧げます。伝統宗教と政治はいつも友好的関係にあります。日本の伝統宗教は神道、仏教、儒教ですから、日本だって『神社神道民主党』とか『靖国自由党』とかいう政党名があったっておかしくないんです。」と言ったらみんながドッと笑った。

 「なぜフランスが例外的に厳格なのかというと、フランスは革命国家だからで、非宗教はフランスの政治の特徴なのです。そして奇妙なことに、日本の憲法解釈はフランス憲法学に準拠しているのです。」

 誰かがここででも、国家神道の戦争協力があったではないか、と言ったので、「どこの国だって戦争になると宗教は徹底的に利用されるんです。イギリスでもアメリカでも教会は戦争に全面協力でした。キリスト教は好戦的な宗教で、日本の神道や天皇制度の長い歴史に戦争の旗をかゝげた例はほとんどありませんでした。ご承知のように、歴史の中で天皇はずっと無力な存在だったではないですか。」

 「しかし明治以来は違う」と誰かが短いことばを入れて、そのあとガヤガヤと別の話題に転じて行った。

 「戦争指導者と国民の間に明確な一本のラインを引くことはできません。ドイツと違って日本は党が戦争を指導したのではない。国民と天皇は一つの運命共同体であった」という私の言葉は辛うじて放映されていた。しかしそのあといろいろな人が思い思いの反論をしたので、誰が何を言ったのか覚えていない。たゞ、敗けると分っている不合理な戦争を指導した責任は当時の指導者にあったではないかという言葉に対して、私が「勿論、敗戦の責任者はいます。国民に無用な苦しみを与えた失政の責任者はいました。」と言った。(このとき私はなぜかマニラ湾への突入を回避し、あたら勝機を逸した謎の行動の栗田艦長のことをふっと頭に思い浮かべていた。東條首相ではない)。「敗戦責任者はいるが、国際法廷で裁かれるような戦争犯罪者はいませんでした」という私の言葉は、テレビでたしかに拾われていた。

 私はこれにたしか前後して、「敗けると分っている不合理な開戦を批判した人は戦後ごまんといるわけですが、合理不合理を言うなら、いいですか、日露戦争だって戦えなかったはずです。」と言った。この語も削られている。これは大切な私の発語で、削って欲しくなかった。

 敗けると分っているから戦えないなら、日露戦争だってそうだったではないか。この私の発語のあと、誰かが「勝てばすべてが正しく、負ければ間違ったことになっちゃうんだよ」と私に合わせるように叫んだが、勿論これも削られている。

 私は用意している文書から、「次のすべての国々の政治指導者が靖国に参拝しているんですよ」と言って、わざと早口で列挙した。――アメリカ・イギリス・ロシア・カナダ・オーストラリア・ドイツ・イタリア・ポーランド・オーストリー・スウェーデン・フィンランド・ブラジル・メキシコ・チリ・ペルー・トルコ・インド・タイ・台湾・ミャンマー・インドネシア・パキスタン・スリランカ・チベット・イスラエル・モロッコ・エジプト・パラオ・ソロモン諸島――そして「ごらんのように中国、韓国以外のすべての国々です。靖国問題というのは中韓問題にすぎないんです。」と言った。国名列挙はたぶん分りやすく、テレビ向きと思ったからだが、これも削除されている。

 靖国の戦後の法的位置についてもまったく発言しなかったわけではない。靖国はかって陸海軍の共同管轄であったが、戦後、GHQによって閉鎖させられる恐れがあったので――それを外国のキリスト教の聖職者が守った、という話を佐々敦行氏がなさった――民間の一宗教法人になって、緊急避難措置として、自分を守ったということ。しかし一般国民は民間の一宗教法人とずっと思っていたわけではない、ということもたしか言った。

 昭和26年に西村条約局長、大橋法務大臣が戦犯は犯罪者ではないと明言しているので、最近の細田官房長官の発言はおかしい、政府見解はいつ変ったのか、とも問責したが、これも痕跡なく消されている。

 全体で2時間10分も録画し、55分の番組内の、ビデオとコマーシャルを除けば30分ていどの時間内に縮めているのだから、制作者も苦心していることは分らぬではない。

 さっき昨夜テレビを見た知人のAさんから電話が入って、私の発言は次の二点で良かったと言ってくれたことも記しておきたい。他の人は靖国参拝の目的がわかっていない。山本一太氏が平和と反戦のためであれば首相参拝は支持できると言ったのに反し、西尾は冒頭、「一旦緩急あるとき後につづく日本人は起ち上がります、という誓いのために先人の霊に参拝するのであって、もう二度と戦争をしないために参拝するのではない。平和のためというのは間違いだ」と明言したことは、たった一人、分っている人がいるということを示す証言だったと言っていた。たしかに私は最初にそう言った。

 もう一つは、敗戦責任者はいても、国際法廷で裁かれる戦争犯罪者はいないと言ったこと。
東條元首相に罪をなすりつけるのは、ナチスに罪をなすりつけて素知らぬ顔をするドイツ人と同じでセンチメンタルだ、という私の言葉も収録されていた。

 けれども、大半の重要な言葉は削られている。あの番組を見た人に次のことを申し上げておこう。録画の討論では私が圧倒していたので、ほんの少しだけ有効な言葉が残った。山本一太氏は多弁だったが、内容空疎で、他の自民、民主の若手議員は発言が少なく、選挙で損をしないかと心配したくらいだった。ところが番組をみたら、二人の若手議員が大いに語る形になっていて、佐々敦行氏の発言がゼロに近かった。また、大竹まこと氏のような、本来容喙すべきでない主催者サイドの人が前面に出すぎていた。編集に際し、操作とねじ曲げが過度に行われたことはほゞ間違いあるまい。

 私の友人のTさんが今朝メイルで次のように言ってきた。

西尾様
 昨夜のテレビ拝見しました。率直な印象を一言で申し上げるならば、先生はやはり文章で勝負すべきです。きっと大分カットされていたのだとは思います。

 ですから仮に文章でなくても例えば討論の間に挿入された屋山氏とか、西村代議士とか、中村氏のように談話のかたちで考えを述べれば、、あんなわからずやを相手にするより、ずっと考えが簡潔に整理されて問題点を明確に表現出来るのではないでしょうか。

 Aさんはわけのわからぬ議論の中でよく頑張ってくれたと言って下さった。Tさんは反対の意見だった。私は自分の言葉がかくも削られたことをご報告するのみである。

 談話の形にしても、私の「歴史」や「政教分離」のテーマを果して取り上げてくれたであろうか。討議内で自由に話させてもらわなければ出てこないテーマなのである。