七月の仕事

 今月私は『WiLL』(9月号)に皇室問題(第4弾完結篇)、『正論』(9月号)にいわゆる「自民党案1000万人移民導入論」への批判を書いています。目下作業中です。前者は55枚、後者は30枚です。

 尚『GHQ焚書図書開封』は増刷ときまりました。第2刷は18日に店頭に出ます。

スカイパーフレクTV! 241Ch.日本文化チャンネル桜出演

タイトル  :「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」

テーマ   :「どうする!どうなる!?1000万移民と日本」(仮題)
 「移民」は日本を救うのか?滅ぼすのか?その是非を、現在の在日外国人問題も含めて議論します。

放送予定日:前半 平成20年7月17日(木曜日)夜8時~9時半 
        後半 平成20年7月18日(金曜日)夜9時~10時

パネリスト :(敬称略50音順)
      浅川晃広(名古屋大学・大学院国際開発研究科・講師)
      出井康広(ジャーナリスト)      
      太田述正(元防衛庁審議官)
      桜井 誠(在日特権を許さない市民の会 代表)
      西尾幹二(評論家)
      平田文昭(アジア太平洋人権協議会 代表)
      村田春樹(外国人参政権に反対する会 事務局)
      

司  会  :水島総(日本文化チャンネル桜 代表)
       鈴木邦子(桜プロジェクト キャスター) 

自衛隊音楽祭への提言

 11月に日本武道館で毎年行われる「自衛隊音楽まつり」に平成18年と19年の二度にわたって招待され、参加させてもらった。よく訓練された所作と音の一致、整然たる行進、朗々たる独唱、鳴り渡る管楽器の合奏――勿論どれも大変良かった。ことに演目の中心に位置する太鼓の大合同演奏はすごい。主催者はこれを恐らく目玉とみているであろう。あの広い会場に全国各地の駐屯地から集まった数百個の大太鼓、小太鼓、陣太鼓のくりひろげる総合ページェントは、まさに壮観の名に値する内容である。これが見たくて来る人が多いだろう。

 私も十分に満喫したので、ご招待ありがとうございました、ということばで尽きて、それ以上のことばは本当は何もないのだが、平成18年にもオヤと思い、平成19年にはさらにオヤ、オヤと思ってちょっぴり淋しかったことがあるので、一言申し上げてみたい。

 自衛隊音楽まつりに私などが一番期待するのは勇壮なマーチであり、次いで大東亜戦争の当時はやった軍歌のメロディである。

 平成19年の催しでマーチは軍艦マーチが短く挿入されただけで、フィナーレに「威風堂々」がやはり短く入ったが、私の聞き間違えでなければ、自衛隊の演奏の中にはマーチは他になく、平成18年の場合には、「星条旗よ永遠なれ」「分列行進曲」があったが、概して少なかった。期待していた旧軍歌は二年にわたってまったく演奏されなかった。何かに遠慮しているのだろうか。

 曲目の選定に当たる人にぜひ考えてもらいたいのだが、平成19年の場合のように、冒頭のオープニングの女性の朗誦が外国の曲というのはいかがなものか。

 途中「ラ・メール」「サンタ・ルチア」「カチューシャ」など、名曲とはいえ、旅行会社の宣伝のようなありふれた画像とともに聞かされたのは興ざめだった。ベートーヴェン「交響曲第七番」「悲愴」の二曲が流れたが、自衛隊音楽まつりでどうしてベートーヴェンを聴かなければならないのだろう。日本の歌というとどうして民謡ばかりになるのか。なぜ「ラプソディ・イン・ブルー」や「ファンシードリル」なのか。「我は海の子」でやっと拍手がわき起こったのを覚えていよう。みんな自分の知っている一昔前の日本の歌を聴きたいのである。

 カラオケでは「空の神兵」「加藤隼戦闘隊」「月月火水木金金」「愛国の花」「ラバウル小唄」「あ~紅の血は燃ゆる」「勝利の日まで」「父よあなたは強かった」等々が今でも毎夜、熱唱されている。若い世代に歌い継がれているのが新しい特徴である。

 どうか自衛隊音楽まつりらしく、旧軍の歴史を踏まえた選曲をぜひおねがいしたい。

陸上自衛隊幹部親睦誌『修親』平成20年(2008年)4月号より

お知らせ(再掲)

日本保守主義研究会講演会

 GHQが6年8ヶ月の占領期間に行った重大な犯罪行為とも言うべきことは、日本国内における苛烈な焚書であった。占領期間中、GHQは長年の間積み重ねてきた日本の知的財産や歴史を断絶すべく、一方的に世に出回る書籍を回収、次々に世の中から葬っていった。60年の時を経て、その実態が少しずつ明らかになってきている。

 今こそ隠されてきたGHQの焚書に目を向けねばならない。

●日本保守主義研究会講演会

「GHQの思想的犯罪」 

 講師:西尾幹二先生(評論家)
 日程:7月13日(日曜日)
 時間:14時開会(13時半開場)
 場所:杉並区産業商工会館(杉並区阿佐ヶ谷南3-2-19)
 交通アクセス:
 ※JR中央線阿佐ヶ谷駅南口より徒歩6分
  地下鉄丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅より徒歩5分

会場分担金:2000円(学生無料)
 
参加申し込み、お問い合わせは事務局まで。当日直接お越しいただいてもかまいません。

TEL&FAX: 03(3204)2535
         090(4740)7489(担当:山田)
メール:  info@wadachi.jp

お知らせ

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日本文化チャンネル桜出演
スカイパーフレクTV!241Ch.日本文化チャンネル桜 

タイトル  :「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」
テーマ   :「北朝鮮・テロ支援国家解除と拉致問題」(仮題)
テロ支援国家解除後の北朝鮮をはじめとした各国の動きと拉致問題の行方について議論します。

放送予定日:前半 平成20年7月10日(木曜日)夜8時~9時半 
       後半 平成20年7月11日(金曜日)夜9時~10時

パネリスト :(敬称略50音順)
      青木直人(ジャーナリスト)
      荒木和博(「特定失踪者問題調査会」代表)
      西岡力 (「救う会」常任副会長)
      西尾幹二(評論家)
      増元照明(「家族会」事務局長)
      松原仁  (衆議院議員)

司  会  :水島総(日本文化チャンネル桜 代表)
       鈴木邦子(桜プロジェクト キャスター) 

読書の有害について(三)

 しかし今ニーチェを離れて考えて、われわれが数少ない、自分で筆を執る創造の瞬間を思い浮かべてみると、誰にしても経験があると思うが、たしかに他人の思想や言葉はまったく役に立たない。研究論文を書く場合でさえ、自分の内心のざわめきに形を与えようとする衝動がわれわれに筆を執らせるのである。

 内発の声がすべてである。他人の思想や言葉は、そういうとき、たとえ大詩人のそれであろうと、邪魔であり、よそよそしい代物だ。ニーチェはそのような創造行為の不安定を突きつめた形で実行したまでである。

 午前中に執筆するある日本の作家は、早朝決して新聞を読まないと書いていた。動き出す前の自分の思想が新聞の汚れた文章で濁ることを怖れるからである。

 また、作品を書き出す前に、少なくとも数日は他人の小説は読まない、と言っていた作家もいる。否、作家でなくても、その程度のことは、物を書く人間は誰でも自分の生活の智恵として実践している。

 早朝に本を読むのは「悪徳」だというニーチェの戦術の言葉は、だから格別珍しい体験から出ているようには思えない。

 ただ彼のように「読むこと」は精神の怠惰だという意識の緊張感の持続を生涯一貫して維持しつづけることが、誰にも容易に出来ないだけの相違である。そして、この相違は小さいように見え、現実には大変大きい。

 従って、そのような彼を日本の外国文学流に翻訳する私の今の行為が、最初からいかに矛盾した破綻を孕んでいるかという本稿の問題の核心は、読者にはもうすでに十分にお分りであると思う。

 なぜなら「翻訳」はわれわれにとって「読むこと」の最も現想的な形態であり、われわれはそれを疑わずに、翻訳を最重要の仕事と看做すことにもっぱら安住してきているからである。

おわり

『べりひて』昭和61年(1986年)5月10日(社団法人)日本ゲーテ協会より

読書の有害について(二)

 ニーチェはもともと「読書」をすら軽蔑している人だ。

 「私は読書する怠け者を憎む」と『ツァラトゥストラ』の中で書いている。彼にとって他人の思想はすべて自分の思想を誘発するための切っ掛けでしかない。自分の内心のざわめきに耳を傾けること以外に本質的に関心のない彼には、他人の思想に身をさらす「読書」は自分の思想の展開にとっての邪魔であり、自分の思想を持たない「怠け者」のやる行為にすぎないのである。

 そういう彼が、他人の思想のテキストの精読に生命を賭けた文献学という学問と最初に出会ったのは大変な矛盾であり、皮肉であるが、しかし彼は元来が眼も悪く、予備知識もあまり準備しないで、他人の思想の中心部を鷲摑みにするタイプだった。

 こういう彼にとっては、たしかに他人の思考や知識は自分の思索の妨害物であり、せいぜい自分の思索を休止しているときの暇つぶしか慰み程度のものでしかなかったという事情はよく分る。『この人を見よ』の一節に次のようにある。

 「読書」とは私を、私一流の本気から休養させてくれるものである。仕事に熱心に没頭している時間に、私は手許に本を置かない。つまり私は自分の傍で誰かに喋ったり考えたりさせないように、気を付けている。……第一級の本能的怜悧さの中には、一種の自己籠城ということが含まれている。私は自分に無縁な何かの思想がこっそり城壁を乗り越えて入ってくることを、黙って許せるだろうか。そして、ほかでもない、読書とはこれを許すことではないのか。」

 本を読むことで何か仕事をしたような幻想に陥り勝ちなわれわれ書斎型の人間に対する痛烈な批判の一語になっているともいえるだろう。

 他人の言葉や思想を手掛りにしてしか物を考えられない(従って物を書けない)われわれ末流の時代の知識人は、研究とか、学問とか、評論とか称して、何か創造的に物を考えた積もりになっているが、果たしてそうか。簡単にそう言ってよいのか。ニーチェはわれわれにそういう鋭い原理的な問いをつきつけているように思える。

 「学者は要するに本をただ〈あちこちひっくり返して調べる〉だけで、しまいには、自ら考えるという能力をすっかりなくしてしまう存在である。…本をひくり返していないときに、彼は何も考えていない。学者の場合は考えるといっても、なにかの刺激(――本で読んだ思想)に答えているだけである。結局、何かにただ反応しているだけである。学者はすでに誰かが考えたことに対し Ja だと言ったりNein だと言ったりするだけで、批評することに力の全てを使い果たし、――自分ではもはや何も考えていない。」

 耳の痛い言葉である。

 さらにもう一つ、学者とは「火花――つまり<思想>を発するためには誰かにこすってもらわなければならない単なる燐寸(マッチ)である」とまでニーチェは言っている。彼一流の奇抜な言い方である。

つづく

『べりひて』昭和61年(1986年)5月10日(社団法人)日本ゲーテ協会より

読書の有害について(一)

 「早朝、一日がしらじらと明け染める頃、あたり一面がすがすがしく、自分の力も曙光と共に輝きを加えているとき、を読むこと――これを私は悪徳と呼ぶ!――――」と、ニーチェは『この人を見よ』の中で言っている。だが私のように最近、時間があれば早朝であろうと真夜中であろうと、急がされて翻訳という読書に追い立てられている昨今では、彼のこの高度に自分の意識のみを透明に集中化して行く瞬間の存在が、ただもう羨ましい。

 白水社版のニーチェ全集(全24巻)の中で、『偶像の黄昏』『この人を見よ』『アンティクリスト』の三作を担当した私の一巻の出版だけが、まったく私の個人的事情から遅延し、版元と他の翻訳参加者に大変にご迷惑をお掛けしたため、今、あらゆることを犠牲にして、ひたすらこの課題に打ち込んでいる。そのため、他の案件に頭が回らないので、訳し了ったばかりの『この人を見よ』の中から、二、三の短い言句を引例して、この稿の責めを果たしたいと思う。

 が、それにしても、われわれ日本の外国文学者ほどに翻訳という手仕事に多大の時間と労苦を捧げる者は他におるまい、と最近つくづく考えさせられるので、その点について先に一言しておきたい。

 日本でも哲学者や社会科学者はそれほどでもない。何といっても外国文学者が翻訳の仕事を最も尊重する。それにはそれ相応の理由があると思う。われわれの仕事の起点はテキストの精読だからである。加えて、主として外国産の他人の思想や作物を手掛かりにしてしか物を考えない、というのがわれわれのほぼパターン化した思考の習性となっているから、ますますその前提は疑われない。

 また、外国文学者でなくても、一般にわれわれ書斎の人間は、本を読んでいると何となく時間を充実させたような錯覚に陥り勝ちな存在である。読書がそのまま仕事だと本気で信じている人さえ少なくないほどだ。

 読書は他人の思考に自分をさらし、そこで得た体験で自分を豊かにすることだといえば聞こえはいいが、実際には、他人の思考に自分を侵害され、食い荒らされて、自分を失ってしまう例も稀ではない。

 真摯な読書家にかえって多い事例である。そして、われわれ外国文学者にとっての「翻訳」とは、緻密に、正確にテキストを読む努力の実践課題でもあるのだから、他人の思考に自分をさらすこの「読書」の延長線上にある活動、あるいはその誠実な理想形態ともいえるだろう。

 そう思えばこそ私もまた、振返ってみると、案外にエネルギーの多くを翻訳に注いできた。私の達成した訳業は量的にも質的にも乏しく、この道の諸先輩の多くの偉業を前にすると翻訳がどうのこうのと言えた義理ではないのだが、ただ、翻訳の相手が今日話題にしているニーチェのような場合であると、私は大変に奇妙な感慨、自分のやっていることがどだい極端に矛盾した行為なのではないかという思いにすら襲われるのである。今日はそのことを少し考えてみようと思う。

つづく

『べりひて』昭和61年(1986年)5月10日(社団法人)日本ゲーテ協会より

お知らせ

日本保守主義研究会講演会

 GHQが6年8ヶ月の占領期間に行った重大な犯罪行為とも言うべきことは、日本国内における苛烈な焚書であった。占領期間中、GHQは長年の間積み重ねてきた日本の知的財産や歴史を断絶すべく、一方的に世に出回る書籍を回収、次々に世の中から葬っていった。60年の時を経て、その実態が少しずつ明らかになってきている。

 今こそ隠されてきたGHQの焚書に目を向けねばならない。

●日本保守主義研究会講演会

「GHQの思想的犯罪」 

 講師:西尾幹二先生(評論家)
 日程:7月13日(日曜日)
 時間:14時開会(13時半開場)
 場所:杉並区産業商工会館(杉並区阿佐ヶ谷南3-2-19)
 交通アクセス:
 ※JR中央線阿佐ヶ谷駅南口より徒歩6分
  地下鉄丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅より徒歩5分

会場分担金:2000円(学生無料)
 
参加申し込み、お問い合わせは事務局まで。当日直接お越しいただいてもかまいません。

TEL&FAX: 03(3204)2535
        090(4740)7489(担当:山田)
メール:  info@wadachi.jp

WiLL8月号感想

小川揚司
坦々塾会員 37年間防衛省勤務・定年退職

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 西尾幹二先生

 前二篇の御高論も勿論のことながら、「WiLL」8月号の今回の御論は、格調高く、かつ平易・簡潔に説かれた「国体論」として一入に感慨深く拝読しました。視界大いに開け、どれほど多くの心ある読者、尋常な国民が共鳴をともにしているであろうかと、感銘いたしているところです。

 西洋において現実の差別の歴史への否定から出てきたイデオロギーとしての「民主主義」や「平等」の観念(建前)や、東洋において中国の歴史に如実に繰り返されている差別支配の桎梏と較べ、吾が国の「天皇と国民、国家社会」の歴史は何と麗しいものであるのか、「公正の守り神」として無私に徹し給う天皇と、それに対する国民の宗教的信仰心が相俟って、現実のものとして築き上げ営んできた吾が国の歴史のこの真実を、東洋・西洋の諸民族、諸国民がもし正確に理解したとすれば、どれほど羨望の的となることであろうか、にもかかわらず、明治以来、吾が国の指導層を占めてきた洋魂洋才の日本人自身によって、この誇るべき国柄と歴史が如何に歪められ抹殺されてきたのか、先生のこのたびの辞立に啓発され、今あらためて深く噛みしめております。

 就中、先生の「五箇条の御誓文」に関する辞立と憲法改正の中核に関する御提言は、平成における国体論の至言であると考え敬意を表し上げる次第です。
 
 明治記念絵画館に列挙される明治天皇御生涯の絵画の中の「五箇条の御誓文」には、明治天皇が皇祖皇宗を祭り給う後ろ姿と、その背後に威儀を正し頭を垂れる百官の様子が格調高く描かれており、天皇が無私の精神によりなお慎み深く次元の高い存在に連なり、その聖徳を背後に連なる国民に及ぼし給ひ、そして百官が国民を代表してその天皇を畏敬しかつ恭慕する姿を白描したものとして印象深く心に留めておりますが、先生のこのたびの玉稿を拝読し、絵画館のあの絵画をありありとまなかいに浮かべながら、拙い感想を書かせていただいたところでございます。

   小川揚司 拝

非公開:『GHQ焚書図書開封』への論評

 今のところ三篇の論評がなされている。

 二つは産経新聞、一つはWiLL8月号である。

 産経新聞は6月21日の石川水穂氏、27日の力石幸一氏のご論評である。前者は書評ではなく、この本の第一章の提出した戦後史の闇を切り拓く発見の解説である。後者は書評である。以下にこの二篇を掲げる。

 WiLL8月号は堤尭氏による書評である。このほうは雑誌が次の9月号になってからでないと掲示できない。

 ご論評くださった三氏に御礼申し上げる。

【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 GHQ焚書の一端明るみに
2008年06月21日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面

 ≪3人の学者が関与≫

 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が戦前・戦中の日本の書物を没収した「焚書(ふんしょ)」に日本の著名な3人の学者がかかわっていたことが、評論家の西尾幹二氏の研究で明らかになり、今月17日に発売された西尾氏の著書「GHQ焚書図書開封」(徳間書店)にその研究結果が詳しく書かれている。

 3人は、刑法学者の牧野英一氏と社会学者の尾高邦雄氏、倫理学者の金子武蔵氏である。

 西尾氏が3人の名前を見つけたのは、帝国図書館(国立国会図書館の前身)の館長を務めた岡田温(ならう)氏が「終戦直後図書館界大変動期の回顧(2)」に寄せた回想記の次の一節だった。

 「この年(昭和22年)の4月14日外務省の矢野事務官来館、この件(言論パージ)に関する協力方を求められ、次いで出版物追放に関する調査のための小委員会が設けられた。…専門委員として東京大学の尾高邦雄、金子武蔵両助教授、それに私が加わり、小委員会は主として帝国図書館館長室で、本委員会は委員長牧野英一氏主宰の下に首相官邸内会議室で行なわれた。…仕事としては余り楽しいことではなかった」

 西尾氏はさらに、「追想 金子武蔵」という本で、尾高邦雄氏がこんな追悼文を寄せている事実に着目した。

 「第二次大戦が終って、GHQによる戦犯の調査がはじまったころ、東大文学部にもそのための委員会が設けられ、どういうわけか、先生とわたくしはそれの委員に選ばれた」

 追悼文には、2人が貧しい身なりでGHQを訪れたところ、出迎えた二世の係官が驚いたことや、金子氏が動ぜず平然と調査結果を報告したことも書かれている。

 ≪GHQから東大に要請≫

 西尾氏はこれらの文献から、次のように推定した。

 まず、GHQから政府を通して東大に協力要請があり、文学部に委員会が設けられた後、金子、尾高の2人の助教授が指名された。2人はやがて帝国図書館に呼ばれ、専門委員として、出版物追放のための小委員会に加わった。小委員会での結論を受け、牧野氏が首相官邸での本委員会で没収の決裁を行っていたのではないか。

 西尾氏は、(1)3人の学者が具体的にどう関与していたか(2)3人以外に没収に関与した学者はいなかったか-などについて、情報提供を求めている。

 金子氏はヘーゲル哲学の権威で、西尾氏が東大文学部に在学中、文学部長を務めていた。尾高氏は東大、上智大教授、日本社会学会長などを歴任し、マックス・ウェーバーの「職業としての学問」の翻訳でも知られる。

 牧野氏は東京帝大法科を銀時計で卒業し、判事、検事を経て東大教授を務めた刑法学会の長老である。戦後は、貴族院議員や中央公職適否審査委員長などを務め、文化勲章を受章した。

 西尾氏は先の文献で3人の名前を見つけたとき、「言いしれぬ衝撃を受けた」という。

 研究によれば、GHQの民間検閲支隊(CCD)の一部門であるプレス・映像・放送課(PPB)の下部組織、調査課(RS)が没収リストを作成し、実際の没収作業は日本側に行わせた。没収リストは昭和21年3月から23年7月までの間、46回に分けて順次、日本政府に伝達された。昭和3年から20年9月2日までに刊行された22万1723点の中から、まず9288点が選ばれ、最終的に7769点が没収された。

 ≪今も続く国際的検閲≫

 「焚書」とは別に、GHQが行った新聞や雑誌に対する「検閲」の実態は、江藤淳氏の「閉された言語空間」(平成元年、文芸春秋刊)で明らかにされた。

 この検閲には、「滞米経験者、英語教師、大学教授、外交官の古手、英語に自信のある男女の学生」が協力した、と同書に書かれている。また、その数は1万人以上にのぼり、「のちに革新自治体の首長、大会社の役員、国際弁護士、著名なジャーナリスト、学術雑誌の編集長、大学教授」になった人々が含まれているが、経歴にその事実を記載している人はいないという。

 GHQが去った後も、「閉された言語空間」は続いている。江藤氏は国際的検閲の例として、昭和五十七年夏の教科書問題を挙げている。日本のマスコミの「侵略進出」の誤報をもとに中国・韓国が教科書検定に抗議し、記述変更を約束させられた事件である。その後も、中韓両国が検定教科書に干渉し、それを日本の一部マスコミや知識人が煽(あお)り立てるようなケースが後を絶たない。

 江藤氏に続いて、戦後知識人の“正体”を突き止めようとする西尾氏の研究の進展を期待したい。

(いしかわ みずほ)

産経書房 GHQ焚書(ふんしょ)図書開封
西尾幹二著(徳間書店・1785円)

 最近の大学生は、対米戦争があったことすら知らないといわれる。「GHQ」と聞いてもピンとこない若者が多いだろう。

 戦争の記憶が薄れていくのはある意味仕方のない時代の流れである。しかし、日本には、歴史を歪(ゆが)める特殊な力が存在した。

 GHQによる占領政策である。江藤淳氏が『閉ざされた言語空間』で取り上げた「検閲」の問題は有名である。

 戦後、7000冊以上の書籍が消されたことは、これまでほとんど知られることがなかった。本書はこの「焚書」の真相に初めて迫った労作である。

 本書の目的は2つある。一つは、この文明破壊ともいうべき焚書の実行プロセスを解明することである。ナチスによるユダヤ人虐殺もユダヤ人の協力が不可欠であった。GHQの焚書にも日本人の協力者があったことが、著者の調査でわかってきた。

 そしてもう一つは、戦前の日本人が世界をどう見ていたかという問題である。戦前は軍国主義一色に染まっていたというイメージが戦後定着している。しかし焚書書籍にそういった熱狂はない。

 日本人は敵の意図も実力も十分知りつつ、やむにやまれず自衛戦争に突入していったことが、焚書図書を通して浮かび上がってくる。

 戦前の日本といわれて、磨(す)りガラスを通したようなぼんやりとした像しか浮かんでこない人がほとんどだろう。焚書がそうした事情にどうかかわるのか?

 研究はまだ緒についたばかり。戦後63年目に、ようやく日本人は歴史の出発点にたったといえるのではないか。

力石幸一