『日韓 悲劇の深層』(四)

まえがきより

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 もちろん今の呉さんがこれをそのまま信じ主張しているということではない。韓国人の心の深層にある対日心理を摑み出してみると多分こういうことになるだろう、と言っているのである。日本ではたくさんの韓国論が書かれてきたが、韓国人の立場に一度は徹底的に立ってみるということを、必ずしもしていない。

 韓国から再入国を拒否されている呉さんこそが、じつは真の愛国者なのであって、それだけに精神的に股裂きにされているこの思想家の「悲劇」には、格別の注意を払うことが、われわれ日本人には必要である。奥深いところにある心の襞をていねいに吟味し、公正に判断していくことが、有益である。呉さんは苦難の半生を歩み、今では日本人として文化の立場に徹底的に立ってみようとなさっている。我々はそれに心地良く酔い、甘えてはならない。それは生命を賭けた「実験」であり、簡単な話ではなく、日本人は深窓の心の葛藤にこそ目を向けるべきである。

そう思っていた私は、再会の折、ご講演の中の「日本人には精神の軸がない」の真相をもっと詳しく知りたい、またそれに対し私の所見も述べたい、と申し上げた。そしてそれなら二人で対談本を作成したらどうであろうか、とどちらが言うまでもなく話し合いがなされ、合意に達した。本書はこうして生まれたので、起点となったご講演「『恨』と『もののあはれ』」を巻末に付章として添えることを私は提案し、それが実現したことは嬉しい。講演の内容はヒントに富み面白いので、ぜひご繙読(はんどく)たまわりたい。

『日韓 悲劇の深層』(三)

まえがき

 私は、私の読者を対象にした、ある勉強会を主宰している。そこで2014年10月に呉善花(オソンファ)さんに講演をしていただいた。その内容は体験的であると同時に歴史に目の行き届いた示唆に富み、日韓関係について思いがけない未知の方向から、考えてもいなかった観点を突きつけられ、私は足をすくわれるような感覚を味わった。

 日本人というのはまったく分らない国民で、日本人の精神の軸、そう呼べるものがいったい何なのか、どうもはっきりしない、韓国人にとってはそれが謎であるだけでなく不安の原因なのだ、という意味のことをおっしゃった。

 韓国は朱子学の儒教社会であり、これが軸といえるだろう。日本人は神道なのか武士道なのか仏教なのか、いったい何だ?ほかにもあるかもしれない。韓国人はそこで戸惑ってしまう。八百万(やおろず)の神々というが、太陽であったり樹木であったり、自然を敬うアフリカ人なら分かるが、いやしくも文明国であってはならないことだ。どういう精神性なのか、ここで韓国人は困ってしまう。頭が混乱するだけでなく、許せないということになる。韓国では先祖以外のものを拝むのは迷信の部類である。

 日本の室町時代の頃、韓国は仏教も陽明学も棄てて朱子学だけを大切にするという転換を行なった。文治主義の徹底化を図った。ところが日本では、これ以後も野蛮な武士の戦いがいっこうに収まらない。どうにもならない国だ、と自分たちの先祖は考えた。日本人には価値とか道徳がない。こう述べた後、呉さんは次のように語っている。

 「デタラメな基準で生きている日本人はこれ(真の価値)が理解できないから、いつも頭を叩いておかないと彼らは何をするか分らない。考えを変えてしまう。常にきちんと教え込んでおかないといけない。韓国人が言うところの『歴史認識』とはこれであって、双方の国民がそれぞれ意見を主張しあって互いに歩み寄る、というものでは決してないのです。日本人がやることは韓国が主張するものを受け取るだけ。反論や異論などとんでもない。繰り返し繰り返し、韓国の言うことを、日本人は心して聞けということです」

 そしてこう述べた後、韓国の現在の朴槿恵(パククネ)政権は戦後いちばん外交で成功しているという評価を国内では得ているのです、と付け加えた。

『日韓 悲劇の深層』(二)

10月3日 宮崎正弘の国際ニュース早読み 4671号より

朴権恵は「前代未聞の反日政権」と呉善花さんが言えば、
  「日本人は反省しすぎるんです」と西尾氏

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西尾幹二 vs 呉善花『日韓 悲劇の真相』(祥伝社新書)
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 いまの日韓関係は「史上最悪」、すべての原因は韓国の狂気ともいえる反日感情と行動にあるが、だからと言って国交を断絶するわけにも行かず、日本外交の転換が試される状況にある。韓国の世論を日本から判断すれば、ほとんど狂気の沙汰である。
 本書にはこういう会話がある。
 西尾「日本は古いものを大事にするので、すべての時代の仏像が残っています。前代のものはほとんど破壊してしまう中国文明に対して、日本は神話を始め、すべからく大事に保存する文明です」
 呉 「日本文化は『和合』『融合』を軸にして形成されてきた、ということが分からないと、とても理解できません。中国や朝鮮半島の文明は『対立』を軸に文化国家を形成して来ましたから、その目で見る」(中略)「他者との向き合い方が、とにかく対抗的、敵対的なわけです」
 西尾「北朝鮮の異常さと韓国の異常さは、かつては別のものと考えていましたが、しかし最近はどこか同質な一面があるのではないかと思っています。たとえば北朝鮮の独善性と、韓国の『対他者意識の欠落』は、よく考えてみると、じつにそっくり」
 呉 「韓国を知るには北朝鮮を見ると分かりやすい、韓国を極端にしたのが、北朝鮮」。

 いやはや本質をすばり抉り出す語彙が次々とお二人から機関銃のようにでてくる。他者を意識しないジコチュウがここまで高まると手に負えないともいえる。
 だから韓国の政治家らは世界中が日本が悪いと認識していると一方的に思いこんでいるわけで、ところが韓国大統領が西側に「告げ口外交」に行くと、ハナから馬鹿にされる。韓国の社会とは「分裂抗争が拡大増幅する社会だ」と呉さんは指摘する。
 西尾氏が続ける。
 「韓国は『日本は反省していない』と言いますが、日本人は反省しすぎるんです。愚かと思えるくらい反省する国民です。これほど反省ばかりしている日本を、『まったく反省しない国』と言いつのる韓国は、いったい何処を見ているのだろうと、不思議でなりません」。
 対して呉さんは、韓国人ジャーナリスト等は「日本がアジア解放に大きな役割を果たしたという評価が世界にあることは知っています。しかしそうした評価は、彼らとしてはあってはならないものです」

 日本に留学前まで、呉さんは「韓国が日本から大規模な経済技術援助を受けていたなど、まったく知りませんでした」と率直に告白するほどに、韓国の教育現場もマスコミは身勝手なのである。
 かくして二人の話題は縦横無尽に朝鮮半島に関してのあれこれを話し合う。
 とくに呉善花という稀有の思想家がいかに形成されてきたか、西尾氏は当人に鋭角的な質問を浴びせつつ、両氏の文化文明論が会話の随所に加わるので、それだけでも読書の醍醐味がある。

さて評者は、この本を読みながら、過去半世紀の個人的な韓国との関わりを連想していた。
最初に韓国を取材したのは1973年だったと記憶するが、一週間ソウルに滞在し、毎晩のように閣僚らとも懇談した。金鐘泌首相、文科相、スポーツ担当相ら、全員がなんと日本語を喋った。それも格調高き戦前の日本語だった。
この時期、「開発独裁」を掲げていた朴正煕政権は日本に対して謙虚とも言えるほどの態度をとりつづけ、日本の親韓派といえば、ほぼ全員が保守系だったのである。なぜなら韓国は「反共」の砦であり、国際的は反共運動が盛んであったし、韓国を批判していたのは岩波、朝日など例によって左翼だけだった。
 それが朴政権の退場によって続く軍人政権はふたりとも日本語を喋ったのに人前では決して親日的態度を示さなかった。
驚いたのは朴政権時代の政治家をパージし始めたことだった。前政権否定が、韓国の常識であることをしらなかったから、なんとカメレオンのように変貌するのかと思った。
同時に日本の反共保守陣営も徐々に韓国から遠のいた。
 それからしばらくも仕事の関係でソウルへよく行ったが、この間に国際シンポジウムで招かれ、高坂正堯氏、黒田勝彦氏らと参加したことがあった。強烈な反日姿勢を感じることはなかった。とはいえ、なにか、距離が遠くなったなぁという感想をいだいた。
88年ソウル五輪前にも国際会議があって、竹村健一、日高義樹氏等と参加したが、日本との距離が大きくひらいたという気がした。
評者はこの間に、池東旭氏と二冊の対談本を出した。
 韓国が露骨な反日を示し始めたのは金大中後期、そして盧武鉉で確定的となった。なぜかと言えば「反共」が西側の政治スタンスから消えたからである。
そのうえ、中国がグローバルな視野に躍り込んできたため、韓国の政治スタンスががらがらと変わった。
韓国外交は露骨に北京寄りとなった。日本は「どうでもよくなった」のである。
 李明博政権後期からは誰もが認める反日がスタンスと代わり、反日を言わなければ政治家の資格がないという韓国特有の不思議な雰囲気に変わってきた。
 異形な韓国の反日は、病的に進化し、こんにち狂気の反日政治家、朴権恵を産んでしまった。そして次の韓国大統領はおそらく、いまのより酷い反日家がなるであろう、と絶望視される。
 このような時代の変遷を本書は西尾氏が、「日本極右勢力の女王様」と韓国のネット上で批判され、入国も出来ない呉善花さんの来歴をずばり質問してゆく過程のなかで随所に述べられている。知的興奮に満ちた書物である。

『日韓 悲劇の深層』(一)

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 本書は西尾幹二氏主宰の勉強会に呉善花氏が招かれ、そこで講演した内容に触発された西尾氏の発案で実現した。意外なことに、この両者による初めての対談本である。

 戦後、年月を経るにしたがって日韓両国の関係がますます悪くなり、韓国が戦前のことを蒸し返し、反日政策がその度合いを高めていることは困惑するばかりであり、日本人にとって大きな謎というしかない。世に韓国に関する本は多いが、本書はその謎の解明を試みるものである。

 呉氏自身も体験した反日教育の実態、来日して味わった両国のギャップと自身の相克が語られ、そこから導かれた日韓の相違についての論考は実に説得力に富む。その呉氏が母国では「売国奴」呼ばわりされて迫害を受け、生命の危険にも脅かされ、現在では事実上の「入国拒否」状態にあることを、西尾氏は「精神的に股裂きされている思想家の悲劇」と呼び、日本人はこの「悲劇」に格別な注意を払うべきだと主張する。呉氏の韓国批判、日本擁護の言説に「心地良く酔い、甘えてはならない」との西尾氏の言葉は、われわれにも耳が痛い。

 また近年、韓国で親北朝鮮感情が急速に高まり、金正恩第1書記が理想的指導者として評価されているとの呉氏の指摘とその原因の分析には、西尾氏も驚きを隠せない。

 さらに「ドイツは戦後の清算を済ませているが、日本は済ませていない」と韓国が繰り返し主張するところについての西尾氏の明晰(めいせき)極まりない反論は、本書の読みどころの一つでもある。(祥伝社新書・820円+税)

 祥伝社新書編集部 角田勉

全集新内容見本(四)

推薦文より

 内容見本の文字が読みにくいとの指摘があったので、以下に表示しました。(管理人)

澁澤龍彦氏―「不自由への情熱――三島文学の孤独」
  三島さんの自決の問題が謎みたいに言われているけれども、これはぼくに言わせれば、世間で受け取られている常識的見解に反して、意外に単純な問題なんです。深いけれども単純なこと、おそろしいほど単純なことですね。ずばりと言えば、まさに「ニヒリズムとラディカリズムの問題で、それ以上でもそれ以下でもない。(中略)左翼の中にも三島さんの共鳴者が多くいるのは、当たり前のことでしょう。随分色んな人が三島論を書きましたが、このことをはっきり問題の焦点として見据えた人は、ぼくの知っている限りでは西尾幹二さんだけだったようです。この人は三島文学の愛好者でもないし、まことに穏健な思想の持主らしいんですけれども、ふしぎなこともあればあるもので、少なくとも問題の核心をつかんでいましたね。ぼくは敬服したおぼえがあります。
(「日本読売新聞」昭和46年12月20日)

中島義道氏――「西尾さんについて」
 西尾さんは真面目な人であり、正攻法が好きな人である。姑息な手段で勝つことを最も嫌った人である。西尾さんは、失点がないというだけの利点しかない人を嫌った。みずからを危険な場に晒さないで、安全無害なことばかり語る学者たち、裏で取り引きする人々を嫌った。つまり、人間としての「小ささ」を嫌った。これは、そのままニーチェの人間観に繫がる。……西尾さんは、みずから正しいと信ずることを、身体を張って主張し、一歩も譲ることがない。それはある(賢い)人々には愚直にも見えるであろうが、私にはこれが先生の一番好きなところだ。
(西尾幹二全集第6巻「月報」より)

梅原猛氏――『ヨーロッパの個人主義』書評より
 ここで西尾氏は、何よりも空想的な理念で動かされている日本社会の危険の警告者として登場する。病的にふくれ上った美しい理念の幻想が、今や日本に大きな危険を与えようとする。西尾氏の複眼は、こうした幻想から自由になることを命じる。(中略)西尾氏は、戦後の日本を支配した多くの思想家とちがって、何気ない言葉でつつましやかに新しい真理を語ることを好むようである。どうやらわれわれは、ここに一人の新しい思想家の登場を見ることができたようである。
(「潮」昭和44年4月号)

三島由紀夫氏――『ヨーロッパ像の転換』推薦の辞より
 西尾幹二氏は、西洋と日本との間に永遠にあこがれを以て漂流する古い型の日本知識人を脱却して、西洋の魂を、その深みから、その泥沼から、その血みどろの闇から、つかみ出すことに毫も躊躇しない、新しい日本人の代表である。西洋を知る、とはどういふことか、それこそは日本を知る捷径ではないか、……それは明治以来の日本知識人の問題意識の類型だったが、今こそ氏は「知る」といふ人間の機能の最深奥に疑惑の錘を垂らすことも怖れない勇気を以て、西洋へ乗り込んだのだった。これは精神の新鮮な冒険の書であり、日本人によってはじめて正当に書かれた「ペルシア人の手紙」なのである。

坂本多加雄氏――(政治学者)
著者の言論人としての活動を導いているものは何か。それは、おそらく、「なにものかに動かされたかのごとく、当時の世人の意に逆らう恐るべき真実を次々と言葉にするしかなかった『運命』」であろう。これは、著者自身がマキャヴェリと韓非を論じた文章の一節にみられる言葉である。本書は、そうした著者、西尾氏の「運命」から紡ぎだされた貴重な一冊に他ならない。
「異なる悲劇 日本とドイツ」(文春文庫 解説より)

草柳大蔵氏――(評論家)
 私は西尾幹二さんという学者が好きだ。『ヨーロッパの個人主義』以来の愛読者の一人である。自己顕示か、さもなくば八方美人が群居している日本の論壇の中で、この人だけは自分にも大衆にも顔をむけず、「現実」に顔をむけている。恐るべき数の「現実」から真実を読み取り、それを適切な言語にかえて論文を書き、メディアでの発言を続けている。その知的エネルギーはたいへんなもので、西尾さんの著書を読みはじめると、まるで超特急の列車に乗ったかのように、思考の途中下車ができなくなってしまう。
『「労働鎖国」のすすめ』(光文社 推薦の辞より)

坂本忠雄氏――(元「新潮」編集長)
 「新潮」は戦前は文壇雑誌そのものだったが、戦後の再出発に当たって昭和21年の坂口安吾「堕落論」を皮切りに、文学を詩・小説・文芸評論の枠から広げ、文学の文章によってその時代の文化の精髄を読者に伝える役割も果たしてきた。西尾さんが敬愛する小林秀雄、福田恆存、田中美知太郎、竹山道雄等の後を引継ぎ、この新しい領域を次々に切り拓いたことを、私は同世代の編集者として心から感謝している。
(西尾幹二全集第9巻「月報」より)

全集新内容見本(三)

第16巻 沈黙する歴史
◆世界戦争を悲劇的にしたリンカーンの正義の戦争観
◆米国は日本攻略を策定していた
◆焚書、このGHQの思想的犯罪
◆全千島列島が日本領
 歴史には沈黙している部分がある。沈黙しつつ声を発している。簡単には言葉にならないが、外から言葉を与えられると不服従を示す。敗者にも正義の思いがある。先の大戦の歴史は日本人にとって自尊心の試練の物語である。

第17巻 歴史教科書問題集成
◆ついに証明された日韓政治決着の悪質さ
◆売国官庁外務省の検定不合格工作事件
◆公立図書館の焚書事件、最高裁で勝訴
◆受験生が裁判所に訴え出た大学入試センター試験日本史の問題
 著者は「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長として中国韓国、外務省、左翼テロ集団の妨害工作と戦い、教科書記述から採択まで運動を牽引した。その全発言を集成。「つくる会」の目指したのは常識の確立にすぎないと語る。

第18巻 決定版 国民の歴史
◆大型付録二、参考文献一覧ほか
 日本の歴史は中国や西洋から見た世界史の中ではなく、どこまでも日本から見た世界史の中に位置づけられた日本史でなくてはいけない。その信念から書かれた日本通史の試みで、72万部のベストセラーとなった。

第19巻 日本の根本問題
◆歴史と自然、歴史と科学、言語と神話
◆皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます
 古代日本人の霊魂観を縄文の森の生態系の中に求める著者は、古代史の扱い方への疑問や危機に立つ神話を論じ、現代の皇室の苦悩と困難についても発言してきた。憲法前文私案、憲法をめぐる参議院での意見陳述等を付す。

第20巻 江戸のダイナミズム
◆本居宣長が言挙げした日本人のおおらかな魂
◆中国神話世界への異なる姿勢
 ―新井白石と荻生徂徠
◆転回点としての孔子とソクラテス 
 地球上で歴史意識を有するのは地中海域、支那大陸、日本列島の三つで、西洋古典文献学、清朝考証学、江戸の儒学・国学は、古代を近代に取り戻す言語文化ルネサンスで、古い神の廃絶と新しい神の創造を目指す精神運動だった。

第21巻 真贋の洞察
◆自由の涯には破壊しかない
◆日米軍事同盟と米中経済同盟の衝突
◆中国の米国化、米国の中国化
◆日米は中国に阿片戦争を仕掛けた?
 保守は人間の生き方であって概念ではない。政治的な左右の対立にも関係がない。ニューヨーク同時多発テロから中国の台頭、世界の金融危機、グローバリズム、揺らぐ主権国家の中で何が真贋か、迷いを絶つ道を説く。

第22巻 日本人のスピリットの復活
◆天皇と原爆
◆戦争史観の転換―五百年史試論
 米国に封印されている日本はこのままいけば「戦後百年」というおかしなことになる。平和と繁栄の中で少子化、親子殺人、格差増大、内向きの政治外交力の低迷が続く。先の大戦は「宗教戦争」であったという認識の修正が必要だ。

以下の文字が小さいため、以上の内容見本を掲示しました。

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明日の講演会

全集第12回配本「自由の悲劇」刊行記念
                
西尾幹二講演会のご案内

  全22巻の西尾幹二全集も 第12回配本の「自由の悲劇」を以て折り返し点をすぎました。
  それを記念して、下記のとおり講演会を開催いたします。

                           記
 
1 演 題: 「昭和のダイナミズム」
-歴史の地下水脈を外国にふさがれたままでいいのか-

拙著『江戸のダイナミズム』を前提に、江戸時代に熟成した日本の言語文化は明治・ 大正期に西洋からの影響で一時的にぐらつき、昭和期に入って反転し、偉大なる「昭和のダイナミズム」を形成した。ここでいう「昭和」は戦前と戦後をひとつながりとみる。
戦争に向けて「昭和文化」は高揚し、世界に対し視野を広げ、戦後も二、三十年間 はその余熱がつづいた。明治維新も敗戦も切れ目とは考えない。歴史は連続している。
興隆と衰亡の区別があるのみで、歴史は維新や敗戦で中断されて姿を変えたと考えるのは間違いである。  西尾幹二

 
2 日 時: 9月26日(土) 開場:午後2時 開演:午後2時15分
                    (途中20分の休憩をはさみ、午後5時に終演の予定です。)

3 会 場: ホテル グランドヒル市ヶ谷 3階 「瑠璃の間」 (交通のご案内 別添)

4 入場料: 1,000円 (事前予約は不要です。)

5 懇親会: 午後5時~午後7時 3階 「珊瑚の間」 会費 5,000円
         講演終了後、講師を囲んでの懇親会を行います。どなたでもご参加いただけます。
(事前予約は不要です。初参加、大歓迎です。 )

6 お問い合わせ: 国書刊行会 (営業部)
             電話 03-5970-7421 FAX 03-5970-7427
             E-mail: sales@kokusho.co.jp

  主 催: 国書刊行会    後援: 西尾幹二坦々塾

全集新内容見本(二)

第8巻 教育文明論
◆『日本の教育 ドイツの教育』
◆講演 日本の教育の平等と効率
◆『教育と自由』
著者の教育哲学のすべてがここにある。日独学校比較、中曽根臨教審批判、中央教育審議会委員としての中間報告から大学改革論までを総括し、少年期からの体験を踏まえ、教育の光と影を学究的に明らかにした渾身の一冊である。

第9巻 文学評論
◆老成と潔癖―現代小説を読む
◆オウム真理教と現代文明―ハイデッガー
 「退屈論」とドストエフスキー『悪霊』などを鏡に
◆作家論・高井有一/柏原兵三/小川国夫/上田三四二/綱淵謙錠/手塚富雄/江藤淳/石原慎太郎
◎ 追補 桶谷秀昭/江藤淳・西尾幹二対談
『平家物語』の世界、『徒然草』断章形式の意味するもの、人生批評としての戯作、本居宣長の問い、明治初期の日本語と現代における「言文不一致」、漱石『明暗』の結末、芥川龍之介小論、ほか現代作家論、文芸時評等、第2巻以外の文学論を一括した。

第10巻 ヨーロッパとの対決
◆異文化を体験するとは何か/漱石の文明論と現代/横光利一『旅愁』再考
◆戦略的「鎖国」論
◆講演 知恵の凋落
◎追補 入江隆則/西部邁・西尾幹二対談
 世界に中心軸はなく西欧は閉鎖社会であるのに、西欧の尺度が国際社会を圧倒している不健全に対し、著者はドイツの講演会で近代日本の真価を訴え、パリ国際円卓会議で論争し、シュミット元独首相の政治的偏見にも挑戦した。

第11巻 自由の悲劇
◆フランス革命観の訂正
◆ロシア革命、この大いなる無駄の罪と罰
◆ソ連消滅―動き出す世界再編成と日本
◆ギュンター・グラスと大江健三郎の錯覚
◆『自由の悲劇』
◆『「労働鎖国」のすすめ』
 共産主義の終焉は自由の勝利のはずだが、そこに自由の「悲劇」を見た著者は、現代世界の民族宗教対立を洞察し、わが国への移民導入の危険をいち早く予言した。ロシア革命の無意味化はフランス革命観を変え、近代の意味を変えた。

第12巻 全体主義の呪い
◆『全体主義の呪い』
◆ヴァイツゼッカー独大統領謝罪演説の欺瞞
◆『異なる悲劇 日本とドイツ』がもたらした政治効果とマスコミへの影響
 ベルリンの壁崩壊後のチェコ、ポーランド、東独で哲学者や言論知識人と「自由」をめぐる徹底討論を交わした。それを踏まえてヴァイツゼッカー独大統領の謝罪演説の欺瞞を突いた「異なる悲劇 日本とドイツ」は大きな反響を呼んだ。

第13巻 日本の孤独
◆“あの戦争”を他人事のように語るな
◆近代戦争史における「日本の孤独」
◆ニュルンベルク裁判の被告席に立たされたアメリカ
 日米構造協議や湾岸戦争処理における米国の圧力、敗戦に呪縛され続ける日本人。著者は米国を他者として突き離すことを訴え、欧州戦線とは異なる日米戦争の背景を探り、近代戦争史における日本の孤独を覚悟せよと説く。

第14巻 人生論集
◆『人生の深淵について』
◆『人生の価値について』
◆『人生の自由と宿命について』
◆『男子、一生の問題』
評論家の小浜逸郎氏曰く「西尾はモンテーニュやパスカル、ラ・ロシュフコー、キルケゴール、小林秀雄、福田恆存等のモラリストの系譜に連なる人間観察力、心理洞察力を持つ倫理思想家」。人生の価値、自由・宿命について他。

第15巻 私の昭和史
◆『わたしの昭和史』二分冊
 西尾幹二の少年記二分冊。学齢前の日米開戦、学童疎開、艦砲射撃から逃れて山奥への再疎開、美しい田園生活、詩や小説を書く自我の目覚め、終戦、マッカーサーの日本への懐疑、抑留帰国者がソ連万歳を叫ぶのを見ての14歳の懐疑。初恋。