「日本外国特派員協会での意見陳述」の反響

 この問題は日本の国内では論争修了で、片がついているのに、世界にきちんと発信がなされていない。中韓には何を言ってもダメだが、アメリカやヨーロッパに日本の主張が届いていないのはひとえに外務省の責任である。官僚の卑屈と怠惰が政治の危機を招いている。

 われわれ言論人は無力であることを思い知らされてきた。日本人有志がアメリカの新聞に意見広告を出すような試みはなされてきたが、かえって無力感をきわだたせた。安倍首相もアメリカに威嚇されて腰がひけている。

 私のこの小さな発言が反撃の発火点になってほしい、という思いが私だけでなく、昨日からネット言論のあちこちに見出される。ブログ「株式日記と経済展望」の反響がその点で一番明確だったので転載させていたゞく。

 質疑応答を含めて私の発言の全文は『WiLL』6月号に出る予定である。

 慰安婦問題での私の論戦参加は1997年のことで、ザイドラーの本をとり上げて『諸君!』(同年1月号)に「慰安婦問題の国際的不公平――ドイツの傲岸、日本の脳天気」を書いた。単行本『歴史を裁く愚かさ』(PHP研究所)に収めらている。

従軍慰安婦問題は、「株式日記」でも何度も書いてきましたが、日本政府は韓国や中国に反論する事よりも「謝罪と反省」を繰り返すことで問題をこじらせて来ました。80年代から90年代はネットも普及しておらず新聞テレビラジオなどでしか広報機関が無く、韓国や中国のプロパガンダに対する反論は一部の雑誌でしか対抗手段が無かった。

それらの保守系に雑誌の反論も、一般的には「右翼の戯言」や「歴史修正主義者」のレッテルを貼られて葬り去られて来た。政界でも歴史問題発言で何人もの大臣が「暴言を吐いた」と言う事で辞職に追い込まれた。最近では麻生内閣でさえ田母神航空幕僚長の歴史観の論文が問題にされて辞職させられた。自民党にはこのような歴史がある。

しかし2000年以降のネットの普及による一般市民による言論活動が盛んになるにつれて、中国や韓国から発せられる「プロパガンダの嘘」が次々と暴かれるようになり、左翼やリベラル勢力は言論活動で完敗している。今や国内の論争の主力戦線は親米派対保守派の論争であり、従軍慰安婦問題は国会などの予算委員会での議論でも決着は既に付いている。

しかしながら「河野談話」などの見直しにはアメリカ当局も神経を尖らせているようですが、2007年のアメリカ下院議会の対日批判決議は「河野談話」が一つの決め手になってしまった。第一次安倍総理も戦後レジームからの脱却はアメリカの不信感を買うことになり、従軍慰安婦問題でも「河野談話」の扱いにはっきりとした態度を示していない。

このように政治家が歴史問題で孤立してしまうのは、日本のマスコミや歴史学界からの援護射撃が無いからであり、ましてや英語などによる世界的な広報活動は外務省などもほとんどやってこなかった。最近における韓国の従軍慰安婦などのプロパガンダはアメリカ国内に広められており、西尾幹二氏が外人記者クラブで述べているように、「今年に入ってニューヨーク州議会上院、ニュージャージー州議会下院において同様の議決を行ったことは、許しがたい誹謗で、憂慮に耐えません。」と指摘している。

「株式日記」のアクセスログによれば、アメリカなどからのアクセスも数百件もあるので、英語通訳の説明もあるのでアメリカ地方議会関係者にもユーチューブの動画を紹介して欲しいと思います。「株式日記」も英語で発信出来ればいいのですが、最近ではフェイスブックやツイッターなどに紹介されて世界からコメントが寄せられるようになりました。一部の日記が英語に翻訳されて紹介されているのだろう。

西尾幹二氏の外人記者クラブでの論説は、従軍慰安婦問題がアメリカ地方議会に次々と対日批判決議が出されている事であり、日本国内での意見が一向にアメリカに届いていない事が日米関係をおかしくする原因になるのではないかと憂慮している。ニューヨークタイムズやロサンゼルスタイムズのようなリベラル新聞に抗議しても相手にはされませんが、ユーチューブで動画配信されたものを見てもらえれば、韓国の団体が言いふらしている「従軍慰安婦」が、いかにデタラメであるかが証明されるだろう。

外人記者クラブにおける欧米系記者たちの反応もおとなしいものであり、ニューヨークタイムズ紙のオオニシ記者はいたのだろうか? 特に興味があるのはナチスドイツ軍における「従軍慰安婦」問題であり、西欧には売春施設があったからドイツ軍はそれを利用したが、東欧諸国には売春施設が無く一般の女性を駆り集めて「従軍慰安婦」にした。しかしそれが問題にならなかったのももっと大きな犯罪行為が行なわれていたからだ。

軍隊における健康管理は重要な課題ですが、軍の兵士が性病にかかれば戦力の低下になる。第一次大戦ではドイツ軍の200万人の兵士が性病にかかり戦力の低下につながった。だから売春宿などで管理されたものとなり、性病検査で兵士への蔓延を防ぐ事は軍の重要課題であり、軍の駐屯地の傍には売春宿があるのが普通だった。

日本においても米軍兵士への慰安設備が整備されましたが、その慰安婦が20万人だった事は偶然なのだろうか? 米軍から区長などに慰安施設を要求されて慰安所が作られましたが、米軍兵士の性病の蔓延を防ぐにはこの方法しかないのだろう。西尾氏はこの例を挙げて日本軍の慰安婦問題が罰せられるのなら、米軍も同じように罰せられなければならないことを指摘している。

欧米人記者からの質問は、歯切れの悪いものとなり、西尾氏のように十分な論拠を持って反論すれば「いわゆる従軍慰安婦問題」は、日韓の外交問題になる事はなかったのでしょうが、「謝罪と賠償」利権を持つ一部の議員によって「河野談話」が発表されて、それが政府公認とされてしまった。韓国や中国では一度認めるとそれを根拠にさらに要求を吊り上げてくる。日本政府は政治決着のつもりで発表したのに、韓国政府は約束を守らず「河野談話」を根拠にアメリカ議会に働きかけている。

韓国人や中国人が約束を守る国民ならとっくに近代国家になっているはずですが、日常のビジネスでも韓国や中国では法律や契約や約束は守られない。北朝鮮問題でも援助と引き換えに核開発やミサイル開発を止めさせても北朝鮮は直ぐにそれを破って開発を続ける。韓国や中国の軍隊に規律も同じようなものであり、韓国軍はベトナムに参戦して、ベトナム人女性を暴行して数万人の私生児が生まれている。

株式日記と経済展望のTORAさんの意見

西尾さんとてもよかったです。外人記者はシーンとなっちったなーここまで説明しても日本悪玉論を信じてる外人さんは納得しないだ¬ろうけど、日本の意見・立場はある程度、理解されと思う。シナチョンの捏造宣伝戦に負けないためにも日本からの海外発信は¬今後も重要だ。国も動いて欲しいわ・・・

西尾氏のステートメントは、戦後史に残る歴史的陳述である。アメリカの欺瞞に満ちた態度を、戦後初めて、世界に、明晰に摘出¬した。欧米マスコミの反応が見ものである。恐らく、無視し、あるいは捏造キャンペーンを強化するであろう。¬後は、政府レベルで、命がけでこのステートメントを繰り返し発信¬する必要がある。

>貴方がたの父や兄が(日本で)何をしていたかを知り、恥を知れ¬¬!西尾先生よく言って下さいました。日本人は日本を取り戻すためにもう踏み出し始めた、ということを¬¬よくよく自覚して、このような発信をして下さる人々をしっかり¬と¬支えねばならない。声をあげて政府も動かして行かないとだめだ。何回も何回も意見を送ろう。

Dr Nisio is right.A comfort women is nothing more than a prostitute. The political propaganda of South Korea

米議会・慰安婦問題決議への憂慮

 
    米議会・慰安婦問題決議への憂慮
    ―日本外国特派員協会での意見陳述― 
        西尾 幹二
 

 2013年4月4日に日本外国特派員協会で次のごとき意見陳述を行った。外国メディア向きの昼食付き記者会見である。

 送られてきたペーパーには、「安倍総理大臣が河野談話の見直しの必要性について言及をしましたが、日本政府が今後どのように従軍慰安婦問題を含む歴史問題に取り組み、アジアの近隣諸国と向き合うべきなのか」と書かれてあった。

 従軍慰安婦問題は韓国タームと思われていたが、近年米議会が相次いで対日非難決議をするので、局面が大きく変わった。日本外交の壁をなしているのは今やアメリカである。

 与えられた時間は通訳を入れて約20分、私の持ち時間は多分その半分と見て、ターゲットをアメリカに絞って、用意していたペーパーに基き次のような話をした。アメリカ人特派員に聞かせるのが目的である。

 外務省がやろうとしない日本側からの反撃の狼火としてもらいたいとの切なる願いに発している。

===============(講演ここから)

 アメリカ合衆国は2007年7月30日下院において慰安婦問題決議を行い、この事件を(決議文一部抜粋)、

 Whereas the “comfort women” system of forced military prostitution by the Government of Japan, considered unprecedented in its cruelty and magnitude, included gang rape, forced abortions, humiliation, and sexual violence resulting in mutilation, death, or eventual suicide in one of the largest cases of human trafficking in the 20th century;

(日本政府による軍隊向強制売春である「慰安婦」システムは、その残忍さと規模において前例を見ることのない、結果に於いて四肢切断、死亡または自殺まで引き起こした強姦、強制中絶、侮辱のシステムであり、20世紀における最大の人身売買事例の一つである~)

と規定し、今年に入ってニューヨーク州議会上院、ニュージャージー州議会下院において同様の議決を行ったことは、許しがたい誹謗で、憂慮に耐えません。

 「慰安婦」という人たちは当時いました。世界には貧困のために、あるいは他の理由で、不幸にして自分の性を売らなければならなかった人たちはいました。しかし日本が国家としての権力を使って強制的に女性たちに性を売らせたという事実はありません。ましてや20万人に近い若い女性が拉致され、トラックに積まれて戦地に運ばれたなどという事実は荒唐無稽で、どこを探しても証拠は出て来ないのです。もし当時の朝鮮でそういうことが起これば、当然暴動が起きたでしょう。当時の朝鮮の警察官の8割までが朝鮮人でした。最初のウソが積み重なって、日本政府の弁解のまずさもあり、誤解の輪を広げました。アメリカ議会はこのことをしっかり再調査し、各決議を撤回していただきたい。

 そもそもアメリカに、あるいは世界各国に、戦争と性の問題で日本を非難する資格はありません。元都立大教授、東洋大学長の磯村英一氏は、敗戦のとき渋谷区長をしていて、米軍司令部(GHQ)の将校から呼ばれて占領軍の兵士のために女性を集めろと命令され、レクリエーション・センターと名づけられた施設を作らされました。市民の中には食べ物も少なく、チョコレート一枚で身体を売るような話も広がっていた時代です。磯村氏は慰安婦問題が国際的話題になるにつれ、自国の女性を米軍兵士に自由にされる環境に追いやった恥を告白せずにはいられない、と懺悔しています(「産経新聞」平成6年9月17日)

 温健な良識派で知られる日本芸術院長の三浦朱門氏は次のように記しています。

 

「また軍隊と性という問題としてなら、戦後の米軍が憲兵と日本の警察を動員して一定街路を封鎖して全ての女性の性病検診を行ったこと、その際、娼婦でない女性がまきこまれたことも書いてほしい。レイプもあった。

 事件のほとんどはヤミからヤミに葬られた・・・。」(「産経新聞」平成8年8月2日)

 パンパンとかオンリーという名で呼ばれた「日本人慰安婦」が、派手な衣裳と化粧でアメリカ兵にぶら下がって歩いていた風俗は、つい昨日の光景として、少年時代の私の目に焼きついています。米軍によるこの日本人慰安婦の数はおよそ20万人いました。

 『りべらる』というカストリ雑誌には、若い女性が特殊慰安施設に連れて行かれて、初めての日に処女を破られ、一日最低15人からの戦場から来たアメリカ兵の相手をさせられ、腰をぬかし、別人のようになったさまが手記として残っています。 

 「どこの部屋からも、叫び声と笑い声と、女たちの嗚咽がきこえてきました。」「二、三ヵ月の間に病気になったり、気がちがったりしました。」「これは何年にもわたって、日本全土にわたって行われたことの縮図だったのです。」(昭和29年11月号)

 日本をいま告発するアメリカ社会、キリスト教団体等は自分たちの父や兄が何をしていたかを知り、恥を知れと言いたい。

 日本政府はアメリカに謝罪と賠償を要求するべきです。もしそれができない、そのつもりがないというのであれば、日本も慰安婦問題についていかなる謝罪も賠償もすべきではありません。国際関係はなによりも相互性と公平公正を原則とします。

 アメリカは日米戦争において自国の正義を守るために、日本を残虐非道の国であったとしておきたい。さもないと原爆や東京大空襲をした歴史上の犯罪を正当化することができないのでありましょう。

 2007年以後のいくつもの米議会の慰安婦決議は、今まで親米的であり、戦後アメリカの反共政策に協力してきた日本の保守層(例えば私もその一人ですが)を苦しめ、苛立たさせています。今後この問題をアメリカが謙虚となり、取り下げなければ、無実の罪を負わされ傷つけられた日本人の感情は内攻化し、鬱屈し、反米的方向へ走り出す可能性があります。

 一番いけないのは日本をホロコーストを犯したナチスの国ドイツと同列に並べて裁こうとする余り慰安婦問題を針小棒大に描き出すことです。

 ここに重要なドイツ語文献、フランツ・ザイドラー『売春・同性愛・自己毀損―ドイツ衛生指導の諸問題、1939-1945』という本の表紙と目次のコピーをもって来ました。完璧な国家売春を行っていたドイツの実態、衛生管理、売春宿経営、一般女性の拉致監禁が科学的に報告されています。                 

 ナチ管理下の売春では人種問題が困難で、ドイツ人士官や 党幹部がユダヤ人女性と性交すれば死刑でした。あらゆる点で西欧と東欧では対応が違っていて、オランダやノルウェーなどでは公娼制度が施設として利用されました。しかし東欧やソ連地区では公娼制度が存在せず、ドイツの前線司令官はなかば強制処置をもって売春婦になる少女たちをかき集めました。

 それでもドイツの慰安婦問題がなぜ話題にならなかったのかといえば、ナチスのそれ以外の犯罪が余りに巨大で、極悪で、影がかすんでしまったのです。ホロコースト、殺人工場、人体実験、不妊断種手術、安楽死政策というナチスの犯罪と比べれば、世界中大昔からどこにでもある「軍隊と売春」の犠牲者の悲劇は一線に並べることもできません。

  日本の戦争をドイツの戦争と同じようにとらえ、ホロコーストもしていない日本をドイツと同じように扱うために慰安婦問題を大げさに言い立てるのは余りにバカげています。ほとんど大笑いするほどバカげたことです。韓国はベトナム戦争に参戦し7000人―2万人の私生児を残してきています。

 中国雲南省の最前線で米軍に追いつめられたある日本部隊は、隊内にいた朝鮮人慰安婦を、お前たちは生きて帰れと米軍側に引き渡し、日本人慰安婦は兵隊と共に玉砕した、という事件もあります。日本の兵士たちは武士道をもって戦ったのです。 
              

「戦争史観の転換」への読者の声

普段あまり見ないのだが、『正論』5月号連載第1回へのアマゾンの論評二篇がかなり的確な内容だったのに気がついたので、転載させていたゞく。まあ、大体こういう方向であるが、読者からの期待の声としてありがたく拝読した。二篇の内容指摘は重なっているが、よく読むと少し違うところが面白い。

 今連載の第二回目を書いているが、ずっと先までの見通しは立っていない。「衛星から見ているような鳥瞰的視点」と一定の短い時間内を詳しく描く虫めがねの視点とをとり混ぜて行きたいと考えている。

 By閑居人

「正論」40周年記念連載として、西尾幹二氏の「戦争史観の転換ーー日本はどのように『侵略』されたのか」が、これから30回、2年半かけて長期連載されることになった。その第一回にあたる今回は「第一章 そも、アメリカとは何者か?」である。
恐らく、今回の文章は、全体の「プロローグ」に当たる部分だろう。西尾氏は三つの命題を予め提示する。
第一命題 「アメリカにとって国際社会は存在しない。ワンワールドである。」
第二命題 「『救済』という使命を持つ国家アメリカは、ヨーロッパなどの『旧世界』を退廃ととらえ、アメリカが作る『新世界』が 純潔であるという信念を持つ」
第三命題 「基本的に植民地を持たない。金融・投資(ドル)と制空権(軍事力)という脱領土的世界支配という方式で支配する」 
多分、この三つの命題は、主題や対象を変えながらも、繰り返し現れて主旋律を奏でることになるだろう。

世界史上、「世界的覇権国家」となり得た国家は「モンゴル帝国」と「アメリカ」しか存在しない。「モンゴル帝国」は、ユーラシア大陸の大半を占領し、東アジアに「元・清」、東ヨーロッパ草原に「キエフ公国・ロシア」、中近東に「オスマントルコ帝国」、インドに「ムガール(モンゴル)帝国」をつくった。地政学で言うハートランドからの進出に対して沿岸に追い詰められた辺境諸国は、海に活路を見いだした。大航海時代である。ポルトガル、スペイン、オランダそしてイギリスが海上覇権を握った。
20世紀、アメリカは二つの大戦を経て、「腐敗したイギリスに代わって」、七つの海を支配する海洋国家として世界に君臨した。1991年の「ソビエト崩壊」後は、唯一の世界覇権国家として生存していくことを国防会議で決定した。(この経緯は国際政治学者伊藤貫氏の著作に詳しい。アメリカは一国覇権主義をとり続け、ロシア、中国、日本、ドイツを「地域覇権国家を目指す潜在的敵性国家」として見なし、注意深く力を削ぐことにした。)

また、今回、西尾氏は、これから語ろうとすることの本質の幾つかを提示している。一つは、「歴史を変化の相の下に見る」ことである。アメリカが当初から現在のような世界観で統一されていたわけではない。当初は、おずおずと、迷いながら、国際社会に踏み出し、戦争をするたびに大きく変質していった。第二次大戦でも、「戦争の初期と終わりごろとでは、アメリカの戦争の仕方、内容、規模ががらっと変わっていた」戦争の始まりは、第一次大戦の戦争文化だったが、「1943年以降、アメリカの戦争はがらりとその様相を変えた。酷薄で無慈悲になった」(58~59ページ)
次には、「権力」パワーの問題がある。戦勝国の「権力」をつくるものは「剥き出しの暴力」である。しかし、国際政治の大枠が決定されると、次には「権力の正当化」とそれに対する「対抗的パワー」との間で次の局面に向かおうとする情報戦、宣伝戦が始まる。
多分、アメリカについてまとまったことを語ることは、西尾氏にとって今回が最後になるだろう。西尾氏が切り開こうとする知的世界に、一読者として期待するばかりである。

By 海 (宗像)

西尾幹二の連載が始まった。
第一章 そも、アメリカとは何者か?である。
10頁であるが鳥瞰的というより衛星から見ているような視点でありイデオロギーから超越した爽やかさを感じる。

日本の歴史は2000年、この列島に住み始めてからはもっと遙かに1万5000年。そして、アメリカ先住民とは多分、同根である。その地に僅か350年程前異変が起こった。
把握し難い系列の人種の出現、自然信仰でない別系統の一神教徒集団の出現である。厄介な異質集団が押し寄せて来た。

アメリカとは。
第一に、 アメリカにとっては国際社会は存在しない。アメリカという一つの世界がある。
第二に、 旧世界(ヨーロッパ)の頽廃に対して新世界(アメリカ)の純潔という自己認識。
第三に、 基本的に植民地を持たないことを国是としていた。そのため、脱領土的な世界支配つまり、制空権や金融による他者の遠隔コントロール方式である。

アメリカは、戦争する度に姿を変える国である。
戦前の日本人は、アメリカが好きだった。アメリカびいきであった。
そして、第二次世界大戦の始めと終わりではアメリカの姿勢、立つ位置もすっかり変わって別のアメリカになっていた。
だから、「何故、負けると分かっていた戦争をしたのか」というのは、意味をなさない。
1943年以降は、集中砲火、絨毯爆撃等酷薄で無慈悲になった。現代の無人攻撃機の先駆をなすB29による戦争の機械化を始めた。アメリカは、次々と変化する。そして、今ではアメリカ本土からのボタン化、ゲーム化、遊戯化が起きている。
350年前に出てきた集団がなんでそこまでするのよ、という事である。
私たちは、空間拡大や移動を求めない、余分な狩りをしない民族であったが、彼らは追いつめ息の根を止める。
アメリカは、繰り返し戦争をし、戦争の度に大きくなり国家体質を変えた。それも戦争の真っただ中で。これにはヨーロッパも追いついてはいけない。
「戦前のどこが悪かったか、間違っていたか」という人がいるがそれは、虚しい。
それ以前から、歴史の進行はほぼ、決まっていたのだ。

続篇に期待したい。

つくる会の本の出版決意

ゲストエッセイ

鈴木敏明

 去年、私は自分のブログで「新しい歴史教科書をつくる会」、通称「つくる会」の本を書くと宣言しました。さっそく書き上げ、原稿を出版社(A)に提出した。出版社から原稿がまるで「つくる会」の広報誌みたいだと言われました。そこで原稿を書き直し再度(A)出版社に提出した。その結果を数ヶ月待たされた。やっと出た結果は、(A)出版社は、出版する本が6千冊から8千冊ぐらい売れそうもない本は、出版しないことが社の規定になってしまったと断られてしまった。私みたいな自称定年サラリーマン作家は、売れる見込みがないといわれるとどうしても弱い。そこで同じ原稿を(B)出版社に持ち込みました。(B)社の結論は早かった。「昔はつくる会も人気があったが、いまはあまり話題にもならないし、人気が昔ほどではない。本を出版してもあまり売れないでしょう。」と言うのです。それでも、もし私が出版費用の一部を負担してくれれば出版してもいいという返事でした。出版費用の負担額を聞くと、なんとかやれそうなのです。

実は、今年の1月12日に、私のブログに「ついに英文翻訳完成」という記事を出しました。そのブログに書いていますように、私とは縁もゆかりもない鎌倉在住の渡辺氏が、私の大作、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文翻訳に参加し、出版費用の半分を持ってくださるという宝くじに当たるような幸運があったのです。その浮いた半分の費用で「つくる会」の本を出版することにしたのです。それではなぜ自分のお金を使ってまでも「つくる会」の本を出版しようとしたのか。私は「つくる会」の一会員として日本の保守陣営に対する激しい義憤を感じるからです。例えば、

1.「つくる会」を乗っ取ろうとした主人公、八木秀次氏を筆頭に6人の学者、先生たちは、「つくる会」に何をしたのか。産経新聞と産経新聞記者、渡辺浩氏は、「つくる会」に対してどういう記事を書いてきたのか、宮崎正治氏は、「つくる会」の事務局長だった。彼は日本会議会員、その日本会議の大幹部、椛島有三氏や小田村四郎氏と宮崎氏の三人は、「つくる会」に何をしたのか。

八木秀次会長、種子島経会長や小林正会長は、なにをしたのか。「つくる会」の教科書を出版していた扶桑社は、なぜ「つくる会」の教科書出版を止めたのか。あるいは新規の出版社、育鵬社は「つくる会」に何をしたのか。この事は、古い会員の一部は知っていても、私を含む多くの正会員は、あまり知らないか、ほとんど知らないのです。この時「つくる会」を去っていった会員たちのほとんどが、詳細も知らず、内部分裂とか内紛などと言って去っていったのです。会員でない人たちには、「つくる会」が内紛を起こしているらしいというような状勢だったのです。しかしこの一大騒動も、「つくる会」の一大使命である素晴らしい歴史教科書や公民教科書をつくり、それらを日本中の中学校で学ばせるという目的を理解した会員、中でも特に東京支部を中心とした首都圏支部の会員たちの奮闘のおかげで、私利私欲にかられた不埒な学者、先生たちを追い出す形になり、「つくる会」と教科書の独自性を死守したのです。もし独自性を保てなかったら「つくる会」は「中国社会科学院日本研究所」と協力関係となる恐れが十二分にあったのです。

2.二年前の教科書採択戦時、「つくる会」は、育鵬社の歴史教科書が「つくる会」の歴史教科書の盗作をしていたのを知っていた。しかし実情では、どの程度の盗作があるのかわからないので、採択戦後にていねいに調査した結果、育鵬社は、「つくる会」の教科書の47ヵ所を盗作していたことがわかった。そこで「つくる会」は育鵬社側に手紙を書き、話し合い解決の場を求めました。しかし育鵬社からは、ほとんどなにも回答らしい回答はありません。現在、中学生が育鵬社の盗作教科書を学んでいるにもかかわらず、メディアは一切報じません。有名な保守知識人も誰一人一切語ろうともしません。それどころか左翼が得するだけでなにも得にもならないことになぜ熱を上げるのかと「つくる会」を非難する保守の人々も沢山います。

そこで「つくる会」は、直接自ら編纂して「歴史教科書盗作事件の真実」というタイトルの本を自由社から昨年10月末に出版し、記者会見もした。それでも新聞の小さなベタ記事になり、育鵬社の盗作否定を報じただけ。育鵬社の教科書を支持した保守知識人は、数え切れないほど沢山いました。その彼らの全員が一言も語らないのだ。育鵬社のバックにあるフジサンケイグループが恐いのでしょう。いつも日本人はいざとなると論理的な行動ができず、情緒的に行動しようとするのではないでしょうか。戦前の話に飛びますが、関東軍の起こした満州事変は、日本陸軍の軍法違反で起きた事件です。ところ大成功したため、軍事裁判にかけられるどころか、昭和天皇に誉められ、石原莞爾ら首謀者は、ほとんど昇進。このことが大東亜戦争に悪影響をあたえたことが知られているのです。47箇所の盗作歴史教科書を書いた執筆者は、有名人ばかりです。伊藤隆(東大名誉教授)、八木秀次(高崎経済大学)、渡部昇一(上智大学名誉教授)、渡辺利夫(拓殖大学学長)、石井昌浩(元拓殖大学客員教授)、岡崎久彦(元駐タイ大使)などです。実際に彼らが直接書いたわけではなくても責任があります。育鵬社は、教科書ビジネスとしては成功したかもしれませんが、歴史教科書の大盗作という大スキャンダル事件を起こし、責任者を一切追及することなく、謝罪さえもせず、なにもなかったことにしてすまそうとしています。はたしてそれで良いのでしょうか。将来の教科書業界に悪影響及ぼすことが心配されます。

3.育鵬社が保守派の教科書として歴史教科書、公民教科書に進出すると聞いた時、私たち「つくる会」の会員は、保守系教科書の共存共栄と喜んだものです。ところ八木秀次氏は、「つくる会」の会長の時、「つくる会」の執行部には内緒にして秘密裏にシナのスパイ網の一組織といわれる「中国社会科学院日本研究所」を訪問し、歴史認識をめぐって会談しているのです。その後、「中国社会科学院」の歴史研究者が日本訪問したりして八木氏らとの交流が続いているのです。「つくる会」の藤岡信勝氏は、二度にわたって月刊誌「WiLL」に八木氏らの行為はスパイ活動だと非難していますが、その非難を明瞭に否定する回答がありません。育鵬社側のスパイ活動もこの「WiLL」による二度の報道以外に語られることはありません。保守どうしけんかして得するのは左翼ばかりということで、盗作という違法行為とスパイ行為という不道徳行為を見逃そうとしているのです。その八木秀次氏が、今度の第二次安倍内閣が作った「教育再生実行会議」のメンバーの一人に選ばれるとは仰天に値します。

この度、出版する本は、この三点だけを書いているわけではありませんが、とりわけこの三点には、私は義憤を感じるのです。それだけに詳細に書き、多くの読者に訴えたいのです。特に「つくる会」を去った人たちの中には、反「つくる会」行動にでた人たちの言動に惑わされた人も多いいと思います。ぜひこの本を読んで、入会時のような国に対する熱い思いを思い出し、再入会して欲しいと思っております。最近、高校の日本史教科書の自虐史観ぶりがひどいと聞いております。「つくる会」の存在感はますます高まっています。「会員」が減ると資金力が足りなくなり、教科書出版の可能性がなくなります。

是非読者の皆様も入会していただけたらと思っています。私の本は今年の6月前後に出版されます。本のタイトルは、本の原稿を書くよりむずかしく、まだ決まっておりません。出版日が決まりしだい。また連絡いたします。

最後に「つくる会」は、日本全国の私のような小市民の方が日本の歴史教科書や公民教科書の内容を改善しなければだめだと自ら立ち上がって行動している団体です。資金力も少なく、それだけに吹けば飛ぶような存在かもしれません。その「つくる会」を、日本の保守言論の雄である一流マスコミや一流保守知識人がグルになって「つくる会」を乗っ取ろうとしたり、潰そうとしたり、大盗作したりして私たちを翻弄しているのです。怒りを示す私が悪いのか、何事もなかったかのうようにすましてしまおうとする現在日本の保守陣営が悪いのか、読者に判断してもらいたいと思っています。一寸の虫にも五分の魂。「つくる会」は、これからも戦い続けます。

文章:鈴木敏明

新刊『中国人に対する「労働鎖国」のすすめ』

中国人に対する「労働鎖国」のすすめ 中国人に対する「労働鎖国」のすすめ
(2013/04/02)
西尾幹二

商品詳細を見る

 目 次
第一部 中国人に対する労働鎖国」のすすめ(2013年)

第一章 日本文化が壊れる
第二章 中国人とはどういう民族か
第三章 東京が「中国の首都」にならないために!

第二部 「労働鎖国」のすすめ(1989年)

第一章 労働者受け入れはヒューマニズムにならない
第二章 世界は「鎖国」に向かっている
第三章 知識人の「国際化コンプレックス」の愚かさ
第四章 日本は25億のアジアに呑み込まれる恐れがある
第五章 「労働鎖国」で日本を守れ!

あとがき

飛鳥新社¥1500+税
4月2日に店頭に出ます。

 もう二十年以上前になりますが、ベトナム人が中国人を粧って船で大挙渡来したことがあり、あの頃私は『労働鎖国のすゝめ』という本を書きました。外国人単純労働力を受け入れるか否かが論じられていた時節で、この本は歯止めに多少とも役立ったと考えています。

 時代が替わり、近頃は中国人が怒涛のごとく押し寄せて来て、定住者は在日韓国朝鮮人を上回る数です。二十年前の本は復刻の必要があるといわれ、ご覧のように「中国人に対する『労働鎖国』のすすめ」という新しい稿を加えて一冊にまとめてみました。

 あのときもそうですが恐らく今度も人種差別とかレイシズムとか非難されるでしょう。「中国人に対する」と限定した前半の文はことに論難の対象とされるかもしれません。しかしこれは今や高度の政治危機の問題で、そんな呑気なことは言っていられないのではないでしょうか、と私はいま判断しています。皆様のご賢察をお願いしたい次第です。

 尚本文中に約十ページにわたり、私がすでに関与していない「新しい歴史教科書をつくる会」が中国人スパイ事件によってこうむった混乱の歴史とその最近の動きに対する若干の私見を付記したことを、末筆乍らお知らせしておきます。

 『正論』5月号にさっそく書評がのっています。最近ご活躍めざましい坂東忠信氏の書評です。

三月の私の仕事

 『正論』で長篇連載を始めます。『WiLL』で巻頭論文を出します。

 『正論』は今年創刊40周年を迎えるそうで、その記念事業がいろいろ行われるようですが、そのひとつとして私の長篇も位置づけられています。長篇という以上相当長いことになりそうで、約束は一応2年半、30回となり、1回が約30枚ですから計900枚が予定されています。

 全集刊行と並行します。果してやれるのかどうか。どちらも終ったとき私が80歳を越えていることは間違いなく、天が私に二つの事業の完結の機会を与えてくれるでしょうか。天命を祈ります。

 この達成の第一回目は5月号で、「戦争史観の転換――日本はどのように『侵略』されたのか――」の「第1章 そも、アメリカとは何者か?」の①です。第1章は①~④が予定されています。

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 『WiLL』5月号の巻頭は山折哲雄氏の話題の「皇太子殿下、ご退位なさいませ」(「新潮45」3月号)に対し、私の考え方をきちんと述べたものです。戦後民主主義を肯定評価する山折氏の「人間天皇宣言」に関する認識の間違い、皇室の危機の本来の理由を書かずに「退位」論のみを唐突に語るこの論文の不可解さを存分に批判したうえで、問題の本質を再論しました。題して「皇太子殿下の無垢なる魂を守れ」です。

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「言志」紹介

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日本を主語とした電子言論マガジン「言志」の御案内

「言志-Genshi-」は、チャンネル桜が発行する「日本を主語とした」新たな情報発信・電子言論マガジンです。

今、日本の最前線で活躍する論客の皆さんによる、日本の未来を考えるオリジナルコンテンツが満載!

チャンネル桜の番組等とも連動し、文章・映像等を駆使した新しいタイプの電子マガジンで、パソコン、iPad等のタブレット型PC、スマートフォン等で閲覧いただきます。

西尾先生には創刊号からご執筆いただいております。

「言志」のご購読方法には、以下の方法があります。

・電子書籍サービスサイト「パブー」から購読する
・amazon「Kindleストア」から購読する
・「ニコニコチャンネル132Ch.」から購読する
・チャンネル桜からCD-R、Eメールで購読する

ご興味のある方は、「言志」公式サイトをご覧ください。

「言志」公式サイト
http://www.genshi-net.com/

三つの講演のお知らせ

AとCはできるだけ内容が重ならないように致します。

A 3月9日(土)15:00~17:00
 講演:「アメリカは日本をどのように『侵略』したか、また、今どのように『侵略』しているか」
 場所:豊島区医師会館 TEL:3986-2321
    (池袋西口、芸術劇場前人通り反対側、ローソンの横道を入って突き当たり)

 主催:日本の伝統と文化を語る集い
 TEL :080‐6722‐5670 ¥1000
 運営:「新しい歴史教科書をつくる会」東京支部
    担当 島崎氏 TEL:080-6722-5670

尚、講演の終了後15分ほど時間をいただき、「新しい歴史教科書をつくる会」の本年正月以来の事態について、私の認識と判断を語ります。

B 3月20日(春分の日)14:00~16:30
講演:青木直人さんの定例講演会 「安倍政権と新帝国主義の時代」
場所:文京シビックホール3階会議室

青木直人BLOG参考のこと。
二人の対談です。 ¥3000

C 3月23日(土)13:30~16:00(開場13:10)
講演:「20世紀前半に日本はどのように『侵略』されたか――尖閣騒ぎからまざまざと連想されること――」
場所:文京区民センター2F(2A会議室)
TEL : 3814-6731
主催:士気の集い百回目記念講演 ¥1500←訂正しました。
   代表 千田昌寛氏 
TEL: 090-3450-1951
   事前申し込み必要 FAX 5682-0018

四万温泉にお伴して

伊藤悠可

 御全集刊行の記念講演会(第五回)を1月19日に了えられてから、西尾幹二先生はことさら誰かにお膳立てを指示されたというわけでもなく、「熱い温泉にでも浸かりたい」と洩らされたそうだ。それを聞いていたのが、このところ坦々塾の会合、講演会等の世話役を買って出てくださっている中村敏幸さんである。

 中村さんは群馬県の渋川在住。山と温泉はいくら選んでも品切れにならないほどまわりにある。思い立ったら吉日で、先生は「今すぐ行きたい」と仰言る。無計画に近い旅の計画をすばやく立ててエスコートするのもまた、中村さんは得意である。道連れは何人にするかなどと悩むのはやめて、旅は一泊、「今すぐ」に応じられる人を募って締め切ろう、ということになりプランは固まった。

 先生も旅人である。草津の湯は軽井沢に行き来するとき幾度も体験された、伊香保は今さほど魅力を感じない、赤城・水上はさらに物足りない。こうして候補を削ぎ落して最後に残ったのが四万温泉だった。四万温泉郷は県西北端に位置する湯治場。元禄時代、近隣の大名から農閑期に疲れを癒したお百姓まで、湯煙の途絶えぬ里のにぎわいが絵図に描かれている。伝承としては蝦夷征伐の坂上田村麻呂が登場する場所だから、古さという点ではもう説明は要らない。無論、お湯は上質である。

「なら、四万にしましょうか」と中村さんが電話で推奨すると、先生は「一度行きたかったところなんだ」と感慨深げに話されたそうだ。われわれはその理由を旅先で初めて聞いたのだが、なるほど西尾先生が必ず訪ねなくてはならない場所だったのである。後述する。

 ちなみに、最近のバス旅行の便利さには驚かされる。八重洲でも丸の内でも豊富に遠距離バスの停留所があって、四方八方の観光地に向けて直行便が出ている。四万温泉へは東京駅八重洲中央口近くから『四万温泉号』に乗れば旅館の前まで連れていってくれるのだ。

 2月15日朝、先生のお伴をすることになったのは小川正光さん、松山久幸さん、小川揚司さん、そして私であった。中村さんはバス到着時刻に合わせて車をとばし旅館の玄関で迎えてくれるという段取りだった。参加予定者に都合がつかず断念された方もあり、結局6人と小グループで出発した。

 この日、あいにく関東一円には雨雲が下りてきていた。青空と四万川の清流をながめるはずだったのに残念だと思った。「小川揚司さんは酒さえあれば景色などあってもなくても同じだろうが、私はそうじゃない」と無言でつぶやいていると、前の座席で威勢よく缶ビールの栓を開ける音がした。先生の隣の小川さんだった。

 天気に落胆することはなかった。低気圧が別の趣向をこらしてくれたのである。関越自動車道・渋川ICを降りて四万街道(国道353号線)に入ると、雨が霙となり霙がやがて雪になった。役場のある中之条町の中心を抜ける頃は、降りつもる細かな雪で山間の景色が白と黒とに分けられていた。真綿をかぶせたようにみえるが、遠い山裾の家は形からして古い茅葺なのだろう。渓谷の川面だけが深い暗がりを保ちコントラストが美しい。「まるで雪舟だね」と前の席から先生の声が聞こえた。

 われわれの宿は四万温泉口を入ったばかりの大きなY旅館である。女将もテレビで有名だそうでロビー売店のポスターの顔には見覚えがあった。名を知られて却ってサービスが荒れるところもあるが、ここは何かと行き届いて親切だった。最上階の7階二部屋に陣取ると、夜中であろうと朝であろうと、四つほどある露天・屋内風呂のすべてを制覇しようと話し合った。窓の向こうには急勾配の白い山肌が迫っていて、見下ろすと青く澄んだ清流が音を立てていた。この辺り、中村さんによると熊や猪の姿は茶飯事だという。小さな滝が櫛のように氷柱をぶらさげていた。

 全員で川縁の露天風呂に繰り出した。雪を見て、せせらぎを聴いて、ゆったりと体を湯に浸すだけだ。とりとめもなく天下国家の話から大小公私の浮世話をしていると、「おおっ西尾先生、お元気で少しも変わりませんね」と湯船で親しく声をかけてくる年輩があった。先生の知己ではない。向こうが一方的に知己なのである。が、考えてみると、先生なら何処へ行ってもこういう方に出くわすことがあるだろう。ご年輩は自己紹介をはじめると、先生も親しく応じて、のぼせるのではないかと思うほど話に花を咲かせていた。

 夕げは旨かった。ビールも酒も肴もみんな旨かった。他のテーブルの客はさっさと部屋に帰り、先生を囲んだわれわれのテーブルだけが延長戦をやっていた。部屋に戻ると、今度は宴の第二ラウンドをはじめた。卓袱台につまみが並べられ、またビールからはじめて焼酎や日本酒も飲んだ、と思う。思うというのは半分の記憶だからである。この夜、よく笑ったがよく叱られたような気もする。

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 翌日、『積善館(せきぜんかん)』を訪ねた。旅館から徒歩十分ほど上流のほとりに立っている四万最古の旅籠である。易経に「積善の家に余慶あり」とある。当主の祖先はもと源氏に仕えた武士。下関から関東に移り、何代かを経てこの四万の地に分家したのが初代「関善兵衛」で、関が原の戦と時代は重なる。以来、子孫の当主は代々この名を襲名し、明治になって15代関善兵衛が自分の名と〈積善〉をかけて宿を『積善館』にしたという。

 本館玄関部分は元禄4年に建てられたもので県重要文化財。江戸の典型的な二階建て湯治宿の面影を残している。大正ロマネスク様式の大浴場「元禄の湯」(昭和5年建築)などは道後温泉と同様、記念に入浴したいと思わせる風情がある。後藤新平、中村不折、佐藤紅緑、徳富蘇峰、柳原白蓮、榎本健一、岸信介…とここを訪れた文人墨客を数えればきりがなくなる。近いところでは人気アニメ、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の湯屋の舞台が積善館である。

 けれど、先生がぜひ積善館を訪ねたいと仰言ったのは、伝統があって著名人が喜んだ歴史的名所だからというような話ではない。先生の父君と母君が初めて出逢った場所がこの積善館だったのである。ご両親から聞いていた先生の記憶によると、昭和初年頃、銀行員でいらした父君は慰安旅行で遠路遥々、四万を訪れたそうだ。一方、母君はその頃、結核を患っておられ湯治客として滞在していた。

 団体客の一人であるお父さまがどうして治癒目的のお母さまと遭遇したのかというと、これは意外なめぐり合いによる。積善館は裏手の山を上るように宿泊施設が建っている。今はエレベーターで手軽に昇降できるが、昔は長い外階段を巡らせていただけかもしれない。どのような状況にあったのか想像するしかないが、とにかくお母さまが階段で転ばれた。そのとき通り掛かったお父さまが咄嗟にお母さまを受けとめ助けたというのだ。

 玄関受付すぐ横の板張の梯子段を昇ると、二階廊下の外は急勾配な崖の下にあたる。そしてその崖には斜め上に石段を刻んでいる。昭和初年と今とでは施設形式の異同はわからない。「転んだのはこの階段ということにしておこう」。先生は懐かしそうに廊下の窓から写真を撮っておられた。慰安旅行がなければ、また病気をしておられなかったなら、西尾幹二はこの世に生まれなかったのである。

 昼、蕎麦を食べながら先生はこんな話をなさった。「二人(父母)は四万を訪ねたいと言ってたんだ。きっといつか、と待ってたのかもしれない。結局連れてきてあげられなかった。それを思うと悲しいというより、かわいそうという気持ちになりますね」。この旅の三日前まで、私は郷里に帰り父母のいなくなった家で一人、着物やら日用品やらを片付けていた。私の母にも「連れてってほしい」という場所があった。私は「また今度」と先送りして、とうとうそのままにしてしまった。先生の話に思わず胸が詰まった。

 帰りのバスの時間になった。一泊とは思えない長い旅だった感覚で帰途についた。先生、皆さん、お世話になりました。

文章:伊藤悠可

(了)