ありがとうアメリカ、さようならアメリカ (二)

Voice6月号 戦争へ向かう東アジアシリーズより

第二次世界大戦以前からの一貫した世界統治意志

 先の大戦の終結から67年、米ソ冷戦の終結から23年たった今、少しづつ次第にはっきり分かってきたことがある。

 アメリカ軍が西ヨーロッパ、ペルシア湾岸地域、東アジアに駐留していた理由はソ連に対する脅威のせいだとわれわれは思い込まされてきたが、冷戦が終わってもアメリカはいっこうに撤兵しない。世界中の基地を維持しつづけている。日本などは本土の基地はほとんど兵力が空っぽなのに返還に応じようとしない。

 西ヨーロッパではソ連が崩壊してもNATO(北大西洋条約機構)は崩壊せず、東欧や中欧に民主制度と自由市場を拡大させるという表向きの理由で軍事コミットメントは継続された。西ヨーロッパの側に当初、これを歓迎する空気もあった。アメリカの真意は統一ドイツの出現によって、ヨーロッパに再び各国が力を張り合うバランス・オブ・パワーの不安定な外交政治が出現するのを恐れるという、平和維持の超大国としての役割意識もあったと考えられるが、実際には統一ドイツをNATOにつなぎ止めることによって、その独自の強力外交や核武装を阻止しようという思惑が本当の目的だった。加えてドイツがロシアに必要以上に接近するのを阻み、ロシアが再び大国になるのを抑えるという狙いもあった。

 こうなると、第二次世界大戦の以前からあったアメリカの一貫した一極集中の覇権意志の鎧が、衣の裾からチラチラと見えてしまうのである。第一次大戦後のパリの講和会議にバランス・オブ・パワーの伝統的なヨーロッパ外交を否定して、「世界政府的」な理想主義めかしたウィルソン米大統領の政治意志が表明されたことがあるが、あれも今思えば覇権思想の表明だった。そしてチャーチルと洋上会議をして決めた大戦直前のルーズベルト米大統領の「大西洋憲章」は紛れもなく今から見ればアメリカによるヨーロッパ支配の宣言書のようなものだった。

 こうしてみるとソ連が崩壊した後のヨーロッパ政治へのアメリカの介入は、第二次世界大戦より以前からひょっとするとそれ以前から、この国に強固な世界統治意志があった証拠だ、と見えてきてしまう一面がどうしてもある。冷戦後の1990年代にアメリカの出方は一段と露骨になった。バルト三国、ウクライナ、コーカサス地方、中欧など伝統的にロシアの勢力圏であった地域にまでNATOの戦略的関心は及ぶという言い方で、西ヨーロッパを政治的にリードした。いいかえればNATOはアメリカがヨーロッパにおいて自らの覇権意志を永続させるための道具にほかならなかった。

 その後、ヨーロッパは軍事的にはともかく、経済的にはアメリカに距離を置こうとし始めた。1971年に金兌換制度と手を切ったドルの無方針な乱発とたれ流しの将来を恐れて、経済統合による自存独立の方向へ舵を切った。EUによる市場統合と通貨統合が達成され、政治統合に進みそうになって挫折したのは、ヨーロッパ内部の主権国家同士の調整がどうしてもつかないという理由ももちろん大きいが、アメリカがEU独自の軍事力の成立を認めないという一貫した政治干渉が行われたことが何といっても一番大きい。アメリカは自分にカウンター・バランスする能力を持つ国ないし地域の出現を許さないのだ。EUはどこまでも経済統合であって、国家にはさせないよ、それがアメリカの方針であった。

 ドイツがEUの成立に熱心で、不利益を蒙っても忍耐づよいのは、ナチの歴史を抱えたこの国は己れの国家意志を打ち出すにはヨーロッパ全体の名において行なうしか方法はないが、いつの日にかゲルマンはこの方法でアングロサクソンに打ち勝つという粘り強い長期戦略に支えられているのだと私自身は見ていたが、アメリカがそんなことを見抜いていないはずはない。

 ヨーロッパの伝統的な外交政策とアメリカの強引な一極大国の論理が正面衝突した最近の目立つ事件といえば、イラク戦争の開戦直前の激しいやり取りと論争だった。ヨーロッパはここでも折れて、見切り発車で開戦となったが、ドルの凋落とユーロの優勢が目立ったあの時点で、イラクが石油売却をユーロで行ない、以来、基軸通貨としてのドルの信認が世界的に危うくなりだしたことがイラク戦争の主たる原因だった。中東へのアメリカの石油依存度はわずか10パーセント程度で、イラク攻撃は石油利権が目的ではなく、ユーロからドルを守ること、基軸通貨国の地位をアメリカが死守することこそが戦争の目的だった。そして、ドル=ユーロ戦争はその後もずっとつづいていて、2011年のギリシアに端を発するユーロ危機に対し、ドルはポンドと組んで、ある程度距離をもつ冷淡な対応をしていることからも、米英による独仏封じ込めの、新しい目に見えない経略が動き出していることが暗示されている。

つづく

ありがとうアメリカ、さようならアメリカ (一)

Voice6月号より 戦争へ向かう東アジアシリーズより

日本に核抑止力を与え、領土主権を守るための軍事力充実に米国が協力する日が近づいている!

日本をいつまでも「軍事的準禁治産者扱い」

 生き残りを賭けた北朝鮮の言い分は昔も今も一貫して筋が通っている。大国はみな弾道ミサイルを開発して来た。日本も人工衛星を射(う)ち上げている。わが国だけが禁止される理由はない。国連の安保理決議は茶番である。北朝鮮がそう言い立てているのはまことに尤もであり、どの国も返す言葉がないはずだ。国民が飢えているのにミサイルに巨額を使うなんて?というのは外国人の言い分で、北朝鮮にすれば余計なお世話だ、国が生き残るのが最優先だ、ということになろう。そしてそう言わせてきたのはアメリカである。さればこそ、ミサイルは北米大陸に届くのが目的であることを北朝鮮は隠そうともしていない。日本と韓国を最初から眼中に置いていない。」

 北朝鮮は今までにいろいろ試して来た。核実験はもとより、日本列島を越えるミサイルを飛ばして見せたり、繋留中の韓国船を魚雷で破壊したり、国境を越えて韓国領内へ白昼堂々と実弾を打ち込んでみせたり、いろいろしたが、アメリカは動かない。否、日本にも韓国にも手出しをさせない。核が成功しかけても何もさせない。かつてイスラエルが建造中のイラクの核基地を空爆で破壊したとき、アメリカは黙認した。今イランの核基地に同じことが起こりかねないが、万一起こったとしてもアメリカはイスラエルを窮地に追い込まないだろう。

 アメリカにとってイスラエルは大切だが、日本や韓国は覇権国アメリカの大戦略の図面に合わせて行動させる将棋の駒にすぎず、ぎりぎりまで自由にさせないつもりだ。北朝鮮の核弾道ミサイルが北米大陸に届くと分かったら、つまり王手を掛けたら、さしもの自己本位のアメリカも具体的に動き出さざるを得なくなるだろう。しかしそうなった頃には、日米韓の将棋盤上の陣形は崩れ、手に負えなくなっているだろう。

 アメリカはヨーロッパも中東もパキスタンもアフガニスタンも東アジアもすべてを牛耳りコントロールしようとしてきたが、その力を次第に失いつつある。日本と韓国はある日突然、放り出される可能性がある。海兵隊のグアムとオーストラリアへの移動は早くも勢力撤収の徴候といえる。岡目八目を決め込んで、へぼ将棋をニタニタ笑って見ているのが中国とロシアである。してやったりであろう。なんと中国は北朝鮮に戦闘爆撃機など大規模な兵器輸出を企画中と伝えられる。日本はどうしてこんなに割の合わない、身動きできない、切ない窮地に立たされてしまったのだろうか。

 四月十三日朝、日本政府がミサイル発射の確認に手間取って発表が遅れ、またしても危機対応のお粗末ぶりを国民は見せつけられ、寒気がする思いだったが、それよりもなによりも、イージス艦を並べてPAC3を配置して、二段構えでミサイルを撃ち落す、という防衛省の作戦が公開されたとき、私は正気が、とそのばかばかしさに呆気に取られた。真上から落下するミサイルは迎撃しようがない、とある専門家が言っていたが、問題はそのことだけではない。今回の件は、四月十二日から十五日までと時間が限定され、海域と空域まで指定された「落下物御注意案内」の対応にすぎなかったのだ。本当の戦争になったらどうするつもりか、防衛省にお尋ねしたい。イージス艦を俊二に百艘そろえ、PAC3を列島に1㎞ごとに配列しても間に合わないだろう。

 落下するミサイルに対する迎撃ミサイルでの防衛は不可能である。打ち上げ前の核ミサイルを基地ごと上空からミサイルが空爆で破壊する以外に技術的に確実な防衛方法は存在しないのだ。そんなことは軍事専門家はみんな知っているし、アメリカ軍当局も知っている。イージス艦とPAC3による防衛網は日本国民を政治的に安心させ、慰撫し、時間稼ぎをしているアメリカの「戦争ごっこ」である。(韓国は分かっているから、かねて隠して用意していた北朝鮮向けのミサイルをその後あえて公開した)

 平穏無事のためと称し日本にこんな屈辱的な足踏みを余儀なくさせ、中露両国の思う壺に日本がみすみす填(は)まるのを放置するのはアメリカの国益にも必ずしも合致しないはずなのに、アメリカはいつまで経っても対日方針を改めない。もう自らの抑止力にもさして自信がないくせに、同盟の名において日本をいつまでも何もさせない弱国扱い、軍事的準禁治産者扱いをつづけている。

 こうなったのには恐らく世に知られている原則以外の別の大原則があるからに違いない。「日米関係は日本外交の基軸」と言い古されてきた大前提にメスを入れる必要が日ごとに増大していると思われる昨今である。

つづく

宗教とは何か(三)

 外国文学にせよ歴史にせよ、言葉の世界であり、文字表記の世界である。しかし涯(はて)しなく時間を遡れば、私たちは言葉も文字もない世界にぶつかる。空間を拡大しても同じである。

 宗教は「外国」や「過去」といった何か具体的な手掛かりのある有限なものを実在とするのではなく、何もない世界、死と虚無を「実在」とする心の動きである、とひとまず言っておきたい。これはしかし途方もないことである。

 宗教の中には死と虚無を認めない立場もあれば、時間と空間の涯に死と虚無しかないことをしっかり直視している立場もある。死ではなく永遠の生、虚無ではなく永遠の存在を信じ、これを主張し、防衛する立場が恐らく世の宗教組織、宗教教団、宗教思想の依って立つ立脚点であろう。数限りない世界の宗教、細分化される宗派宗門、それぞれ独自の経典とそれに基づく密儀秘祭の細則、修行の戒律、伝播と教育と教宣活動、そしていたるところに建立されてきた大伽藍。私はそれらのすべてに関心があり、すべてを等価と見る文化史的見地にどうしても立つので、どれか一つの宗派の選択だけが正道であるとする信仰者の強靭な生き方、聖アウグスチヌスが「まちがった魂を滅亡から救うためには、強制もまた止を得ない」と言ったあの不寛容への決意のようなものに自分を追い込むことは思いも及ばない。それでいて私は宗教人の頑迷さに似たものに敏感であり、信仰に似た心の働きにつねに敬意を抱く。

 人間は歴史をいくら遡っても、文字言語の確かめられる所までしか遡れない。文字なき以前の遠い時代に、民族の純粋な声を聞き取ろうとした本居宣長のような人もいるが、彼にしても死と虚無を「実在」として、その上に「自己」を組み立てていると見ていい。

 本居は既成のあらゆる存在の名、ことに中国伝来の「天」の概念も仏教や朱子学の理念も否定して、日本の神々の世界に「むなしき大虚無(オホゾラ)」が広がっていると言っている(『古事記伝』第九巻)。現代風にいえばニヒリズムの自覚である。

 自己と事物一切の根底にリアルに潜む虚無が「自己」の前に立ち現れるとき、目前にあるのは名づけようのないものである。「大虚空」としか言いようがなかっただろう。それは古代初期ギリシャ哲学の時代にタレスが万物は「水」であると言い、ヘラクレイトスが「火」であると言った、等々のことに共通する何かであるように思える。

 私は特定の宗教に心を追い込むことがどうしてもできない。今なお死と虚無を「実在」とする立場なき立場に立ちつづけているが、それを「迷える子羊」だとも思っていない。

 だいたい宗教というこの二つの文字は、中国でむかし仏教の中の諸宗、各々の教えを呼んでいた言葉で、明治の近代日本がレリジョンの訳語に採用して以来、アジアの漢字文化圏に広がって、「宗教」は仏教の上位概念になって今日に至ったのである。ヨーロッパ語で宗教思想等が再編成されたときに、総括概念として使われたのが「宗教」で、それまでは仏教や神道やキリスト教や道教や儒教等々は存在したが、「宗教」は存在しなかったのだ。このことは案外多くを語っている。

 “宗教をどう考えるか”というようなこの稿の編集部からの質問が、すでに信仰の立場からではなく、近代の宗教学の立場からのアイデアである。

 宗教学者は信仰家である必要はないが、信仰がどういうことかを知っていなければ、信仰を学問の対象にすることはできないだろう。しかし信仰を知るとは物体の運動法則を知ることと異なり、あくまで自分の心が問われるのである。これは大矛盾である。信仰を知るとは何かの対象を「実在」として知ることと同じではない。対象化できない何かにぶつかることなのである。

 このように、学問と宗教は相反概念なのであるが、明治以来われわれはヨーロッパから近代の学問の観念を受け入れ、死と虚無を「実在」として生きているのが現実であるにも拘わらず、ニヒリズムの自覚に背を向け、誤魔化しつづけて生きている。そのため宗教とは何かを問われたり問うたりして平然として「自己」を疑わないでいるのである。

『悲劇人の姿勢』の刊行記念講演会は次の通りです。

  第三回西尾幹二先生刊行記念講演会

〈西尾幹二全集〉

 第2巻 『悲劇人の姿勢』刊行を記念して、講演会を下記の通り開催致します。

ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。

   ★西尾幹二先生講演会★

【演題】「真贋ということ
 ―小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって―」

【日時】  2012年5月26日(土曜日)

  開場: 18:00 開演 18:30
    
【場所】 星陵会館ホール(Tel 3581-5650)
     千代田区永田町201602
     地下鉄永田町駅・赤坂見附駅より徒歩約5分

【入場料】 1,000円

※予約なしでもご入場頂けます。
★今回は懇親会はなく、終了後名刺交換会を予定しています。

【場所】 一階 会議室

※ お問い合わせは下記までお願いします。

【主催】国書刊行会 営業部 

   TEL:03-5970-7421 FAX:03-5970-7427
   
   E-mail: sales@kokusho.co.jp
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・坦々塾事務局   

   FAX:03-3684-7243

   tanntannjyuku@mail.goo.ne.jp

星陵会館へのアクセス
〒100-0014 東京都千代田区永田町2-16-2
TEL 03(3581)5650 FAX 03(3581)1960

宗教とは何か(二)

 私は外国文学研究家として漱石の苦闘に共感するが、歴史研究にも似たような矛盾撞着があると考えている。歴史研究家にとって認識の対象となる「実在」は過去である。最初は過去を「自己」の外に置いて眺めざるを得ない。だがこの起点に留まる限り、なにも始まらない。あらゆる過去はすでに確定し、現在から見て宿命であって、もはや動かないが、歴史は動くのである。歴史と過去は別である。

 歴史は記述されて初めて歴史になる。歴史は徹頭徹尾、言葉の世界である。記述に先立って過去の事実の選択が行われる。選択には記述者の評価が伴う。評価は何らかの先入見に基づく。歴史という純粋な客観世界は存在しない。それなら歴史は歴史家の主観の反映像かといえばそうはいえない。

 歴史は「自己」がそこに属する世界であり、「自己」より大きな、それを超えた世界でもある。何らかの客観世界に近づこうと意識的に努めない限り、歴史はその扉を開いてくれないが、しかし何らかの客観世界は「自己」が動くことによって、そのつど違って見える存在である。

 歴史家のヤーコブ・ブルクハルトは例えばツキュディデス(古代ギリシャの歴史家)のなかには今から百年後にようやく気づくような第一級の事実が報告されていると言っている。過去の資料は現在の私たちが変化して、時代認識が変わると、それにつれて新しい発見が見出され、違った相貌を示すようになるという意味である。歴史は歩くにつれて遠ざかる山の姿、全体の山容が少しずつ違って見える光景に似ている。それは歴史が客観でも主観でもなく「自己」だということである。

 歴史が「自己」だという意味は、過去との果てしない対話の揚げ句にやっと立ち現れる瞬間の出来事で、大歴史家はそのつど決断をしつつ叙述を深める。私が現代日本の大半の職業歴史家に不満と不信を持つのは、彼らが歴史は動かないと思い定め、固定観念で過去を描いているからである。何年何月に何が起こったかを知ることは歴史ではない。しかし彼らは歴史はあくまで事実の探求と確定だと思っている。

 ブルクハルトが歴史の中に「不変なもの、恒常的なもの、類型的なもの」を認めると言ったとき、それはイデアという一語に近いが、哲学者のようにそうは簡単に言わなかったのは歴史は、動くものだといういま述べた前提に立っているからで、動くものの相における普遍の「価値」に向かう姿勢を示している。

 ブルクハルトの歴史探求も私には宗教体験に似ているように思える。

つづく

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〈西尾幹二全集〉

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宗教とは何か(一)

 『寺門興隆』(興山社)という雑誌に「宗教とは何か」という文章を書いてほしい、という難題をぶつけられた。その四月号に次の文を記した。三回に分載する。

 私はドイツ文学の研究者から出発し、政治や歴史について考えたり書いたりする仕事を主にする人生を送った。特定の宗教に帰依したことはなく、信仰心を持つ人間とも思っていない。つねに宗教に関心を持ちつづけてきたが、文化史や政治史における宗教の影響力に関心があるのであって、したがってあらゆる宗教に関心があり、宗教そのものには関心のない人間なのかもしれない。教養主義は宗教の敵であるが、私はそれに毒されている。

 教養主義はさまざまな知識を横並びに広げ、あらゆる価値を相対化する。しかしさまざまな知識を潜り抜けなければ、いかなる価値も樹てられないという矛盾もある。宗教は価値に近づくのに異なる入り口から這入る世界なのかもしれない。異なる入り口から別の通路を抜けて一直線に価値に迫るのが信仰であろう。

 自然科学者は山川草木森羅万象を、社会科学者は社会、法、国家、経済組織等をそれぞれ「実在」と見なして、それらを対象化し、それらの理法を究めようとするのだが、認識主体である「自己」をとり立ててあまり問題にしない。人文科学ではそうはいかない。私はドイツ文学者であり、文芸評論家でもあったので、若い頃から外国文学を学んだり研究したりすることの矛盾に悩んできた。

 私が当時対象とする実在は「外国」であった。外国を主観と客観の対立する認識の相において客体として捉えようとするのだが、ここに留まっている限り、外国研究は実はほとんど前へ進まない。日本人である自己を捨ててある特定の外国の人間になり切るくらいの所まで行く、すなわち主観を捨てて客観の世界へ没入する所まで行く、そこではじめて何かが見えてくるといっていいだろう。私自身がそこまでやったという自覚はなく、私は中途半端だったが、自己を捨てることが必ずしも自己を失うことにはならない場合がある。

 夏目漱石のロンドンの憂鬱はこの点で示唆的である。図書館で万巻の英書を読もうとした漱石は自己錯乱の果てにふと悟るところがあって、外国は結局分らない、イギリス文学を知るのにイギリスの専門家の手引きにいつまでこだわっても駄目で、英書より漢籍のほうが良く分る自分の感受性を信じることが大切だと気づいて、「自己本位」ということを言い出した。

 これは漢籍が分る東洋人の自分の主観でイギリス文学を割り切ればいいという話ではなく、いったんはイギリス人になり切ろうと努力する「自己」が先行していた。しかしその「自己」が邪魔だということに気がついた。それはまだ、自意識の段階の「自己」だからであり、そこで悪戦苦闘して、万巻の英書を読破しようと思い込むなど錯乱に近い状態を経て、ふと悟るものがあり、外国という「実在」に直接するリアルな瞬間を持ったのである。

 漱石の外国体験は宗教的悟りに似ているといえないだろうか。

つづく

『Voice』と『週刊新潮』 ・お知らせ

 5月初旬に出る私の二つの論考は次の通りです。

 「ありがとうアメリカ、さようならアメリカ」(「Voice」6月号)は親米保守と護憲左翼が手を結んで日本の防衛をあいまいにし、危うくしている今の安閑としたムードに一石を投じたつもりです。25枚論文です。

 「『正田家』と『小和田家』はいかに皇室と向き合ったか」(「週刊新潮」今週出る号)は4ページ論文で、皇室の過去と現在を追った私なりの本質論です。大変な分量の雑誌記事のコピーと6冊の単行本を資料として托されたので、月刊誌なら100枚論文になるところですが、わずか13枚の内に組み立てるので苦心しました。とり上げた事実はひとつひとつ校閲部が検証するので、週刊誌がいい加減なことを書いているとよくいわれるのはまったくのウソです。月刊誌のほうがずっと大雑把です。今度そのことを経験しました。

『悲劇人の姿勢』の刊行記念講演会は次の通りです。

  第三回西尾幹二先生刊行記念講演会

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お知らせ

 『歴史通』(ワック出版)の5月号(4月9日発売)が「総力特集・天皇」を出す。私はここに「雅子妃問題の核心――ご病気の正体」というかなり長い論文を書いた。新しい材料が手に入ったので、今までになく実態が分り、皇族と一般民間人、例外者と普通人の間の「自由」の意識の違いをめぐるパラドックスに踏み込んだ。深層心理的に、かつ目に見えるように具体例をもって問題の核心を新たに提示し、明日の皇室と国家の未来への期待を綴った。

 2008年に出した『皇太子さまへの御忠言』のワック文庫本を先日出版したが、当論文の収録はこれには間に合わなかった。先立つ『WiLL』3月号と『週刊新潮』2月23日号の私の関連文章まではこの文庫本に収録されている。

 間もなく、4月末までに、西尾幹二全集第2巻(第3回配本)『悲劇人の姿勢』が世に問われることになる。これに伴い、5月26日(土)午後6時より、恒例の刊行記念講演会を行う。場所は前回と同じ星陵会館ホール(地下鉄永田町あるいは赤坂見附より徒歩約5分)。

 演題は「真贋ということ――小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって」である。

 入場¥1000、予約は要らない。一部のお知らせに間違えて予約の文字が記されたが、予約は必要ない。

 今回は懇親会は行わない。代りに終って名刺交換会とサイン会を行う。同会場の懇親会の宴会費が内容に比して高過ぎると判断されたからである。参加者に迷惑をかけたくなかった。次の機会には良い会場を探したいと思うが、今回は間に合わなかった。

日本には「保守」は存在しない

 私は前から日本には「保守」と呼べるような政治的文化的集団ないし階層は存在しない、と思っていた。ところが人は安易に「保守はこう考えるべきだ」とか「私たち保守は」などと口にする。「保守言論界」とか「保守陣営」とかいう言葉もとび交っている。

 今こそきちんと検証しておくべきである。思想的に近いと思っていた者同士でも今では互いに相反し、てんでんばらばらの対立した関係になっているではないか。皇室問題で男系か女系か、原発派か脱原発派か、TPP賛成派か反対派か――ひとつにまとまった従来の「保守」グループで色分けすることはできなくなっている。

 もともと「保守」など存在しなかったことの現われなのである。この点を過日掘り下げて「WiLL」2月号に書いたので、ここに掲示する。

 わが国に「保守」は存在するのだろうか。「疑似保守」は存在したが、それは永い間「親米反共」の別名であった。米ソ冷戦時代のいわゆる五五年体制において、自由主義体制を守ろうとする思想の立場である。世は反体制一色で、左翼でなければ思想家でない時代、一九六〇年代から七〇年代を思い起こしてほしい。日本を共産主義陣営の一国に本気でしようとしているのかそうでないかもよく分からないような、無責任で危ない論調の『世界』『中央公論』に対し、竹山道雄、福田恆存、林健太郎、田中美知太郎氏等々が拠点としたのが『自由』だった。六〇年代は『自由』が保守の中核と思われていたが、正しくは「親米反共」の中核であって、必ずしも「保守」という言葉では呼べない。  
 
 六〇年代の終わりに、新左翼の出現と学生の反乱に財界と知識人の一部が危機感を深めて日本文化会議が起ち上げられ、一九六九年五月に『諸君』が、七三年十一月に『正論』が創刊された。ここに拠った新しく増幅された勢力も、「反米容共」に対抗するために力を結集したのであって、私に言わせれば言葉の正しい意味での「保守」ではない。日本に西洋でいうところのconservativeの概念は成立したことがない。

 明治以来の近代化の流れのなかに、尊王攘夷に対する文明開化、民族的守旧感情に対する西洋的個人主義・自由主義の対立はあったが、対立し合うどちらも「革新」であった。革新官僚とか革新皇道派とか、前向きのいいことをするのは革新勢力であって、保守が積極概念で呼ばれたことはない。歴史の流れのなかに革新はあり、それに対する反動はあったが、保守はなかった。積極的な運動概念としての保守はなかった。背後を支える市民階級が存在しなかったからである。  

 政治概念として保守が唱えられだしたのは戦後であり、政治思想の書物に最初に用いられたのは、たしか一九五六年のはずだ。五五年の保守合同を受けてのことである。左右の社会党が統一したのにほぼ歩調を合わせて、自由党と民主党がひとつになり、いまの自民党ができて、世間では自民党と社会党とを保守と革新の対立項で呼ぶようになった。けれども、それでも「保守」が成立したとはいえない。

 いったい、自民党は保守だろうか。国際共産主義に対する防波堤ではあっても、何かというと「改革!」を叫ぶ自民党は日本の何を守ろうとしてきただろうか。ずっと改革路線を歩み、経済政策でも政治外交方針でもアメリカの市場競争原理やアメリカ型民主主義に合わせること以外のことをしてこなかった。自民党を保守と呼ぶことはできるだろうか。

 自民党をはじめ、日本の既成政治勢力は自らを保守と呼ぶことに後ろめたさを持っていた。もしそうでなければ、自らをなぜ「保守党」とためらわず名づけることができなかったのだろうか。 「保守」は人気のない、悪い言葉だった。永いこと大衆の価値概念ではなく、選挙に使えなかった。福田恆存氏がときおり自分のことを、「私は保守反動ですから……」とわざと口にしたのは氏一流のアイロニーであって、「保守」がネガティヴな意味合いを持っていたからこそ、悪者ぶってみせる言葉の遊びが可能になったのであった。

「保守」を利用する思惑

 ところが、どういうわけだか最近、というかここ十年、二十年くらい「保守」はいい言葉として用いられるようになっている。保守派を名乗ることが、言論人の一つの価値標識にさえなった。いつまでつづくか分からないが、若いもの書きは競い合って自分を保守派として売り込んでいる。保守言論界と言ってみたり、保守思想史研究を唱えてみたりしている。私はそういうのをあまり信じないのだが、十年後の日本を占う当企画の一項目に「保守」があがっていること自体に、隔世の感がある。

 おそらく、元左翼の人たちがいっせいに右旋回した時代に、「保守」がカッコイイ看板に担ぎ上げられたといういきさつがあったためであろう。西部邁氏の果たした役割の一つがこれであったと思う。また、市民階級は生まれなくても、二十世紀の終わり頃のわが国には一定の小市民的中間層が成立し、一億中流意識が定着した、とまでいわれた経済の安定期があって、それが「保守」の概念を良い意味に格上げし、支え、維持したといえなくもない。

「保守」を利用する人たちの思惑はどうであれ、人々がこの言葉を価値として用いることに際して抵抗を覚えないムードが形成された背景の事情はそれなりに理解できる。しかし、二つの理由からこれはいかにも空しい。あっという間に消えてなくなる根拠なきものであることを申し上げたい。一つは、思想的根拠にエドマンド・バークなどを代表とする外国の思想家を求め、日本の歴史のなかに必然性を発見できていない。もう一つは、金融危機が世界を襲いつつある現代において、新興国はもとより、先進国にも格差社会が到来し、中間階層が引き裂かれ、再び体制と反体制とが生じ、両者が反目する怨念の渦が逆巻く嵐の社会になるであろうということである。

 安定期にうたた寝をまどろむことのできた仮そめの「疑似保守」は、十年後には雲散霧消し、やがてどこにも「保守」という言葉をいい言葉として、価値あるものの印として掲げる人はいなくなるであろう。大切なことは、一九六〇~七〇年代に「反米容共」に取り巻かれた左翼中心の思想空間で「親米反共」を命がけで説いた世代の人々は、自らを決して保守とは呼ばなかったことだ。たとえば、三島由紀夫は保守だったろうか。命がけで説いたその熱情はいまも必要であり、大事なのは愛国の熱情の維持であって、時代環境が変わればそれを振り向ける対象も変わって当然である。

 十年後の悲劇的破局の光景  

 時代は大きく変わった。「親米反共」が愛国に通じ、日本の国益を守ることと同じだった情勢はとうの昔に変質した。私たちは、アメリカにも中国にも、ともに警戒心と対決意識を等しく持たなくてはやっていけない時代に入った。どちらか片一方に傾くことはいまや危うい。それなのに、一昔前の冷戦思考のままに、「親米反共」の古いけだるい流行歌を唄いつづけている人々がいまだにいて、しかもこれがいつの間にかある種の「体制」を形成している。そして、愛国心も国家意識もない最近の経済界、商人国家の請負人たちと手を結んでいる。「生ぬるい保守」「微温的な保守」「ハーフリベラルな保守」と一脈通じ合っているにもかかわらず、自分たちを「真正保守」と思い込んで、そのように名づけて振る舞っている一群の人々がいる。言論界では岡崎久彦氏から竹中平蔵氏、櫻井よしこ氏まで、冷戦思考を引き摺っている人々はいまだに多く、新聞やテレビは大半がこの固定観念のままである。

 中国に対する軍事的警戒はもとより、きわめて重要である。しかしそれと同じくらいに、あるいはそれ以上に、アメリカに対する金融的警戒が必要なのである。遅れた国や地域から先進国が安い資源を買い上げて、付加価値をつけて高く売るということで成り立ってきた五百年来の資本主義の支配構造が、いまや危殆に瀕しているのである。一九七三年の石油危機でOPECの挑戦を受けた先進国は、いまや防戦に血眼になっている。資源国は次第に有利になり、日本を含む先進国の企業は収益率が下がり、賃金の長期低落傾向にあるが、それでも日本は物づくりに精を出し、戦後六十年間で貯めた外貨資産は十五兆ドル(一千五百兆円)に達した。

 ところが、欧米主導の金融資本はわずか十三年間で手品のように百兆ドル(一京円)のカネを作り出した。あぶくのようなそのカネが逆流して自らの足許を脅かしているのは、目下、展開中の破産寸前の欧米の光景である。アメリカは「先物取引」という手を用いて石油価格の決定権をニューヨークとロンドンに取り戻すといった、資源国との戦いをいま限界まで演じているが、もう間もなく打つ手は行き詰まり、次に狙っているのは日本の金融資産である。

 「非関税障壁の撤廃」(ISD条項はその手段)を振り翳したTPPの目的は明瞭である。日本からあの手この手で収奪する以外に、アメリカは目前に迫った破産を逃れる術がないことはよく分かっているのだ。「親米反共」の古い歌を唄っている自称「保守」体制は、これから収奪される国民の恨みと怒りの総攻撃を受けるであろう。格差社会はますます激しくなり、反体制政治運動が愛国の名においてはじまるだろう。

 「保守」などという積極概念は、もともとわが国にはなかった。いま「親米反共」路線を気楽に歩む者は、政治権力の中枢がアメリカにある前提に甘えすぎているのであり、やがて権力が牙をき、従属国の国民を襲撃する事態に直面し、後悔してももう間に合うまい。わが国の十年後の悲劇的破局の光景である。『WiLL』2月号より

名古屋市長発言と日中歴史共同研究

 3月26日に発売される『WiLL』5月号に、私ほか三人の名の共同討議「虐殺を認めた『日中共同研究』徹底批判」が出ます。これは名古屋市長の南京発言を支援する内容です。

 昨年の今頃まで福地惇、福井雄三、柏原竜一、西尾幹二の「シリーズ現代史を見直す」が断続的に『WiLL』に連載されていました。東日本大震災が起こり、これが中断しました。
「日中歴史共同研究」徹底批判は四回を予定し、三回で途切れました。今回四回目を掲載いたします。

 掲載に際し、四回目の冒頭に私の次のような新しい発言が付加されました。名古屋市長発言を意識してあらためてこれを支持する目的の付言です。

 雑誌が出たら是非これにつづく「徹底批判」の内容をお読み下さい。

 名古屋の河村たかし市長が「南京事件はなかった」と率直に語ったことに対し、例によって左翼偏向した特定のマスコミと民主党藤村官房長官が待ったをかけました。

 「日中の大局を忘れるな」式の見え見えのことなかれ主義で、彼らが中国側にすり寄ったことはご存知のことと思います。その際、マスコミが錦の御旗に掲げたのは、北岡伸一氏が座長を務めた例の日中歴史共同研究です。

 「朝日新聞」は社説(二〇一二年三月八日)で、「南京大虐殺については、日中首脳の合意で作った日中歴史共同研究委員会で討議した。犠牲者数などで日中間で認識の違いはあるが、日本側が虐殺行為をしたことでは、委員会の議論でも一致している。」と早速にもあそこでなされた政治的取引きめいた決着を利用しています。

 「中日新聞(東京新聞)」も「河村市長発言、なぜ素直に撤回しない」と題した社説(二〇一二年二月二十八日)で、「南京で虐殺がなかったという研究者はほとんどいない。日中歴史共同研究の日本側論文も『集団的、個別的な虐殺事件が発生し』と明記する。」と共同研究を主張の根拠にしています。そして「市長は共同研究を『学者の個人的見解』と批判するが、国や政治レベルで埋まらぬ歴史認識の溝を、少しでも客観的に埋めようとの知恵であった」と、北岡氏らのあの見えすいた非学問的決着を唯一の拠り所としています。
 
 そもそも民族間の「歴史認識の溝」は埋まらないときには永久に埋まらないのであって――英米間にだって溝はあるんですよ――それを強引に埋めさせようとした当時の自民党首脳の取り返しのつかない政治判断の誤りであると同時に、乗せられて学問の真実追究を捨て、政治外交世界の一時の取引きの道を選んだ北岡伸一氏がそもそもおかしいとは、われわれ四人の当研究会でもさんざん論じてきました。

 なぜか常に中国側に立つ日本のマスメディアに、いつの日にか必ず日中歴史共同研究は政治的に悪用されることが起こり得るだろうと私は思っていましたら、河村市長発言でその通りになりました。私たちはこの日があるのを予知していました。
 
 それほどにも、日本を傷つける可能性のある日中歴史共同研究のテキストはほとんど誰も読んでいないのです。翻訳ともども部厚い二冊本になる本文テキストを手に取る機会に恵まれた者は今のところ恐らく非常に限られた少数者でしょう。私たち四人は、その機会を得て、これを読破し、すでに三回の討議をもって、中国側代表の型にはまった恐るべき無内容と、日本側学者たちの日本国民を裏切るこれまた型通りの妥協の数々を追及し、批判してきました。
 
 かくて「日中歴史共同研究徹底批判」は本誌で今回をもって四回目となり、これをもって完結篇といたします。今回は南京事件を取り上げていますが、それに先立つ他のテーマから入っていきます。

新春の仕事開幕

 平成24年(2012年)になり、早速私の次のような仕事が相次いで公開される。

 『SAPIO』(2月8日号)に脱原発特集が組まれた。題して「まだ終わっていないのに『なし崩し的再稼動』はNOだ。ここが正念場!脱原発を巡る論考を続けよ」となっていて、12本の論考が掲げられている。その中で私は「国防」を分担している。曰く「脱原発してこそ、日本は独立自尊を回復し、自由で合理的な国防と核武装が可能になる。」

 それより大きい仕事は『WiLL』(3月号・1月26日発売)の巻頭論文19ページである。題して

 
天皇陛下に「御聖断」を、女性宮家と雅子妃問題の核心
 

 女性宮家のテーマは付け足しで、それより大切なもの、国家の運命に関わるのが雅子妃問題であることを久々に訴えた大型論文である。平成20年(2008年)5月号の「皇太子さまへ敢えて御忠言申し上げます」から4年ぶりの本格的問い掛けである。しばらく様子を見ていたが、あれから事態は悪化する一方で、やっと重い腰を上げた。国民みんなが真剣に考えるときが来ている。

 新潮社刊の単行本『天皇と原爆』は24日に見本刷が出る。発刊は31日なので、次回詳しい案内をしたい。

 さて、西尾幹二全集第二回配本(第一巻)『ヨーロッパの個人主義』は同じ時期に刊行され、予約者のお手元に届くのは月末か遅くとも2月最初の週である。これに合わせて2月4日「個人主義と日本人の価値観」と題した公開講演会を開く。会場費の一部をご負担いたゞかないと運営できないので¥1000をもらい受ける。講演会の内容案内は末尾に再録する。

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「個人主義と日本人の価値観」講演会開催のお知らせ

   西尾幹二先生講演会

「個人主義と日本人の価値観」

〈西尾幹二全集〉第1巻『ヨーロッパの個人主義』(1月24日発売)刊行を記念して、講演会を下記の通り開催致します。

 ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。

★西尾幹二先生講演会

    「個人主義と日本人の価値観」

【日時】  2012年2月4日(土曜日)

  開場: 13:30 開演 14:00
    ※終演は、16:00を予定しております。

【場所】 星陵会館ホール

【入場料】 1,000円

※予約なしでもご入場頂けますが、会場整理の都合上、事前にお知らせ頂けますと幸いです。

★講演会終演後、<立食パーティ>がございます。

【場所】 星陵会館 シーボニア 

※ 16:30~(18:30終了予定)

【参加費】 6,000円

※<立食パーティー>は予約が必要となります。1月24日までにお申し込みください。
ご予約・お問い合わせは下記までお願いします。予約時には、氏名・ご連絡先をお知らせください。

・国書刊行会 営業部 

   TEL:03-5970-7421 FAX:03-5970-7427

   E-mail:sales@kokusho.co.jp

・坦々塾事務局   

   FAX:03-3684-7243

   tanntannjyuku@mail.goo.ne.jp
星陵会館(ホール・シーボニア)へのアクセス
〒100-0014 東京都千代田区永田町2-16-2
TEL 03(3581)5650 FAX 03(3581)1960

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※駐車場はございませんので、公共交通機関にてお越し下さい。)

主催:国書刊行会・坦々塾

後援:月刊WiLL