しかし今ニーチェを離れて考えて、われわれが数少ない、自分で筆を執る創造の瞬間を思い浮かべてみると、誰にしても経験があると思うが、たしかに他人の思想や言葉はまったく役に立たない。研究論文を書く場合でさえ、自分の内心のざわめきに形を与えようとする衝動がわれわれに筆を執らせるのである。
内発の声がすべてである。他人の思想や言葉は、そういうとき、たとえ大詩人のそれであろうと、邪魔であり、よそよそしい代物だ。ニーチェはそのような創造行為の不安定を突きつめた形で実行したまでである。
午前中に執筆するある日本の作家は、早朝決して新聞を読まないと書いていた。動き出す前の自分の思想が新聞の汚れた文章で濁ることを怖れるからである。
また、作品を書き出す前に、少なくとも数日は他人の小説は読まない、と言っていた作家もいる。否、作家でなくても、その程度のことは、物を書く人間は誰でも自分の生活の智恵として実践している。
早朝に本を読むのは「悪徳」だというニーチェの戦術の言葉は、だから格別珍しい体験から出ているようには思えない。
ただ彼のように「読むこと」は精神の怠惰だという意識の緊張感の持続を生涯一貫して維持しつづけることが、誰にも容易に出来ないだけの相違である。そして、この相違は小さいように見え、現実には大変大きい。
従って、そのような彼を日本の外国文学流に翻訳する私の今の行為が、最初からいかに矛盾した破綻を孕んでいるかという本稿の問題の核心は、読者にはもうすでに十分にお分りであると思う。
なぜなら「翻訳」はわれわれにとって「読むこと」の最も現想的な形態であり、われわれはそれを疑わずに、翻訳を最重要の仕事と看做すことにもっぱら安住してきているからである。
おわり
『べりひて』昭和61年(1986年)5月10日(社団法人)日本ゲーテ協会より