寒中閑なし

 今私がどんな仕事に毎日励んでいるかを今日は簡単に報告しておきたい。

 「日中歴史共同研究 中国側批判」の前半部分のゲラ刷りが今日送られてきた。『WiLL』(2月26日発売)4月号に予定されている。2月5日に四人のメンバーが集まって討議を完了した。四人とは福地惇、福井雄三、柏原竜一の諸氏と私である。この1年で三氏はそれぞれ独自性を発揮し、良い仕事をしてくれたとありがたく思っている。

 1月号と2月号で「北岡伸一『日中歴史共同研究』徹底批判」を行った際に、中国側の報告内容への追及は4月号と5月号に分載すると約束しておいたので、その整理の仕事がいま舞い込んでいるのである。

 日本側報告は昨年1月に、中国側報告は8月に、各600ページを越えるどっしりと重い2冊本で刊行された。一般の人の目には届かない本である(画像参照)。

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 われわれ四人は貴重な史料の批判的研究のチャンスを与えられた立場なので、言うべきことを言っておく責務を感じている。しかし歴史叙述の内容がデタラメきわまりないので、読むのも辛い。

 私が戦時中の思想家・仲小路彰の研究をしていることはすでに知られていると思う。彼の『太平洋侵略史』(全六冊)は昨年復刻再刊されたが、今度次の三冊が出ることになった。すなわち、『世界戦争論』(昭13)全一巻と『第二次世界大戦前夜史 一九三六年』(昭16)及び『同、一九三七年』(昭17)全二巻である。いずれも国書刊行会から3月に出版される予定である(画像参照)。

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今度も昨年につづき私が推薦文を書き解説を担当した。推薦文は昨年のうちに書き上げていたが、事情があって解説は遅れている。ただし『世界戦争論』のほうだけは一昨日やっと解説を書きあげて出版社に送った。

 昨日私は月に必ず一度録画撮りに訪れる文化チャンネル桜で今月分のGHQ焚書のテレビ録画を完了した。夜の7時から10時半までかゝり2本撮った。『ハワイを繞る日米関係』(昭18)と前記仲小路彰の『世界戦争論』(昭13)を取り上げた。知らないことがたくさん書かれていて学習はしたが、何日もかけて準備し、夜集中して2本の録画をするのはやはり疲れる。夜遅くまで付き合ってくれる若い3人のスタッフもきっと疲れただろう。ありがとう。

 この日で放送は71回目と72回目を終えたことになる。別れぎわにスタッフに「そのうち100回を数えるね」と笑って話しした。徳間書店から出ている『GHQ焚書図書開封』は10回分で一冊になるけいさんですゝんでいる。とすれば7冊出来あがっていて当然なのに、いまだ4巻で止まっている。私に時間がなくて書籍づくりが追いつかないのである。すでに2冊分のプランは終了している。次のように計画している。

 『GHQ焚書図書開封 5――ハワイ、満州、支那』
 『GHQ焚書図書開封 6――日米開戦前夜』
 

上記2冊は夏までにほゞ同時に刊行する手筈が整っていて、徳間書店側の了解もすでに取りつけてある。私に時間の余裕のないのだけが唯一の問題なのだ。

 どういうわけかわが国をめぐる先の大戦ばかりが私の最近のテーマになっている。年齢を重ねてますますそうなるのは、日本の運命がいつにここにかかっているとの思いが一層募っているからである。先日報告した私の全集の第22巻の標題に「戦争史観の変革」を掲げておいたのも、最晩年のわが宿運と思い定めているからである。

 じつは今週末までに私はある種の正念場を迎える。いくつもの〆切り課題が集中していることに緊張している。まず一年もかけてまだ仕上がらない単行本『日米戦争 歴史の宿命』(新潮社)の原稿全部をいよいよ19日(土)に担当者に渡すことになっているのである。何ヶ月にもわたり何度も〆切りを延ばしてきたので、もうこれ以上は信義にもとるので延期できない。しかもこれもやはり戦争のテーマなのだ。

 そこへ先ほどの仲小路彰『一九三六』『一九三七』の解説が迫られている。加えて、私の全集の第一回配本『光と断崖――最晩年のニーチェ』のゲラ刷り約600ページ分がどっと届けられている。幸いなことに全集については、元徳間書店出版局長の松崎之貞さんが私の側の編集協力者として付き添って下さることになり、すでに同氏が作業を開始している。それでも勿論私のしなくてはならぬことはたくさんあるので、一山越えたらそちらに取りかゝらなくてはならない。

 でも、こうして多くの仲間知友に支えられて何とかやっていけるということはありがたいことである。

 だが、この一年を振り返って今が一番苦しい時期を迎えていて、ちょっとぼやいてみたくなり、「寒中閑なし」などと無駄口を叩いて、近況報告の文に替えたい。(2月13日記)

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