いま私は西尾幹二全集の編集に追われている。今どんな段階かを説明する前にもう一度全巻の表題を出しておきたい。
西尾幹二全集・二十二巻構成と表題・頁数概要
第一巻 ヨーロッパの個人主義
第二巻 悲劇人の姿勢
第三巻 懐疑の精神
第四巻 ニーチェ
第五巻 光と断崖――最晩年のニーチェ
第六巻 ショーペンハウアーの思想と人間像
第七巻 ソ連知識人との対話
第八巻 日本の教育 ドイツの教育
第九巻 文学評論
第十巻 ヨーロッパとの対決
第十一巻 自由の悲劇
第十二巻 日本の孤独
第十三巻 全体主義の呪い
第十四巻 人生の価値について
第十五巻 わたしの昭和史 少年篇
第十六巻 歴史を裁く愚かさ
第十七巻 沈黙する歴史
第十八巻 決定版 国民の歴史
第十九巻 日本の根本問題
第二十巻 江戸のダイナミズム
第二十一巻 危機に立つ保守
第二十二巻 戦争史観の革新
ずいぶんたくさんあるように思われるかもしれないが、これでも自分の書いたすべての評論を入れることはできない。相当カットしなければならない。今そのむつかしい作業をしている。
5月に出る第1回目は第五巻「光と断崖――最晩年のニーチェ」で、これはすでに校正がどんどん進んでいて、初校から再校の段階に入るところである。570ページ前後になる。
8月に出る第2回目は第一巻「ヨーロッパの個人主義」で、収録作品は確定した。11月に出る第3回目第二巻「悲劇人の姿勢」で、これも内容はほゞ確定した。そこで上記の三巻の目次をここに掲げることにする。
西尾幹二全集 第五巻 光と断崖――最晩年のニーチェ
Ⅰ 最晩年のニーチェ
光と断崖
幻としての『権力への意志』
ニーチェ『この人を見よ』西尾幹二訳
著作を「作る」ことを排した決定版ニーチェ全集の出現
――イタリア人学者の実証について
Zweifel über die Authentizität des neu ersetzten Abschnittes im ‚Ecce homo‛
der kritischen GesamtausgabeⅡ ドイツにおける同時代人のニーチェ像
フランツ・オーヴァーベック/フランツ・リスト/フリードリヒ・リチュル/ウルリヒ・フォン・ヴィラモーヴィッツ=メレンドルフ/ハインリヒ・ハルト/フリードリヒ・マイネッケ/フーゴー・フォン・ホーフマンスタール/クリスティアン・モルゲンシュテルン/ハリー・ケッスラー伯/ゴットフリート・ケラー/フリードリヒ・パウルゼン/ヤーコプ・ブルクハルト/ハンス・フォン・ビューロー//エルヴィン・ローデ/カール・グスタフ・ユング/アルノルト・ツヴァイク/ジークムント・フロイト/ルー・アンドレーアス=サロメ/ヘルマン・ヘッセ/シュテファン・ゲオルゲ/デートレフ・フォン・リーリエンクローン/ヘルマン・バール/モーリス・バレス/アルトゥール・シュニッツラー/ローベルト・ムージル/カール・クラウス/テーオドール・フォンターネ/ブルーノ・バウアー/カール・オイゲン・デューリング/カール・ヒレブラント/ハインリヒ・フォン・シュタイン/ゲルハルト・ハウプトマン/レーヴェントロ伯爵夫人フランツィスカ/ヨハネス・ブラームス/アルフレート・デーブリン/ルードルフ・シュタイナー/リヒャルト・デーメル/マックス・ハルベ/ゲオルク・ブランデス/グスタフ・マーラー/リヒアルト・シュトラウス/マルティーン・ブーバー/アルベルト・シュヴァイツァー、ほか
Ⅲ 日本におけるこの九十年の研究の展開一 わが国最初の論評と研究書はドイツとほぼ同時代だった
二 姉崎嘲風のドイツ留学が果たした小さくない役割
三 澤木梢のオスカー・エーヴァルト紹介――初の形而上学的主題の発見
四 和辻哲郎の『ニイチェ研究』の着眼の先駆性と叙述方法の限界
五 翻訳の展開――生田長江、金子馬治、登張竹風ほか
六 ヒントに富む内村鑑三の片言と〝ニーチェ小説〟の流行
七 「ニーチェと学問」が問題の核心だと初めて指摘した三木清
八 西谷啓治の神秘主義的アプローチは戦前日本の理解の最高水準を示す
Ⅳ 掌篇
【研究余滴】
人間ニーチェをつかまえる
高校■ギムナジウム■教師としてのニーチェ
手製の海賊版
ニーチェ/ローデ往復書簡集
「星の友情」の出典
「バーゼル大学教会史講座をめぐる応答戯れ歌」由来
裏面史の一こま――ボン大学紛争
【ニーチェと学問】
私にとっての一冊の本――『悲劇の誕生』
フロイトとニーチェの出発点
アポロ像の謎
「古典文献学■フィロロギー■」ということばの使われ方
「教養」批判の背景
【方法的態度】
ニーチェと現代
実験と仮面――ゲーテとの相違
批評の悲劇――ニーチェとワーグナーの一断面
ニーチェのベートーヴェン像
自己欺瞞としてのデカダンス
言葉と存在との出会い
和辻哲郎とニーチェ後記
西尾幹二全集 第一巻 ヨーロッパの個人主義
Ⅰ ヨーロッパ像の転換
序 章 「西洋化」への疑問
第一章 ドイツ風の秩序感覚
第二章 西洋的自我のパラドックス
第三章 廃墟の美
第四章 都市とイタリア人
第五章 庭園空間にみる文化の型
第六章 ミュンヘンの舞台芸術
第七章 ヨーロッパ不平等論
第八章 内なる西洋 外なる西洋
第九章 「留学生」の文明論的位置
第十章 オリンポスの神々
第十一章 ヨーロッパ背理の世界
終章 「西洋化」の宿命
あとがき
Ⅱ ヨーロッパの個人主義
まえがき
第一部 進歩とニヒリズム
< 1>封建道徳ははたして悪か
< 2>平等思想ははたして善か
< 3>日本人にとって「西洋の没落」とはなにか
第二部 個人と社会
< 1>西洋への新しい姿勢
< 2>日本人と西洋人の生き方の接点
< 3>自分自身を見つめるための複眼
< 4>西洋社会における「個人」の位置
< 5>日本社会の慢性的混乱の真因
< 6>西欧個人主義とキリスト教
第三部 自由と秩序
< 1>個人意識と近代国家の理念
< 2>東アジア文明圏のなかの日本
< 3>人は自由という思想に耐えられるか
一九六八年版あとがき
第四部 日本人と自我
< 1>日本人特有の「個」とは
< 2>現代の知性について――二〇〇〇年新版あとがきに代えて
Ⅲ 掌篇
【留学生活から】
フーズムの宿
クリスマスの孤独
ファッシングの仮装舞踏会
ヨーロッパの老人たち
ヨーロッパの時間
ヨーロッパの自然観
教会税と信仰について
ドイツで会ったアジア人
【ドイツの悲劇】
確信をうしなった国
東ドイツで会ったひとびと
【ヨーロッパ放浪】
ヨーロッパを探す日本人
シルス・マリーアを訪れて
ミラノの墓地
イベリア半島
アムステルダムの様式美
マダム・バタフライという象徴
【ドイツ体験回顧】
ドイツ大使館公邸にて後記
西尾幹二全集 第二巻 悲劇人の姿勢
Ⅰ 悲劇人の姿勢
アフォリズムの美学
小林秀雄
福田恆存
ニーチェ
・ニーチェと学問
・ニーチェの言語観
・論争と言語
政治と文学の状況
文学の宿命――現代日本文学にみる終末意識
「死」から見た三島美学
不自由への情熱――三島文学の孤独Ⅱ 続篇
行為する思索――小林秀雄再論
福田恆存(文学全集解説)
福田恆存小論
・その一 現実を動かした強靭な精神、福田恆存氏を悼む
・その二 時代を操れると思う愚かさ
・その三 三十年前の自由論
高井有一さんの福田恆存論
三島由紀夫『宴のあと』
三島由紀夫『裸体と衣裳』
竹山道雄『時流に反して』
むしろ現代日本への批評――竹山道雄『ビルマの竪琴』
竹山道雄氏を悼む
田中美知太郎先生の思い出
Ⅲ 「素心」の思想家・福田恆存の哲学
一 知識人の政治的言動について
二 「和魂」と「洋魂」の戦い
三 ロレンスとキリスト教
四 「生ぬるい保守」の時代
五 エピゴーネンからの離反劇
六 「眞の自由」についてⅣ 『三島由紀夫の死と私』
はじめに
第一章 三島事件の時代背景
第二章 一九七〇年前後の証言から
第三章 芸術と実生活の問題
第四章 私小説的風土克服という流れの中で再考する
あとがきⅤ 憂国忌 没後四十年
三島由紀夫の自決と日本の核武装
憂国忌没後三十八年記念講演より(抜粋)後記