ゲストエッセイ
池田修一郎
ご無沙汰してます。
大震災の傷痕がまだまだ現実の世界の中にありますが、心のどこかでそれを素直に受け入れ切れていないもう一人の自分がいるのではないでしょうか。
夢なら早く覚めてほしい・・・そんななさけない自分が、私の中には間違いなくいます。
私はつくづく弱い人間だと思います。しかし、これまた不思議なことに、そんな自分が恐ろしいほど他人面している時もあります。それはある種自分の図太さなのでしょうが、けして冷静さからくるものではなく、多分被災者ではない現実がまず前提にあり、その枠からいくら飛び出そうとしても、やはり現実に甘える自分だけがそこにいます。被災者ではない私には、今回の災害は、厳密には他人事なんですね。そうした厳しい現実が、 どうやったらもっと自分がこの震災と向き合えるのか、正直なところ戸惑っています。
以前読んだ先生の本に、トータルウォーとパーシャルウォーの違いを今思い出しています。
私はその本を読んだ時、日本が経験した太平洋戦争がいかに凄いものだったかを改めて知りました。そこで今回の災害を多くの人が、戦後に准えて語る方が多いのですが、私には少し疑問が残るのです。
私は戦争未体験者ですから、あの戦争の悲惨さを知りません。いくら映像を見ても、いくら話を聞いても、やはり私には他人事です。実際に私が被害者と言いますか当事者と言いますか、要は関わる何かがあれば少しは痛む自分がいるのでしょうが、そうではない限り、やはり自分には他人事にしかなりません。
つまり、今回の災害を国難とか先の戦争にだぶらせる考えは、私には素直な自分を表す自信が乏しいです。
不謹慎だと言われるかもしれませんが、今回の大災害が太平洋戦争とだぶる話には違和感を感じます。現代人が経験した災害の中では最大級であっても、やはり限定的な部分がある以上は、この度の震災は、パーシャルウォー的扱いにならざるを得ません。
しかし・・・しかしですが、福島第一原発の問題は、それに比例して考えてはいけない大きな問題です。この問題は国民全員が犠牲者です。実は私の女房の実家が福島のいわきにありました。原発の問題はその意味で、私には関連性があります。わけあって女房の家族は今いわきを離れています。親戚が数人いるのですが、運よく今回の災害の犠牲にはならずに生き延びてくれたようです。また福島は仕事でも何度も訪れた場所で、特に相馬あたりは大変お世話になった取引先があり、今回の被災で、どれだけのダメージを得たのか、とても心配です。
福島の浜通りは、これといって観光に適したものは無く、せいぜいハワイアンセンターがあるくらいで、他には何も人を引き付ける材料はありません。ましてやど田舎ですから、本当に淋しい地域です。そんな土地に生まれた女性を私は嫁に選びました。初めて嫁の実家に訪れたとき、私は嫁の母親とかなり長い時間話し込みまして、初対面だというのに、お互い何故か違和感無く話し込めた記憶があります。嫁の母親は、娘(女房)がとても頑固な性格なんで、親もほとほと参ったよ・・・などと語っていました。
父親が13歳で他界した嫁は、父親が入院中も熱心にそろばん塾に通い、そうした日課を怠ることなく毎日真面目に生活していたそうです。そのせいか、嫁は人に弱みを見せない性格が身につき、ある種それが他人行儀に映る時があるようです。けして人には強く当たらず、誰から見ても人優しい印象を与えてくれる嫁の本当の良さを、私は一番理解しているつもりですが、やはり実の母親にはその点は敵わないのでしょう。今もあの時の思い出を克明に覚えています。将来自分はこの家を守らなければならない立場になるのだろう・・・と空想しながら一夜を明かした思い出が、ついこの間のように思えてなりません。
こんなきっかけで、私はいわきが身近になるわけですが、少し気になっていたのが、意外と近くに感じた福島原発の存在でした。相馬に出張の際は、いわきで一泊して出向いたわけですが、その際いやがおうでも目にする福島原発は、私の気持ちの中で、どうか未来永劫この地域の人々に悪さをしないで欲しい・・・と願う気持ちが何度もありました。何故か私にはこの原発が、将来何らかの問題を生むように思えてなりませんでした。
何故なら国道からもかなり近い場所に建てられていますし、東京にも近いですから、この原発がもし問題を起こした時は、東京にも大きな影響を及ぼす可能性はだいぶ高いと思いましたね。
正直いいますと、当時はそばを通る事自体が嫌でした。
原発のムードというのでしょうか、たぶん環境に適さない建物のイメージなんでしょうが、何の知識もない私には、あの原発の威圧感が不快でした。
そして今回その個人的なイメージが皮肉なことに正しいと認められ、原発に携わる方々はどうすることもできない状態です。
いわきの住民は、いわば国民の代名詞です。気質はほぼ国民の中間にあり、生活レベルや環境もけして突飛な部分は無く、彼等の言動はそのまま私たち日本人の心の在り方に繋がるでしょう。つまり私たちは彼等を通じて被災の擬似体験をしているようなものです。
彼等がおそらく一番恐れているものは、風評被害でしょう。
彼等が一番怒っているものは、東電の嘘でしょう。
彼等が一番頼りにしているものは家族でしょう。
彼等が一番涙するものは、まさに今の自分の姿でしょう。
彼等が一番欲しいものは、自分を奮い立たせる勇気でしょう。
彼等が一番憎むものは、己の邪心でしょう。つまり人間という生き物は、いかに自分を中心にしているかということだと思うのです。
自分自身に悩み苦しみ笑い慈しむ生き物、それが人間というものなのでしょう。
その共通項を私たちは持ち合って生きている。そこから信頼というものを育てる「和」が生まれ、人間はそれを管理し、また時には管理される宿命を背負うのでしょう。今まさにそれが試されているのです。原発問題は、日本人が抱えた最大級の宿題です。生きるも死ぬもこれに掛かっています。チャンネル桜で現場を任されていた方(西尾先生の隣にいた方)が言った「東電の人間は現場を覗き見る事すらしない。遠くからモニターを見てチェックするのがせいぜいで、あとはただ現場をスルーするだけだ」
いったい誰があの巨大な物体を、実質的に支えているのか、今回の被災でようやく実態が解明されました。事後処理をみてあまりに幼稚な手法しか残されていないと叫ぶ西尾先生の言葉が、日本人の心を射た思いです。
そうなんです。高度な技術ほど単純なところで落とし穴が待ち構えている。
権威ある医者が患者の盲腸を見落とす・・・と、笑い話に例えられるケースがありますが、まさに今の東電はこの立場です。そして我々国民全員も、立場が逆転していれば、東電の運命を背負う運命だったのかもしれません。和を管理したり和に管理されたり、そのお互いの関係性の中で、何をすべきかが問われています。
汚染レベル「7」が意味するレッテルは、こうした私たち日本人の油断に警鐘を鳴らすもうひとつの側面があり、米国が企む介入を後ろ盾している数字の背後には、米国の思惑の綻びが間違いなくあるはずだし、日本人はそれを見逃すべきではない。大戦後日本はその綻びを見落とししすぎた。その経過の鬱積を今回の津波は洗濯をしに、わざわざ来たのかもしれない。
どんなに垢を落としたくても、身も心も完全に麻痺してしまった日本人には、あの津波という外科治療なくしては、完治する手段が無かったのかもしれません。
公共の電波ではどうしても制限されてしまう日本のマスメディアの実情に、今後どう向き合うかが次の大きな課題でしょう。原発問題とマスメディア問題は底辺でリンクしている重要課題だと、私は認識しています。
池田修一郎