「最悪を想定できない『和』の社会の病理」

 『WiLL』7月号の「脱原発こそ国家永続の道」に先立って同誌6月号に私は「最悪を想定できない『和』の病理」を書いた。(これは違う題名になって掲載されているが、私の本意とする題名は表記の通りである。)

 6月号と7月号の二論文はセットとなって私の今の考えを表現しているので、6月号論文を以下に全文一括掲示する。雑誌で読み落としている方もいると思うので、二論文を併読していただきたい。

原子力安全・保安院の「未必の故意」

日本永久占領 

 震災の起こる直前に、米国務省日本部長のメア氏の沖縄に関する問題発言があった。地震と津波と原発の印象があまりにも強くて、大概の人は忘れてしまったと思うが、沖縄人は「ごまかし」と「ゆすり」が得意という彼のもの言いが侮辱発言だと騒ぎになり、米国政府が平謝りし、メア氏をあっさり更迭したので、もちろん、今さらここで何も取り上げるべきことではない。
 
 ただ、メア氏の発言のなかには「日本は憲法九条を変える必要はない。変えると米軍を必要としなくなり、米国にとってかえってまずい」というもう一つの問題の言葉があった。ここにアメリカの本音が漏れていて、騒ぎが大きくなるのは日本永久占領意志がばれて困るという米当局の思惑からの更迭だろう、と私は推察し、沖縄人侮辱発言のせいでは必ずしもない、と思っていた。
 
 つまりこうだ。日本列島はアメリカ帝国の西太平洋上の国境線であって、いまだに日本に主権はないと考えねばならない。アメリカはここを失えば、かつてイギリスがインドを失った場合のように世界覇権の場からいよいよ滑り落ちる。日本はいわば最後の砦である。
 
 アメリカが必死なのは当然である。ルーピー鳩山以後の日本政府の子供っぽい「反抗」にも我慢して、ぐらつく普天間にも忍耐づよく振る舞っているのは、帝国の襟度を守りたいからであるが、しかし、それが見えている日本人は、だからこそ、真の独立をめざして必死にここを突破しなければ、日本復活のシナリオは生まれてはこないのだと考える。日本の政治が三流に甘んじていてダメなのは、いまだに日本があらゆる点で主権国家であることを放棄して恥じないからに外ならない。そう考えるべきだし、私はそう考えていた──。

福島原発とリビア軍事介入 

 と、ちょうどそのとき、地震と津波が起こった。アメリカは救援に大艦隊を派遣した。「ともだち作戦」とそれを名づけた。
 
アメリカは、苦境に陥っている人や国を救助する能力のある国だということをあらためて証明した。迅速で有効な展開力と行動力は、見事ですらあった。日本人の多くが心強く思い、感謝したのは当然である。さすがアメリカだ、と。私もその一人であることを正直に申し上げる。ここに何もことさらに下心や邪心を読む必要はない。アメリカ人らしい明るさと公正さと善良さに、我々は大きく包まれる思いがした。
 
もちろん、アメリカは日本の原子力開発には他人事ならぬ関心と期待を寄せつづける理由があった。この国は軍事的な核大国であり、核技術の蓄積も日本の比ではないが、スリーマイルの事故以来、原発は後退している。ウェスティング社を日本に託して、産業政策としての原発の未来の可能性はいつに日本のこの分野の進歩にかかっているとさえ見られていた。
 
 原子力発電の新規拡大には国内に反対勢力が強く、オバマ大統領がそれでも原発を目玉政策に掲げざるを得ないのはCO2削減もあるが、原油の値上げもあって、世界各国の動向がいよいよこれから原発の増大にはずみのかかっている折も折だったからだ。アメリカもフランスも、日本の失敗は他人事ではなく気が気でなかった。中東政策にも影を落とさざるを得ない。リビアへの軍事介入は、福島の事故が起こってからそれを横目に見ての出来事だった。
 
 もとより、「ともだち作戦」は地震と津波に襲われ、呆然としたわが国の自然災害の救助に向けられたのであって、福島第一原発の事故対応は直接の目的ではなかった。が、ほぼ時を移さずして、事故はアメリカ政府の最大の関心事となった。クリントン国務長官は冷却法の提供など技術援助を惜しまぬと語ったが、廃炉を恐れた東京電力がこれを断った。アメリカは不信を募らせた。日本政府の政治意志はこの間、ほとんど存在しなかったに等しい。

事実上の無政府状態

 「政治主導」は民主党政権が成立して以来、偉そうに言われてきた言葉であるが、政治家に官僚や企業人を超える知性と現実に対する謙虚さがなければ、逆にマイナスに働いてしまう事柄である。菅政権は知的指導力もなければ謙虚さもなく、いたずらに政治家が采配を振るおうとして、結果的に東京電力の情報に振り回されたり、官僚を使いこなせなかったり、惨憺たる有り様だった。
 
 菅総理には、自分にも分からないものがあるのだという政治家の限界への認識がない。それゆえ、すぐに特別災害救済法を発令するというようなことも思いつかず、他人の力に任せるという度量もない。それでいて、結果的には政治家が自らの力でできることはほとんど何もない。原発事故に関しては、司令塔は東京電力の内にあったに等しく、官房長官は東京電力のスポークスマンにすぎなかった。しかも、失敗すると責任を他人のせいにするのがこの政権の始末の悪い処で、その最悪のケースは低レベル汚染水の海中放出の事件であった。
 
 原子力規制の基となる通称「原子炉等規制法」というのがあり、第十五条にすべての決定は政府の管理下でなされると書かれていて、この法令がすでに発令されていた。第六十四条には「危険時の措置」が示されていて、応急の措置は大臣の命令による裁可に基づくと書かれている。放射能汚染水の海中放出は「危険時の措置」に外ならない。
 
 海江田経産大臣が、東電は何でこんな危ないことをやったのか自分は知らなかった、などと後から責任逃れのようなことを言うのはまったく筋が通らない。韓国政府が日本政府に抗議したのは当然である。外務大臣はあのとき謝罪すべきであって、醜い反論をしたのはさらにおかしい。
 
 菅総理が後から閣内不統一を認めてこれから指導すると弁解したのは、外国に事実上の無政府状態を告白したようなものである。韓国が「日本政府は無能」と追い討ちをかけたのは、残念ながら正鵠を射た罵倒語であった。

日本国家消滅の可能性

 アメリカは、こうしたいきさつをすべて見ているはずである。日本の政治がもう何年も低迷し、「権力の不在」という病理現象を呈していることを知り抜いている。少し前に中国の尖閣揺さぶりがあり、ロシア大統領の北方領土訪問の威嚇があったのも、日本の政治が真空化しかけているしるしだった。民主党政権が自らの危うさに気がつかず、空威張りの政権しがみつきを継続していること自体が、極東のこの地域一帯の政治権力の空洞化の危険な徴候である。

 そういう状態で巨大な災害、地震と津波と原発事故が起こった。これをアメリカが見ればどう見えるだろうか。オバマ大統領はなぜ空母を含む大艦隊を急派し、同盟国としての援助を惜しまぬと大見得を切ったのだろうか。

 「ともだち作戦」は、もちろん友愛と同情のしるしだが、ただそれだけの目的の行動力の展開だろうか。百五十名の核特殊部隊は横田基地に待機している。ほかにも、軍人や軍属は日本の許可なしに出入りし、艦隊の移動も自由であるのは日米安保条約六条に基づく日米地位協定に由る。安保条約は発動され、緊急事態に対処しはじめているのである。

 アメリカから見れば、日本列島もアフガンもイラクも、あるいはかつてのフィリピンもベトナムも南朝鮮も、政権がしっかりしていないこと、単独で危機に対処する能力がないこと、いざとなれば米軍のてこ入れで臨時政府をつくる必要がある地域であることは同じであって、つねに国家漂流の可能性は計算されているはずである。何とも情けない話だが、日本のこの現実を今の日本政府は増幅させている。

 もちろん、そんな可能性は万に一つもないと日米ともに平常時には考えているし、福島第一原発の小休止状態──不安をはらんだままの──である四月半ば過ぎの段階においては、考慮する必要はまだないのかもしれない。しかし、アメリカが日本支援に起ち上がったあの原発事故の初期の時期には、日本という国家の突然の消滅の可能性を想定していたはずだ。そして、原発の今後の動向いかんでは、再び想定せざるを得ない場合もあり得るだろう。

 放射能放出が止まらず、冷却水の循環装置の修復も困難となった場合に、国際社会ははたして黙っているだろうか。日本は原発事故の収拾権をIAEA(国際原子力機関)に奪われ、この点に関するかぎり、国家主権を制限される羽目に陥るのではないだろうか。否、ひょっとすると我々が知らないだけで、すでにそうなっているのかもしれない。 

 『週刊文春』四月二十一日号によると、アメリカ政府は当初から東電本社の対策統合本部の近くに会議室を強引に借り受け、そこから矢継ぎ早に・進言・を下しているという。今やあらゆる原発事故のデータはワシントンへ届き、分析されている。そして、日本政府のさまざまな分野に・助言・がなされているらしい。「おともだち」の単なる支援救援を越え、日本の首相が決断すべき国家の意志決定のプロセスに事実上、介入する事態に立ち至っているようである。

 もし万が一に、四千万人の避難民が西に移動する東日本崩壊という事態になったら、日本は完全な無政府状態に陥るだろう。そのとき頼りになるのはアメリカだと考えるのは、じつはあまりにも安易である。アメリカは政治的に干渉するが、実力部隊は介入すまい。

つねに最悪を考える

 三月十六日頃の原子炉内のメルトダウンと温度急上昇によって、大量の放射能の出ることが予測され、東京が一気に危険圏内になったあのとき、アメリカ軍は八十キロ圏外に逃れ、原発の現場の作業に一人の米兵も参加しなかった。米船舶は西日本に移動し、ヘリは三沢基地に逃れた。現場に急行し、放水して危機を防いだのは周知のとおり、わが消防隊と自衛隊だった。自分の国と国民を守るのは外国人では決してない。そのことを我々は肝に銘じておかなくてはならない。

 アメリカは、日本が国家漂流の状態になることがあり得るという可能性を想定内に入れているからこそ、大部隊を派遣したのである。しかし、日本が国家喪失の状態になった後には実力を振るうが、そうなるまでは日本の混乱を冷淡に突き放して放置するだろう。自国兵の被曝の危険をできるだけ用心深く避けながら、極東の地域一帯の政治権力の喪失状態を何とかして回避したいと今も考えている。

 しかし、日本では政府も民間人もそこまで考えているだろうか。福島原発がコントロールできなくなるような最悪の事態、国家の方向舵喪失のあげくの果ての、政治だけでなく市民生活全般における恐怖のカオスの状態を念頭に置いているだろうか。

 アメリカ政府にあって日本政府にないのは、地球全体を見ている統治者の意識である。アメリカの政治家にあって日本の政治家にないのは、あらゆる条件のなかの最悪の条件を起点にして未来の計画図を立てているか否かである。つねに最悪を考えるのは、軍事的知能と結びついている。

官僚化した日本社会

 歴史書を繙くと、軍事行動に踏み切ることにいちばん慎重なのは軍人であることに気がつくことが多い。政治家とマスコミは戦争を煽る。軍人は臆病なのではなく、最悪の事態、困難な事態を一番よく知っているのである。軍事と政治を直結させないできた日本の政治的知性は不用心で、楽観的で、細心の注意で選択し、行動しないことが多い。

 そのことを典型的に表すのは、大事故に対する日頃の心の用意の質とレベルである。福島原発の事故が人災かどうかは別として、日本の社会の官僚化の欠陥が表面化したのだということは、軍事不在国の関連においてもどうしても言っておかなくてはならない点である。

 四月十日の午前中のテレビ朝日「サンデーフロントライン」の座談会で、原子力安全委員会の元委員長の肩書きの人がぺロッと口を滑らせた重要な発言があった。事故を防ぐために何から何まで想定して防止策を立てることは経費のうえからいってできない、と。

 原子力安全委員は「経費」を考える立場だろうか。これはおかしい、と東京新聞の人がそのとき釘をさしていたのに私も納得した。監視する側の人が監視される側の人と同じ立場に立ち、同じ意識でいる。馴れ合いと仲間意識が関係者同士の批判意識を鈍らせているようである。

 経産省は原子力推進勢力の一つである。その付属機関に、原子力・安全保安院があるのはおかしいのではないか。同じ仲間が、どこまで厳しく安全を守るためのチェック機能を働かせているだろうか。法律に照らして監視さえしておけばいい、事故が起こっても俺たちの責任じゃない、で日々を安易に済ませていないか。

 たとえば、聞くところによると、問題を起こした福島第一原発の一号機はアメリカのGE製、二号機はGEと東芝の共同製であった。電源設備が最初からあまりにもお粗末なつくりであったことで知られていた。ところが、これの点検やチェックは搬入後なされていない。アメリカで合格とされたものに、日本でバックチェックはあり得ないからだそうである。法の遡及は考えられない取り決めだというのである。何という実際性のない硬直した対応だろう。今日のここで起こった大事故の正体は、原子力・安全保安院の「未必の故意」ではないのか。

 東電を監視する側の官庁である経産省の高級官僚、エネルギー庁長官が今年一月、東電の顧問に天下りした人事はまさにアットオドロクタメゴロウであった(ただし、四月十六日に急遽解消された)。民主党政権になって急遽なされた人事で、自民党時代の天下りにはまだあったためらいも迷いもないストレートな決定だった。今回の原発事故からは「人災」の匂いが立ちのぼってくる。

 人間同士が対立的関係で相互監視しないシステムは日本社会の甘さの特徴でもあり、あらゆる案件に人が最悪の事態を想定して対応するという欧米風の習慣を育てない風土でもある。

事故の最大の温床

 今回、事故説明にテレビに登場したソフトな物腰の、安全と無害を国民に触れ回る東大教授の諸先生を、私は週刊誌が言うごとく「御用学者」だとからかうつもりはない。だが、東電の元社長や副社長の誰彼も、前原子力安全委員会委員長も、現委員長も、原子力安全・保安院の誰彼も、東芝、日立などメーカーのお偉いさんもことごとく東大工学部原子力工学科の出身者で、いわば「東大原子力村」、あるいは「東大原子力一家」とも名づけるべき閉鎖的相互無批判集合社会を形成していることが明らかになるにつれ、これ自体が今回の事故の最大の温床であり、誤魔化しと無為無策の土壌であったと私は判定せざるを得ない。たとえば、京大系に名にし負う反原発の俊秀がいることは知られている。私は素人で当分野に無関係の人間だが、ネットで主張を聞くかぎり、理筋の通っている人だ。同じテーブルについて互いに学問的に開かれた討議をし、甲論乙駁することが、国民の幸福と安全のためにもなるのではないかと愚考する次第である。

 ドイツの大学の人事に「同一学内招聘禁止法」(Hausberufungsverbot)という慣習法が存在する。教授資格を得た者は、母校である出身大学に就職することができない。必ず他大学に応募しなければならない。いいかえれば、老教授は自分の愛弟子を後任に選ぶことが禁じられている。それだけでなく、准教授から正教授へ昇格するときも、自分の今まで勤務していた大学でそのまま上位の地位を得るのではなく、必ず他大学に応募し、複数の候補者と論文だけでなく講義の実演を公開して、新たに「挑戦」することが義務づけられている。いうまでもなく、馴れ合いを排し、正当な競争が公正に行われるための条件を守りつづけるシステムとして、こうした慣習が確立しているのである。アメリカの大学はドイツとは相互関係が異なるので必ずしもドイツほど厳格ではないが、ハーバード大学の出身者はハーバード大学の教授にはなれない、などの不文律はあると聞く。

人間社会の暗黙の「和」

 人間社会の暗黙の「和」を信用せず、「競争」の維持を最優先させるシステムといってよい。それはまた、人間相互の悪と不信を前提とする個人主義に立脚している。個人主義は性悪説から成り立っている。原子力安全委員長が電力会社の思惑を公衆の前で平然と代弁するような、検事が弁護士になり替わってしまうような日本社会の生ぬるいいい加減さ、監督官庁の幹部が監督される企業の幹部に無警戒に天下りし、同じ大学の出身者が企業、学界、官界を独占的に牛耳り、肌暖め合ってなにごとでもツーカーと分かり合ってしまうような精神風土が、今度の大事故の背景にあったことに我々は冷静な批判のメスを入れるべきときである。

 現場に対し監督側に立つ企業の幹部や、企業を監督する原子力安全委員や原子力安全・保安院のメンバーには、万が一の事故が起こった場合には何らかの刑事罰が課せられるような法改正がなされてしかるべきではないだろうか。それでなければ、国家の根幹を揺るがすこともある原子力発電の今後の継続など、安易に口にすべきではないように思える。

 原子力の安全神話が間違っているのではなく、安全神話を担いで外からの批判を封じ、ある全体的な雰囲気をつくって仲間意識を拡大し、政治やマスコミを巻きこんでソレイケドンドンとやってきた集合意識が、問題なのである。異論は、共産党や一部左翼の議論であるとして、非理性的に排除されてきた。異論や反論を同じテーブルにつける公明正大なディスカッションの場が、これからいよいよ必要であると思う。

 日本の一般社会の空気も問題である。東京電力のような影響力の大きい企業の人事が、江戸時代の農村メンタリティで決せられていないだろうか。詳しい事情は知らないが、減点法で無難な人が出世し、批判力や指導力よりも社内に敵のいない既成の枠を守る人、創造力よりも気配りのいい保守型の人、こういう人物が出世の階段を昇り易くなっていないだろうか。

 日本は、これからはこの手の人材ではもう発展が望めないと言われて久しいのに、千年一日のごとく「和」のムードを優先させているのが政・官・財・学に共通する日本の人事の実態のように見受ける。

現実の承認と現実の否定

 もとより西欧型、米国型の「個人主義」が、すべてにわたって優位にあるとは必ずしもいえない。ただ、自然科学はそもそも欧米からきた。そこに日本の伝統技術も加算された。原子力発電は日本で進歩が著しいといわれるものの、いざ事故が起こってみると、事故対応の役に立つロボット技術ひとつ用意されていない。バケツで水を撒いたり、汚水の穴にオガクズやおしめの類を入れてみたり、子供のマンガを見させられているような滑稽なシーンがつづいた。

 さらに、昨日の危機は改善されずに今日の危機が目前にあったことも見逃せない。地震から一カ月経った四月十一日午後五時過ぎに大きな余震が起こり、津波の恐れがあったのに再び電源が切れ、建屋内への注水が途絶えた。作業員の手動による応急措置が待たれたが、たまたま津波警報で作業員は現場から離れざるを得ず約五十分、またしても一カ月前と同じ大事故の危機が生じた。

 幸い、東北電力からの電源が回復し、一同ホッとしてことなきを得たが、電源が切れたら第二、第三の予防措置を講じるという、あのとき求められていた強い要望は、あっという間に忘れられていた。津波警報が出て作業員がいなくなる、という「想定外」の出来事がまたまた起こったのである。現場はまたしてもなす術がなかったのだ。

 つねに最悪のことを考え用意する。最悪を見つづけるのは人間として勇気を要するが、それが大切だと私は本論で繰り返し書いてきた。事故に対するも、人間関係、人事や政治においても欧米社会にこの点で一日の長があることは、軍事ということを片時も忘れずにいる社会と、六十五年間これを忘れてしまった社会の差でもある。江戸時代の農村メンタリティに戻ってしまい、学者や経営者たちまでが前近代的に生きているのに、自分は最先端の技術を駆使する超近代人であると思いこんでいる錯覚が問題である。それが、今度の事故で打ちのめされたと言っていい。それはいいことである。この絶望から、この敗北感から再出発せざるを得まい。

 米国務省日本部長メア氏の「日本は憲法九条を変える必要はない。変えると米軍を必要としなくなる」の発言に、私は冒頭で多少とも立腹した。日本の政治がこのまま三流に甘んじていてはダメだと書いた。

 日本よ立ち上がれ、のそのときの気持ちに今も変わりはないが、政治とは学者や企業人の指導力を含む概念であり、政界だけの問題ではない。口惜しくても、米軍を必要とする現実はつづいているのである。日本の再生はこの現実の承認と、さらにその先を見つめたこの現実の否定からようやくはじまるはずである。

「「最悪を想定できない『和』の社会の病理」」への11件のフィードバック

  1. ★今、原発を全て止めても問題無し!★「原子力は安い」の大ウソ!! より:

    ★今、原発を全て止めても問題無し!★「原子力は安い」の大ウソ!

    「原子力は安い」の大ウソ!原発10・68円、 火力9・9円、水力7・26円

    玉川徹レポーターの「そもそも総研」コーナーで、「原子力発電は安いのか」と多くの人が感じている疑問にストレートに切り込んだ。

    電気事業連合会が出している発電コストの比較では、1KW当たり原子力5・3円、火力6・2円、水力11・9円で、原子力が一番安い。これがこれまでの原子力発電推進の基本になっていた。だが、これに異を唱える人は結構いる。まず京大原子炉実験所の小出裕章助教。 原子力の専門家でありながら、原発に反対している。
    六ヶ所村や敦賀に巨額交付金

    小出助教は「原子力エネルギーに夢を託してこの道に入ったが、事実に反することがわかった。なおこの仕事にいるのは、反対する人間が必要だと思うからだ」と話し始めた。そして、電事連の数字を「旧通産省や経済産業省がモデルを作って出したイカサマ計算。原子力は安くない」という。

    立命館大の大島堅一教授は別のコスト計算をしていた。
    「政府の審議会は計算に一定のモデルを使う。発電所建設がいくらか、何十年使うか、燃料はいくらかなどを仮定して計算すると、原子力が一番安いと出ている。私がやったのは仮定ではなく実績をもとにした計算。国民が負担した費用はいくらだったか。それを得られた発電量で割ってみました」

    40年間の実績(有価証券報告書)から割り出したところ、火力9・8円、原子力8・64円、水力7・08円。原子力がいちばん安くはない。

    大島教授はさらに、国民負担という点から「税金負担分」をこれに加えた。税金は原発に多く使われているので、「原子力は(ほかの発電より税投入が)2円くらい高くなる」

    結果は、原子力10・68円、 火力9・9円、水力7・26円 で、一番高いのは原子力発電だ。大島教授は「再処理をいれると高コスト事業なんです。国民の合意が得られるかどうかは微妙だ」という。

    原発に注ぎ込まれている税金とは何か。電源開発促進税というもので、1KWにつき37・5銭。東京電力管内の一般家庭で毎月約108円が上乗せ徴収されているという。その税金が何に使われたかというと、たとえば「青森・六ヶ所村の文化交流プラザ」の総事業費約32億8000万円の交付金として31億9000万円。「福井・敦賀市のきらめき温泉リラポート」の総事業費約35億9000万円の交付金24億3000万円といった具合だ。

    赤江珠緒キャスター「原発事故があって、その補償などにお金がかかるから高いといわれていますど、そうじゃなくて、そもそもはじめから高かったということですよね」
    大震災以降も資料出さない政府・経産省

    なぜこんなに食い違うのか。衆院議員の河野太郎氏に聞いた。
    「経産省にバックデータ出せというと、黒塗りになっているものを出してくる。これは何だというと、電力会社の企業秘密なので出せませんという。東日本大震災のあった3月11日(2011年)以後にも請求したが出せないという。都合が悪い数字なんでしょうね、経産省、電力会社、これまで原発を進めてきた利権団体から見て。でなければ堂々とメリットがあると出してくるでしょう。原発をすすめるために、安いですよ、CO2は出しません、でやってきた。
    国会の仕事でもあり、歴代経産大臣は資料を見ることができるから、何をしていたのかともなる。封じてきたのは自民党。民主党もあまり追及しなかった」

    玉川「メディアの責任もある。ただ信じてきたんだから」

    松尾貴史(タレント)「海江田さんが出せといったら出るものでしょう」

    玉川「もちろんです。検証した結果、原子力が安ければそれでいい」

    司会の羽鳥慎一「いかに関心を払ってこなかったか」

    まあ、これだけの事故を起こしたコストも含めて、計算結果を見たいものだ。

    http://www.j-cast.com/tv/2011/05/12095316.html?p=all
    ——————————————————-

    この記事には書かれて無いが、原発で使用した”使用済み核燃料”の処分費用を加えると、原発のコストは更に高くなる。
    言うまでも無いが、使用済み核燃料は”数万年単位”で管理保存しなければならない。
    そのコストたるや、天文学的数値になる筈である。

    そして、
    仮に今、原発を全部止めても電気が来なくなるなんて事は有り得ない。
    以下、その根拠とするソース。

    ◆電気事業連合会のHPを見て下さい。
    http://www.fepc.or.jp/present/jigyou/japan/index.html
    グラフを見てわかるように、2005年をピークに、電力需要は減り続けています。
    それを根拠のない需要予測をくっつけて無理矢理に右肩上がりにしているのがわかります。
    現実はどうかというと、家電は省エネが進み、人口も減少、経済も落ち込み、おまけに民主党の売国政策の甲斐あって、今後は電力需要は下降線をたどると考えられます。
    困った電力会社が必死に電気を使わせようとオール電化とかやってるのが現状です。
    『原発がなければ電力が足りなくなる』 というのは電力マフィアが作り出した神話に過ぎないのだと、皆さん気がついて下さい。
    需要なんかどうだって良くて、やつらは原発を作りたいんです。儲かるんです原発は。
    火力発電は石油だと思ってる人が多いと思いますが、実は石油より安くて2割くらいクリーンで、埋蔵量も豊富
    な天然ガスにシフトしています。
    今後は石炭の4割クリーンな天然ガスに切り替えるだけで、大気汚染は大幅に減らせるので、今後15年ぐらいゆっくり時間をかけて次世代エネルギーを研究すれば良いのです。
    2003年は、東電の原発17基が全てが止まったにも関わらず、計画停電は行われていません。
    http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/nuclearpower/japan/040620_01.html
    『計画停電』は、電気が無くなったときの怖さを国民に植え付けたいがためのデモンストレーションだったと思います。怒れ国民!!!

    ◆2003年の中国新聞 原発17基全て停止でも計画停電なし
    http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/nuclearpower/japan/040620_01.html
    ◆【ネットEYE】新もりもりの「今」を読むブログ
    http://morimori5555.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/200317httpwwwta.html
    ◆国会議員 河野太郎のブログ 無計画停電は必要ない
    http://www.taro.org/2011/03/post-969.php

    東電また“情報操作” 「電力不足キャンペーン」にモノ申す
    2011年5月12日
    http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2011051202000064.html

     中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の停止決定を機に、またぞろ「電力不足キャンペーン」が始まった。中
    電による電力融通の打ち切りが理由のようだが、「こちら特報部」の調べでは、被災した東京電力広野火力発電所(福島県広野町)が七月中旬にも全面復旧する。そうなれば真夏のピーク時も電力は不足しない。国民を欺くような“情報操作”の裏には、なおも原発に固執する政府や電力会社の姿勢が垣間見える。 (佐藤圭)

    ★>2005年をピークに、電力需要は減り続けています。
    ★>現実はどうかというと、家電は省エネが進み、人口も減少、経済も落ち込み、おまけに民主党の売国政策の甲斐 あって、今後は電力需要は下降線をたどる

    ★>火力発電は石油だと思ってる人が多いと思いますが、実は石油より安くて2割くらいクリーンで、埋蔵量も豊富な天然ガスにシフト
    ★>今後は石炭の4割クリーンな天然ガスに切り替えるだけで、大気汚染は大幅に減らせる

    ★>被災した東京電力広野火力発電所(福島県広野町)が七月中旬にも全面復旧する。そうなれば真夏のピーク時も電力は不足しない

    この様に、今、原発を全て止めても何ら問題は無い。

    つまり、原発なんか作る必要も無い。

    ———————
    毎日新聞「原発は不要。火力発電で代替できる」
    1 (catv?) 2011/03/21(月) 07:14:25.34 ID:+tVqoA+P0●

    ■東電が再開を予定している主な火力発電所■

     ◇被災後、既に運転再開
    大井   2基 東京都品川区  70万キロワット
    千葉   1基 千葉市      36万キロワット
    横浜   1基 横浜市      35万キロワット

     ◇4月末までに運転再開見込み
    東扇島  1基 川崎市       100万キロワット
    五井    1基 千葉県市原市  26.5万キロワット
    袖ケ浦  1基 千葉県袖ケ浦市  60万キロワット
    鹿島    4基 茨城県神栖市   320万キロワット

     ◇5月以降に運転再開見込み
    広野    2基 福島県広野町  160万キロワット
    常陸那珂 1基 茨城県東海村  100万キロワット

    http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110321ddm012040045000c.html
    ↑の合計は907万キロワット
    これだけあれば、福島第1、第2原発の計10基(909・6万キロワット)を完全に補うことができる つまり原発は不要
    http://hogehogesokuhou.ldblog.jp/archives/51685152.html

    原子力発電は廃止の方向へ
    工業生産を含めた日本の将来を考えた時に、原子力発電への出費は既存施設
    の安全確保、老朽施設の安全な停止及び廃炉目的に絞り、新規の出費はメタン
    ハイドレートを燃料とした発電やゴミ発電等の次世代火力発電に方向転換する
    必要があります。その為に電力供給を民間任せにせず、国の事業として発電の
    今後を考える必要があります。

    元米国副大統領のアル・ゴア氏は、メタンハイドレートが地球を破壊する危険な 存在と警告しています。大嘘を発信し続けているゴア氏が危険と騒ぐ事実から
    原子力に替わる最も有望な発電用資源である事を証明しています。
    ※メタンハイドレートは石炭や重油と違い99.9%以上純粋なメタンなので、環境へ の負荷も少ないと言われるガスタービン発電に適していると考えられます。

    発電用ガスタービンの燃料は灯油、軽油、A重油、天然ガス、LPガスが使用でき ますので、メタンハイドレートが実用化される迄は既存の燃料で稼働が可能です 。

    日本近海の埋蔵量は諸説ありますが、100年分以上は有ると言われています
    ので 、その間に現時点では考えられない技術革新が進む事でしょう。
    ※現実に今夏の電力不足に備えて東電はガスタービン発電の新設を決定してい
    ます。原発増設だけが安定した電力供給の唯一の選択肢と盛んにPRしてきたの
    は、真っ赤な嘘であった事が今回明らかになりました。
    http://www.wao.or.jp/maruyo68/runru/hanasi/metan/metan.htm
    ———————
    ★>今夏の電力不足に備えて東電はガスタービン発電の新設を決定してい
    ます。原発増設だけが安定した電力供給の唯一の選択肢と盛んにPRしてきたの
    は、真っ赤な嘘であった事が今回明らかになりました。

    【日本は、原子力発電の燃料であるウランを100%輸入に頼っており、しかもその最大の輸入元(総輸入量の33%を占める)は、捕鯨問題で日本と 真っ向から対立しているあのオーストラリアである!

    燃料の自給率ゼロで100%輸入に頼っている原子力が、いったいどうして「貴重な電力」に成り得るのか?

    しかも、このオーストラリアが「もし日本が調査捕鯨を止めなければ、ウランを輸出しない」と言い出したらいったいどうするのか?さらには、輸入元第二位のカナダ(27%)も反捕鯨国であり(オーストラリアとカナダで、実に全ウラン輸入の60%を占めている) 、オーストラリアに同調して共に「対日ウラン禁輸」に踏み切る可能性は充分にある。

    日本がいつまでも電力を原発に頼っていたら、それこそ「現代のABCD包囲網」になりかねず、原子力は「貴重な電力」どころか「電力亡国」にすら なりかねない!

    ②実に50余基もの原子炉を、日本列島全土にほぼ満遍なく配置して稼動させている日本の原発は、国防上の観点から観ても危険極まりない!

    もし、北朝鮮が日本列島全土を射程に収めているノドンでこの原子炉をミサイル攻撃すれば、簡単に「チェルノブイリ」状態を引き起こすことができ る。むろん、通常弾頭のミサイルで事足り、核弾頭など全く必要ないのだが、これを防ぐことは不可能である。

    「国防安全保障上の観点からも、極めて重要な資源」どころか、日本を破滅させかねない危険極まる「国防安全保障」上の一大欠陥こそが、日本の原発 なのである!

    原発には、地震と津波という日本列島特有の「巨大自然災害」が襲い掛かってくる。それだけではなく、外敵からのミサイル攻撃という「軍事攻撃」も襲い掛 かってくるのであり、そんな視点も持てないようではとても「国防安全保障」など論じる資格はない!】
     ↑
    http://www.shukenkaifuku.com/info/main.cgi?mode=thr&no=261から抜粋。

    ★>日本は、原子力発電の燃料であるウランを100%輸入に頼っており、しかもその最大の輸入元(総輸入量の33%を占める)は、捕鯨問題で日本と 真っ向から対立しているあのオーストラリア

    【日本のウラン輸入元のひとつオーストラリアのウラン鉱山がやばいことになってる件
    1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2011/04/23(土) 00:48:03.38 ID:nGFQhY2f0 ?2BP(1072)

    世界最大級オーストラリアウラン鉱山がシャットダウン 放射能高汚染水の漏出に打つ手なし

     世界のウランの10%を供給する世界最大級のウラン生産企業であるエナジー・リソーシズ・オブ・オーストラリア(Energy Resources of Australia)社のウラン生産拠点、
    ノーザンテリトリー(北部準州)のレンジャー鉱山が”シャットダウン”に追い込まれている。地域を襲った記録的大雨で鉱滓堆積ダムの放射能汚染水が、
    これを取り巻くアボリジニー居住地や世界遺産に登録されているカカドゥ国立公園の湿地に溢れ出す恐れが出てきたからだ。

     州都・ダーウィンから230キロ南東の鉱山には、100億リットルの高濃度汚染水が閉じ込められている。会社は、カカドゥ地域にあと100ミリの雨が降れば、
    ほとんど溢れんばかりになっている水をピット3として知られる操業中の露天掘り鉱山に汲み出すことを余儀なくされる。そして、雨期はまだ3週間続く。

     水を汲み出す場所としてはピット3があるだけで、ここにははすでに36億リットルの水が溜まってる。重金属と放射性物質を含む水を汲み出さねばならないとすると、すべての高濃度汚染水を処理せねばならない。
    しかし、消息筋によると、処理施設は、既存の水管理問題を解決する能力も持たない。この30年、毎日10万リットルの汚染水がカカドゥ地下の割れ目に漏れ出してきた。
    昨年完了した18ヵ月の調査は、水がどこへ行ったかも、将来、環境を損傷するかどうかも確定できなかったということだ。

     ハイグレードの鉱石の採掘の再開は、数ヵ月、おそらく何年か先になるという。

     Radioactive threat looms in Kakadu,smh,4.16
     http://www.smh.com.au/environment/radioactive-threat-looms-in-kakadu-20110415-1dhvw.html】
     ↑
    http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1303487283/l50

    「電力不足キャンペーン」について
    http://www.youtube.com/watch?v=NgUdcItsg8Y

  2. 西尾先生は『WiLL』7月号の「脱原発こそ国家永続の道」のなかで、「

    そもそも日本の原子力発電所は最初からどんな事故も「想定」していなかっ

    たのではないかとむしろ考えている」(P46、上段)と原発推進における

    監視体制の根本的不備への指摘からはじまり、戦争が「想定外」の自衛隊、

    敵を想定していない憲法九条と、体制批判から戦後批判へと歴史を遡るわけですが、わが国の歴史が内包するそもそもの根本問題として突き当たったのが、『WiLL』6月号の「最悪を想定できない『和』の社会の病理」だと思います。
    つまり国民にとって漠然としていてそれでいて揺るがない「和」というある種絶対的な価値観に先生はメスを向けたわけです。7月号の論文では、被災地にあるはずの遺体がテレビに映らないことへの違和感をまず述べてますが、こうしたメディアの体質も「和」を重んじる日本人らしい配慮、自己規制の表現と見ることもできるとおもいます。
    問題はその日本人にとって美徳であり歴史上ずっと大切にしてきたものが、いま弱点として浮き上がり大きく揺らいでいる、そのことにあるのだと思います。「『和』の社会」という言葉をあげての批判はここ数年のものだと思いますが、二元論の一方からしか見ることができない日本人の弱点への批判は『ヨーロッパの個人主義』からずっと一貫したものであり、逆にいえば、今ほど先生の論旨がよく理解できる社会状況もないわけで、このタイミングに西尾先生の全集が9月に刊行されるというのは、図らずも時代の要請なのかもしれません。

  3. 『ヨーロッパの個人主義』を初めて読んだとき、こんな人もいるのだという新鮮な驚きと喜びを得たことが当時の私にとって唯一の光明でした。現代の日本人の課題が、整理された言葉ですっと自分の懐疑に輪郭を与えてくれました。それからずっと先生の著作を拝読させていただいています。
    中国人がいずれの時代にもその政府の言うことを根本的には信じていないように、少なくとも自分についていえば、歴史教科書の自虐的な表現を見ても、高校生でしたが、そんなことはないだろうと、むしろ反発していたものです。嘘やプロパガンダは人間、本能的にわかるものです。この邪悪なものはなんなのか?それは他国の悪意に違いありません。そしてそれだけでは無く、それに正面から立ち向かえない、日本人のメンタリティーにもおおいに問題があるといわなければなりません。
    原発の問題も二十年以上もまえから広瀬隆氏等が告発していたように、それはエネルギー問題ではなく、営利行動にすぎないのです。悪質商法そのものです。IAEAが監視しているのは、電力会社ではなくまさに我々の社会そのものなのです。オウムや民主党が国内国家なら、かれらは超国家的な陰謀集団たるものなのでしょう。
    神を失い、よるべ無き金の亡者たち。われわれは真の人間的価値を持って世界を再生しなければなりますまい。

  4. 韓国の全斗煥大統領は、韓国が日本の支配を受けてしまったのは、韓国にも責任があるわけだから、反日と言って日本を非難するのではなく、日本を克服して、自信を取り戻さなければならないとして、反日でも親日でもなく“克日”をスローガンに掲げたけれど、日本も米国に対しては、同様に克服して精神的に立ち直るべきじゃないか、「最悪を想定できない『和』の社会の病理」を拝読して、ちょっとそんなことを考えてしまいました。私は、86年頃に韓国語を学び始めて、“克日”というスローガンを知ったけれど、当時、「日本も米国を克服すべきじゃないか」なんてことは、全く考えませんでした。「日本は未だに米国の占領下にあるかもしれない」といった意識は殆どなかったようです。精神的に“対米従属”は当たり前のようになっていたかもしれません。韓国は有史以来、侵略され続けてきたから、こういった問題に対して、日本より遥かに敏感であり、反日や反米を常に意識する中で、“克日”という言葉も生まれたのではないでしょうか。仰るように、現実を見れば、日本も反米など出来ません。まずは“克米”から始めなければならないような気がしました。

  5. 西尾先生 お疲れ様。 お邪魔します。

    問題の本質の一つ:

    原発問題の本質は、西洋の近代科学、近代思想と日本文化との相性の
    問題であろう。
    つまり、日本文化は近代科学を使いこなし、管理出来るかということだ。

    ちゃんとやっていれば、ここまで大きくならなかった。人災だ云々。
    といった後解説がなされている。

    的外れだ。
    このような人的問題も含めて、つまりちゃんとやれないということの
    本質を問うべきである。(個人の問題に安直に還元してはいけない)

    この問題は既に他の分野で問われている。
    西尾先生のブログに来るような人にとっては常識であろう。

    つまり、臓器移植の問題だ。安楽死も含まれる。

    近代科学の果実だけはちゃっかりと頂くが、それに伴う、責任、問題を
    きちんと受け止めないところがある。
    よって、人間系の管理、その他が出来ていない。

    このような姿勢だから、何かがあると、正反対に振り子が振れる。
    この、180度変わるという事例は、我々は既に敗戦後の日本に見ている。

    それは、国民全体の問題とせず、軍部が悪い、戦争が悪いと矮小化してしまったことだ。
    (この点について、司馬さんにも少なからず責任がある)

    そして、今、東電、官僚を悪者にしてマスコミを挙げて叩いている。
    しかし、やはり、国民全体の問題と捉えるべきである。
    (彼らだけに責任があるわけでも、悪いわけでもあるまい)

    ところで、今回の事故において、かなり多くのデータ情報を得ることが出来た。
    (これについては、真面目に解析する必要がある。
     そして、民主党やアメリカが邪魔をする可能性がある。理由はお分かりだと思う。
     結果的に人体実験となった部分もある。(これが仕組まれたという説もある))

    それらを今後に生かすことも選択肢にいれるべきだと考える。
    すぐに脱原発というのは、短絡的すぎる。

    小生は、日本人には、これらの困難(相性が合わないこと)を乗り越える
    潜在力があると考える。

  6. 『WiLL』7月号「脱原発は国家永続の道」
    せっかく購読したので(眩暈に耐えながら3回ほど読み返しました)、感想を一つだけ。

    「人間が愚かで卑劣になったのは戦後である」
    と書かれておりますが、本当に真面目に心底そのようにお考えなのでしょうか。

    私的には、戦前も戦後も日本人の弱点/欠陥は変わっていない、本件/原発のそれは旧日本軍のそれとソックリに見えるのですが。他には、西南戦争の西郷側の呑気さ、良い事しか考えてなかったこと、もどこかで読みましたが、似ていませんか?
    「何故こうなるのか」についても、日本への社会学的考察から(簡潔に云うと)「日本には規範が存在したことがない(からそうなりがち)」、という有力な見解がでていると思いますがね。よって、その観点からは日本の弱点、規範が存在しないこと(日本にあるのは人間関係だけ)、を日本人(少なくとも指導層)は常に強く自覚することが肝要じゃないかと。

    まさか西尾氏も原発推進派/反対派と同じ思考、結論(=なんでもかんでも戦後が悪い)が先にある、の持ち主になってしまったのでしょうかねぇ。

  7. 日本に規範はあったと思います。その精神は台湾にも移殖され、日本精神として今も台湾人に語りつがれています。それは西欧的近代のその自我意識とは微妙に違ったとしても、日本人の長所がそれなりに発揮された独自の近代だったに違いありません。神なき近代。日本人は奇跡的に天皇を代替の神とし、近代をつくりあげたのです。だから西欧とは必然的に衝突する運命にあったのです。和魂洋才はしかしその手段が西洋近代の借り物であるがゆえに、彼らの敵ではなかったのです。和魂和才で対抗できなかったのが日本の悲劇でした。そして今もそれが続いているということでしょう。日本人の自我の問題は永遠の我々自身の課題です。国際社会(西欧)は今やその神をも失くし、信じるものは金だけというわけです。社会主義というグローバリズムが終焉し、今また資本主義のグローバリズムにも翳りが見えています。イデオロギーという言葉さえもが古びて、まさに文明史的な転換点にきているようにしか思えません。

  8. >日本に規範はあったと思います。

    過去形ですね、では少なくとも現在は「規範が無い」とお考えなのですね。

    さて、規範とは片言隻語遵守しなければならない、例外は許されないもので、その「絶対性」が肝だと理解しております。
    翻って日本では「話し合い(≒人間関係)さえつけば、ほかのことはどうでもよいのであって、いわば無原則=無規範」、つまり原則は「話し合い(≒人間関係)」なのだから人間関係の下では真実や真理も曲がってしまいがちではないでしょうかね。事実を事実と言えない場合が欧米と比べて多いのはそのためかと(もちろん特亜よりは圧倒的に少ないですがね)。
    もし「話し合い」より上位にある「絶対的規範」が日本に存在した/する例をご存知でしたら是非ご教示ください。

    ちなみに欧米では規範はとても身近にあり、例えば事後変更の効かない「契約」にその「絶対性」を見ることができます。一方、日本の「それ」は問題が起きた時に改めて話し合う(=結果はどうとでもなる)という「紛い物」としか思えない、一事が万事ですねぇ。

    規範の有無による社会の優劣は分かりませんが、「人間関係の過剰な尊重」が、事実を明らかにすることや最悪の想定や失敗の反省を的確に行うことの障害になるという日本の「社会的欠陥」が「国民の共通理解」となる必要があると思いますがね。

  9. 『ヨーロッパの個人主義』を初めて読んだとき、こんな人もいるのだという新鮮な驚きと喜びを得たことが当時の私にとって唯一の光明でした。現代の日本人の課題が、整理された言葉ですっと自分の懐疑に輪郭を与えてくれました。それからずっと先生の著作を拝読させていただいています。
    中国人がいずれの時代にもその政府の言うことを根本的には信じていないように、少なくとも自分についていえば、歴史教科書の自虐的な表現を見ても、高校生でしたが、そんなことはないだろうと、むしろ反発していたものです。嘘やプロパガンダは人間、本能的にわかるものです。この邪悪なものはなんなのか?それは他国の悪意に違いありません。そしてそれだけでは無く、それに正面から立ち向かえない、日本人のメンタリティーにもおおいに問題があるといわなければなりません。
    原発の問題も二十年以上もまえから広瀬隆氏等が告発していたように、それはエネルギー問題ではなく、営利行動にすぎないのです。悪質商法そのものです。IAEAが監視しているのは、電力会社ではなくまさに我々の社会そのものなのです。オウムや民主党が国内国家なら、かれらは超国家的な陰謀集団たるものなのでしょう。
    神を失い、よるべ無き金の亡者たち。われわれは真の人間的価値を持って世界を再生しなければなりますまい。

  10.  6月号と7月号の二論文はセットとなって私の今の考えを表現しているので、6月号論文を以下に全文一括掲示する。雑誌で読み落としている方もいると思うので、二論文を併読していただきたい。?

  11. >星野様
    本業に戻られるとのこと、さみしくなりますね。

    またいつか、お時間が取れましたら、日録エントリーに関するご意見、ご感想お待ちしています。

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