「脱原発こそ国家永続の道」について(二)

 月刊言論誌の月が替わった。私は立てつづけに脱原発論を二本書いた。

 「平和主義ではない脱原発」『WiLL』8月号(6月26日発売)
 「さらば原発――原子力の『平和利用』の誤り」『正論』原発テーマの臨時増刊号(7月5日発売)

 今回は題名を次のようにもっとはっきりさせた方がよかったかもしれない。はっきりさせるなら「日本の核武装を妨げている原発」となる。そういう論旨で書いている。

 私は徹底して事実に即して語っている。空想は語っていない。日本の核武装、少くとも日本の国防の合理的強化を妨げているのは原発の存在である。このことを論証している。

 言論界は左も右も、すなわち平和主義的脱原発論も、国家主義的原発擁護論も、みな現実に即してではなく、情緒でものを言っている。日本の原発の置かれてきた国際情勢を見ていない。

 この期に及んで平和主義や国家主義に心がとらわれているようではダメであると私は言いたい。

 当「日録」では先月同様に、これから『WiLL』の7月号論文「脱原発こそ国家永続の道」を分載する。まだ読んでいない方もいるかもしれないし、すでに読んだ方はもう一度読んでいたゞきたい。

 ただし、コメントはすでに今売り出されている8月号の『WiLL』「平和主義ではない脱原発」を踏まえて、むしろこの方に力点を置いて書いていたゞけるとありがたい。これは当然議論を喚起している論文だからである。

「「脱原発こそ国家永続の道」について(二)」への5件のフィードバック

  1. >私は徹底して事実に即して語っている。
    >コメントはすでに今売り出されている8月号の『WiLL』「平和主義ではない脱原発」を踏まえて、むしろこの方に力点を置いて書いていたゞけるとありがたい。

    『WiLL』8月号84-85頁、中野剛志氏の論説「安全保障を欠いた脱原発論の欺瞞」が素晴らしい(内容はココには書けませんが)。

    対して同雑誌の西尾氏の論説(全14頁)は、イデオロギーや核保有を絡めながら、「脱原発」という結論を導くための証拠探し(事実と事実らしいことの恣意的な取捨選択)に終始している、ようにしか見えない。読むほどに悲しくなりますなぁ。

  2. 体調不良のため短文で失礼します。
    「平和主義ではない脱原発」。私も九条改正論者であり、脱原発論者ではあります。ただ双方の論を関連付ける必然性はあまり感じていません。
    再軍備は必要ですが、核武装に行くまでには、為すべき事は沢山あると考える者です。しかし、国際情勢の如何によっては核武装の可能性を完全排除する者でもありません。まあ私自身が総理か外相に成って外交をしてみなければ解らんというところです。(笑)
    脱原発の理由は、原発という存在のいうならば倫理的瑕疵、原発という存在に対する疑義にあります。その根拠は未だ人類の管理能力、管理責任を超える放射性廃棄物の発生です。エネルギーの安定供給とは巷間言われますが、
    そもそも地上で人類の欲するだけのエネルギーが手に入るとは傲慢であり妄想ではないでしょうか。

  3. ☆防衛の観点から
     自国民による自国防衛が基本であり、最初からアメリカに組み込まれた安全保障に私は疑問を感じているものです。 自国民の手で自国を守ることを基本にして真に独立した日本になれば、アメリカとの同盟も成り立つと思いますが、現状は植民地です。これを情けないと思う国民がどれだけいるのか・・・
     そういう観点から原子力、核を考える場合、原子力発電で産出されたプルトニュームは莫大な量になっており、処分の目処が全く立っていない現状です。私は素人ですが、日本のロケット技術とこの核廃棄物を組み合わせると核弾頭になるんじゃないですか?
     表向きプルトニュームの処分方法として核弾頭に使えるカプセルに原発で産まれたプルトニュームを埋めて核カプセル生産すればいいんじゃないかと単純に思います。また、種子島から打ち上げられるH2○○ロケットの先端にこのカプセルが積めるように検討し密かにミサイルを生産しておくといいと思います。日本各地にミサイルの分解したもの、核カプセルを分散配備し、イザという時に組立て打ち上げられるように用意すればいいと思います。

     原発の議論に戻りますが、原発はほどほどにしておかないと守るべき日本国民を被災させる悪循環に陥ります。 使用済み核燃料は大きなロケットで太陽に打ち上げる処分方法が一番いいと思いますが、莫大な費用が掛かるので現実的ではないですね。この火の玉は人間の手で処分することが不可能であり、現実脱原発に向かうしかありません。
     代替エネルギーとしては、日本で採れる石炭など化石燃料がいいと思います。武田教授もCO2による地球温暖化が本当に問題なのか、甚だ疑問です。日本は、日本領域で採掘できる石炭かメタンハイドレート、天然ガスにエネルギーを求めることが一番利口な選択だと私は考えます。
     アメリカによるドルと石油で世界を支配する形から日本は脱却すべきです。

     脱原発、脱アメリカで、日本独立し中国、朝鮮、ロシアに立ち向かう日本を目指しましょう!!

  4. by タケ — 2011/6/28 火曜日 @ 16:33:05 について

    管理人として発言します。

    このコメントは、単なる罵倒語なので、このような文面は今後は掲示しない方針とします。批評はあってもいいのですが、批評には丁寧な論拠が必要であり、他人の論文の題名だけあげて、それを論拠に否定語を並べるコメント1(byタケさん)はルール違反と見なします。

  5. 学生時代から40数年、氏の著作を熟読して来た身として、半ば「釈迦に説法」するつもりで、西尾氏の「脱原発」論いくつかの疑問点と違和感を述べたい。

    8月号で、西尾さんは日本の原発事業ががんじがらめの国際的な規制を受け、それが核武装を軸とする日本の軍事力の強化を妨げ、国家の独立自尊を妨げていると指摘しています。その事情はよく理解できます。

    だが、「脱原発」しなければ、核武装も独立もできないという論旨の展開は腑に落ちない。なぜ「原発も保有し、核武装も行う」であってはならないのか。
    原発への理不尽な規制に「ノー」と言えないようで、核武装を断行できるでしょうか。日本の核武装に対しては原発事業をはるかに上回る阻止行動、圧迫、脅迫が米欧ロ中の各国によって行われるはずです。

    中国もインドも、「原発も核兵器も風力発電も、自国に必要なものは何でも持つ。外国の内政干渉は許さない」という姿勢を貫いてきました。その結果、米欧ロの脅しに屈することなく核武装を実現、核保有国として一目置かれる「名誉ある地位」を築いています。

    核先進国による脅迫、圧迫は「国際核クラブ」入会への厳しい免許試験なのです。

    独立自尊の道を貫くとは各国の規制、干渉、急迫に屈することなく、国益にかなうことは何でも追求することではないですか。時に妥協したり、協力したり同盟条約を結びながらも、目標は一貫して自らの防衛・安全保障力を高めることにあります。

    日本は日清・日露の戦争を戦い抜いたからこそ、関税自主権を確立し、不平等条約を解消することができた。核武装ができる国力と外交力を持てば、ウラン燃料などに関する不当な要求や、がんじがらめの規制も脱却できるはずです。

    今、日本では新規の原発建設が極めて困難になり、既存の原発もすぐにも停止しなければならない雲行きです。それは日本の電力不足を深刻化させ、火力発電への傾斜によって電力コストを著しく引き上げ、日本の製造業の海外移転を加速し、生産空洞化→失業者の増加を招く危険性を高めます。

    だから、軽々に「脱原発」を唱えるべきではないというのですが、転んでもただでは起きないというのが国益重視の外交です。現状をウラン供給国への交渉材料に多いに活用すべきでしょう。
    「原発停止で日本はもはやウランなど買うどころではない」とウラン供給国にいえば、相手は「規制条件を緩和するから、今後も買ってくれ」というはずです。輸出力のない国ほどそうするはずだ。そこを利用するのが外交です。

    7月号で西尾さんは「地震列島・日本では原発は不向き」というテーマを展開していますが、私は「地震列島でも技術開発次第、やりようだ」と思っています。

    福島原発では非常用電源の装備、配置が悪かったのであり、それさえ改善すれば原発の安全性は高まる。

    福島以外の原発では、過去の地震による事故は軽微でした。1000年に一度といわれる巨大な東日本大震災に見舞われた福島原発でも、多くの避難民を出しながらも放射線障害による死者は一人も出ていません。東海地震が発生しても福島原発の事故に学んで非常用電源の整備などを進めれば被害を福島以下に抑えられる可能性は高いでしょう。

    原発は現在の軽水炉方式だけでなく、事故が起こったときに放射性物質が飛び散らない「地下式原発」など色々な方式も考えられています。その技術の可能性を簡単に捨てるべきではありません。原子力潜水艦の原子力とは小型原発です。その研究、実用化ができないようでは核兵器を搭載した原潜を日本海やオホーツク海に遊弋させることなどできはしません。

    もう1つ、西尾さんは原発事故が発生すると、狭い日本から国民が避難しなければならないほど広範囲に、かつ半永久的に国土が汚染され、だれも住めなくなるといったイメージを持っているようだが、それほど原発事故は恐ろしいものなのでしょうか。

    広島や長崎の例を見れば、たとえ核爆発が起こっても、今ではほとんど問題はなく、人が住んでいます。チェルノブイリでも、今では美しい自然が広がり、放射線被害も国連の調査では将来の死亡の可能性を含めて4000人の規模にとどまっています(もっとも死者は100万人近いという調査もあり、結論は出ていないが)。

    百歩譲って、福島原発周辺を永久に無人地帯にしなければならないほど汚染がひどいのならば、原発周辺半径20-30キロメートルを無人地帯にして、そこを核実験の場所にするという方法もあります。

    西尾さんは伊藤貫氏が提唱する「インドからハード(核兵器)を買い入れる」形での核武装を考えているようだが、インドに急所をつかまれたままでの核武装では自立したとはいえない危うさが伴う。独自の核を保有するには自ら核実験できる場所を用意しなければなりません。

    ついでに言えば、その永久無人地帯に1000メートルを超える深い穴を掘れば原発の高濃度放射性廃棄物の最終処分場も確保できるでしょう。

    以上、要はやりようです。独立自尊の精神のもと、粘り強い交渉力がなければ国益を重視した自由な原発開発は進められない、いわんや核武装など夢であると申し上げたい。

    なお、このコメントとほぼ同じ内容の文章を私のブログ「鎌倉橋残日録」http://plaza.rakuten.co.jp/kmrkan55/に掲載してあります。

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